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第41話 王の判断

 奥の扉が開くより先に、扉脇に立っていた近衛騎士が姿勢を正した。


「陛下がお見えです」


 それまで僅かに残っていた空気の緩みが消え、ディートリヒも表情を改める。窓際の机へ軽く腰を預けていたクラウディアまで身体を起こしたのを見て、俺たちも遅れないよう立ち上がった。


 入ってきたのは二人だった。


 先頭の男は五十歳を少し過ぎたくらいだろう。濃色の上着には王国の紋章が控えめにあしらわれているが、豪華な冠も、目を引く宝飾品も身につけていない。


 それでも、名乗られる必要はなかった。


 周囲の人間が一斉に向ける態度だけで分かる。


 ヴェルセリア王国国王、レオポルト・アルノー。


 その半歩後ろには、王より幾らか年上に見える男が続いていた。軍人らしい厚みを残した体格をしているものの、鎧ではなく濃紺の官服を身につけている。こちらには見覚えがない。


「楽にしてくれ」


 レオポルトが言い、俺は周囲に合わせて頭を上げた。


「謁見の間へ移す案も出たが、私が断った。すでにここで必要な聞き取りをしている者たちを、形式のためだけに別の部屋へ動かす必要はない」


 どうして王自身がこの会議室へ来たのかと思っていたが、最初からそういう判断だったらしい。


「今日は儀礼より中身を優先する。座ってくれ」


 全員が席についたところで、マティアスが王の隣に立つ男をこちらへ紹介した。


「軍務卿ヴォルフラム・エーデル閣下です。北方情勢と王国軍の運用については、閣下からご説明いただきます」


 ヴォルフラムは俺たちへ軽く会釈すると、そのまま王の近くの席についた。


 レオポルトはまずマティアスへ視線を向ける。


「必要な確認は済んでいるか」


「はい。報告書で曖昧だった点についても確認しました。実際に確認された事実、相手方の発言、現時点での推測は分けて整理しています」


「なら、それをもう一度話してもらう必要はないな」


 あっさりしていた。


 王都まで来た以上、セレス修道院で起きたことを最初から説明し直すくらいは覚悟していたが、その必要はないらしい。


 レオポルトは俺たちを順に見た。


「まず、遠いところをよく来てくれた。セレス修道院では危険な目にも遭ったと聞いている。全員が生きて戻ったことを喜んでいる」


 大仰な褒め方ではなかったが、国王本人から言われるとどう返せばいいのか迷う。


 結局、フィアナが代表するように頭を下げた。


「ありがとうございます」


「フィアナ殿。まず、あなたに確認しておきたい」


「はい」


「神託、古代施設、そしてあなたを連れ去ろうとした北方の者。調査を続ければ、今まで以上の危険に関わる可能性がある。それでも、自分で確かめたいという意思は変わらないか」


 フィアナはすぐには答えず、ほんの僅かに考えた。


 迷ったというより、言葉を選んだように見える。


「変わりません。怖くないわけではありませんが、自分に起きていることを何も知らないままでいる方が嫌です。何なのか、自分でも確かめたいと思っています」


 レオポルトはしばらくフィアナを見た後、静かに頷いた。


「分かった。なら、王国としてあなたの意思を無視して行動を封じるつもりはない」


 そこで言葉を切り、ディートリヒへ一度目を向ける。


「ただし、すでにあなたを確保しようとした者がいる以上、護衛を外すこともできない。王都での行動まで一律に禁じるつもりはないが、出歩く時には今まで通り護衛と連携してほしい」


「はい」


 フィアナの表情が僅かに緩んだ。


 本人の意思を認めることと、危険を放置することは別らしい。


 次に、王の視線が俺へ移った。


「アレン殿」


「はい」


 名前を呼ばれただけで、思っていた以上に身体が固くなった。


 王城へ入る前のユリウスを笑わなくてよかった。


「報告の中で、一つ確認したい判断がある。北方の男がフィアナ殿を傷つけたくないと見抜き、それを位置取りに利用したそうだな」


 ついさっきクラウディアにも聞かれたところだ。


「はい」


「その読みが外れていた場合は、どうするつもりだった?」


 一瞬、返事が遅れた。


 いつ見抜いたかでも、何を見たかでもない。


 外した時の話だった。


「……それだけに賭けたわけではありません。相手がフィアナを避けるなら攻撃の方向を絞れる。でも、避けなかったとしても、俺が前に残ったまま仲間の援護が切れない位置を選んでいました」


