第21話 金級の理由
9/23 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)
エレノア・セルディアの記録を確認したあと、神殿側の調査はしばらくセレナと書記官たちに任せることになった。
晩年のエレノアがどこへ移ったのかを追うには、百年以上前の土地台帳や修道院の記録を突き合わせる必要があるらしい。古文書の扱いに慣れていない俺が隣にいてもできることは少なく、フィアナにも神殿での仕事があるため、それぞれ普段の生活へ戻った。
俺もミラとユリウスとの街道警戒や、近郊の商人護衛をいくつかこなした。どれも危険がない仕事ではないが、何に警戒し、どう対処すればいいのか分かっているだけ、エルムの地下よりずっと気が楽だった。
そんな日が数日続いた頃、昼前に短距離の護衛を終えてギルドへ戻ると、受付の女性から呼び止められた。
「アレンさん、今日このあと空いていますか?」
「依頼は終わりましたけど。何かあるんですか?」
「セレナ・ヴァイスさんが、戻ったら声をかけてほしいと」
名前を聞いて足を止める。
「セレナさんが?」
「はい。南方の小規模遺構で異常が確認されて、先ほど調査依頼を受けられました。ギルドとしても前衛を一人付けるようお願いしているんですが、アレンさんが空いていれば頼みたいそうです」
渡された依頼書へ目を通す。
場所はルミエル南方の丘陵地帯。以前から存在を知られている石造遺構で、近隣の猟師が雨の翌日に入口付近から光が漏れているのを見たという。過去の調査では、内部に古い魔術設備が残っていることまで確認されているらしい。
遺構そのものの危険度は高くないが、動かなくなっていた設備が再び反応したとなれば、何も起きないと決めつける理由はない。
「セレナさんは?」
「裏手で準備されています」
「分かりました。行ってみます」
ギルド裏の荷捌き場へ回ると、セレナはすでに現場へ出る装備を整え、細剣と調査鞄を身につけて待っていた。
「あなたになったのね」
「俺を指名したって聞きましたけど」
「空いてたら、とは言ったわ。昨日まで一緒に資料を見てたし、エルムの地下も知ってるでしょう。それにギルドから前衛を連れていけって言われたから」
「なるほど。どういう場所かは歩きながら聞いていいですか?」
「そのつもり。今回は調査が先だから、遺構の中では私が前に出るわ。戦う必要が出たらお願い」
俺の装備をざっと確認したセレナは、それ以上準備に時間を使わなかった。
南門を出て、丘陵へ続く街道を歩く。
目的地までは二時間ほどで、途中までは畑が続き、そこから低い丘と雑木林が増えていった。道幅は狭くなったものの人の往来は残っており、薪を積んだ荷車とも何度かすれ違う。
「今回の遺構は、数百年前のものと見られているわ。過去にも何度か調査されてるし、少なくともエルム地下と同じ種類ではない」
「かなり違うんですか?」
「建築方法から違う。普通の石造だし、記録も残ってる。昔の魔術師か領主が使っていた施設だと思われてるわ。問題は、中にある小規模な結界設備が、もうほとんど機能していないはずだったこと」
「それが雨のあとに光った」
「ええ。雨水が関係してるのか、別の原因で魔力の流れが変わったのか。それを確認する」
丘を一つ越えると、目的の遺構が斜面の途中に見えてきた。
半ば土に埋もれた石壁の中央に、人一人が通れる程度の入口が残っている。周囲には低木が生え、倒木にも苔が厚く付着していた。
猟師が残したという布の目印を確認してから近づくと、セレナはすぐに中へ入らず、まず地面と石壁を見て回った。
俺も周囲の足跡を確認する。小動物が出入りした痕跡はあるものの、大型の魔物や人間が最近立ち入ったような跡は見当たらない。
セレナは鞄から細い金属棒を取り出し、入口脇の壁へ近づけた。先端に埋め込まれた小さな石が、かすかに白く光る。
「魔力を見る道具ですか?」
「正確な量までは分からないけど、流れが残ってるかを見るには使えるわ。……思ったより反応するわね」
位置を変えながら何度か確認したあと、セレナが入口の奥を覗いた。
「ここから私が前に行く。床や壁の術式を見落としたくないから、少し離れてついてきて」
「分かりました」
内部は狭い石造りの通路になっており、奥へ進むにつれて外の光が届かなくなった。セレナが小型の魔術灯を取り出すと、積み重ねられた石壁が淡く照らされる。
エルムの地下とは明らかに違った。
