第22話 行く理由
9/23 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)
セレス修道院という名前が分かってから、現地へ向かえるか判断できるだけの情報が揃うまで、さらに数日かかった。
百八十年前の神殿記録だけでは足りず、現在の土地管理や道の状態、近隣から上がっている報告まで確認する必要があったからだ。再び大神殿へ呼ばれた時には、会議室の机いっぱいに新しい資料が並んでいた。
「ようやく、現地へ向かうかどうか判断できる程度には揃いました」
ベルナールはそう言いながら、広げた地図の四隅を小さな重しで押さえた。
集まっているのは俺とフィアナ、セレナ、それにベルナールの四人。地図にはルミエルから西へ延びる街道と、その途中から北西へ分かれる細い道が描かれており、目的の修道院へ近づくにつれて、その線は頼りなく細くなっている。
「まず、閉鎖された理由からお願いします」
セレナが促すと、ベルナールは一枚の記録を手元へ寄せた。
「少なくとも、大きな事件や災害が原因ではないようです。閉鎖は七十二年前。当時すでに周辺集落の人口が減り、巡礼路も東側の街道へ移っていました。修道士の人数も減少していたため、別の施設へ統合されたと記録されています」
「普通に役目を終えた、と考えていい?」
「現在確認できている記録を信じるなら、その可能性が高いでしょう」
俺はエレノアが生きていた時期と、修道院が閉鎖された年を頭の中で並べた。百年以上離れているなら、エレノアの記録が薄くなった時期と修道院の閉鎖を直接結びつける理由はない。
「少なくとも、エレノアがいたことと閉鎖は別に考えた方がよさそうですね」
「年代から見れば、そう判断してよいと思います」
最初から何か異常な理由で放棄された場所だと思い込まずに済むだけでも、調べる条件は一つ整理できた。
「建物そのものは?」
「完全には失われていない可能性が高いです。三年前、薬草採取で近くまで入った者が、屋根の一部と外壁を遠目に確認しています」
「中までは入ってないの?」
「はい」
セレナが地図から顔を上げた。
「避ける理由でもあった?」
「特には。そもそも修道院が目的地ではなかったようです」
「それなら不自然じゃないわね」
薬草採取が目的なら、わざわざ古い建物へ入らなかったとしてもおかしくはない。
ベルナールの指が、修道院へ延びる細い道をなぞった。
「問題はこちらです。主要街道から外れたあとは、道の整備がほとんど行われていません。ただ、完全に失われたわけでもなく、近隣から森へ入る採取人が途中までは利用しているようです」
「馬車は?」
「修道院まで入れるとは考えない方がいいでしょう。途中から徒歩になるはずです」
セレナは川や丘の位置まで確認しながら、指先で道筋を追っていく。
「ルミエルから何日?」
「天候と荷物にもよりますが、徒歩で五日から七日ほどを見ています。急げば多少縮められるでしょうが、調査道具や野営具を持って無理に進む意味はありません」
往復だけでも十日以上になる。近郊の遺構を見に行った時のように、昼前に出て夕方には戻れる距離ではなかった。
「周辺の魔物は?」
俺が尋ねると、ベルナールは別の紙へ目を移した。
「確認できた範囲では、特別危険な生息域ではありません。狼型、小型の猪、まれに大型獣。街道を外れる依頼なら珍しくない程度です。ただ、人の往来自体が少ないため、報告も多くありません」
「危険が少ないのか、見つかってないだけなのかは分からない、と」
「その通りです」
報告が少ないこと自体を、不確定要素として考える必要がある。
「現地へ行くなら、そこも前提にした方がいいですね」
「私もそう考えています」
ベルナールが答えたところで、それまで地図を見ていたフィアナが顔を上げた。
「行くこと自体は、もう決めてもいいんでしょうか」
ベルナールはすぐには答えず、俺とセレナへ視線を向ける。
