第25話 旅の途中で
ルミエルを出てしばらくは、街道もよく整っていた。
西へ向かう荷車や旅人と何度かすれ違い、道の両側には畑が続いている。この辺りならミラが大きく先行する必要もなく、俺たちより少し前を歩きながら、分かれ道や周囲の様子を確認する程度で済んでいた。
昼前には街道沿いの木陰で休憩を取り、近くの水場で水袋を満たす。
出発前に荷物をかなり見直したおかげで、歩き始めてから大きな不具合はない。ユリウスが肩紐の位置を何度か直していたくらいで、それも休憩を終える頃には落ち着いたようだった。
セレナは水を飲み終えると、街道脇に立つ古い石柱へ目を向けた。
道標らしいが、長く風雨に晒され、刻まれた文字の半分以上が削れている。
「何か分かります?」
「地名が少し残ってるくらい。古いのは確かだけど、今ここで時間を使うほどじゃないわね」
表面を一度確かめただけで、セレナは立ち上がった。
「行ける?」
「はい」
「じゃあ行きましょう」
調査対象と、ただ古いだけの物をきちんと分けているらしい。
昼を過ぎる頃には畑が減り、街道沿いにも林が増えてきた。
そのまま夕方まで進むつもりだったが、緩い坂を越えたところで、前方に二台の荷車が止まっているのが見えた。
さらにその先では、大きな木が街道を横切るように倒れている。
道の片側は低い斜面、反対側は浅い水路になっていて、荷車が避けて通れる幅は残っていなかった。
「少し待って」
ミラが先に近づき、倒木の周囲と路肩を確認する。
「風だけで倒れた感じじゃないわね」
根元では土が大きく崩れ、まだ湿り気が残っていた。数日前の雨で地盤が緩み、根ごと斜面側へ倒れたように見える。
荷車のそばには商人らしい男が二人と御者がいて、俺たちに気づくとこちらへ歩いてきた。
「冒険者の方ですか?」
「はい。ここで止まってるんですか?」
「朝からこの有様でして。どうにも動かせないので、人を呼びに戻ろうかと話していたところです」
幹は太く、人の力だけで押してどうにかなる大きさではない。ただ、街道から完全に撤去する必要もなさそうだった。
「荷車一台分だけ空けば通れますね」
俺が言うと、ミラが斜面側を見ながら頷いた。
「そっちへ寄せるなら。ただ、この辺りは土が緩いから、一気に転がさない方がいいわ」
ユリウスも倒木の下へ視線を向ける。
「幹の下に噛んでる土を少し外せば動かせそうだな」
「斜面そのものは崩さないでくださいよ」
「そこまで雑にやらないって」
ユリウスが杖を構え、倒木の下へ魔力を流す。
幹の下で固まっていた土だけがゆっくり崩れ、斜面側へ浅い逃げ道ができていく。俺は根元側へ回り、倒木の下の地面を土魔法で少しずつ盛り上げた。
「動かします。少し離れてください」
商人たちが荷車の方へ下がったのを確認してから、ユリウスを見る。
「いけます?」
「ああ」
地面を押し上げると、浮いた根元がわずかに傾いた。ユリウスが幹の下の土をもう少し逃がし、倒木が低い音を立てながら斜面側へずれていく。
「その辺でいい」
ミラの声に合わせて魔法を止めた。
倒木は完全には道を外れていないが、中央には荷車が一台通れるだけの幅ができている。
「待ってください」
通行できるか確認しようとしたところで、フィアナが水路側の路肩へしゃがみ込んだ。
「ここ、少し崩れてます」
雨で削られたのか、草の下で土がえぐれていた。上から見るだけでは分かりにくいが、荷車の車輪が端へ寄れば重さでさらに崩れるかもしれない。
ミラがすぐに路肩と荷車の幅を見比べる。
「じゃあ、こっちへ寄せすぎない方がいいわね」
道の中央寄りに石を二つ置き、御者へ示した。
「この内側をゆっくり通って。水路側へは寄らないで」
「分かりました」
最初の荷車が慎重に進み、倒木の横を抜けていく。路肩も崩れず、後ろの一台も同じ線を通って無事に抜けた。
商人が何度も頭を下げる。
「助かりました。このままだと夕方まで動けないところでした」
「この先の宿場までなら、まだ明るいうちに着けると思います」
「皆さんもそちらへ?」
「途中までは同じ方向です」
それ以上、行き先を説明する必要はなかった。
商人たちが先へ進んでいくのを見送り、俺たちも歩き始める。
