第48話 双牙
旧水路の調査から二日後、俺は朝から王都の冒険者ギルドに来ていた。
今日は依頼ではなく、建物の裏手にある訓練場を借りるためだ。
すでに何組もの冒険者が汗を流している。地面は踏み固めた土を基本に、一部には砂や細かな砂利が敷かれ、端には木杭や低い柵、射手用らしい的まで並んでいた。
神殿で借りていた訓練場より広いだけでなく、足場や障害物を使うことまで考えて作られているらしい。
「真っ直ぐ二歩出るだけなら、神殿で十分だったんだがな」
隣を歩くガルドが言った。
「今日は違う?」
「二歩目で止まれる回数が増えただろ。そろそろ、その後をやる」
訓練場の端に並んだ木杭を見る。
「方向転換か」
「まずはな。ここなら足場も変えられるし、ユリウスの方も動ける場所を広く取れる。アルノルトにも好きに使えって言われてる」
少し離れたところでは、そのユリウスが杖を構えていた。
目印に置かれた杭の間を移動しながら、小さな火球を順番に撃っている。
立ち止まれば外すような距離ではない。それでも移動しながら狙いを変え、次の杭へ向かう足を止めずに撃とうとすると、火球が的の端を掠めたり、発動の瞬間だけ明らかに速度が落ちたりしていた。
「また止まりかけてたな」
「聞こえてるって!」
ユリウスがこちらを振り返る。
「前見ろ」
「そっちが話しかけたんだろ!」
「いいから続けろ!」
ガルドの声が飛び、ユリウスは何か言いたそうな顔のまま向き直った。
そのさらに奥では、ミラが一人で弓を引いている。
こちらは普段通りだ。離れた的へ数本続けて矢を送り、ほとんど同じ場所へ集めている。
フィアナは中央神殿へ出ており、セレナはエミリアと史料院へ向かっていた。王都へ来てからは、六人で固まって動くより、それぞれの用事で別れる時間も増えている。
「で、剣は?」
「まだだ」
「やっぱりか」
「不満そうだな」
「そろそろ持たせてくれてもいい気はしてる」
「そういうこと言ってるうちは持たせん」
ガルドは笑いながら、地面に引かれた白い線の前で止まった。
「二歩。止まって、その場で右を向け」
「踏み込まずに?」
「最初はな。肩だけ先に回すなよ」
一歩目から二歩目へ繋ぐ。
以前ならそこで身体が前へ流れていたが、ここ数日は足元へ重心を戻せる回数が増えてきた。勢いを殺し、左右の足に体重を乗せたところから右へ向く。
肩が先に動いた。
「違う」
「分かってる」
「分かってるなら直せ」
「直してる途中だよ」
もう一度やる。
今度は腰から向きを変えようとして、右足へ体重を残しすぎた。
「遅い」
「これ、止まってから向く方が難しくないか?」
「だからやってんだろ」
理屈は正しいだけに、少し腹立たしい。
線へ戻ろうとしたところで、訓練場の反対側から剣のぶつかる音が響いた。
一度、二度と続き、三度目だけ音が変わる。
何となくそちらを見ると、盾を持った男の木剣が宙を舞っていた。
銀級の徽章を着けた男が半歩後ろへよろめき、その喉元には一本の模擬剣が止まっている。もう一本は、いつの間にか盾の外側へ回り込んでいた。
「そこまで!」
立会人らしい職員の声が飛ぶ。
若い男はすぐに二本の剣を下ろした。
「悪い」
「いや……今の、どこから入った?」
負けた男が盾を下ろしながら訊く。
「二度目に受けた後」
「二度目?」
「踏み込む前に盾が上がってた。毎回そうだったから、三回目だけ外へ振った」
口調は素っ気ないが、相手を馬鹿にしている様子はない。
盾の男も何度か自分の動きを確かめ、「ああ……」と小さく頷いた。
若い男は二本の模擬剣を軽く振る。
俺とそう歳が変わらないように見えた。短めの髪に、無駄のない細身の身体。大柄ではないが、立っているだけでも重心が低いのが分かる。
訓練用の上着の左胸には、小さな金級の徽章が留められていた。
「見てないで続けろ」
ガルドの声で視線を戻す。
「知ってる奴?」
「エルンストだ」
それだけで名前が繋がった。
「『双牙』?」
「ああ」
若くして金級まで上がった双剣使いで、俺と同じ二十歳。王都へ来てから、名前くらいは何度か耳にしている。
「強いな」
「戦うだけならな」
ガルドの言い方には何か続きがありそうだったが、それ以上は説明しなかった。
「ほら、もう一回」
線へ戻る。
二歩目の勢いを殺し、左右へ体重を散らしてから向きを変える。さっきよりは滑らかだったものの、それでも一呼吸余計にかかった。