長年使われていない場所へフィアナを連れていく以上、神殿側が慎重になるのは当然だった。
「調査する価値はあると思う」
先に答えたのはセレナだった。
「エレノア本人の記録が薄くなっていく頃から長く滞在した場所で、建物も残っている可能性が高い。百八十年前の資料が都合よく棚に並んで待ってるとは思わないけど、建物の使われ方や増改築の跡、現地に残った記録から分かることはあるかもしれない」
「何も残っていない可能性もありますよね」
「もちろん。むしろ、その可能性はかなりあるわ。でも、ルミエルで追える資料はだいぶ追った。この先は現地を見るか、一度ここで止めるかね」
机の上には、何日もかけて集められた記録が並んでいる。ここまで調べても、エレノアがなぜ修道院へ留まったのかは分からず、残っている手掛かりは場所そのものになりつつあった。
「私は行きたいです」
フィアナが言った。
声を張ったわけではないが、迷いは感じなかった。
ベルナールの眉がわずかに寄る。
「フィアナ様。建物は長年使われておりませんし、周辺の情報も十分とは言えません」
「分かっています」
フィアナはベルナールが言い終えるのを待ってから、落ち着いた声で続けた。
「安全だと思っているわけではありません。でも、調べているのは、私に起きたこととエレノア様の記録が似ていたからですよね」
「ええ」
「だったら、現地で何か確かめられる可能性があるのに、私だけルミエルへ残って皆さんに見てきてもらう方が不自然だと思います。神託のことも、地下で見たもののことも、自分で知りたいって決めました。危険があるなら、ちゃんと準備した上で私も一緒に確かめたいんです」
ベルナールはしばらくフィアナを見ていたが、それ以上説得しようとはしなかった。
「アレン殿はどう思いますか?」
「フィアナさんが行くことには反対しません。ただ、何があるかほとんど分からないまま進むしかないなら、俺も止めます」
「今回との違いは?」
「準備できることです」
今は急いでいない。道の状態も調べられるし、同行者や装備も選べる。現地へ着いて危険だと判断したなら、何も見つけていなくても引き返せる。
「もし地下へ続く場所が見つかっても、そのまま入る必要はありません。一度止めて、必要なら人や装備を増やしてから改めて判断できます」
「そこは私も条件にしたい」
セレナがすぐに続けた。
「エルムで見たものに似た構造や、判断できない設備が出てきたら、その時点で止まる。見つけた勢いで奥まで進むのはなし」
「私も賛成です」
フィアナは迷わず頷いた。
それなら、俺が代わりに行くかどうかまで決める理由はなかった。
「分かりました」
ベルナールが地図から手を離す。
「では、フィアナ様の参加を含め、現地調査を前提に準備を進めます」
セレナが少し首を傾げた。
「ベルナールは来ないの?」
「今回は同行しません」
答えははっきりしていた。
「エルムへ向かった際は巡礼そのものの責任者として、各地の神殿との調整や日程管理も私の役目でした。しかし今回は、目的が明確な現地調査です。私が同行しても、遺構調査にも野外行動にも専門的な役割を持てません」
「神殿兵は付けないんですか?」
俺が尋ねると、ベルナールは頷いた。
「今回は、その予定もありません」
フィアナを街の外へ連れ出す以上、そこは確認しておきたかった。
「護衛が必要ないという意味ではありませんよね」
「もちろんです。むしろ、必要だからこそ冒険者へ任せる方針です」
ベルナールは地図に描かれた細い旧道を指した。
「通常の巡礼や街道移動であれば、神殿兵を護衛に付ける意味は大きいでしょう。しかし今回は、主要路を外れて数日行動し、状態の分からない廃修道院を調査することになります。道の確認、野営、周辺の索敵、遺構内での危険判断まで考えれば、人数だけ増やすより、その種の仕事に慣れた冒険者で構成した方が安全です」
エルムではローデンやトーマたちも十分に役割を果たしていた。ただ、今回求められる仕事は、護衛だけではない。
