第18話 旅のはじまり
9/22 全体的に推敲し文章をアップデートしました。特に葬儀シーンについては描写を追加しています。
ルミエルへ戻るまでの道のりは、あとから振り返ると、ところどころ記憶が曖昧だった。
予定していた巡礼路をすべて回ることはできず、ベルナールとローデンは途中の神殿へ事情を伝えながら、帰還を優先する形で日程を組み直した。崩落した橋を避けて別の街道へ回り、宿場では人と馬をきちんと休ませる。トーマの遺体も、立ち寄った神殿で必要な処置を受けながら荷馬車で運ばれた。
行きの頃と比べれば、移動中も夜の食卓もずいぶん静かだった。
それでも旅の間ずっと誰も口を開かなかったわけではない。ユリウスが宿の薄いスープへ文句をつければミラが呆れ、ガルドは相変わらず場所を選ばず眠る。フィアナも日を追うごとに普段の調子を取り戻していった。
誰かが無理に明るく振る舞っていたというより、何日か歩き、飯を食い、眠ることを繰り返すうちに、生活の方が俺たちを少しずつ元の形へ戻していったのだと思う。
その中に一人分の声がなくなったことだけは、誰も忘れようがなかった。
やがて街道の先にルミエルの白い城壁が見え、その向こうへ大神殿の尖塔が浮かび始めた時、俺はようやく本当に帰ってきたのだと実感した。
最初にこの街へ入った時とは違い、今なら門を抜けた先にどんな通りがあり、どこを曲がれば神殿地区へ出るのかも知っている。見慣れ始めた白い建物も、遠くからでも目立つ大神殿も何一つ変わっていないはずなのに、こちらだけが少し違う場所から戻ってきたように感じられた。
巡礼団の帰還は、俺たちが神殿地区へ入るより先に伝わっていたらしい。
大神殿の前には何人かの神官と神殿兵が待っていたが、三台ある荷馬車のうち一台に横たえられたトーマを認めると、迎える側の空気も静かに変わった。
華やかな出迎えにはならなかったし、俺にはその方がありがたかった。
◇
正式な報告は、その日のうちに始まった。
俺たち冒険者が最初から最後まで同席したわけではなく、中心になったのはベルナールとローデンだった。ベルカ村で起きた水と地盤の異常から、エルム村の地下で見つけた施設、黒い獣との戦闘、閉ざされた帰路、トーマの戦死まで、記録として残すべきことは多い。
俺も途中で呼ばれ、地下の構造や黒い獣の動き、それに壁へ埋め込まれた黒い板の表示について何度か確認を受けた。
「読めた文字があったのですね」
向かいに座った年配の神官が尋ねる。
「一部だけです。施設の機能が低下している、正常な状態ではない、という意味でした」
「その文字には、以前から見覚えが?」
「はい」
そこまでは、エルムでも話している。
ただ、それ以上を今ここで説明するつもりはなかった。
前世について誰かへ話すなら、それ相応の理由と相手が必要になる。何人もの神官を前にして、別の人生で日常的に使っていた文字だと明かしたところで、確かめられることより分からないことの方が増えるだけだ。
幸い、向こうもそこで俺を追及しなかった。
フィアナについては、さらに慎重に扱われた。
夢の中で地下へ続く場所を見ていたこと、施設へ近づくほど頭痛や奇妙な感覚が生じたこと、黒い獣が彼女を他の人間とは違うように追ったこと、その一体が理由不明のまま完全に停止したこと。
神殿にとっても無視できない事実ばかりだが、少なくとも俺が同席した場で、すぐに神の奇跡だと結論づける者はいなかった。黒い獣が止まった理由も、地下施設の正体も、確認できたことと推測を分けて扱っている。
分からないものを、分からないまま記録する。
その慎重さはありがたかった。
◇
トーマの葬送は、帰還から二日後に行われた。
神殿兵として正式な儀礼が整えられ、俺たち冒険者も参列した。
棺の脇には、地下から持ち帰った盾と槍が置かれている。盾は修復されず、中央には杭が貫いた跡がそのまま残っていたが、裂けた金属も付着していた血も丁寧に清められていた。
何が起きたのかは、それを見るだけで思い出せた。
フィアナが棺の前で祈りを捧げる。
聖女として人前に立つ時の、よく通る静かな声だった。旅の途中で蜂蜜菓子を頬張っていた時とも、俺の言い方へ腹を立てていた時とも違う。それでも今の俺には、その姿をただ聖女という言葉だけで捉えることは、もうできそうになかった。
