↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/142

第17話 帰るために

9/22 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)

 停止した黒い獣を背後へ残し、俺たちは奥へ続く通路を進んだ。


 先頭はミラ、その後ろに俺とガルドが入り、中央へフィアナと治癒術師を置く。ユリウスは前後どちらへも魔法を使える位置につき、ローデンとトーマが二人の周囲を固めていた。


 無傷の者はいない。ガルドの左腕は治療を受けたものの、へこんだ籠手までは元に戻らず、俺もフィアナを庇って床を転がった時に打った肩が歩くたび鈍く痛んだ。それでも、今はまだ全員が自分の足で動けている。


「足元、下がってます」


 先頭のミラが声を抑えた。


 通路は緩やかな下りになっており、壁際には先ほどの部屋から続く青白い光が一定の間隔で残っている。何か所か完全に消えている部分もあるが、松明がなくても足元くらいは確認できた。


「また下か」


 ユリウスが嫌そうに言う。


「出口を探してるんですけどね」


「気づかないふりしてたのに言わないでよ」


「俺に言われても困ります」


 軽く返しながら歩き続けると、治癒術師の横にいるフィアナがこちらを見た。顔色はまだ悪いが、足取りそのものは乱れていない。


「フィアナさん、さっき感じてたものはまだありますか?」


「はい。少し弱くなりましたけど……方向は変わってません」


「分かりました。何か変わったら教えてください」


「はい」


 それ以上は聞かず、先へ進んだ。


 しばらくすると通路の先が再び大きく開けた。最初に見た広間ほどではないが、それでも礼拝堂が一つ収まりそうな広さがあり、ミラは入口の壁際から中を覗き込むと、床や暗がりを時間を掛けて確認した。


「動いているものは見えません。新しい足跡も、ここから見える範囲にはないです」


「抜けられそうですか?」


 ローデンが尋ねる。


「正面奥に一本、左にも通路があります。空気の流れまでは、ここからだと分かりません」


 俺とガルドも入口まで寄ったが、ここを避けて先へ進める道はない。


「入って確認しましょう」


 ローデンの判断で、俺たちはミラを先頭に広間へ踏み込んだ。


 これまでの部屋とは、また造りが違っていた。床には何本もの細い溝が走って中央付近へ集まり、壁際には腰ほどの台が並んでいる。その上には黒い板や用途の分からない細長い突起が残され、奥には天井近くまで届く黒い構造物が三つ並んでいた。


