第35話 王都への報せ
9/23 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)
五人が部屋を出たあとも、私はしばらく席を立たなかった。
机の上には、聞き取ったばかりの内容を走り書きした紙が何枚か残っている。すぐに整理しなければならないことは多かったが、セレス修道院へ向かう彼らを見送った時点で危険がないとは思っていなかったとはいえ、北方の者との戦闘にまで及ぶとは予想していなかった。
報告の内容は重い。それでも、五人が全員自分の足でこの部屋まで戻ってきたことだけは、まず素直に喜んでよかった。
フィアナ様の様子も、出発前とは少し違っていた。
アレン、と自然に名前を呼び、アレンさんも敬語を使わずに返している。呼び方も話し方も以前とは違い、旅の間に随分打ち解けたらしい。少なくとも、あの様子なら互いに無理をしているわけではなさそうだった。
私は椅子へ座り直し、机上の紙へ意識を戻す。
エレノア・セルディアと、名前の残されていない同行者。修道院の地下に存在した古代施設。そして、フィアナ様へ示された「確認済み」と、アレンさんへ示された「適合」。
そのあたりについて、私が彼らより多く知っていることはほとんどなかった。少なくとも私の知る限り、神殿内にあの表示の意味や施設の用途を説明できる者はいない。セレナ殿ですら判断できないのであれば、ルミエルで簡単に答えが出る問題ではないだろう。
気になるのは、その先に出てきた百八十年前という時期と、「北の盟主」という呼び方だった。
紙に記した二つの言葉を、指先でなぞる。
まったく心当たりがないわけではない。
神殿に残る聖女の記録は多いが、すべてがルミエルに保管されているわけではなかった。古い年代になるほど、原本を王都へ移したものや、こちらには写しと目録しか残っていないものも増える。
エレノアについて以前調べた時にも、その点は気になっていた。
若い頃から各地を巡った足取りは比較的よく残っているのに、後年になるほど記録は急に薄くなり、最後にどこで何をしていたのかさえ判然としない。古い文書が失われること自体は珍しくないため、それだけなら不自然とまでは言えなかった。
ただ、彼女が生きた時期の一部資料には、保存先として王都しか記されていないものがある。
内容までは知らないし、私自身、閲覧を求めたこともなかった。聖女の足取りを調べるだけなら、わざわざ王都保管の文書まで取り寄せる必要がなかったからだ。
数日前、あの男が口にしたという言葉が頭に残る。
人間は、何が起きたのかすら残せなかった。
単なる脅しなら、それで終わる。だが、エレノアの名に反応し、百八十年前と現在を重ねるような発言をした者が、北方から実際にセレス修道院まで来ているとなれば事情は変わる。
北方についても、私が詳しいわけではない。
それでも各地の神殿や王都との連絡を長く扱ってきた中で、北方についての報告を目にする機会はあった。人間が魔族とひとまとめにしている者たちが、実際には複数の集団に分かれているらしいことも、その程度なら知っている。
だが、「北の盟主」という呼び方は私も初めて聞いた。
セレナ殿の聞き間違いとは考えにくく、五人の証言も一致している。しかも「魔王」と確認された際には、人間はそう呼ぶらしいと返している。
これだけ揃えば、この街の中だけで扱う情報ではない。
私は新しい紙を取り出した。
王都へ上げる第一報に、推測は要らない。
セレス修道院の地下で古代施設が確認され、フィアナ様とアレンさんにそれぞれ異なる反応が示された。さらに北の盟主に仕えると名乗る者が現れ、フィアナ様を連れ去ろうとした結果、五人との戦闘になって撤退している。その者は百八十年前の出来事を知っているような発言もしていた。
まずは、確認できた事実だけで十分だった。
すべてを調べ終えてから送る必要はない。遅れて届く完璧な報告より、判断に必要な情報が早く届く方がいい。足りない部分は後から補えば済むが、必要な判断が遅れれば取り返せないこともある。
書き始めて間もなく、扉が控えめに叩かれた。
「どうぞ」
神殿職員が入り、一礼する。
「ベルナール様、お呼びでしょうか」
