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第42話 黒鋼の稽古

 客室へ戻ると、ガルドはまだ笑っていた。


「やっぱりそうなるか。いい機会だ、行け」


「分かってたなら、もう少し早く言えよ」


「来るとまでは知らん。ただ、あいつが戦いのことを何度も聞く時は、大抵その先がある」


 それを先に知りたかったのだが、今さら言っても仕方がない。


 椅子に掛けていた外套を取り、剣帯を確かめていると、フィアナがこちらを見た。


「今から行くの?」


「ああ。少し動きを見たいって」


「……クラウディアさんが?」


「ああ」


 フィアナはそこで少し黙った。


「ガルドも一緒?」


「いや。たぶん二人だ。訓練場はもう借りてあるらしい」


「そっか」


 何を確認したかったのかは分からなかったが、それ以上は聞いてこない。代わりに俺の腰の剣へ目をやった。


「無茶しないでね。訓練だからって、怪我していいわけじゃないんだから」


「分かってる。黒鋼級相手に意地張るつもりはないよ」


「ならいいけど」


 黒鋼級に直接動きを見てもらえる機会なんて、そう何度もあるとは思えない。俺としては断る理由がなかった。


 ガルドが水差しを傾けながら、こちらへ目を向ける。


「普段通りにやれ。良く見せようとすると、見たいものまで変わる」


「そもそも良く見せられる相手じゃないだろ」


「なら心配いらんな」


 妙に楽しそうなのが腹立たしい。


 俺は皆に一声掛け、廊下で待っていたクラウディアのところへ戻った。


「お待たせしました」


「早かったね。じゃあ行こうか」


 クラウディアは俺の装備へ一度目をやっただけで歩き出した。


 てっきり神殿の訓練場でも使うのかと思っていたが、向かったのは中央市場とは反対側だった。


「どこまで行くんです?」


「冒険者ギルド。裏の訓練場を一つ借りてある」


「もう手配したんですか」


「王城を出た後に寄っただけだよ。使うかもしれないと思って」


 断られたらどうするつもりだったのかとも思ったが、訓練場を押さえる程度なら無駄になっても困らないのだろう。


 思い立ったら早いというより、興味を持ったことには迷わず動く性格らしい。


     ◇


 王都の冒険者ギルドは、ルミエルのものより一回りどころではなく大きかった。


 広い受付棟の脇を抜けた先には、木柵で区切られた訓練場がいくつも並んでいる。掛け声や木剣の打ち合う音があちこちから聞こえたが、奥へ進むにつれて人の気配は薄くなった。