 その表面を走る青白い線の一部だけが、不規則に明滅している。


「さっきの広間とも違うな」


 ガルドが低く言った。


「倉庫には見えませんね」


 何のための場所なのかまでは分からない。ただ、物を置くだけの空間ではなく、何かを動かしたり管理したりするために造られたようには見えた。


「出口らしい方は?」


 ローデンの声で意識を戻す。


 ミラが手袋を片方外し、正面と左の通路へ順番に手を向ける。地下の僅かな空気の動きなら、俺より彼女の方がずっと確かだ。


 少し待ってから、ミラが正面を指した。


「あっち。弱いけど、空気が動いてます」


「外につながってる?」


 ユリウスが尋ねる。


「そこまでは分からない。でも左よりは明らかに流れてる」


「正面へ行きましょう」


 ローデンがそう決め、俺たちが向きを変えかけた時、右側の暗がりから低く重い音が響いた。


 これまで何度も聞いた足音とは違う。重い板のようなものを、床へ擦りつけながら動かす音に近かった。


「止まって」


 ミラの声で全員が足を止める。


 音は壁際に並ぶ黒い構造物、そのさらに奥から聞こえていた。俺は剣の柄へ手を掛け、青白い光の届かない暗がりへ目を凝らす。


 何かが動くたび、黒い表面が僅かに光を返していた。


「またかよ……」


 ユリウスが呟き、ガルドが大剣を抜く。俺も剣を抜いたところで、暗がりから黒い獣が姿を現した。


 ただ、今までのものより一回り大きい。


 肩の高さに極端な差はないが、胴が太く、前脚も長い。外殻も厚いらしく、身体を動かすたびに重なった黒い板が低い音を立てて擦れ合っていた。


「同じものですかね」


「知らん。面倒な方なのは確かだな」


 ガルドは獣から目を離さない。


 黒い獣もすぐには襲ってこず、細長い頭部をゆっくり左右へ向けながら、こちらの配置を確かめるようにしている。


「戻りますか」


 ローデンが声を落とした。


 俺は一度、来た通路を見た。引き返した先には停止した個体が残り、その向こうは閉鎖された帰路だ。一方、正面にはミラが空気の流れを感じた通路がある。


「正面へ抜けたいです。ただ、フィアナさんを動かすなら、俺たちでこいつとの間を塞いでからにしましょう」


「ああ」


 ガルドも僅かに位置を変え、黒い獣と正面通路の間へ入る。それを見たローデンがすぐに指示を出した。


「フィアナ様と治癒術師は正面の通路へ。トーマ、二人から離れないでください。ミラ殿とユリウス殿は移動しながら支援を。前衛はそのまま警戒してください」


 隊列が動き始める。


 俺とガルドは黒い獣へ身体を向けたまま後退し、その後ろをミラとユリウスが下がっていく。フィアナたちはさらに先だ。


 最初は二十歩ほどあった距離が、こちらが半分ほど移動してもほとんど縮まらない。このまま抜けられるかもしれないと思いかけたところで、壁際の青白い光が一度だけ強くなった。


 ほぼ同時に、黒い獣の頭部が動く。


 向いた先は俺でもガルドでもなく、フィアナだった。


「少し急いでください!」


 俺の声にローデンもすぐ反応した。


「そのまま通路へ! トーマ、フィアナ様から離れないでください!」


 隊列の歩調が上がり、黒い獣も動き出す。


「来るぞ!」


 ガルドの声とともに、太い四肢が石床を蹴った。黒い巨体が低い姿勢のまま一気に加速する。


「ユリウスさん、正面!」


 床の一部が盛り上がったが、黒い獣は踏み込む位置を僅かに変え、ほとんど速度を落とさず段差を越えた。


「やっぱり見てます! 次は脚を置く瞬間に!」


「分かった!」


 続けてミラの矢が飛ぶ。狙いは頭部ではなく前脚の関節で、黒い獣が脚を引いて矢筋を外したところへガルドが横から踏み込み、大剣を肩口へ叩き込んだ。


 重い衝撃音が広間へ響く。


 黒い外殻には深い筋が走ったものの、砕けない。


「こいつ、さらに硬え!」


 ガルドが間合いを外すと、黒い獣は流れた身体を立て直しながら向きを変え、今度は俺へ頭部を向けた。


 真正面では受けず、突進の線を見て床を蹴り、半歩だけ外へ逃がす。巨体が横を抜ける瞬間に首元の外殻が開いたため、その隙間へ剣先を入れたが、すぐ奥で硬い抵抗に当たった。