「確信していたわけではない?」


「かなり可能性は高いと思っていました。ただ、確定だとは考えていませんでした」


「そうか」


 レオポルトはそれ以上詳しく聞かなかった。


「ならいい」


 少し拍子抜けしていると、王は机の上の報告書へ指を置いた。


「成功した判断は報告書にも残る。だが、私が知りたいのは、読みが外れた時に何を残していたかだ。結果が良かったから正しかった、では次にも使える判断なのか分からない」


 言われてみれば、分かりやすい。


 白岩街道でも、俺が考えていたのは敵を倒し切れるかより、駄目だった時にどこへ逃がすかだった。


 相手が国王だから身構えていたが、話していること自体は思ったより理解しやすかった。


「古代文字については、今ここで理由を聞いても答えは出ないのだろう?」


「……はい。俺にも、なぜ読めるのかは分かっていません」


「なら、今はそれで構わない。読めるものと読めないものを混ぜず、必要な時に示してくれればいい」


 理由そのものを追及されなかったことに、少しだけ安堵する。


 この先も聞かれないとは思わないが、少なくとも説明できないものを今ここで無理に答えさせる気はないようだった。


 レオポルトは今度はセレナへ向く。


「セレナ殿。王立史料院の件は聞いている」


「はい。マティアス殿から、調整していただけると伺いました」


「閲覧できる範囲は広げる。ただし、王室保管分や軍務記録まで無制限に開くことはできない。必要な資料が分かれば、その都度申請してほしい」


「それで十分です。まず何が残っているかを確認しないと、こちらも探す範囲を絞れませんから」


「その方が助かる。こちらも、何を探せば答えに近づくのかまでは分かっていない」


 王都まで来れば、中央には何か決定的な記録があるのではないか。


 そんな期待が全くなかったわけではないが、やはり都合よくはいかないらしい。


「約百八十年前の資料については、実際に複数の不連続が確認されています」


 マティアスが補足する。


「ただし、当時は現在の王国成立以前に当たる地域も多く、保管経路も統一されていません。複数の欠落が同じ原因によるものかは、現段階では判断できません」


 セレナが頷く。


「私たちが見てきたものと同じですね。欠けていることは確認できても、同じ理由で欠けたとはまだ言えません」


「その認識で合っています」


 レオポルトも報告書へ視線を落とした。


「不明な点が多いのは仕方がない。そこを、都合のいい答えで埋めることだけは避けたい」


 その言葉を受け、ヴォルフラムが机の上へ一枚の地図を広げた。


「北方情勢についても同じです」


 初めてまともに聞く軍務卿の声は、低くよく通った。


「北方へ通じる複数地域で部隊の移動が増えていること、北側から南へ戻る商人が増えていること、さらに北で小規模な接触が発生していること。この三点は確認できています」


 ガルドが北東で見たものとも一致する。


「しかし、それだけで大規模侵攻の準備と判断するには材料が足りません。向こうの内部事情による移動かもしれず、こちらへの攻勢を意図したものとは限らない」


 フィアナが地図へ目を落とした。


「増援を送れば、少なくともこちら側の備えは厚くなるのではありませんか?」


「短期的には、その通りです」


 ヴォルフラムは否定しなかった。


「ですが、軍は兵だけでは動きません。補給が増え、街道の使用量が変わり、宿営地が整えられれば、相手からもこちらの動きは見える。こちらが警戒のつもりで兵を集めても、向こうには攻勢準備に見える可能性があります」