 クラウディアが借りていたのは、その中でも端に近い区画だった。


 固く締められた土の地面に木製の標的が並び、壁際には訓練用の武器が収められている。ここだけは他に誰もいない。


「貸し切りですか?」


「見物が増えると面倒だから。普段と違う動きをされても困るしね」


 黒鋼級が訓練していると知れれば、確かに人は集まりそうだ。


 クラウディアは壁際から木剣を二本取り、その一本をこちらへ放った。


「最初は魔法なしでいい?」


「はい」


「勝とうとしなくていい。私が何を見たいかも考えず、普段通りやって」


「それが一番難しい気もしますけど」


「考え始めたら、普段通りじゃなくなるから」


 言われてみればその通りだった。


 木剣を軽く振り、重さを確かめる。普段使っている剣より少し軽いが、極端な違いではない。


 向かいでは、クラウディアが片手に木剣を持って立っていた。


 構えているようには見えない。剣先は僅かに下がり、肩にも力が入っていないのに、どこへ入っても先に取られそうな感覚だけがある。


「いつでも」


 そう言われても、どこから入ればいいのか分からなかった。


 ガルドと向かい合った時とも違う。


 あの大剣と体格なら、少なくとも何を避けるべきかは見えた。クラウディアには、それすら掴みにくい。


 待っていても仕方がない。


 正面から入り、左へ抜けるつもりで剣を振る。


 クラウディアの木剣が僅かに動いたと思った時には、こちらの剣が外へ流されていた。そのまま伸びた剣先が肩へ軽く触れる。


「……速いですね」


「今のは速さというより、入り方が真っ直ぐだったから合わせやすかっただけ」


 あっさり言う。


 その「合わせただけ」に、ほとんど反応できなかったのだが。


 一度距離を取り直し、今度は最初から剣を当てることを考えない。正面へ踏み込むふりをして、途中で右へ切り替える。


 クラウディアの足が動いた。


 速い。


 それでも、まったく見えないわけではなかった。


 追っても間に合わないと判断し、進路を塞ぐ位置へ先に剣を置く。クラウディアはそこへ入らず、外側へ回った。


 次の瞬間には、また肩へ木剣が触れている。


「今のは、追わずに先を塞いだ?」


「はい。直接追っても届かないと思ったので」


「なるほど」


 それ以上は何も言わず、元の位置へ戻っていく。


 何を見ているのか、まだ俺には分からない。


 次は、こちらから仕掛けずに待った。


 クラウディアが一歩入る。


 正面。


 そう思った時には、木剣が横から来ていた。


 受ければそのまま崩されると判断し、身体を沈めて外へ逃がす。そこから位置を変えたが、クラウディアは何事もなかったように踏み直し、胸元へ剣先を止めた。


「受けないんだね」


「まともに受けたら崩されるので」


「うん。それは悪くない」


 結果だけ見れば、一方的だった。


 それでもクラウディアは俺を倒すこと自体にはほとんど興味がないらしく、入る角度や速度を変え、ときにはこちらが対応できる程度まで明らかに動きを落としてくる。


 何度目か、右から入ってきたクラウディアの身体が僅かに開いた。


 届く。


 踏み込もうとして、やめた。


 そのまま追えば次で外される。なら、先に進路を削った方がいい。


 左へ回り、クラウディアが抜ける先へ剣を置く。


 彼女はそこで止まった。


「今の、どうして来なかったの?」


「そのまま追っても届かないと思ったので」


「私に?」


「……クラウディアさんに、です」


「でも、最初の一歩は届いてたよ」


「その後で外されますよね」


「たぶんね」


 クラウディアは否定しなかった。


「でも、それは次の一歩の話。最初からそこまで捨てなくてもよかった」


 王都へ向かう途中、ガルドと動きを見直した時に言われたことを思い出す。


「似たことを、ガルドにも言われました」


「何て?」


「格上だと思うと、正面で追うのを諦めるのが早いって。自分の速さや力まで、最初から計算から外してるって言われました」


 クラウディアは少し考え、それから腑に落ちたように頷いた。


「ああ。じゃあ、ガルドが見てたのもそこか」


「今ので分かったんですか?」


「何回か似た動きがあったからね。今ので、そういう癖なのかもしれないと思っただけ。最初から分かってたわけじゃないよ」


 あっさり言われた。


「王城で気になったのは、そこじゃなかったし」


「フィアナのことですか?」