「ええ。いくつかお願いします」
筆を置いて顔を上げた。
「まず、この文書を今日の王都便に載せます。封をしたら、通常の報告より優先して扱うよう伝えてください」
「承知しました」
「次に、今日戻った五名についてです。フィアナ様の外出には、当面同行者をつけてください。ただし、必要以上に目立つ人数は避けます」
「はい」
「それと、冒険者ギルドへ確認を。ガルド・レイスさんは、まだ戻っていませんか?」
職員は少し考えた。
「北東方面の商隊護衛でしたね。予定では、あと数日以内だったかと」
「戻り次第、こちらへ来ていただけるよう伝えてください。急ぎではありますが、護衛を終えて休む時間まで奪う必要はありません」
「どのようなご用件とお伝えしますか?」
「セレス修道院から戻った方々の報告について、意見を伺いたいと」
「分かりました」
職員が退出すると、私は再び筆を取った。
アレンさんたち五人で止めた相手が、実際どの程度の使い手だったのか。それも確認しておきたかった。
アレンさんは若いとはいえ金級で、ミラさんとユリウスさんも銀級として十分な経験がある。そこへセレナ殿まで加わり、フィアナ様を守りながら五人で戦った。
相手はそのフィアナ様を傷つけないよう攻撃を選び、それでも彼らを相手に戦い続け、最後は自分の判断で退いている。軽く扱える相手でないことは分かるが、どの程度なのかとなれば、私には判断できない。
その評価を任せられる人物なら、一人思い当たった。
第一報を書き終え、内容を読み返す。
百八十年前の資料については、王都側で該当するものを確認してほしい旨だけを添えた。「北の盟主」という呼称についても、こちらで意味を決めず、聞き取ったまま記してある。
封を終えた文書は、その日のうちに王都へ向かった。
◇
二日後、ガルドさんが大神殿を訪れた。
北東方面へ向かった商隊の護衛を終え、その日の朝にルミエルへ戻ったばかりだという。休んでからで構わないと伝えてあったのだが、昼を過ぎる頃にはこちらへ来ていた。
「俺を呼んだそうだな」
大きな身体が向かいの椅子へ収まる。
「お疲れのところ、申し訳ありません」
「いい。帰って飯は食った」
それで十分らしい。
灰色の混じった髪には旅の名残がわずかに残っていたが、長い護衛を終えた疲れを表へ出す様子はない。
「アレンたちが戻ったってのは聞いた」
「ご存じでしたか」
「ギルドでな。五人とも無事らしいじゃないか」
「はい」
「ならよかった」
短い言葉だったが、声には素直な安堵があった。
エルムでの一件以来、ガルドさんがアレンさんたちを気に掛けていることは知っている。留守の間にまた厄介なものへ関わったと聞けば、思うところもあるだろう。
「ただ、少々問題がありまして」
「俺を呼んだくらいだ。そうだろうな」
私は必要な部分だけを説明した。
古代施設の詳細には踏み込まず、北の盟主に仕えると名乗った男が現れ、フィアナ様を連れていこうとしたこと。その結果、五人と戦闘になったことを伝える。
ガルドさんは途中で口を挟まず、腕を組んだまま聞いていた。
「相手は一人か」
「はい」
「アレンが正面に立った?」
「主には。ミラさんとユリウスさん、セレナ殿が援護し、フィアナ様を守りながら戦ったそうです」
「相手はフィアナを殺せない」
「少なくとも、彼らはそう判断しています。強い攻撃を使う時にも、フィアナ様を巻き込まないよう角度を選んでいたと」
ガルドさんの眉がわずかに動いた。
「それで五人を相手にしたのか」
「はい」
「強いな」
迷いのない答えだった。
「やはり、そう見ますか」
「フィアナを気にせず殺し合うだけなら別だ。欲しい相手が敵の真ん中にいて、そいつを傷つけずに戦う方が面倒だからな。それでアレンたちを崩しかけたなら、並の金級よりは上だろう」
「アレンさん自身も、一人では厳しかっただろうと見ていたようです」
「だろうな」
驚いた様子はなかった。
「あなたなら?」
そう聞くと、ガルドさんはすぐには答えなかった。
「見てもいない相手だぞ」
「承知しています。報告の範囲で構いません」
相手の速さや細身の剣の扱い、離れた場所まで届く攻撃、セレナ殿の拘束を破ったことなど、必要なところだけ追加で伝える。