あの場所には石を組んだ痕跡すらなく、壁も床も一つの塊のようだったが、ここは人間が石を削り、積み上げて造ったことが見れば分かる。
通路の先は、小さな円形室へつながっていた。
中央には腰ほどの高さの石柱があり、その周囲の床へ幾何学模様が刻まれている。セレナは入口で立ち止まると、俺にもそこから進まないよう片手で示した。
「床の術式がまだ生きてる」
目を凝らすと、刻まれた線の一部を細い光が流れていた。
「猟師が見たのもこれでしょうか」
「たぶん。ただ、記録にある状態より反応が強い」
セレナは床へ触れず、模様のつながりと中央の石柱を順に確かめていく。
「封鎖用の結界に見える。正常なら、中央へ入った人間を外へ追い出す程度の術式だったはず。でも一部が欠けてるから、今も同じ動きをする保証はないわ」
俺も中央へ視線を向ける。
仕組みの分かっている設備ではあっても、壊れた状態でどう動くかまでは分からない。下手に踏み込む理由はなかった。
その時、床を走る光が急に強くなった。
「下がって」
セレナの声と同時に俺も距離を取り、円形室の様子を見る。
中央の石柱を囲むように淡い光が立ち上がり、床に散らばっていた石片が浮き始めた。石は互いに引き寄せられ、人の胸ほどの高さまで積み上がると、不格好ながら胴と四肢らしい形を作っていく。
守護用の人形らしい。
俺は剣へ手をかけたが、まだ抜かなかった。
「壊します?」
「待って。まず動く範囲を見たい」
セレナは円形室の入口から動かず、石の人形ではなく床を見ていた。
人形はこちらへ向きを変えると、重い足取りで近づいてくる。間合いへ入るなり腕を振り上げたため、俺は半歩横へ外れ、鞘ごと剣を当てて軌道だけを逸らした。
重さはあるが、速さも力も普段相手にする魔物ほどではない。
「入口側へ下がって。その横線を越えてみて。無理に受けなくていいから」
セレナが床の模様を指す。
言われた位置まで後退すると、人形も向きを変えながら追ってきた。だが床を横切る一本の線を越えたところで、ぴたりと動きを止める。
こちらへ向けていた腕を下ろし、その場から先へは進まなかった。
「やっぱり。遺構全体を守ってるんじゃない。中央区画へ入った相手を外へ出すための術式みたいね」
反応を確認したセレナは鞄から細い線の描かれた札を数枚取り出し、入口脇の壁と床へ置いた。
「何をしてるんです?」
「術式を壊さずに、魔力の流れを一時的にずらしてる。完全に止められるかは分からないけど、動作を切るくらいならできると思う」
札へ少量の魔力を流すと、床を走る光がわずかに歪み、人形の肩が沈んだ。
セレナは石柱と床の線を見比べてから、俺へ声をかける。
「中央へ一歩だけ戻せる? 砕かなくていい」
「やってみます」
境界を越えると、人形が再び動き始めた。
正面から力比べをする必要はない。踏み込んできた瞬間、片足の下へごく小さく土を盛って接地を崩し、傾いた肩へ手を添えて横へ流す。
軸を失った人形が中央側へ一歩よろめいた。
「そこでいい」
セレナが札へ魔力を流す。
複数の札をつなぐように床の光が走り、一瞬だけ石柱の周囲へ集まった。次の瞬間、人形を構成していた石片が支えを失ったように崩れ、元のように床へ散らばる。
砕いたわけではない。組み上がる前の状態へ戻っただけだった。
セレナはすぐに金属棒をかざし、反応が弱まったことを確かめてから中央へ進む。
「しばらくは休止するはず。調べる時間としては十分ね」
戦闘と呼ぶほどの時間ではなかったが、セレナがどういう金級なのかは十分に分かった。
守護人形が現れても、倒すことより先に何を守っているのか、どこまで動くのか、設備を壊さず止められるのかを見ていた。俺が足場や姿勢を崩し、戦いやすい状況を作るのとは少し違う。セレナは、そもそも戦う必要そのものを減らしていく。
知識を持っているだけでは、動いている危険を前にあそこまで冷静には使えないだろう。
その後、石柱と周囲の壁を調べた結果、壁の亀裂から入った雨水が、残っていた魔力の流れへ何らかの影響を与え、休止していた術式を再び動かした可能性が高いというところまで分かった。
完全な修復はこの場ではできないため、セレナは雨水が入り込みにくいよう入口側へ応急処置を施し、札で魔力の流れを逸らして術式が起動しにくい状態にする。後日、改めて修復できる人間を寄越すよう、ギルドへ報告することになった。
二時間ほどで調査を終え、遺構を出る。
帰路では特に何も起きず、ルミエルへ戻る頃には夕方が近づいていた。
「今日見て、セレナさんが金級なのはかなり納得しました」