「そう。相手の攻撃を何度か見て、フィアナだけ避けてるって気づいたでしょう」


「はい」


「しかも、それが正しいと決めつけて全部を賭けたわけじゃない。外れても崩れない形を残したまま使ってた」


 クラウディアは木剣を軽く肩へ乗せた。


「戦いながら相手の選択をそこまで見てる金級は、そんなに多くない。だから実際にはどう動くのか見たかった。それだけ」


 身体の使い方まで、報告書から分かっていたわけではない。


 その方が納得できた。


「ガルドに言われてから、何か試した?」


「風と土を、自分の踏み込みに使い始めました」


 クラウディアの目が少し変わった。


「見せて」


「まだ全然安定してませんよ」


「その方がいい。完成してから見ても、どこで崩れてたか分からないから」


 そういうことなら仕方がない。


 少し距離を取り、地面を確かめる。


「一歩だけでいいですか?」


「うん」


 接地点へ土魔法を使い、背中を押すように風を重ねる。


 力を足しすぎない。


 踏み込んだ瞬間、身体が前へ出た。


 やはり速い。


 ただ、二歩目へ移ろうとしたところで上体が遅れ、足だけが先へ流れた。慌てて土魔法を強め、無理やり制動する。


「っ……」


 転びはしなかったが、足首へ嫌な負荷が掛かった。


 クラウディアは俺ではなく、今の踏み込み跡と足元を見ていた。


「一歩目そのものは出てるね。止まるところで身体が追いついてない」


 すぐに結論を出さず、少し後ろへ下がるよう手で示す。


「もう一回。今度は風を弱めて。土はさっきと同じくらいでいい」


 言われた通りにする。


 一歩目の速度は落ちたが、今度は上体までついてきた。止まる時の負担も少ない。


「次は風を戻して、土を少し弱くしてみて」


 三度目は踏み込みが伸びた。


 速度は出たが、接地した足が僅かに流れ、予定より半歩ほど先へ出る。


 クラウディアはそれを見届けると、最初と同じ条件でもう一度やるよう促した。


 四度目。


 一歩目は速い。


 そして、やはり二歩目へ移る直前で動きが詰まる。


「出力を合わせるだけじゃ駄目みたいだね」


「何が引っかかってます?」


「少なくとも風と土は、言うほど雑じゃない。弱めればその分だけ動きも変わってるし、狙った場所には入ってる」


 クラウディアは少し考えながら、自分の足元を木剣の先で示した。


「でも、魔法を使うたびに動きが一度切れてるように見える」


「切れてる?」


「土で踏んで、風で出て、速すぎたら土で止める。外から見ると、そういう順番になってる」


 言われて、自分の動きを頭の中で追う。


 確かに、考え方としてはその通りだった。


「だから一歩目が速くなるほど、その次に身体を合わせる時間が足りなくなるんじゃないかな」


「……魔法そのものより、使い方の問題ですか」


「たぶん。少なくとも今見た範囲だとね」


 断定しないところが、かえって信用できた。


「普通に歩く時、右足を出してから左足をどうするかなんて考えないでしょう?」


「まあ、そうですね」


「剣も同じ。踏み込んで、姿勢を作って、振って、次の足を置くところまで、慣れれば一つの動きになる。でも今は、その途中へ魔法を一個ずつ後から足してる」


 クラウディアは少し離れた場所へ移った。


「私も風を使うから、一回だけ見せるね」


 軽く踏み込む。


 風が動いたことは分かった。


 それなのに、さっきの俺のような不自然さがない。


 加速したというより、最初からその速度で動く一歩だった。


「……速い」


「速さは今どうでもいいよ。止まったところを見て」


 クラウディアは踏み込んだ位置で、何の揺れもなく立っている。


「風で出てから止まったんじゃない。どこへ足を置いて、その後どう動くかまで含めて最初から一つにしてる」


「それを魔法込みでやってるんですか」


「今はね。最初からできたわけじゃないよ」


 当然のように言う。


「同じことを今すぐやろうとしない方がいい。さっきの止まり方を見る限り、足か膝にくる」


「じゃあ、真似するのはやめます」


「そこは素直なんだ」


「見てもらってるのに、分からないまま無茶して怪我しても仕方ないでしょう」


 クラウディアが僅かに笑った。


「それなら教えやすい」


 爪先で地面に二本の線を引く。


 間隔は、普段の歩幅より少し広い程度だった。


「まずはこれだけ」


「一歩ですか?」