「今のは?」
「遅いが、さっきよりマシだ」
「基準が厳しいな」
「クラウディア相手なら、その間に二、三回斬られてるぞ」
「比較対象がおかしいだろ」
そう返した時だった。
「アレン・クロイツ?」
声が飛んできた。
振り返ると、さっきの双剣使いがこちらへ歩いてくる。
「そうだけど」
男は俺の顔を見たあと、左胸の金級徽章へ視線を落とした。
「お前が白岩街道のアレンか」
「そう呼ばれてるらしいな」
しばらく無言で見られた。
「……普通だな」
「初対面で言うことか?」
「もっと強そうなのを想像してた」
悪びれた様子もない。
「エルンスト。相変わらずだな、お前」
「ガルドさん」
ガルドへ向ける声だけ、少し調子が変わった。それでもすぐに俺へ視線が戻る。
「同い年なんだろ」
「らしいな」
「二十で金級」
「そっちもだろ?」
「俺は魔物を倒して上がった」
なるほど。
どこが気に入らないのか、何となく分かってきた。
「お前は四十人連れて逃げて金になったって聞いた」
「だいたい合ってる」
エルンストの眉が寄った。
「それだけ?」
「何が?」
「もっとあるだろ。強い魔物を倒したとか」
「戦ってはいるけど、金級に上がった理由なら白岩街道だよ」
「……分からないな」
吐き捨てるというより、本当に理解できないらしい。
「何が?」
「倒せる奴が上へ行く。それでいいだろ」
横でガルドが鼻を鳴らした。
「だったら、なんでまだ金のままか考えろ」
「戦闘能力なら足りてるって言われてます」
「戦闘能力なら、だろ」
エルンストが黙る。
「一人で片付けられるだけで白金になれるなら、お前はもう上がってる」
「なら、他の奴がついてくればいい」
「そういうところだって何度言わせる」
どうやら、初めてする話ではないらしい。
エルンストは納得した顔こそしなかったが、ガルドと言い合いを続ける気もないようだった。
代わりに、持っていた模擬剣の一本を俺へ向ける。
「やろうぜ」
「今?」
「金級同士だろ。すぐ終わる」
「自信あるな」
「ある」
迷いもなかった。
さっきの動きを見た限り、それだけの根拠もある。
「悪いけど、今はやらない」
エルンストの顔から、わずかに興味が消えた。
「逃げるのか?」
「そういうわけじゃない。今は剣を使う段階じゃないんだ」
「は?」
俺が立っていた線と、その先に並ぶ木杭へ目をやる。
「歩いてるだけじゃないか」
「その歩き方を直してる」
「剣士が?」
「剣を振る前のところからな」
「そんなの、戦いながら直せばいいだろ」
俺も少し前なら似たようなことを思ったかもしれない。
「それで直らなかったから、今こうしてる」
エルンストは俺とガルドを交互に見た。
「ガルドさん。今こいつとやったら、俺が勝ちますよね?」
「勝つ」
返事が早い。
「即答かよ」
「嘘ついてどうする」
エルンストの口元がわずかに上がった。
俺も肩をすくめる。
「俺もそう思う」
すると、その笑みが消えた。
「……悔しくないのか?」
「今やれば負けるだろうなとは思ってる」
「同い年で、同じ金級だぞ」
「それは等級の話だろ」
エルンストの顔が少し険しくなる。
俺は線の前へ戻った。
「今は直してる途中なんだ。剣を戻したら、その時やればいい」
しばらく返事がない。
振り返ると、エルンストはまだ俺を見ていた。怒っているというより、理解できないものを見る目に近かった。
「……約束だからな」
「剣を戻したらな」
「忘れるなよ」
「分かったよ」
横でガルドが小さく笑った。
その時、訓練場の入口から職員がエルンストを呼んだ。
「ヴォルフさん。依頼の件ですが」
「ああ」
模擬剣を返し、俺たちから離れていく。
こちらも訓練へ戻ろうとしたが、受付側から話し声が聞こえてきた。
「こちらの群れ討伐ですが、依頼主から三名以上という指定が入っています」
「俺一人で足りる」
「指定ですので、単独では受けられません」
「じゃあ、こっちは?」
「そちらなら金級の単独受注が可能です。ただ、かなり足の速い魔獣ですよ」
「問題ない」
やがて装備を肩に掛けたエルンストが、訓練場の脇を通っていく。
「アレン」
「ん?」
「戻るまでに剣くらい持てるようになっとけ」
「依頼に集中しろ」
「言われなくてもする」
振り返りもせず、そのままギルドの中へ消えていった。
「すごいな、あいつ」
純粋な意味で言った。
ガルドが俺を見る。
「何がだ?」