「こういうのなら気が楽だな」
ユリウスが杖を肩へ戻しながら言った。
「木は反撃してきませんからね」
「そこはかなり大きい」
「でも、力任せにどかせばいいってものでもなかったでしょう」
ミラが前を向いたまま返す。
「分かってるよ。だからちゃんと聞いただろ」
旅に出て最初の足止めは、それだけで終わった。
誰かが細かく指示し続けたわけではない。ミラは通せる場所を見て、ユリウスは倒木を動かしやすくし、フィアナは路肩の弱い部分に気づいた。
それぞれが自分の見えるところを見れば、必要な判断は自然につながっていく。
◇
夕方になる前に街道を少し外れ、野営できる場所を探した。
翌日には中継の街へ着く予定なので、暗くなるまで距離を稼ぐ理由はない。
ミラが選んだのは、街道から少し離れた林の縁だった。地面は乾いていて、近くには小さな川が流れている。木も密集しすぎておらず、周囲を確認しやすい。
「獣の新しい痕跡はなさそう」
一周して戻ってきたミラの報告を受け、そこで泊まることにした。
俺とユリウスが雨除けの布を張り、荷物を置く場所を整える。セレナは火を起こす場所を選び、周囲の枯れ枝を集めていた。
フィアナはその間に鍋と食料を取り出し、乾燥肉と野菜を水へ戻している。
「手伝います?」
「こっちは大丈夫です。火ができたら借りますね」
しばらくすると鍋から湯気が立ち、乾燥肉と野菜に香草を加えた匂いが漂ってきた。
ユリウスが一口食べ、少し意外そうに眉を上げる。
「うまいな」
「その言い方だと、まずいと思ってたみたいです」
「保存食だから、もっと塩の味しかしないかと思ってた」
「だから香草を持ってきたんですよ」
フィアナが少し得意そうに答える。
俺も口に運んでみる。街の食堂と比べるものではないが、一日歩いたあとに食べるには十分だった。
「これなら何日か続いても大丈夫そうですね」
「何日も同じにはしませんよ」
「そこは変えるんですね」
「食べる方も作る方も飽きますから」
確かにその通りだった。
食事を終える頃には、林の向こうへ日が沈み始めていた。
夜の見張りは交代で回す。街道から大きく離れているわけではないが、何もせず眠るわけにもいかない。
治癒を担うフィアナについては、途中で何度も起きなくて済むよう早めの時間を担当してもらい、そのあとは朝まで休める順番にした。
「私も皆さんと同じで大丈夫ですよ」
「時間そのものは大きく変わりません。途中で起きる回数を減らすだけです」
そう説明すると、フィアナは少し考えてから頷いた。
「それなら、分かりました」
完全に日が落ちる前に火を小さくし、それぞれ休む準備へ入る。
ユリウスは杖を手元へ置き、ミラも横になった位置からすぐ弓へ手を伸ばせるようにしていた。
セレナは地図の余白へ何かを書き込んでいる。
「今日の道ですか?」
「ええ。倒木の位置と、路肩が崩れてた場所も。帰りに同じ道を使うなら、状態が変わってるかもしれないから」
「そこまで残すんですね」
「帰りに使わなければそれで終わり。でも、一度見た情報を捨てる理由もないでしょう?」
「確かに」
セレナは数行を書き終えると紙を畳み、すぐに筆記具をしまった。
初日は、旅程を変えるような問題もなく終わった。
倒木を動かし、歩いて、食べて、眠る。
派手なことは何もなかったが、五人で何日も動くなら、こういう一日を問題なく重ねられる方が大事なのかもしれない。
◇
翌朝も天気は崩れなかった。
簡単な朝食を済ませ、火の始末と野営地に忘れ物がないことを確認してから街道へ戻る。
昼を過ぎる頃には人通りが少しずつ増え、遠くにまとまった屋根が見え始めた。
「あそこね」
前を歩いていたミラが街並みを指す。
予定通りなら、今日はあの街で宿を取ることになる。
ユリウスがそれを見た途端、少しだけ歩調を上げた。
「急に速くなりましたね」
「宿が見えたからな」
「まだ結構ありますよ」
「見えてるなら近いだろ」
「山も見えますけど、近くないですよ」
フィアナが小さく笑い、ユリウスは速度を戻さないまま歩いていく。
俺たちもその後を追って、街道を進んだ。
今夜は屋根の下で眠れそうだった。