ガルドさんは何度か確認したあと、椅子の背へ身体を預けた。
「一人なら、勝てると思う」
声に力みはない。
「かなり強い相手でも?」
「強いから勝てないって話じゃない。アレンが一人で押し切られるくらいなら、だいたい位置は見える」
「余裕を持って、という意味ではありませんね」
「当たり前だ」
わずかに笑う。
「無傷で済むとは言わん。聞いた話が全部その通りなら、下手をすれば俺も深手を負う。ただ、一対一でどちらかが立てなくなるまでやるなら、俺が勝つ方に賭ける」
白金級という階級の意味を、改めて感じる答えだった。
アレンさんが弱いわけではない。二十歳で金級に達している時点で十分に異例であり、実際に今回も仲間をまとめながら格上の相手を退かせている。
その先にも、まだ差がある。
「ただな」
ガルドさんの表情から笑みが消えた。
「俺が気になるのは、そいつの強さじゃない」
「北の盟主、ですか」
「ああ。本当にそう名乗った?」
「五人とも同じ証言です。セレナ殿が魔王のことかと確認すると、人間はそう呼ぶらしいと答えたそうです」
ガルドさんはしばらく黙っていた。
やがて腕を組み直す。
「……北東で、少し妙なのを見た」
今度は私が姿勢を直した。
「何を?」
「先に言っとくが、戦が始まるって話じゃない」
そう断ってから続ける。
「帰りに通った街道で、北寄りから来る商人が普段より多かった。荷を売り切らずに南へ戻ってる連中もいたし、途中で兵の移動を何度か見た」
「どこの兵です?」
「こっち側だ。国境の守備兵じゃない。たぶん増援か、街道の警戒を増やしてる」
「理由は聞きましたか」
「商人から聞けたのは、北の方で人の動きが増えたとか、いつも使う道を避けろと言われたとか、その程度だ。誰もはっきりしたことは知らん」
ガルドさんは少し考えるように目を細めた。
「戦争になるなら、もっと分かりやすく動く。商人も兵もこんなもんじゃ済まない。だから今はそこまでじゃない」
「ただ、いつも通りでもない」
「そういうことだ」
私は机の端に置いていた控えへ目を向けた。
二日前、王都へ第一報はすでに送っている。
セレス修道院へ現れた一人の男と、ガルドさんが北東方面で見た小さな変化を、今の段階で結びつける根拠はない。
それでも、追加情報として上げる価値はあった。
「この話、王都にも送るのか?」
「先日の報告への追加として送ります。ただし、セレス修道院の件との関連は示しません」
「それがいい」
「今のところ、同じ時期に起きているというだけですから」
「話が早くて助かる」
ガルドさんが椅子から立ち上がった。
「もういいか?」
「はい。助かりました」
「アレンたちには、俺を呼んだって話してる?」
「まだです」
「別に隠す必要はないが、今すぐ呼び出すほどでもないな。帰ったばかりだろ」
「私もそう考えています」
少なくとも、今すぐ彼らから新しい情報が出てくるわけではない。
調査へ向かった彼らは役目を果たし、必要な報告も済ませた。分からないことが多いからといって、それだけを理由に何度も呼び戻す必要はなかった。
ガルドさんが扉へ向かいかけたところで、ふと足を止める。
「ベルナール」
「はい」
「北で何か動いたら、俺にも知らせてくれ」
「分かりました」
「今度は留守にしてる間に、あいつらだけで面倒なのとやり合われると困る」
口調は少し冗談めいていたが、半分ほどは本気なのだろう。
「では、その時はお願いします」
「任せろ」
扉が閉じる。
一人になった部屋で、新しい紙を取り出した。
先日の文書には書けなかった、北東方面での兵と商人の動き。それをガルドさん自身の観察として記し、セレス修道院の件とは別の情報であることも明記する。
北方の現在については、王都の方がルミエルより多くの報告を集めているはずだ。百八十年前の資料についても、こちらからは返答を待つしかない。
今ある二つの話が偶然重なっただけなら、それでいい。関係がないと分かることも、判断材料の一つになる。
ただ、二日前に送った第一報へ追加しておくべき情報が増えたことだけは間違いなかった。
私は文面を読み返してから封をし、二通目の報告を届けてもらうため、呼び鈴へ手を伸ばした。