儀礼の終わりに、ローデンがトーマの名を読み上げた。
「トーマ・リード」
返事はない。
それだけで十分だった。
葬送が終わっても、参列者はすぐには散らず、棺の周囲で静かに言葉を交わしていた。
トーマの両親も来ていた。
二人とも声を上げて泣いてはいなかったが、母親の目元は赤く、父親も棺からほとんど視線を外さない。ローデンが先に挨拶を済ませたあと、フィアナが二人の前へ進んだ。
「トーマさんのこと……」
そこで言葉が止まる。
「私を守って、トーマさんは亡くなりました。私があそこにいなければ――」
「聖女様」
父親が静かに遮った。
フィアナが顔を上げる。
「隊長さんから聞きました。あの子は最後まで任務を果たして、あなたを守ったそうですね」
「でも――」
「帰ってきてほしかったに決まっています」
今度は母親が口を開いた。
声は震えていた。
「今でも、どうしてあの子なんだと思います。でも、逃げずに自分の仕事をして、守るべき人を守ったと聞きました」
母親は棺へ目を向け、それからもう一度フィアナを見る。
「私たちには、それで十分です」
フィアナは何も言えなかった。
「ですから、どうか謝らないでください」
父親が続ける。
「あの子が自分で盾を出したのでしょう。なら、私たちがそれを間違いだったとは言えません」
フィアナの表情が僅かに歪んだ。
それでも泣き崩れることはせず、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
それだけ言うのが精いっぱいだったのだと思う。
フィアナが少し離れたあと、母親の視線が俺へ向いた。
「あなたも、あの子と一緒に地下へ?」
「はい」
俺も二人の前へ進む。
「俺も、トーマさんに助けられました」
「あなたも?」
「戦っている時に、一度盾で庇ってもらったんです。あれがなかったら、俺も無事では済まなかったと思います」
母親はしばらく俺を見てから、ほんの少し目元を緩めた。
「そうですか。ちゃんと役に立っていたんですね」
「はい」
迷わず答えた。
あの時の「貸し一つ」と、最後に残された「借り、一個」が頭をよぎる。
「最後まで、トーマさんらしかったです」
それ以上を説明する必要はない気がした。
母親は小さく頷き、父親も棺へ視線を戻す。
俺も頭を下げ、その場を離れた。
借りをどう返せばいいのかは、やはり分からない。家族へ何かをすれば帳尻が合うようなものでもなければ、覚えているだけで返済になるとも思えなかった。
ただ、俺が助けられたことも、フィアナを守るために前へ出たことも、最後までトーマらしい言葉を残したことも、死んだという一言だけで薄めるつもりはなかった。
◇
葬送から数日が過ぎると、俺の生活も少しずつ元へ戻った。
巡礼に同行した報酬はすでに支払われていたし、肩の痛みもほとんど消えている。冒険者としていつまでも宿で休んでいる理由はなく、俺は久しぶりに冒険者ギルドへ顔を出した。
「生きてたか」
受付へ向かう途中、知らない冒険者からそんなことを言われる。
「どういう意味です?」
「聖女様の巡礼についてったんだろ。変な村に行ったって噂になってるぞ」
「噂って早いですね」
「冒険者と商人に口止めなんて無理だろ」
それもそうか、と流しながら依頼板を見る。
神殿側から地下施設について詳しい情報が出ているわけではない。それでも、ベルカ村で避難があったことや、巡礼団が予定を短縮して戻ったことくらいは、すでに街へ広まっているらしい。
依頼板にはいつも通り仕事が並んでいた。
街道沿いの護衛、薬草採取の護衛、畑を荒らす魔物の討伐、森に入り込んだ大型獣の排除。どこかで異常な地下施設が見つかっていても、普通の生活に必要な仕事がなくなるわけではない。
「アレン」
聞き覚えのある声に振り返るとミラがいて、その隣にはユリウスもいた。
「二人とも来てたんですね」
「私は仕事探し。こいつは暇つぶし」
「逆だからね?」
ユリウスがすぐ訂正する。
「ちょうどいい依頼があるんだけど、三人で行かない?」
ミラが手にしていた紙を見せてくる。
ルミエルから半日ほどの森で、角狼が群れを作って街道近くまで出てきているらしい。個体自体は銀級冒険者でも対応できるが、数が多いため、ギルドとしては複数人での処理を推奨している。
「ガルドさんは?」
「昨日から別の護衛依頼。三日くらい戻らないって」