 前の個体より厚い。


 無理に押し込まず剣を引き、獣が身体を振る前に離れた。


「内側も厚いです!」


「見りゃ分かる!」


 ガルドが俺と獣の間へ入り直したが、黒い獣はこちらへ執着せず、身体を回してまたフィアナの方へ向く。


「こいつもフィアナさんを狙ってます!」


「トーマ、二人を通路へ!」


「はい!」


 ローデンの指示で、トーマが盾を外へ向けたままフィアナと治癒術師を正面通路へ誘導する。俺とガルドはその後方へ回り、黒い獣の進路を塞いだ。


「倒す必要はねえ。通路へ入るまで持たせるぞ」


 大剣を構え直したガルドに頷く。


 必要なのは十数秒程度。それだけ稼げれば、フィアナたちを先へ逃がせる。


 黒い獣が再び踏み込んだ。


 今度は俺が正面寄りへ残り、ガルドが左へ開く。どちらへ向いても、もう一人が側面から入れる位置だ。


 獣は僅かに進路を迷ったあと、俺へ向かって加速した。


「ユリウスさん、左前!」


 前脚が着く直前に左側の床が沈み、巨体が傾く。そこへミラの矢が飛んで関節の隙間へ刺さり、ガルドの大剣も同じ場所へ入った。


 今度は黒い外殻が砕けた。


 俺も踏み込み、開いた隙間へ剣を差し込む。黒い液体が散ったが、それでも獣は崩れない。


 傷ついた前脚を動きから外し、残る三本へ体重を移すと、そのまま巨体をこちらへ押し込んできた。


 外殻へ剣を立てても止められないと判断した瞬間、横から強い力が肩へぶつかる。


 ガルドだった。


 押し出された俺のすぐ横を黒い巨体が通り抜ける。


「前見ろ!」


「すみません!」


 片手を床について姿勢を戻す間にも、黒い獣は止まらず、俺たちを倒すより先にフィアナへ近づこうとしていた。


 通路の入口までは、もう数歩しかない。


 俺はすぐ側面へ回り込み、傷ついた前脚を使わずに三本で均衡を取り直している獣の足運びを見る。後脚を置こうとした場所へ土魔法を流し、石床を斜めに持ち上げると、脚先が滑って巨体が僅かに傾いた。


「ガルドさん!」


「おう!」


 大剣が首元へ叩き込まれ、外殻へ大きな亀裂が走る。黒い獣の勢いが鈍り、その隙にローデンがフィアナたちを通路へ入れた。


「そのまま行ってください!」


 ところが、黒い獣は俺やガルドへ向き直らず、傷ついた身体を低く沈めた。


 右の前脚を床へ深く押しつけると、肩から前脚へ続く黒い外殻が左右へ滑り、その奥から細長い白灰色の構造が現れる。角や爪にしてはあまりにも真っ直ぐで、殴るための形には見えなかった。