調査対象へ着くまでの数日間も含め、自分たちで道を選び、危険を見つけ、必要なら避ける。そのまま遺構へ入るなら、そこで何を触り、どこまで進むかも判断しなければならない。
「それに、フィアナ様を預ける相手を誰でもよいと考えているわけではありません」
ベルナールは俺とセレナへ視線を向けた。
「アレン殿とセレナ殿には、調査への参加をお願いしたいと考えています」
「俺は構いません」
「私も。そのつもりでここまで調べてきたし」
セレナが答えると、ベルナールは小さく頷いた。
「お二人とも金級で、アレン殿はエルムでフィアナ様と行動し、セレナ殿は遺構調査を専門としておられます。少なくとも、神殿から一律に護衛を付けるよりは、今回の目的に合っています」
「でも、三人だけで行かせるつもりもないでしょう?」
セレナが聞く。
「ええ。追加の同行者は必要です。そこはギルドとも相談した上で、役割を見て決めます」
誰を加えるかまでは、この場で決めないらしい。それでよかった。長い調査になる以上、能力だけでなく日程も確認する必要がある。
「ベルナールが残るのにも理由はあるの?」
「あります」
セレナの問いに、ベルナールは地図の余白へ指を置いた。
「出発前に予定経路と帰還予定日を確定し、一定以上遅れた場合は神殿とギルドの双方から捜索を出せるよう手配します。現地へ向かう者が全員同じ場所にいては、予定通り戻らなかった時に事情を把握して動ける者がルミエルに残りません」
「なるほど。その方がいいわね」
セレナも素直に頷いた。
ベルナールが一人増えるより、ここで神殿とギルドをつなぎ、必要なら後続を動かせる方が役割としては大きい。
「では、現地へ向かうこと自体は決定でよろしいでしょうか」
「はい」
「お願いします」
俺とフィアナが答え、セレナも頷く。
これで、俺とフィアナ、セレナの三人が調査へ向かうことまでは決まった。追加の同行者と具体的な出発日は、それぞれの予定を確認してから改めて決めることになる。
その後は想定する日数や、神殿側で手配できる物資、現地で何を確認するのかといった大枠だけを整理した。ベルナールが旅に加わらない以上、途中で予定を変える場合の判断や、帰還が遅れた時の扱いについても出発前に決めておく必要がある。
◇
打ち合わせを終えて会議室を出ると、フィアナが俺の隣へ並んだ。
「アレンさん」
「はい?」
「さっき、反対しないって言ってくれて、少し安心しました」
「反対する理由がないですから」
「危ないから残ってくださいって言われるかと思ってました」
そう言われて、少し考える。
「今でも、危険すぎると思ったら止めますよ」
「はい」
「でも今回は、フィアナさん本人がいないと分からないこともあるでしょうし。それに……行くかどうかまで、俺が決めることじゃないですから」
フィアナは一瞬だけ目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「そうですね」
「ただ、無茶しそうなら止めます」
「それはアレンさんもです」
「俺ですか?」
「アレンさん、自分のことになると結構雑ですから」
「そこまでですかね」
「少なくとも、自分で思っているよりは」
すぐ否定しようとして、やめた。
危険な役を誰かがやらなければならない時、自分がやる方が早いと考えることは確かにある。フィアナから見れば、それも十分に無茶へ入るのかもしれない。
「……お互い気をつけましょう」
「はい。そうしましょう」
満足したように頷いたフィアナと並び、そのまま大神殿の廊下を歩いた。
セレス修道院に何が残っているのかは分からない。五日も六日も歩いた末に、崩れた建物しか見つからない可能性だってある。
それでも、出発する前に調べ、必要な人間を揃え、危険なら戻ると決めてから向かえる。
そのための時間があるなら、無駄にするつもりはなかった。




