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第20話 似ている記憶

9/23 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)

 大神殿を出た時には、もう日が傾き始めていた。


 結局、セレナが集めていた資料の半分にも目を通せなかった。百年以上前の記録となれば表現も古く、写本を重ねたものには後世の注釈や異説まで付いている。途中からはセレナが原文と年代を説明し、ベルナールが神殿側の記録と照らし合わせる形で読み進めることになった。


 そして翌日の午後、俺はフィアナと一緒に再び大神殿を訪れた。


「昨日、そんなに長く調べていたんですか?」


 隣を歩くフィアナが、少し驚いたようにこちらを見る。


「思ってたより資料が多くて。セレナさんが関連しそうなものをかなり集めてくれてたんです」


「セレナさん……昨日、アレンさんが会った方ですね」


「はい。古代遺構の専門家だそうです」


 昨日資料を読みながら話しただけでも、ベルナールがわざわざ彼女を呼んだ理由は何となく分かっていた。


「どんな方でした?」


「変わった人ではありますね」


「……それは、いい意味で?」


「たぶん」


 答えると、フィアナが少し笑った。


「たぶんなんですね」


「まだ一日しか会ってないので」


 昨日も、俺がそろそろ帰ろうかと思った頃になって、セレナは別の写本を机へ追加してきた。ベルナールが止めなければ、そのまま夜まで続いていたかもしれない。


 会議室へ着くと、ベルナールとセレナはすでに待っていた。


 フィアナが入った瞬間、セレナの視線がわずかに変わる。昨日俺へ向けていたものと同じように相手をよく見る目ではあったが、今度は反応を確かめるような慎重さも混じっていた。


「フィアナ・エルシェです。よろしくお願いします」


「セレナ・ヴァイスよ。こちらこそよろしく」


 セレナは席を立ち、必要以上に観察するような真似もせず普通に挨拶を返した。


「昨日、あなたの証言を記録で読ませてもらったわ。今日は同じことを何度か聞くと思うけど、確認のためだから許してね」


「はい。私で分かることなら」


「助かるわ」


 フィアナが席につき、俺もその隣へ座る。


 机の上には、昨日見たエレノアの記録が必要な部分だけ抜き出されて並べられていた。かなり整理が進んでいるところを見ると、昨日のあとか、今日の午前中にでもまとめ直したのだろう。


 ベルナールが最初に口を開いた。


「改めて説明いたします。今回確認されたのは、およそ百八十年前の聖女エレノア・セルディアに関する記録です。当時の本人の日記を写したものと、その後の神殿側の記録が残されています」


「百八十年前……」


 フィアナが紙に目を落とす。


「昨日アレン殿にも確認していただきましたが、その中にフィアナ様のお話とよく似た記述があります。ただし、現時点で同じ現象と判断したわけではありません」


「分かりました」


 ベルナールの説明が終わると、セレナが一枚の紙をフィアナの前へ動かした。


「まず、これを読んでもらえる?」


 フィアナが静かに文字を追い始める。


 俺は昨日すでに読んでいるため、紙よりもフィアナの表情を見ていた。読み進めるにつれて目の動きがゆっくりになり、最後まで目を通した頃には、紙を持つ指へわずかに力が入っている。


「……似ています」


「どのあたりが?」


 セレナは答えを誘導せず、短く尋ねた。


 フィアナは少し考えてから、文章の一箇所を指す。


「白い場所というところと、光。それから、声を聞いたわけではないのに意味が分かるというところです。私も地下で見たものを言葉にしようとすると、たぶんこういう書き方になります」