「相変わらず働きますね」
「白金級を捕まえて角狼退治させる方が贅沢よ」
それもそうだ。
「行きます」
「決まりね」
◇
地下施設から戻って以来、初めての普通の討伐だった。
森へ入り、ミラが足跡を追い、ユリウスが周囲の地形を見ながら戦いやすい場所を選び、俺が前へ立つ。やっていることは、冒険者としてこれまで何度も繰り返してきたものだった。
「右に二、左に三。少し奥にもいる」
木の陰から戻ったミラが小声で告げる。
「全部で五?」
「見えたのはね。たぶんそれで全部だけど、念のため一体残ってるつもりで」
「了解です」
角狼は額に短い角を持つ狼型の魔物で、普通の狼より一回り大きい。群れで動けば厄介だが、習性も攻撃方法も知られている。
「じゃあ俺が奥を塞ぐよ」
ユリウスが杖を構える。
「派手に燃やさないでくださいね」
「森でそれやったらミラに殺される」
「私じゃなくてギルドに怒られなさい」
そんな会話をしている間にも、ミラは矢をつがえていた。
一射目が最も外側にいた個体の前脚へ入り、群れがこちらへ注意を向けた瞬間、ユリウスが奥の地面を隆起させて退路を狭める。
俺は正面へ出た。
一体目が飛び込んできたところで半歩ずれて角を避け、首元へ剣を滑らせる。横から来た二体目には足元へ小さく土を盛り、踏み込みを崩したところへ返す剣を当てた。
傷つけば怯み、仲間が倒れれば距離を取る。こちらが使った魔法を一度見ただけで、次からその場で対策してくるようなこともない。
ミラの矢が逃げようとした一体を止め、ユリウスが残る二体の間へ土壁を出して分断したところで、ほとんど勝負は決まった。
最後の一体が木々の間へ逃げようとしたため、俺は追わずにミラを見る。
「左へ回るわ」
それだけ言って先回りしたミラを待っていると、やがて短い鳴き声が聞こえ、しばらくして弓を下ろした彼女が戻ってきた。
「終わり」
「やっぱり普通の魔物っていいね」
ユリウスが妙に感慨深そうに言う。
「何ですか、それ」
「いや、足場崩したらちゃんと崩れるし、こっちのやり方見て急に対策してこないし」
「それが普通なんですよ」
そう答えながら、俺も似たようなことを思っていた。
角狼が弱いわけではない。旅慣れていない人間が五体に囲まれれば、普通に命を落とす相手だが、習性を知り、役割を決めて戦えば、今の三人なら危なげなく処理できる。
「地下のあれがおかしかったのよ」
ミラが倒れた角狼を確認しながら言った。
「私たちが急に弱くなったわけじゃない」
「分かってますけど、こうして比べると改めて思いますね」
あの黒い獣は、硬さや力だけではなく、戦い方そのものが今まで知っていた魔物とは違っていた。
「アレン?」
ミラに呼ばれ、意識を戻す。
「すみません」
「考えるのはいいけど、解体終わってからにして」
「はい」
仕事は仕事だ。
俺たちは討伐証明になる部位を回収し、使える素材をまとめてから街へ戻った。
◇
その依頼から戻った翌日、冒険者ギルドへ入ったところで妙な違和感を覚えた。
昼を少し過ぎた時間で、普段なら依頼帰りの冒険者やこれから出る連中が行き交っている頃だ。それ自体は変わらないのに、建物の奥だけ不自然に人が避けている場所がある。
「何かあったんですか?」
受付へ近づきながら聞くと、受付嬢が何とも言えない表情をした。
「アレンさんのお客さんです」
「俺の?」
「はい。ずっと待ってますよ」
受付嬢が奥を指す。
そちらを見ると、白銀の髪が見えた。
一人用のテーブルへ座り、飲み物を前に置いたフィアナが、こちらに気づいて手を上げる。
「……何してるんですか、フィアナさん」
近づきながら聞くと、フィアナは普通の顔で答えた。
「待ってました」
「それは見れば分かります。どうして休みの日に聖女様が一人で冒険者ギルドにいるんです?」
「今日は公務じゃないですから」
普段の神殿服より簡素な格好をしており、巡礼中ほど実用一辺倒でもない。少なくとも仕事中ではなさそうだった。
「神殿の人は?」
「ずっと護衛がついてるわけじゃないですよ。それに、一人で街を歩けないほど偉くなったつもりもないです」
元村娘としては、そちらの感覚の方が自然なのかもしれない。
「それで、俺を探しに来たんですか?」
「はい」
即答され、周囲の気配が少し変わった気がした。