「それを見て、向こうも兵を増やす」


 俺が言うと、ヴォルフラムが頷いた。


「そうなれば、こちらはさらに増やさざるを得なくなる。誰もその時点で戦争を望んでいなくても、軍が集まりすぎれば、一度の衝突が持つ意味まで変わります」


 第三次北方戦争を知る世代だからなのか、その言い方には妙な重さがあった。


 レオポルトが地図を見る。


「だから今は、大きく動かさない。必要な警戒は強めるが、北方へ軍を集結させていると受け取られる形にはしない」


 ミラが少し身を乗り出した。


「セレス修道院に現れた男との関係については、まだ確認できていないということでしょうか」


「そうだ。現時点で両者を結びつける材料はない」


 レオポルトは迷わず答えた。


「北方の者が一人現れたことと、北方全体が同じ目的で動いているかどうかは別の問題だ。証拠がない以上、そこを一緒に扱うつもりはない」


 国王なら何でも知っているような気がしていたが、知らないものまで知っている顔をされるより、ずっと話しやすかった。


「当面の方針を伝える」


 レオポルトが地図から手を離した。


「皆には、しばらく王都に留まってもらいたい」


 誰も驚かなかった。


「セレナ殿は史料院で調査を続ける。古代文字の確認が必要になれば、アレン殿にも同行してもらう。フィアナ殿については現在の護衛を継続しつつ、必要以上に行動を制限しない」