「強い。さっきの盾の人も弱くなかっただろ」
「ああ。銀じゃ上の方だ」
「それでも二回で癖を見て、三回目には使ってた」
二本の剣を別々に動かしながら、足元も崩れていなかった。
正面から剣を交えれば、今の俺ではまず追いつけない。
「戦闘だけなら白金に届くって話も、大げさじゃなさそうだな」
「だから厄介なんだよ」
ガルドはため息をつく。
「あれで大抵どうにかなっちまう。本人からすりゃ、今までのやり方を変える理由がねえ」
「失敗してないなら、そうなるか」
「そういうことだ」
ガルドはそれ以上エルンストについて話さず、白い線を顎で示した。
「で、人の心配してる場合か?」
「戻ります」
二歩目まで繋ぎ、流れずに止まる。
そこから右へ身体を向けた瞬間、左の踵が浮いた。
「やり直し」
「分かってる」
それから何度か繰り返していると、少し離れたところから杖を地面へ突く音がした。
「ちょっと休む」
ユリウスが肩で息をしながら歩いてくる。
「そっちは?」
「まだ駄目だな。走りながら撃つだけならできるんだけど、狙いを変えたり、次に何をするか考えたりすると、どうしても足が遅くなる」
「発動するところで止まりかけてたな」
「分かってるよ。前衛がいる時なら一歩止まっても何とかなるけど、抜かれた後にあれやったら追いつかれる」
ユリウスは水筒を開け、息を整えながらもう一度自分が使っていた杭を見る。
「撃てるかどうかじゃなくて、動きながら何を選ぶかの方が面倒だな、これ」
「そこまで分かってるなら続けろ」
「休ませろって」
「二人とも大変そうね」
今度はミラがやってきた。
弓を肩に掛け、片手には水筒を持っている。
「ミラは余裕そうだな」
「的を射ってるだけだからね。いつもと変わらないもの」
そう言いながら、ミラは俺の足元に引かれた線と、ユリウスが使っていた杭を見比べた。
「アレンは、自分の動きに魔法を合わせる練習でしょ。ユリウスは、動きながら普段通りに魔法を使えるようにしてるの?」
「普段通り、というよりは……」
ユリウスが少し考えてから杖を肩へ預けた。
「動きながらでも、狙う相手を変えたり、地面に撃ったり、退く場所を選んだりできるようにって感じだな。今までも戦いながら魔法は使ってたけど、前衛を抜かれた時はどうしても逃げる方が先になるから」
「俺は逆に、止まるところまで含めて自分の動きを作り直してる」
「似たことしてるように見えたけど、全然違うのね」
「俺もユリウスみたいに撃つ練習してるわけじゃないしな」
「俺もアレンみたいに速くなりたいわけじゃない」
ユリウスが笑う。
「それぞれ、今できることの使い方を変えてるってことかしら」
ミラが何気なく言って、自分の的へ目を向けた。
そこには数本の矢が狭い範囲へ集まっている。
「……なら、私も誰かに見てもらおうかな」
「ガルドに?」
俺が言うと、ミラが弓を持ち上げた。
「これを?」
「無理だな」
「俺を何だと思ってんだ」
「少なくとも、弓を教える人ではないわね」
ガルドは鼻を鳴らした。
「でも、弓なら王都にいるでしょう」
ミラが続ける。
「白金級の射手」
「ああ」
俺にも聞き覚えがある。
「『銀隼』レナード・フォーゲルか」
ガルドが先に名前を出した。
「そう、その人。頼んでみようかな」
「いきなり?」
「ダメ元よ。王都にいる間しか機会がないかもしれないし、断られても何も変わらないでしょう」
それはそうだった。
「ガルド、紹介できないの?」
「できなくはねえが、自分で頼むんだろ?」
「そのつもり」
「なら受付で聞け。今日いるかもしれん」
「いるの?」
「朝、顔は見た」
その答えを聞いた途端、ミラは水筒の蓋を閉めた。
「じゃあ行ってくる」
「今?」
「後にして帰られてたら嫌じゃない」
弓を背負い直すと、そのままギルドの建物へ向かっていく。
「行動早いな」
「アレンがそれ言う?」
ユリウスに返された。
「俺はあそこまで早くないだろ」
「いや、かなり近いと思うけど」
「そうか?」
「そうだよ」
横を見ると、ガルドまで頷いていた。
「納得いかないな」
「いいから戻れ」
ガルドが白い線を顎で示す。
建物へ消えたミラのことは少し気になったが、今追いかけても仕方がない。俺は線の前へ戻り、二歩目で重心を止めてから右へ向く。
また左の踵が浮いた。
「もう一回」
「分かってる」
息を吐いて姿勢を戻し、一歩目からやり直した。




