第132話 届いた報せ
ハインツの護衛が盟都へ戻ったという知らせが届いた時、俺はイシュラの執務室にいた。
メイラとともに各氏族への連絡状況を確認していたところへ、門の詰所から兵がやってきた。手には泥のついた布包みがあり、卓に置いてから、負傷した護衛が一人で届けたものだと報告する。
「ハインツ・セーゲル様の護衛、ニールと名乗っています。山道で一行が襲撃され、ほかの四名は現地に残ったとのことです」
「ハインツ本人は戻っていないのか」
「はい。ニールは左腕と右足を負傷しており、衰弱もひどかったため治療所へ移しました。意識はあります」
メイラが手元の書類を伏せた。
ハインツには盟都から帰還を命じていた。北方内陸の調査を切り上げ、そろそろ戻る頃だと考えていたが、護衛の一人だけが負傷して帰還したとなれば、事情を確かめなければならない。
「ほかに戻った者はいないのか」
「現在まで報告はありません」
イシュラは布包みを手に取り、結び目を解いた。中の書状は濡れておらず、封印も損なわれていない。ハインツの印章を確かめてから封を切り、書類を広げる。
兵にはニールの治療を続けるよう伝え、俺たちは報告書の内容に目を通した。
記されていたのは、カシュラと関わりの深い氏族における戦士団の移動と、食料や飼料、武具の集積状況だった。通常の交代時期より早く配置を変えた部隊があり、複数の工房では武具の注文が増えている。荷運びを請け負う商人の間でも、普段とは異なる地域へ物資を送る仕事が増えていた。
ハインツらしく、確認できた事実と伝聞は丁寧に分けてある。現地で協力した者の名前は記されていなかったが、どの地域で何を確かめたのか、判断に必要な情報は整理されていた。
「この地域は私も調べました」
メイラが地名の一つを指した。
「戦士団の配置について尋ねましたが、氏族長は明確な返答を避けていました。協力に消極的なのは分かっていたものの、物資の移動までは把握できていませんでした」
「ほかの地域でも似た動きがある。配置を変えた戦士団と物資の集積先を合わせて見ると、かなり広い範囲で準備が進んでいるな」
俺が言うと、イシュラも頷いた。
「評議会で離反を宣言するより早く、戦力を動かすつもりだったのだろう。ここまで物資を揃えているなら、短期間の示威行動では済むまい」
イシュラは最後の頁まで確かめ、書類を重ねた。
「ハインツに直接聞きたいことも多いが、まずは襲撃の状況だ。ニールに会いに行こう」
俺たちは書状の保管を指示し、治療所へ向かった。
*
ニールは居館近くの治療所で、寝台に上半身を起こしていた。
左腕には新しい包帯が巻かれ、右足首も固定されている。顔色は悪く、俺たちの姿を見ると慌てて身を起こそうとしたが、傷が痛んだらしく途中で動きを止めた。
「そのままでいい。無理に立つな」
声をかけると、ニールは寝具を握っていた手を緩めた。
治療師によれば、左腕の切創は処置を終え、命に関わる状態ではないという。ただし足首の腫れが強く、しばらく安静が必要だった。山中で一夜を過ごした疲労も残っており、話を聞くなら長時間は避けてほしいとのことだった。
イシュラは寝台のそばへ椅子を寄せた。
「ニール、ハインツの書状は確かに受け取った。よく届けてくれた」
「……はい」
「辛いところをすまないが、襲撃された場所と、皆と別れた時の様子を聞かせてほしい」
ニールは頷き、手元の水を一口飲んだ。
「昨日の朝です。盟都へ戻る街道で、新しい足跡を見つけました。東側の岩棚へ登った跡だったので、ハインツ様に報告しました」
俺が地図を広げると、ニールは北方内陸から南へ下る街道の一角を指した。
東には岩棚、西には沢へ落ちる谷があり、北側の鞍部からは街道を見下ろせる場所だという。
ハインツは足跡を確かめてすぐ引き返すよう命じたものの、戻る道には武装した者たちが展開していた。東の岩棚から矢を射られ、北側の突破を試みた際には、左右からの射撃によって押し戻されている。
「トルドが左脚を射られました。ハルン護衛長たちが支えて、岩陰まで戻ったんです。それからハインツ様が、俺に報告書を……」
ニールは右手を胸元へ持っていき、何もないことに気づいたように指を止めた。
「書状は届いている。続けてくれ」
「はい。俺一人なら西の谷へ抜けられるから、盟都へ持っていけと。ハルン護衛長が道を開いてくれました」
「お前が離れた時、四人はどうしていた」