辺りを見ると、さっきまでこちらを見ていた何人かの冒険者が目を逸らす。
「その言い方だと、なんか誤解されそうですね」
「何がです?」
「分からないならいいです」
「変なこと言わないでください」
本人に深い意味はなさそうだった。
フィアナは足元へ置いていた小さな紙袋を持ち上げ、俺の前へ置く。
「これ、持ってきました」
「何です?」
「蜂蜜菓子です」
「好きですね」
「おいしいですから」
神殿の近くで見つけた店らしい。
「一人で食べるより、誰かと食べた方がいいかなと思って」
「それで俺?」
「ミラさんの居場所知らなかったので」
「なるほど」
「ちょっと、そこで納得されるのも嫌なんですけど」
どっちなんだ。
袋を開けると、焼いた生地へ蜂蜜を練り込んだ小さな菓子がいくつか入っていた。勧められるまま一つ口へ入れると甘いが、巡礼中に食べたものより香ばしくて悪くない。
「おいしいですね」
「でしょう?」
自分で作ったわけでもないのに、フィアナが少し得意そうな顔をする。
しばらくは神託も地下施設も黒い獣も関係なく、昨日俺がミラとユリウスと依頼へ行ったことや、フィアナが神殿で書類の説明を延々聞かされたことを話した。
「アレンさん、もう普通に依頼行ってるんですね」
「冒険者ですからね」
「金級ってもっと、毎回すごい仕事するものかと思ってました」
「俺も普通の討伐しますよ。角狼五体でした」
「それ、村だったら普通に大騒ぎです」
「言われてみればそうですね」
冒険者の基準と、村で暮らす人間の基準は違う。フィアナは元々、そちら側で暮らしていた人間なのだ。
「そういえば、地下で私のこと呼びましたよね」
何の前触れもなく話が変わった。
一瞬だけ考え、すぐ何のことか分かる。
「……呼びましたね」
「フィアナって」
「危なかったので」
「それは分かってます」
フィアナは手の中の菓子を見ながら続けた。
「嫌だったわけじゃないんです。ただ、ずっとフィアナさんだったから、ちょっとびっくりして」
「俺もびっくりしました」
「自分で?」
「勝手に出たので」
フィアナがこちらを見る。
「じゃあ、これからは?」
「本人の希望を聞こうかと」
「そういうところだけ妙に丁寧ですよね」
「重要でしょう」
少し考えてから、フィアナは首を振った。
「今まで通りでいいです」
「分かりました、フィアナさん」
「本当にすぐ戻すんですね」
「希望通りですけど」
「そうなんですけど……」
何か言いたそうだったが、結局フィアナは小さく笑った。
俺もそれ以上は聞かなかった。あの時は間に合わせるために名前を呼んだだけで、今ここで別の意味を探す必要はない。
しばらくして、フィアナが表情を少し改めた。
「アレンさん」
「はい」
「私、やっぱり知りたいです」
「神託のこと?」
「はい。それと、あの地下のことも」
声は静かだった。
「神様から与えられたものだって言われれば、今まではそれでいいのかなと思ってました。考えても分からないし、周りの人たちもみんなそう言うから」
フィアナは手元を見ながら、少しずつ言葉を選ぶ。
「でも、あの場所では私が近づいたら何かが動いて、黒い獣も私だけを追って、それなのに途中で突然止まりました。私は夢であそこを知ってたし、頭の中に意味みたいなものまで入ってきた」
そこで顔を上げる。
「知らないままでも、聖女としてはやっていけるのかもしれません。でも、自分に起きてることを、ずっと誰かが決めた答えだけで考えるのは嫌です」
神託を受けるたび、本人より先に周囲が意味を決めてしまう。そのことをフィアナは前から気にしていた。
「自分で確かめたいんですね」
「はい」
今度は迷わなかった。
「すぐにどこかへ行くつもりは?」
「ありません」
「本当に?」
「ありません」
「成長しましたね」
「だから、そういうところです」
少しむっとした顔をされる。
「神殿の人たちも調べてくれてるみたいです。私も資料を見ることになってるので、何か分かったら、その時に考えようと思ってます」
「それがいいと思います」
俺自身も同じだった。
前世の文字がこの世界に存在する理由は知りたい。ただ、そのために今すぐ地下へ戻る気にはならないし、施設についての情報が少なすぎる以上、まず記録を探す方がよほど合理的だ。
「アレンさんも、もし何か分かったら教えてくれますか?」
「もちろん」