「何だ、あれ」


 ガルドの声が低くなる。


 俺にも正体は分からない。


 だが、嫌な予感だけはあった。


「フィアナさん、下がって!」


 振り返ったフィアナへ、黒い獣の頭部が迷いなく向く。


「トーマ!」


 ローデンの声が飛び、トーマはすぐフィアナと獣の間へ盾を向けた。ローデンもフィアナの肩を引いて通路の奥へ下げようとする。


 黒い獣は前脚を床へ固定したまま、白灰色の構造をフィアナのいる方向へ合わせ、身体全体をさらに深く沈めた。


 その姿勢を見た瞬間、何をするつもりなのか分かった。


「避けて!」


 黒い獣が固定した前脚を軸に身体を押し出し、白灰色の杭が一直線に打ち出された。


 その軌道へ、トーマが盾を差し込む。


 響いたのは金属を叩く音ではなく、何かが裂ける音だった。


 杭が盾の中央へ食い込み、そのまま厚い金属板を押し裂く。


「トーマ!」


 ローデンの声が響いた。


 トーマの身体が大きく後ろへ揺れ、盾を貫いた杭がその向こうへ届く。黒い獣が前脚を引くと、破れた盾から白灰色の構造が抜け、トーマの膝から力が抜けた。


 ローデンが横から身体を受け止める。


「トーマ!」


「……まだ……」


 かすかな声は返ったが、脚にはほとんど力が入っていない。裂けた盾の下から広がった血が、胸元の服を急速に濡らしていく。


 フィアナが戻ろうとした。


「フィアナさん、まだです!」


「でも!」


「先に止めます!」


 黒い獣は前脚を引き、露出した杭を外殻の内側へ戻そうとしている。あの攻撃はすぐに続けては使えない。


「ガルドさん!」


「分かってる!」


 ガルドが一気に距離を詰め、動きの鈍った前脚へ大剣を叩き込む。外殻が砕け、内部の白灰色の構造まで大きく歪んだ。


「ミラさん、前脚!」


 矢が飛び、すでに傷ついていた関節へ深く刺さる。前脚が完全に沈み、残った脚へ体重を移したところでユリウスが足元を沈ませると、巨体の均衡が崩れた。


 俺は首元へ踏み込み、割れた外殻へ剣を差し込む。


 黒い膜を破った先で、白い硬質部分へ刃が当たった。


 今度は止めない。


 身体ごと剣へ重さを掛けると、鈍い感触とともに何かが割れ、黒い獣の全身が大きく震えた。


「離れろ!」


 ガルドの声で剣を抜き、距離を取る。


 直後、尾が乱暴に振り回され、石床や構造物へ何度もぶつかった。これまでの正確な動きとは明らかに違う。


「効いてます!」


「なら終わらせる!」


 黒い獣が残った前脚で身体を起こそうとする。


 俺はその脚を置く場所へ土魔法を流して床を僅かに持ち上げ、頭部の位置をずらした。ガルドはその瞬間を逃さず、大剣を首元から頭部へ深く叩き込む。


 黒い外殻と、その内側にある白い構造がまとめて裂けた。


 獣は前へ大きく揺れ、そのまま床へ沈む。尾が一度だけ石を擦ったあと、動かなくなった。


 俺はそれだけを確認すると、すぐ通路へ振り返った。


     ◇


 トーマは壁際へ横たえられ、破れた盾はすでに外されていた。胸元から脇へかけて服が赤く染まり、フィアナと治癒術師が膝をついて処置を始めている。


「貫通しています。胸の中まで損傷しています」


 傷を確認した治癒術師の声が低くなる。


「フィアナ様、まず出血を抑えます」


「はい」


 二人の手元へ淡い光が集まり、傷口から流れる血が弱まっていく。裂けた部分も少しずつ塞がっていたが、トーマの呼吸は浅いままだった。


 治癒術師は胸の動きと脈を確かめ、表情を険しくする。


「奥の損傷が広すぎます。表面を塞いでも、胸の中が――」


「まだ生きています」


 フィアナは手を離さない。


「分かっています。ですが――」


「なら、そこも治します」


 治癒の光が強くなるにつれ、フィアナの顔からさらに血の気が引き、指先も僅かに震え始めた。


「フィアナ様、力を落としてください。このままではあなたが持ちません」


「まだできます」


「フィアナ様」


 ローデンが低く呼んだが、フィアナは振り向かない。


「まだ生きています」


 掠れた声に応じるように、トーマの身体が僅かに動いた。


「……隊長」


 ローデンがすぐそばへ膝をつく。


「喋るな」


「それ……命令ですか」


「そうだ」


「じゃあ……仕方ないですね」


 息に混じった声だった。それでも、いつもの調子を残そうとしているのは分かった。


 トーマが僅かに視線を動かす。


「フィアナ様……もう……いいですよ」


「よくありません」


「俺のために……倒れたら……困ります」


「まだ助けられます」


 治癒術師はフィアナの手元を見たまま、静かに首を振った。


「フィアナ様。損傷が広すぎます。これ以上続けても、戻せません」


 フィアナの唇が震える。