 俺、ミラ、ユリウス、セレナへ視線が移る。


「護衛依頼の延長については、政務院から大神殿と調整する。滞在が延びた分まで、君たち個人の負担にするつもりはない」


 仕事として来ている以上、そこまで考えられているのはありがたかった。


「ガルド殿には、北東方面についてまだ別件の確認が残っている。それが済めば行動を拘束する理由はないが、王都にいる間に助言を求めることはあるかもしれない」


「承知しました。いる間でしたら、必要があれば」


 ガルドもさすがに国王相手では多少言葉を整えている。


 それでも必要以上に畏まらないところは、やはりガルドだった。


 そこでレオポルトの視線が、少し離れたところにいるクラウディアへ向いた。


「クラウディア殿は、今日は妙に静かだな」


 クラウディアが瞬きをする。


「私ですか? 普通にしているつもりですが」


 ディートリヒの眉が僅かに動いた。


 王はそれを見逃さなかったらしい。


「何かあったのか?」


「情報の扱いについて、少々」


「そこまで大げさな話では――」


 クラウディアが口を挟みかけると、ディートリヒが無言でそちらを見る。


 そこでようやく彼女も言葉を止めた。


「……後で聞こう」


 レオポルトはそれ以上追及しなかった。


 さっきまで北方の軍をどう動かすか話していた部屋なのに、不思議とその一瞬だけ空気が緩む。


 王は改めて俺たちを見回した。


「今すぐ北へ向かう必要はない。まずは王都に残っている記録を調べ、それぞれが見たものを整理してほしい。遠くへ動く前に、ここで確かめられることを確かめるのが先だ」


 それが、今の王国としての判断だった。


 王都まで来たからといって、すぐ次の場所へ向かうわけではない。どうやら俺たちは、しばらくこの街で腰を据えることになりそうだった。


     ◇


 神殿へ戻った頃には、昼をかなり過ぎていた。


 王城からの馬車を降りて客室へ入るなり、ユリウスが椅子へ深く身体を預ける。


「……疲れた。戦ってもないのに」


「入る前から緊張してたものね」


 ミラも向かいに座りながら言ったが、本人も王城にいた時より肩の力が抜けていた。


「国王の前で余計なことを言わないようにしてるだけで疲れるんだよ。ミラだって平気だったわけじゃないだろ」


「もちろん。でも、顔に出したところで楽にはならないもの」


 ユリウスは反論しかけ、結局やめた。


 俺も外套を椅子の背へ掛ける。


 身体はほとんど動かしていないのに、妙な疲労が残っていた。


「アレンは平気そうに見えたけど」


 フィアナがこちらを見る。


「名前を呼ばれた時は結構固まった。何を聞かれるか分からなかったし」


「そうなの? 全然分からなかった」


「フィアナも同じだ。王城では普通に見えた」


 そう返すと、彼女は少し困ったように笑った。


「私は途中から、ちゃんと答えられてるのか分からなくなってた。今になって気になってきた」


「少なくとも変なことは言ってなかったと思う」


「ならいいけど」


 人前ではあれだけ落ち着いているのに、終わってから心配になるあたりは普段のフィアナだった。


 セレナは席につくと、王城から持ち帰った書類へ早くも目を落としている。


「史料院へ行けるのは明日以降ね。今日のうちに、確認したい資料だけ整理しておこうかな」


「今から史料院へ行くって言わないだけ安心した」


 俺が言うと、セレナが顔を上げた。


「受付時間くらい考えるわよ。それに、何を探すか決めずに入っても時間を使うだけでしょう?」


「その答えなら安心した」


 少し不満そうな顔をされたが、書類を閉じたところを見ると、本当に今日は休むつもりらしい。


 しばらくして、ユリウスが水を飲みながら口を開いた。


「それにしても、黒鋼級ってもっと近寄りにくい人だと思ってた」


 誰のことかは聞くまでもない。


「クラウディアさん?」


「他にいないだろ。あれだけ周りが気を遣ってるのに、本人だけ普通だったじゃないか。しかも古龍の話まであっさり口にするし」


 フィアナも思い出したのか、少し笑った。


「ディートリヒ、すごく困ってたね」


「あれでも仕事中だぞ」


 ガルドが窓際から言った。


「戦いのことになると別だ。普段がああだから分かりにくいだけでな」


「確かに、アレンへ質問してる時は少し雰囲気が違った」


 フィアナの言葉に、俺も頷いた。


 情報を漏らしてディートリヒに呆れられていた時とは、目が違った。


「報告に興味があっただけだろ」


 そう言うと、ガルドが口元を少し緩めた。


「何だよ」


「いや。別に」


「その顔で言われても信用できないんだけど」


 それ以上は答えず、ガルドは水を飲んだ。


 何か知っていそうだが、聞いても話す気はなさそうだった。


 ちょうど俺が諦めたところで、扉が叩かれた。


 フィアナが返事をすると、神殿の若い神官が顔を覗かせる。


「失礼いたします。アレン殿にお客様がいらしています」


「俺に?」


 王都で俺を訪ねてくる相手には、ほとんど心当たりがない。


「どなたですか?」


 神官は一度廊下へ目を向けてから答えた。


「クラウディア殿、と名乗っておられます」


 俺は思わずガルドを見る。


 今度は隠す気もないらしく、はっきり笑っていた。


「……知ってたのか?」


「来るとまでは知らん。ただ、気に入ったみたいだったからな」


「そういうのは先に言ってくれ」


「言ったところで何が変わる」


 たぶん何も変わらない。


 俺は諦めて立ち上がり、廊下へ出た。


 案内してもらう必要もなかった。


 少し先の柱のそばに、ついさっき王城で別れたばかりのクラウディアが立っている。深い青の短い外套も、灰銀がかった髪もそのままで、俺を見つけると軽く片手を上げた。


「いた。アレン、少し時間ある?」


「ありますけど……どうしたんですか?」


「さっき話を聞いただけじゃ分からなかったから、実際に動いてるところを見せてほしい」


 やっぱり、そっちだったらしい。


「今からですか?」


「うん。疲れてるなら少し後でもいいけど」


 思っていたより、その辺りは普通に気を遣うらしい。


 王城から戻ったばかりで多少疲れてはいるが、剣を振れないほどではない。それに、黒鋼級から直接見てもらえる機会がいつでもあるとは思えなかった。


「分かりました。行きます」


 答えると、クラウディアの口元が僅かに緩む。


「じゃあ、場所はこっちで借りてあるから」


「もう借りてるんですか?」


「来る前に」


 断られる可能性はあまり考えていなかったらしい。


 俺は思わず苦笑した。


「装備だけ取ってきます。少し待っててもらえますか」


「もちろん」


 客室へ戻るため扉に手を掛けながら、さっきまで笑っていたガルドの顔を思い出す。


 王城で終わったはずの一日は、どうやらまだ終わりそうになかった。

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