第34話 帰還
9/23 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)
その後の道中で、追手が現れることはなかった。
以前立ち寄った集落で水と食料を補充してからも、何度か魔物の痕跡を避けた程度で、大きな問題は起きない。ミラは最後まで後方への警戒を緩めず、俺たちも野営地を選ぶ時には以前より周囲の見通しを気にするようになっていたが、日を重ねるにつれて森は薄くなり、人の使う街道へ合流すると、行き交う荷車や旅人の姿も増えていった。
セレス修道院を離れて数日。
見慣れたルミエルの城壁が遠くに見えた時、ようやく身体から余計な力が抜けた。
「帰ってきた……」
フィアナが小さく呟く。
「まだ門の外だけどね」
「それくらいいいでしょ」
ミラに返され、フィアナが少し笑った。
ユリウスはもっと分かりやすかった。
「今日は屋根のあるところで寝られるんだな」
「最初に出る感想がそれ?」
「重要だろ。あと温かい飯」
「昨日も温かかったじゃない」
「あれは野営の飯」
何が違うのかとフィアナが聞き返し、二人が話し始める。
そのやり取りを聞きながら、俺も城壁の向こうへ目を向けた。
出発した時と街の姿は何も変わっていない。門の前には荷車が並び、兵士が積荷を確かめている。順番を待つ商人は馬へ水をやり、城壁の上では衛兵がいつも通り巡回していた。
俺たちが留守にしていた間も、ここでは普段の日々が続いていたのだろう。
「アレン」
セレナに呼ばれて振り返る。
「着いたら、先に大神殿でいいわよね?」
「ああ。ギルドよりそっちが先だと思う」
ミラも頷いた。
「私たちも行く。あの男と直接やり合ったのは五人とも同じだし」
「助かる」
「ここまで来て、あとはよろしくって帰る方が気持ち悪いでしょ」
ユリウスも異論はないらしい。
門を抜ける頃には午後もかなり進んでいた。
ルミエルへ入ると、途端に人の声が増える。露店から上がる湯気、石畳を転がる車輪の音、道端で荷を積み替える人たちの声まで、少し前まで当たり前だったものが妙に懐かしく感じられた。
フィアナも同じだったのか、何度か周囲へ目を向けている。
「先に着替えたいな……」
「それは俺も」
「報告が先」
セレナが容赦なく言った。
自分だって旅装の裾には泥が残っているのに、そこを気にする様子はない。
「分かってるよ」
「終わったら、俺は風呂と飯だな」
ユリウスが言うと、ミラが呆れた顔をする。
「さっきからそれしか言ってない」
「帰ってきた実感があるだろ」
確かに、それは少し分かる。
大神殿へ着くと、入口にいた神殿兵がフィアナとセレナの姿に気づき、すぐ中へ通してくれた。
帰還予定から大きく遅れていたわけではない。それでも、セレス修道院へ向かった五人が揃って戻ったことはすぐ奥へ伝わったらしく、受付で事情を話している間に別の兵士がやってくる。
「ベルナール様がお会いになります。このままこちらへ」
案内されたのは、出発前にも使った小さな会議室だった。
荷を壁際へ置き、椅子へ腰を下ろす。何日も歩いた直後にしては少し堅い場だが、宿へ戻る前に伝えておくべき内容がある以上、仕方がない。
ほどなくしてベルナールが入ってきた。
いつもの落ち着いた顔だったが、俺たち五人を順番に確かめると、まずフィアナへ視線を止める。
「全員、無事で何よりです」
「アレンが少し怪我しましたけど、もう大丈夫です」
「少し?」
「治ってるよ」
フィアナの方を見て答えると、不満そうな顔をされた。
「治ったからって、浅かったことにはならないでしょ」
「今は問題ないって意味」
そのやり取りを見ていたベルナールが、ほんのわずかに目元を和らげた。
出発前とは呼び方も話し方も変わっていることに気づいたらしいが、何かを言うことはない。
「ともかく、治療が済んでいるなら結構です」
そう言ってから、ベルナールはセレナへ視線を移した。
「予定していた調査は?」
「予想していたより、かなり大きなものになりました」
その一言で、部屋の空気が変わった。
セレナはエレノアの滞在記録と名前の残っていない同行者を確認したこと、修道院の地下で古代施設を発見したことを簡潔に伝える。そこからフィアナと俺にそれぞれ異なる反応が出たことまで説明し、数日前、施設を出た後に起きたことへ話を移した。
「そこで一名と接触しました。本人は、北の盟主に仕える者だと名乗っています」
ベルナールの動きが止まった。
「……北の盟主」
「私が魔王のことかと確認したところ、『人間はそう呼ぶらしいな』と」
しばらく沈黙したあと、ベルナールは椅子へ深く座り直した。
「その者の目的は?」
「フィアナを古代施設から切り離すことだと言っていました。本人が拒否した後は、連れていく意思も示しています」
表情が明確に険しくなる。
「それで、戦闘に?」
「はい」
俺が答えた。
「相手は一人です。五人で止めましたが、倒したわけではありません。最後は向こうから退きました」
「負傷は、先ほどの肩だけですか?」
「大きいのはそれだけです。相手にも傷は入っています」