「でも、まだ生きてます」


 ローデンは一度だけ目を閉じてから、低い声で告げた。


「フィアナ様、止めてください。これは命令です」


 それでもフィアナの手はすぐには止まらない。


 トーマが小さく息を吐いた。


「……隊長に……怒られますよ」


「トーマさん」


「仕事……増やさないでください」


 ほんの少しだけ口元が動き、それから視線が俺の方へ向いた。


「アレン殿」


 俺はすぐそばまで寄る。


「はい」


 息を吸う音は細かったが、次の言葉は聞き取れた。


「借り……一個」


 何を返せばいいのか、一瞬分からなかった。


「……覚えてます」


 やっとそう答えると、トーマの口元が僅かに緩んだように見えた。


 もう言葉は続かなかった。


「トーマ?」


 ローデンが名前を呼んでも返事はなく、治癒術師が首元へ指を当てる。フィアナも両手を胸元へ置いたまま、動かなかった。


 数秒しか経っていないはずなのに、ひどく長く感じる。


 やがて治癒術師がゆっくり首を振ると、ローデンは俯いたまま深く息を吸い、顔を上げた。


「……トーマ・リード。戦死」


 フィアナの手元には、弱い治癒の光がまだ残っていた。


「フィアナ様」


 治癒術師がそっと手首へ触れる。


「もう、止めてください」


 それでも光は消えない。


 俺が周囲へ視線を走らせると、ガルドが大剣を構えたままこちらを見ていた。


「行ってこい。俺が見てる」


 暗がりへ視線を戻したガルドに任せ、俺はフィアナの横へしゃがむ。


「フィアナさん」


 返事はない。もう一度呼ぶと、ゆっくり顔が上がった。


「……助けられませんでした」


 そんなことはないと否定することも、できるだけのことはしたと簡単に言うこともできなかった。


「……はい。でも、もう止めてください」


「まだ何かできるかもしれません」


「トーマさんのためじゃなくて、フィアナさんの方です」


 治癒術師も隣で頷く。


「これ以上は危険です。身体が持ちません」


 フィアナはしばらくトーマの顔を見つめていたが、やがて指から力が抜け、淡い光も静かに消えていった。


 それでも、トーマの胸が再び動くことはなかった。


挿絵(By みてみん)


     ◇


 すぐに歩き出すことはできなかった。


 フィアナを休ませている間に、俺たちはトーマを運ぶ準備を整えた。置いていくという言葉は誰の口からも出ず、外套と予備の布を重ねて身体を包み、ロープで固定して二人で前後から運べるようにする。


 槍と破れた盾も持ち帰る。


 盾の中央には、あの杭が貫いた穴が残っており、金属は内側まで大きく裂けていた。


「盾も持っていきます」


 ローデンが言う。


「槍もですね」


「はい」


 改めて確認するまでもなく、全員がそのつもりで動いていた。


 最初は俺とローデンが前後へ入り、途中でガルドやユリウスと交代することにした。


 身体を持ち上げると、腕へ重さが掛かる。


 ついさっきまでと同じ身体のはずなのに、その感覚はまるで違っていた。


 出発しようとしたところで、正面奥から低い音が響き、全員が反射的に身構えた。


 獣の足音ではない。


 ミラが空気の流れを感じた方向の壁に一本の青白い線が走り、その左右が僅かに沈んで、低い音を立てながら横へ滑り始めた。


「離れて」


 担いだ身体を揺らさないよう数歩下がる。


 やがて人が三人ほど並べる幅の通路が現れ、そこから冷たい空気が流れ込んできた。


 ミラが入口へ近づき、風を確かめる。


「さっきより強い。こっちです」


 出口へ近づいている可能性は高い。


「行きましょう」


 ローデンの声は、いつもとほとんど変わらなかった。


     ◇


 扉の先は、それまでより狭い通路だった。


 三人ほど並べる幅があり、壁際には一定間隔で青白い光が埋め込まれている。ところどころ消えているものの、松明がなくても足元は見えた。


 ミラを先頭に進んでいると、しばらくして後ろからガルドが声を掛けてきた。


「代わるぞ」


「まだ大丈夫です」


「お前、肩打ってんだろ」


「ガルドさんも左腕やってるでしょう」


「持つだけなら問題ねえ」


 言い合っている場合でもなく、俺は一度トーマを下ろしてガルドと交代した。


 その時、布の隙間から手が見えた。少し前まで盾を握っていた手だと気づき、無意識に視線が止まる。


「アレン?」


 ユリウスの声で我に返った。


「大丈夫です」


 そう答えて前へ向き直る。


 通路の途中には何か所か分岐があったが、その多くは壁のような扉で閉じられていた。俺たちが近づいても反応せず、フィアナが通る時だけ脇の黒い板へ一瞬光が走る場所もあったものの、それでも扉は開かない。