「白い場所は、本当に部屋みたいに見えた?」


「……部屋ではなかったと思います」


 フィアナは目を閉じ、記憶を確かめるようにゆっくり答えた。


「広かったというより、どこまで続いているのか分からなかった感じです。床に立っていたような気もするんですけど、足元を見た記憶はなくて、壁も天井もありませんでした」


 セレナが手元へ素早く書き留める。


「光は?」


「いくつかありました。丸いものだけじゃなくて、形が変わっているように見えたものもあったと思います。ただ、そこはあまり自信がありません」


「色は覚えてる?」


「白に近かったと思います。でも、普通の灯りとは違って……」


 そこで言葉を探しているフィアナを、セレナは急かさなかった。


「眩しかったわけではないんです。見えているのに、目で見ている感じがしないというか……うまく言えないんですけど」


「それでいいわ。無理に言葉へ合わせないで」


 セレナの声は穏やかだった。


「曖昧なら曖昧なままで教えて。分からないところを、分かりやすくしようとして埋めてしまう方が困るから」


「はい」


 フィアナの肩から少し力が抜ける。


 昨日より慎重な聞き方をしているのを見て、セレナがこうした聞き取りにも慣れていることが分かった。


「次に、意味が流れ込んできたという部分だけど」


 セレナがエレノアの記録を示す。


「あなたの場合、それは神託を受ける時と同じ感覚だった?」


 フィアナはすぐには答えなかった。


「似ているところはあります。でも、同じではないです」


「どう違う?」


「神託は……もっと短いんです。『西へ進め』みたいに、最初から一つの意味として分かります。でも地下の時は、一度にもっと多くのものが入ってきたような感じで、全部を理解できませんでした」


 セレナは少し考えてから、確認するように言葉を選ぶ。


「神託は一つの内容として受け取れる。でも地下では、もっと多くのものが一度に入ってきたように感じた?」


「たぶん、そうです」


「なるほど」


 セレナが紙へ短く書き込む。


「何か共通するものがあるとしても、受け取り方や入ってくる情報の量は違うのかもしれないわね」


「共通するもの、ですか?」


「可能性の話よ」


 フィアナが聞き返すと、セレナはすぐに補った。


「神託と地下での体験が似ているからといって、同じものだとはまだ言えない。でも、最初から完全に別の現象だと決める理由もないでしょう?」


「はい」


「だから、似ているところと違うところを両方残す。今はそれで十分よ」


 その考え方は俺にも分かりやすかった。


「エレノアの方には、神託との違いについて何か書いてないんですか?」


 尋ねると、セレナは待っていたように別の紙を取り出した。


「あるにはある。でも、少し厄介なの」


「どういう意味です?」


「少なくとも、この頃には普通の神託と同じものなのか疑い始めていたみたい」


 フィアナが顔を上げる。


「神託ではない……?」


「そこまでは書いてないわ」


 セレナは原文の一節を指でなぞった。


「『御声とは異なり、あまりに多く、私には分かたれた意味を拾いきれぬ』。別の箇所には、『同じ御方より来たものか、それとも別の何かか、私には判断がつかない』とある」


 俺とフィアナは、しばらく黙ってその文章を見た。


 エレノア自身も答えを出せていなかった。分かったのは、フィアナが抱いたのと似た疑問を、百八十年前の聖女も抱えていたらしいということだけだ。


「この人も、私みたいに……」


 フィアナが呟きかけ、そこで言葉を止める。


「似た疑問を持っていた可能性は高いと思う」


 セレナが慎重に引き取った。


「ただ、あなたと同じ経験をしていたとまではまだ言えない。残っている記録だけでは足りないのよ」


「少ないんですか?」


「途中まではかなり残ってる」


 セレナは机に並べた紙を年代順に指で追っていく。


「若い頃の巡礼記録や神託、治癒活動、神殿とのやり取り。このあたりは比較的細かい。でも、晩年になるほど急に減っていく」


「記録が失われたとか?」


「それも考えた。でも、単純に散逸しただけなら、神殿側の記録まで同じ頃から薄くなるのが少し気になるのよね」


 俺は紙の端に書かれた年代を見る。


「本人が記録を残さなくなった可能性は?」


「あるわ。別の場所へ移って、記録の残り方そのものが変わった可能性もある。今はそこを調べてるところ」


 セレナが答えたところで、フィアナが別の写本へ手を伸ばした。昨日の俺と同じように、自分から資料を読み始める。


「エレノア様は、どんな人だったんですか?」


 ベルナールが答えた。


「現在残っている範囲では、治癒に優れた聖女だったとされています。大きな奇跡を起こしたというより、各地を巡りながら病人や負傷者を治療し、その土地の神殿を助けた記録が多いですね」


「……少し、親近感があります」


 フィアナが小さく笑う。


「畑仕事もされていたら、もっとですけど」


「そこまでは記録にないわね」


 セレナも少し笑った。


「でも、食事について文句を書いてる箇所ならある」


「あるんですか?」


 フィアナの反応が急に明るくなり、セレナが別の紙を探し始める。


「確か、巡礼先で三日続けて同じ豆料理が出たって」


「それはちょっと気持ちが分かります」


「そこ、今必要ですか?」


 俺が聞くと、二人ともこちらを見た。


「人物像を知るのも調査よ」


「そうですよ、アレンさん」


「……そうですか」


 その後も、頭痛の時期や意識の状態、体験の回数などを一つずつ照合していった。似ている部分はいくつも見つかったが、エレノアにだけ記されたものもあれば、フィアナにしか起きていないこともある。エルム地下の施設や黒い獣については、当然ながら記録の中にそれらしい記述はなかった。