街門を抜けてからそう言うと、セレナは少し意外そうにこちらを見る。
「今まで納得してなかったの?」
「疑ってたわけじゃないですよ。ただ、学者として有名な人だと聞いていたので、どういう形で金級まで上がったのか分からなかったんです」
「なるほど。それなら私も似たようなものね」
セレナは少し考えてから続ける。
「二十歳の金級剣士と聞いて、もう少し力で押すタイプを想像してた。でも守護人形が出た時も、いきなり斬らずにこっちへ確認したでしょう。それに、範囲を見るって言ったら余計なことをせず誘導に徹した」
「調査担当はセレナさんですからね」
「そこで勝手に壊す人もいるのよ」
「いるんですか」
「いるから困るの」
妙に実感のこもった答えだった。
「白岩街道の評価も、少し分かった気がする。自分で全部倒そうとするより、その場で必要なことを選ぶタイプなのね」
「俺も、セレナさんが調べるだけの人じゃないのは分かりました」
「遺構を調べる仕事は、調べてる途中が一番危ないことも多いから。研究だけできても生き残れないのよ」
そう言って前を向くセレナには、長く現場へ出てきた人間らしい自然さがあった。
ギルドへ戻って報告を済ませると、神殿から俺とセレナ宛てに伝言が届いていた。
エレノアについて調べていた土地記録に進展があり、翌日の午後、再び大神殿へ来てほしいという。フィアナにも別途連絡を入れているらしい。
◇
翌日の午後、会議室へ入ると、フィアナはすでに席についていた。
「こんにちは、アレンさん」
「こんにちは。早かったんですね」
「今日は午前の仕事が早く終わったので」
話しているところへ、後ろからセレナも入ってくる。二人はすでに顔を合わせているため、軽く挨拶を交わした。
ベルナールはまだ来ていなかった。
待っている間、セレナが鞄から昨日の依頼書と簡単な記録を取り出す。
「昨日の遺構の報告、神殿側にも一部回した方がいいかもしれないわね。古い結界術の資料が残ってるなら照合できそう」
「昨日の遺構?」
フィアナが顔を上げた。
「近郊にある小規模な遺構です。昨日、ギルドへ戻った時に同行を頼まれまして」
「アレンさんも行ったんですか?」
「はい。セレナさんが調査担当で、俺は前衛として付きました」
フィアナの視線が一度セレナへ向き、それから俺へ戻る。
「……お二人で?」
「はい」
「そうだったんですね」
声はいつもとほとんど変わらなかったが、返事までにほんの少し間があった。
「何か気になります?」
「いえ。ちょっと……」
フィアナはそこで言葉を止め、困ったように笑った。
「自分でもよく分からないので」
「そうですか」
本人にも分からないなら、無理に聞くことでもない。俺がそれ以上尋ねずにいると、セレナは一度だけフィアナへ目を向けたものの、何も言わず手元の資料へ視線を戻した。
ほどなくベルナールが入室し、机の上へ古い地図と数枚の記録を広げる。
「お待たせしました。エレノア・セルディアについて、追加で確認できたことがあります」
フィアナの表情がすぐに真面目なものへ戻り、俺も地図へ目を向けた。
「先日お話しした通り、エレノアは晩年になると巡礼をやめ、一つの場所へ長く滞在するようになります。土地台帳と当時の神殿記録を照合した結果、その場所をほぼ特定できました」
ベルナールの指が、ルミエルから西へ離れた一点で止まる。
「ここに、当時修道院がありました」
セレナが地図へ身を寄せる。
「今も残ってる?」
「修道院としては使われていません。およそ七十年前に閉鎖されています。その後の管理状況や、建物がどの程度残っているかについては現在確認中です」
俺は地図上の印を見る。
「名前は?」
「セレス修道院です」
初めて聞く名前だった。
エレノアが晩年を過ごし、その頃から本人の日記も神殿側の記録も薄くなっていった場所。
「まず閉鎖までの記録と、今の状況を確認しましょう」
セレナは地図から顔を上げた。
「何か残っているとしても、百八十年前のものがそのままあるとは限らないし」
「私もそのつもりです」
ベルナールが頷く。
エルムの地下で、情報のない場所へ踏み込む危険は十分に経験した。今は急ぐ理由もなく、確認できることが残っているなら先に調べた方がいい。
俺は地図に記されたセレス修道院の文字へもう一度目を落とした。
現地へ行くかどうかはまだ決まっていないし、そこにエレノアの痕跡が残っているかも分からない。それでも、昨日まで名前と記録の中にしかいなかった聖女が、百八十年前に実際に滞在した場所だけは、ようやく一つ分かった。