「さっきまでは勝手に開いたのに」


 ユリウスが言う。


「全部同じ仕組みじゃないんでしょうね」


 俺にも、それ以上は分からなかった。


 フィアナは治癒術師に付き添われながら黙って歩いている。自分の足で進めてはいるが、消耗しているのは明らかだった。


 さらに進むと、右側の壁が大きく壊れた場所へ出る。


 滑らかな表面が剥がれ、その内側に細い線の束が何層も走っていた。半透明のものや、弱く明滅しているものまで混じっている。


 前世で見た配線や管を思わせる部分はあったが、材質も構造も違いすぎて、同じものだとは言えない。


「……これ、本当に遺跡なのかな」


 ユリウスが呟く。


「少なくとも、神殿や墓には見えませんね」


「アレン、何か分かる?」


「いえ。ただ、自然にできたものじゃなくて、何かのために作られた設備には見えます」


「だよな」


 ユリウスもそれ以上は聞かなかった。


 俺自身の中では、偶然として片づけにくいものが増え続けている。壁へ埋め込まれた黒い板、必要な場所だけを照らす光、開閉する壁、規則正しく並んだ構造物。そして、フィアナにだけ向けられる異質な反応。


 どれも、この世界で見慣れた魔道具とは違っていた。


     ◇


 通路はやがて上りへ変わり、緩やかな坂を進むうちに空気にも変化が出始めた。


「風があります」


 ミラが足を止める。


 俺にも分かった。地下の中だけを巡っている空気とは違い、土と湿った草の匂いが混じっている。


「外が近い?」


 ユリウスが聞く。


「たぶん。かなり近いと思う」


 その言葉で全員の歩幅が僅かに変わった。


 ようやく地上へ戻れるかもしれない。


 そう思い始めたところで、左側の壁に埋め込まれた黒い板だけが、はっきり明るく点灯していることに気づいた。


「待ってください」


 俺が声を掛けると、ローデンが振り返る。


「何です?」


「何か出ています」


 近づきすぎない位置から黒い板を見る。


 白い表示が何行か並んでいた。上の方は文字なのか記号なのかさえ判別できない。


 けれど、一番下にある短い一文へ視線を落とした瞬間、足が止まった。


 SYSTEM STATUS : DEGRADED


 そこだけは、はっきり読めた。


 前世で使っていた文字で、意味まで分かる。何度見直しても見間違いではなく、前世なら珍しくもなかった三つの単語が、この世界の地下に並んでいた。


「アレンさん?」


 フィアナの声で我に返る。


「……はい」


「何か分かるんですか?」


 誤魔化せる表情ではなかったらしい。


 ユリウスも黒い板と俺を見比べた。


「それ、読めるの?」


 全員の視線が集まる。


 俺はすぐには答えられなかった。文字が読めること以上に、どうして読めるのかを説明する方が難しい。


「一部だけ、見覚えがあります」


 ローデンが黒い板へ目を向ける。


「意味は?」


 俺はもう一度、最後の単語を確認した。


 DEGRADED。


「この場所が正常な状態ではない、という意味だと思います。機能が落ちている、くらいの意味です」


「機能が?」


「はい。ただ、何の機能なのかまでは分かりません」


 ユリウスが周囲を見る。


「光が消えてたり、扉が閉じたりするのも?」