「一歩。剣もいらないし、速さもいらない。風と土を使ってここまで出て、そのまま普通に立つ」


「分かりました」


 今までよりずっと簡単に聞こえる。


 だが実際にやると、一度目は少し前へ出すぎた。


 二度目は風を抑えすぎ、魔法を使う意味がほとんどなくなる。


 三度目は足の位置こそ合ったものの、上体が僅かに遅れた。


「今のは惜しい」


「足の位置は合ってましたよね」


「足だけならね。肩が遅れてる」


 自分でもう一度、立った姿勢を確認する。


「……足の位置だけじゃ駄目なんですね」


「うん。身体全体で一歩だから。速くした時ほど、少しのずれが大きくなる」


 言われてみれば当然だった。


 俺は線の中へ足を収めることばかり気にして、その時に腰や肩がどう収まっているかまでは見ていなかった。


「もう一回お願いします」


「もちろん」


 同じ距離を踏み込む。


 今度は最初から足だけを狙わず、踏み終わった時の姿勢まで意識した。速度は落ちたが、さっきより身体が一緒についてくる。


「今の方がいい」


「速くはないですけど」


「今はそれでいいよ。速くして崩れたら、何を練習してるか分からなくなる」


 もう一度。


 今度は少し風が強く、肩が前へ流れた。


 クラウディアはすぐに次を急かさず、俺が自分で姿勢を戻すのを待っている。


「今のは自分でも分かりました」


「じゃあ直せるね」


 また踏み込む。


 何度か繰り返すうち、ようやく足と腰、上体が同じ場所へ収まる感覚があった。


「それ」


 クラウディアがすぐに反応した。


「今の感覚、残ってる?」


「たぶん」


「じゃあ、もう一回」


 再現しようとすると、今度は僅かに前へ流れる。


「少し違う。でも近い」


「もう一回やります」


 気づけば、黒鋼級と剣を合わせに来たはずなのに、同じ一歩を何度も繰り返していた。


 それでも不思議と退屈ではない。


 速くなる方法を教わっているというより、今まで別々に扱っていた身体と魔法を、一つの動きへ組み直している感覚があった。


 しばらくして、クラウディアが手を上げる。


「今日はここまでにしよう」


「もうですか?」


「右足、張ってきてるでしょ」


 言われて意識を向けると、ふくらはぎから足首にかけて軽い疲労が溜まっている。


「少し。でも、まだ動けます」


「動けると思う。でも今の状態で続けると、崩れた動きを身体に覚えさせる方が早くなる」


 その説明なら納得できた。


「分かりました。今日はやめます」


「明日、痛みが残ってなければ一人でもやっていいよ。ただし速くしない。一歩出て、同じ姿勢で止まるところまで」


「それが安定したら二歩?」


「そう。その後に剣を戻す」


 随分地味だ。


 だが、地味だからこそ誤魔化せない。


 クラウディアは使った木剣を壁際へ戻した。


「ガルドが先に気づいてたなら、思ったより話は早そうだね」


「何がです?」


「直す場所。少なくとも、判断の仕方まで変える必要はなさそうだから」


 その言葉は、思ったより嬉しかった。


 今まで積み上げてきた戦い方を捨てろと言われたわけではない。


 ただ、その判断の中に、自分自身の身体ももう少し正確に入れる必要がある。


 ガルドの指摘が、ようやく具体的な形を持ち始めた気がした。


「また見てもらえますか?」


 聞くと、クラウディアは当然のように頷いた。


「そのつもり。アレンのやり方、私も少し気になってきたし」


「俺のやり方?」


「風と土を両方、自分の動きへ細かく合わせようとする人はあまり見ないから。私も同じ使い方をしてるわけじゃないしね」


 黒鋼級なら、何でも答えを知っているわけではないらしい。


 ただ、分かるところまで見て、分からないところは実際に試す。そのやり方は、少し親近感があった。


「じゃあ、俺だけ教わってるわけでもないんですね」


「そこまで大げさじゃないけど」


 クラウディアは少し笑った。


「少なくとも、見てて退屈はしなさそう」


「それは褒められてるんですか?」


「褒めてるよ。一応」


 最後の一言が余計な気もしたが、悪い気はしなかった。


 俺も木剣を元の場所へ戻し、クラウディアと並んで訓練場を出る。


 王都へ来てまだ二日目だというのに、調べることだけでなく、試してみたいことまで随分増えてきた。

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