 同じ体験だと決めることはできないが、無関係と言い切るには重なる部分が多い。


 話が一段落したところで、セレナが背もたれへ身体を預けた。


「今日分かったのは、このくらいね」


「何か分かった感じがしないんですけど」


 俺が言うと、セレナは平然と頷いた。


「調査なんて最初はそんなものよ。『同じかもしれない』から、『似ている部分と違う部分がここまである』まで進んだんだから十分でしょう」


「そういうものですか」


「そういうもの」


 フィアナは机の上の記録を見ながら、少し考え込んでいた。


「私は、少し安心しました」


「安心?」


「はい。もちろん、エレノア様に何があったのかは分からないですけど……私だけに起きたことじゃないかもしれないって思えたので」


 神託を疑うことへの戸惑いも、自分にだけ起きる現象への不安も、完全になくなったわけではないだろう。ただ、似た経験を残した誰かがいたという事実だけでも、フィアナにとっては意味があるらしい。


「ただし」


 セレナがフィアナを見る。


「エレノアとあなたが同じだとは、まだ思わないでね。似た例が見つかったからこそ、違うところもちゃんと見ないといけない」


「はい」


「それと、無理に思い出そうとしないこと。記憶は、聞かれ方次第で形が変わることもあるから」


「分かりました」


 フィアナが素直に頷く。


 セレナは満足したように資料をまとめ始めたが、途中で一枚を取り出して手を止めた。


「そういえば、もう一つ気になってることがあるの」


「まだあるんですか?」


「あるわよ。だから昨日、長くなるって言ったでしょう」


 そう返されると何も言えない。


 セレナは年代の書かれた一覧を俺たちの前へ置いた。


「エレノアの記録、晩年になると急に減るってさっき言ったわよね」


「はい」


「その前後で何が変わったのかを追ってみたら、一つだけ分かりやすい変化があった」


 フィアナも紙を覗き込む。


「どこかへ行ったんですか?」


「ええ。それまで各地を巡っていたエレノアは、晩年になって一つの場所に長く留まるようになる」


「場所は?」


「修道院よ。ただ、今も使われている場所じゃないから、まず記録をもう少し確認したい」


 セレナは年代の横にある短い記述を指先で押さえた。


「名前だけ追っても仕方ないでしょう。古い土地台帳と巡礼記録を照らせば、どこの修道院だったか絞れるはず」


「俺も来た方がいいですか?」


「来てもいいけど、あなた冒険者の仕事は?」


「ありますね」


「じゃあ働いてきなさい」


 初対面から二日目で、ずいぶん雑な扱いになった。


 横を見ると、フィアナが口元を押さえて笑っている。


「アレンさん、ちゃんと働かないと」


「昨日からずっと神殿で働いてる気がするんですけど」


「それは冒険者の仕事じゃないでしょう?」


「報酬が出るなら仕事です」


 ベルナールが黙っていたので視線を向けると、少し困ったように笑った。


「その点については、後ほど正式に調整いたします」


「出るんですね」


「そこに一番反応するの?」


 セレナが呆れたように言った。


 結局、その日はそこで解散になった。


 会議室を出て廊下を歩きながら、フィアナはしばらく黙っていた。先ほど読んだ記録について考えているらしい。


「フィアナさん」


「はい?」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


 少し考えてから、フィアナは続けた。


「むしろ、調べたい気持ちは強くなりました。エレノア様が何を見て、何を考えていたのか、知れるなら知りたいです」


「俺も気になります」


「やっぱり?」


「そりゃ気になりますよ」


 フィアナが少し笑う。


「セレナさんも、かなり気になってそうでしたね」


「たぶん俺たちより気になってます」


「そうかもしれません」


 階段を下り、夕方の光が差し込む大神殿の回廊へ出た。


 ベルナールに呼ばれるまでは、エレノアという名前すら知らなかった。今分かっているのは、百八十年前にフィアナと似た体験をした聖女がいて、その人物が晩年を一つの修道院で過ごしたことだけだ。


 どこの修道院なのか、そこで何をしていたのかは、まだ分からない。


 隣を歩くフィアナも同じことを考えているのか、しばらく黙ったまま俺と並んで大神殿の出口へ向かっていた。

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