「昔見たことある文字についても?」
少しだけ困った。
「話せる範囲なら」
「やっぱり何か隠してますよね」
「誰にでも秘密くらいあります」
「それはそうですけど」
フィアナは追及してこなかった。
こういうところはありがたい。
残っていた菓子を一つ口へ入れてから、フィアナが立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ戻ります」
「送ります?」
「大丈夫です。子供じゃないので」
「知ってますよ」
「本当に?」
「最近は」
「最近って何ですか」
店を出るまで文句を言われた。
ギルドの扉の前で別れる時、フィアナが振り返る。
「また来てもいいですか?」
「ギルドに?」
「はい」
「俺が毎日いるとは限らないですよ」
「じゃあ受付で聞きます」
「すっかり慣れましたね」
「今日ずっと待ってましたから」
そう言って笑い、フィアナは人通りの多い通りへ出ていった。
俺はその背中を少しだけ見送ってからギルドへ戻る。
受付へ近づいたところで、さっきの受付嬢と目が合った。
「何です?」
「いえ、別に」
「絶対何かありますよね」
「聖女様が休みの日に一人で冒険者を訪ねてきた、というだけです」
「その言い方やめてもらえます?」
近くで誰かが笑った。
◇
それから何日かが過ぎた。
俺は護衛や近郊の魔物調査を受け、空いた時間には剣と装備を手入れした。ミラも追跡や護衛へ出ており、ユリウスは別の冒険者と組んで仕事をしている。ガルドに至っては、戻ったと思った翌日にはまた別の依頼で街を離れていた。
フィアナも神殿での日々へ戻り、あの日以降ギルドへ来ることはなかった。
地下施設についても、新しい話はすぐには入ってこない。エルム村周辺へ神殿側の警戒が置かれ、勝手に地下へ入る者が出ないよう管理されていることだけは聞いていたが、再調査の話も黒い獣の正体についての報告もなかった。
忘れたわけではない。それでも毎日起きて仕事へ行き、飯を食い、宿へ戻るうちに、あの旅のことを考えない時間も少しずつ増えていった。
その日も朝から引き受けていた商隊護衛を終え、夕方前にギルドへ戻ったところだった。
報酬の確認を済ませ、空いていた席で剣の汚れを軽く落としていると、入口付近が少しざわつく。
顔を上げると、神殿兵が一人、受付で何かを話していた。巡礼で見た顔ではない。
やがて受付嬢がこちらを指し、兵士がまっすぐ歩いてくる。
「アレン・クロイツ殿で間違いありませんか」
「はい」
立ち上がると、兵士も姿勢を正した。
「ベルナール殿より伝言を預かっています。お時間が取れ次第、大神殿までお越しいただきたいとのことです」
「今日ですか?」
「可能であれば。ただ、緊急の呼集ではありません」
それなら、新しく何か事故が起きたわけではなさそうだ。
「内容は聞いています?」
「申し訳ありません。私には伝えられておりません」
「分かりました。これを片づけたら向かいます」
兵士は一礼し、ギルドを出ていった。
俺は席へ戻りかけて、手を止めた。
地下から戻って以来、報告以外の理由で神殿から直接呼ばれるのは初めてだった。
剣の手入れを終えて鞘へ戻し、椅子の背へ掛けていた黒い外套を取る。
外へ出ると、夕方の通りには仕事帰りの人間や買い物を終えた家族が行き交い、店先からは夕食の匂いが流れていた。その向こうには、日を受けた大神殿の白い尖塔がいつもと変わらず立っている。
俺もいつものように仕事へ戻り、フィアナも神殿での日々へ戻った。ミラもユリウスもガルドも、それぞれの場所で動いている。
それでも、地下で読んだ三つの単語も、棺の脇に置かれていた破れた盾も、消えたわけではない。
ベルナールが何のために呼んだのかは分からなかった。
俺は外套を羽織り直し、夕方の人の流れに混じって大神殿へ向かった。
第一章 神託の先へ 完
第1章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ここまでアレンたちの旅にお付き合いいただけたこと、とても嬉しく思います。
ひとつの旅が終わりましたが、彼らの物語はまだ始まったばかりです。
第2章からも、引き続き楽しんでいただければ幸いです。
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