「関係あるかもしれません。でも、そこまでは読めません」


 文字が読めたところで、この施設の仕組みを知っているわけではない。


 ローデンは短く考え、頷いた。


「今は、それだけ分かれば十分です。先を急ぎましょう」


「はい」


 助かった。


 隊列へ戻る前に、もう一度だけ表示を見る。


 たった三語なのに、それがなぜこの世界に存在するのかとなると、何一つ答えは浮かばなかった。


     ◇


 上り坂の先には、大きな扉があった。


 中央には最初から細い白い光が走り、近づくほど外気の匂いも強くなる。


「これで行き止まりだったら嫌だな」


 ガルドが言う。


「本当にやめてよ」


 ユリウスが返した。


 そのやり取りに、トーマなら何か一つ挟んだかもしれないと思ったが、もちろん声は返ってこなかった。


 フィアナが扉の前まで来ると、脇にある黒い板へ光が走った。一拍遅れて中央の線が強く光り、低い音とともに扉が左右へ開いていく。


 冷たい空気と一緒に、土と草、湿った木の匂いが流れ込んできた。


「外だ」


 ガルドの声に、張り詰めていた身体から僅かに力が抜ける。


 扉の向こうには短い石造りの通路があり、その先に自然の光が見えていた。ミラが一人で先行し、俺たちは入口で待つ。


 やがて奥から声が返った。


「外です! 周囲も大丈夫!」


 ローデンがそこで初めて、はっきりと息を吐いた。


「行きましょう」


 トーマを持ち直し、俺たちも続く。


 短い通路の先には崩れかけた石段があり、上るほど自然の光が強くなった。地下の青白い光に慣れていた目には眩しく、外へ出たところで全員が一度歩調を落とす。


 出た場所は、小さな石造りの建物の中だった。


 屋根は半分ほど崩れ、壁にも大きな亀裂が走っている。木の根や蔦が内部まで入り込み、床には落ち葉が積もっていた。


「礼拝堂じゃないですね」


 フィアナが周囲を見る。


「違いますね」


 建物の外へ出ると、そこは森の中だった。


 エルム村の家々は見えず、建物も木々に囲まれ、外壁の大半を苔と蔦に覆われている。知らずに通れば、森に残った古い祠か廃屋としか思わないだろう。


「位置を確認してきます。ここで待っていてください」


 ミラが周囲を見回して木々の間へ入り、俺たちは建物の壁際へトーマを下ろした。


 ガルドと俺が森側を警戒する間、ローデンはフィアナと治癒術師の状態を確認している。フィアナは歩けると言ったものの、治癒術師から水を渡されると素直に口をつけた。


 しばらくして戻ってきたミラが、木々の向こうを指す。


「村の方角は分かりました。木の間から煙が見えます。担いで戻っても、それほど遠くないです」


「最短で戻ります。途中で交代しましょう」


 ローデンが決める。


 地下へ降りた八人のうち、七人は自分の足で地上へ出た。トーマだけは、俺たちが運んでいた。


     ◇


 森を抜ける道は地下を歩いていた時より短いはずなのに、妙に長く感じた。


 二人ずつ交代しながらトーマを運び、俺も途中でもう一度前を持つ。足元を見て、なるべく揺らさないように歩くことへ意識を向けていると、ついさっきまでこの身体の持ち主と話していたことが、少しずつ現実から離れていくようだった。