詳しい攻防まで今ここで繰り返す必要はない。ベルナールも戦闘そのものより、相手が何者で、何を目的としていたのかを優先しているようだった。
「その者が現在どこにいるかは?」
「分かりません」
ミラが答える。
「退いた後も帰路で追跡には注意していましたが、それらしい痕跡は確認できませんでした。追ってこなかったこと以上は分かりません」
「十分です」
ベルナールは手元へいくつか書き留め、さらに確認を続ける。
百八十年前という言葉。
エレノアの名に示した反応。
フィアナと俺を見て口にした、「また二人を揃える」という言葉。
そして、地下施設が俺に示した「適合」。
「あなたにも、施設が反応したのですね?」
「はい。意味までは分かりません」
「その文字は、確かに読めたのですね?」
「そこは間違いありません」
ベルナールは少し考えたが、それ以上の意味をその場で決めようとはしなかった。
セレナも同じだった。
「今お伝えした中には、私たちが直接確認した事実と、あの男自身が口にしたことがあります。その意味については、まだ分けて考えた方がいいと思います」
「分かりました。推測は後で構いません」
ベルナールはすぐ頷く。
「まずは、確認できたことを整理しましょう」
その後は、入口が開いた状況や地下で進んだ範囲、男と接触した場所など、報告に必要な点だけを確認していった。
やがてベルナールが筆を置く。
「セレス修道院には、当面こちらから人を送りません」
セレナが顔を上げた。
「調査隊も?」
「少なくとも、すぐには。古代施設だけならともかく、北方勢力の者が関与している以上、通常の遺構調査として扱うことはできません」
当然だと思う。
施設そのものが今どうなっているのか分からず、あの男が周辺へ戻っている可能性も否定できない。
「周辺については、詳細を伏せた上で近づかないよう注意を出します。土地の管理者とも調整が必要でしょう。ただし、大人数を動かせば何かあると知らせるようなものですから、その辺りはこちらで判断します」
そこまで言って、ベルナールはフィアナを見る。
「あなたも、しばらくは一人で大神殿の外へ出ないでください」
「はい」
フィアナは素直に頷いた。
「ずっと護衛が必要になるんですか?」
「そこまではまだ決めていません。ただ、あなた自身を目的にした者が現れた以上、数日前までと同じ扱いには戻せないでしょう」
「分かりました」
不満がないわけではなさそうだが、反論はしなかった。
「ミラさんとユリウスさんについては、今回の依頼記録を神殿側でも正式に残します。知り得た内容については、当面外部へ話さないようお願いします」
「分かりました」
「もちろんです」
二人もすぐ答える。
「セレナ殿には、百八十年前の記録も含めて改めて資料を確認していただきたい」
「そのつもりです」
最後にベルナールの視線が俺へ来た。
「アレンさんも、数日はルミエルを離れないでください」
「俺もですか」
「あなたにも施設が反応したのでしょう?」
言われてみれば当然だった。
「分かりました」
「今日のところは以上です。正式な記録はこちらでまとめます。不足があれば、改めて確認させてください」
そこでようやく、全員の肩から少し力が抜けた。
セレス修道院へ向かうと決めてから、ずいぶん長かった気がする。
部屋を出ようとしたところで、ベルナールが呼び止めた。
「一つだけ」
振り返る。
ベルナールは一度五人を見渡してから、静かに言った。
「全員で戻ってきてくれて、本当に良かった」
形式的な挨拶ではなかった。
フィアナが少しだけ笑って頭を下げ、俺たちもそれぞれ応じて部屋を出た。
廊下へ出た瞬間、ユリウスが大きく息を吐く。
「終わった?」
「報告はね」
セレナが答えた。
「その言い方やめてくれよ」
「実際、調べることは増えたでしょう」
「今日くらい忘れさせてくれ」
ミラが笑いながら弓を背負い直した。
「私は一回ギルドに顔出して、そのあと宿。さすがに風呂入りたい」
「ようやく意見が合ったな」
「食事まで一緒にしないで」
「まだ何も言ってないだろ」
二人のやり取りを聞きながら大神殿の入口まで戻る。
外へ出ると、もう夕方だった。
西へ傾いた光が石畳を照らし、仕事を終えた人や夕食の買い物へ向かう人たちが行き交っている。
フィアナはしばらくその景色を見てから、俺へ振り返った。
「帰ってきたね」
「ああ」
「今度こそ、本当に」
そう言われて、ようやく実感した。
ミラとユリウスはこのままギルドへ向かい、セレナも明日から資料を調べ直すという。フィアナは大神殿へ戻り、俺も宿へ帰る。
すぐに全部が元通りになるわけではないが、ひとまず俺たちはそれぞれの場所へ戻ることになる。
セレス修道院の地下も、百八十年前のことも、北の盟主に仕える男が何を知っていたのかも、何一つ片づいてはいない。
今は、それでいい。
「じゃあ、私は戻るね」
「ああ。今日はちゃんと休めよ」
「それ、アレンもね」
「分かってる」
フィアナは少し笑った。
「じゃあ、また」
「ああ。また」
大神殿へ戻っていくフィアナを見送ってから、俺も宿のある通りへ歩き出した。
今夜くらいは、何も起きないでほしい。
そう思いながら、久しぶりのルミエルの雑踏へ戻っていった。