 やがて森の向こうから人の声が聞こえ始める。


 こちらに気づいた神殿兵が手を上げかけ、俺たちが運んでいるものを見ると、その動きを止めた。


「ローデン隊長!」


 声を聞いた兵たちが集まり始め、野営地の奥からベルナールも早足で出てくる。


 まずローデンを見て、それから一人ずつ確かめるように視線を動かし、最後にトーマへ目を止めたところで歩みが鈍った。


「……トーマですか」


「はい」


 ローデンは曖昧にしなかった。


「地下で戦闘になり、致命傷を負いました。フィアナ様と治癒術師が処置しましたが、救命できませんでした」


 ベルナールはしばらくトーマを見つめ、それから静かに頭を下げた。


「分かりました。まず休んでください。報告はその後で構いません」


 周囲の神殿兵たちも、もう事情を察していた。


 誰かが声を上げるわけではなかったが、それまで作業を続けていた者まで手を止めている。


 荷馬車の脇へ毛布が敷かれ、俺たちはそこへトーマを下ろした。ローデンが身体を整え、治癒術師が汚れた衣服と傷を覆う。


 フィアナも手を出そうとしたが、治癒術師に休むよう言われ、すぐ近くへ座ったままその様子を見ていた。


 破れた盾と槍も、遺体の横へ置かれる。


 盾の中央には、白灰色の杭が抜けた穴が残っていた。


 ローデンは最後にトーマの顔へ布を掛けたが、その手は途中で一度だけ止まった。


 何を考えていたのかは分からない。


 やがて布を静かに下ろすと、近くにいた神殿兵へ向き直る。


「二人、ここについてください。遺体と装備から離れないように」


「はい」


「帰路に備えて荷台も空けておいてください。揺れないよう固定できる準備を」


「分かりました」


 指示を受けた兵たちがすぐ動き始める。


 トーマはここから連れ帰られ、仲間へ伝えられ、やがて弔われる。地下で死んだという事実だけで終わらず、その先のために必要なことが、もう地上では始まっていた。


     ◇


 怪我人の確認が一段落すると、ローデンはベルナールへ地下で起きたことを報告した。


 フィアナと治癒術師は休ませ、俺たち四人は必要な時だけ補足できるよう少し離れた場所へ残る。


 礼拝堂の下に長い階段があり、内部が普通の地下室や遺構とは明らかに違っていたこと。黒い獣と複数回交戦し、その途中で帰路が閉ざされたこと。ローデンは余計な推測を挟まず、見た事実を順番に説明していった。


「黒い獣は、フィアナ様を狙っていたのですか」


 ベルナールが確認する。


「そう見えました。こちらと交戦している最中でも、フィアナ様の位置を優先しています。一体はその後、理由不明のまま完全に停止しました」


「攻撃を受けて?」


「いいえ。それまで動いていた個体が、突然すべての動作を止めました」


 ベルナールはすぐには何も言わなかった。


 さらに別の個体が前脚内部から杭状の構造を展開し、それによってトーマが致命傷を負ったことまで説明されると、俺も見た範囲を補足した。


「その攻撃には予兆がありました。前脚を床へ固定してから外殻が開き、中から杭のようなものが出ます。使った直後は、その脚の動きが鈍っていました」


「次に遭遇した場合は避けられますか」


「正面から見られれば、兆候は分かると思います。ただ、同じものが全部同じ仕組みとは限りません」


「分かりました」


 ベルナールはそれ以上、断定を求めなかった。


 最後に地下の表示について話が及ぶ。


「アレン殿が読めるものがあったと?」


「一部だけです。ほとんどは分かりません。その中に、見覚えのある文字がありました」


「内容は?」


「施設の機能が低下している、正常な状態ではない、という意味です」


「なぜ読めたのでしょう」


 当然の質問だった。


 少しだけ間を置いてから、今言える範囲で答える。


「その文字自体を知っていたからです。ただ、施設について知っているわけではありません。何のための場所なのかも、誰が造ったのかも分かりません」


 ベルナールは俺を見たまま少し考えたが、今は追及しなかった。


「分かりました。その点については、落ち着いてから改めて聞かせてください」


「はい」


 報告が終わる頃には、森の中の光も傾き始めていた。


 ベルナールは地下への再進入を禁じ、礼拝堂と森側の入口についても位置だけ記録して近づかないよう指示する。


 野営地へ戻ると、フィアナはまだトーマを寝かせた荷馬車の近くにいて、治癒術師がその横についていた。


 俺は少し離れたところで足を止めたが、今は何を言えばいいのか分からなかった。


「アレン」


 背後からガルドに呼ばれる。


「肩、見てもらえ」


「動きますよ」


「俺がそれ言った時、お前何て言った?」


 反論が浮かばず、諦めた。


「……分かりました」


「それでいい」


 ガルドはそれ以上何も言わず、ローデンたちの方へ歩いていく。


 俺も衛生担当に肩を見せると、骨には異常がなく、強い打撲だけだった。冷やした布を当ててもらえば済む程度の怪我らしい。


 少し離れた荷馬車の脇では、ローデンがトーマの破れた盾を布に包んでいた。その横には持ち帰った槍が置かれている。


 俺はしばらくそこを見たまま、地下で聞いた最後の声を思い出していた。


「借り……一個」


 肩の痛みを忘れたまま、俺は布に包まれていく盾を見ていた。返せなくなった借りをどうすればいいのか、その答えだけは考えても出てこなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。