「北の戦士たちを引きつけていました。ハルン護衛長とトルドが前に出て、エルドは岩棚の射手を弓で抑えていました。ハインツ様も岩陰にいらっしゃいました」
「その後の戦闘は見ていないんだな」
「……はい。振り向かずに行けと言われたので」
ニールは水の器を持ったまま俯いた。
俺は襲撃地点を地図に書き込み、敵の人数や装備について尋ねた。街道を塞いでいた者たちは、山仕事にも使われるような外套と丈夫な靴を身につけ、盾や槍、弓を持っていたという。ただ、遠目には氏族を特定できる印は見えなかったらしい。
「お前を追ってきた者は?」
「二人いました。暗い頭巾をかぶって、口元も布で覆っていました。街道の戦士たちより軽い装備で、短い刃物を持っていました」
ニールは左腕を見下ろした。
「尾根を回っている間に、一人が斜面を横切って先へ出たんです。道を塞がれて、抜けようとした時に斬られました」
「二人とも追ってきたのか」
「はい。俺は谷へ落ちて足を痛めましたが、沢まで下りてきました。水の中を進んで岩場から上がった後も、一人は支流の方まで探しに来ました」
メイラが地図を覗き込んだ。
「沢に入ってからも、上流まで追ってきたのですか」
「はい。水から上がったところを見つけられたのかと思って、ずっと隠れていました」
「追手が話す声は聞きませんでしたか。互いに名前を呼んだり、指示を出したりするような」
「……聞いていません。最初に見た時、一人が南を指していたくらいです」
ニールはしばらく考えていたが、それ以上は思い出せなかった。
最後に追手の姿を見たのは昨日の夕方だったという。その後は西の尾根を越え、別の道へ出てから、負傷した足で歩き続けた。翌日の昼頃に荷車へ乗せてもらい、ようやく盟都までたどり着いている。
街道へ出た後の経緯は門衛からも報告を受けていた。俺は必要な道筋を確かめ、地図を畳んだ。
「分かった。よく話してくれた」
立ち上がろうとすると、ニールが顔を上げた。
「ヴァレク様。ハインツ様たちは、まだ戻っていないんですか」
「ああ。今のところ、帰還の報告はない」
「……俺が逃げた後も、戦っていたと思います。トルドは脚を怪我していましたが、ハルン護衛長がついていましたし、エルドもまだ矢を持っていて……」
ニールは言葉を探すように口を開いたが、続きが出てこなかった。
「俺だけ逃げたんです。ハインツ様が届けろと仰ったので、それで……」
「お前が書状を持って出たのは、ハインツの判断だ」
俺が答えると、ニールは俯いた。
「分かっています。でも、皆さんがどうなったのかも分からなくて……」
イシュラが椅子を少し近づけた。
「ニール。お前が届けてくれた書状には、ハインツが長い時間をかけて調べたことが記されていた。我々にとって、非常に重要な報告だ」
「……はい」
「四人の行方も捜させる。お前には、まず身体を治してほしい」
「俺も、捜しに行きたいです」
「気持ちは分かるが、その足では難しかろう。治療師の言うことを聞いて、しばらく休んでくれ」
ニールは寝具を握り直した。しばらく返事をしなかったが、やがて小さく頷いた。
俺たちは治療師に容体の確認を頼み、部屋を出た。
*
廊下へ出ると、メイラが俺の持つ街道図へ目を向けた。
「襲撃地点はかなり絞れましたね。近隣の氏族に確認すれば、周辺の巡回路も分かるはずです」
「ああ。ただ、敵が現場に残っているかもしれん。十分な護衛が必要だ」
イシュラは俺たちの話を聞きながら歩いていたが、執務室に戻る手前で立ち止まった。
「ヴァレク。襲撃についてどう見る」
「待ち伏せの準備が周到だ。北への退路を塞ぎ、東の岩棚に射手を配置している。ハインツたちが進む道筋を、ある程度把握していたんだろう」
「追ってきた二人は?」
「山中の移動と追跡に慣れた者だと思う。街道の戦士たちとは装備も異なる。報告書を持って逃げたニールを追うため、別の者を動かした可能性がある」
メイラが腕を組んだ。
「ドゥランの戦士団なら、あの地形で待ち伏せるだけの技量があります。昔から山岳戦に長けており、周辺の道にも詳しい氏族です」
「俺も考えた。ただ、ほかにも山に慣れた氏族はいる。ニールが見た装備だけでは特定できん」
「そうですね。現場で何か確認できればよいのですが」
俺は覆面の二人について考えていた。
街道を塞いだ戦士たちと、逃走者を執拗に追った軽装の二人。装備を揃えて顔を隠し、足場の悪い山中でも追跡を続けている。
ゼインの周辺で、以前から噂されていた者たちのことが頭に浮かんだ。
「『灰影』という名を聞いたことがある」
イシュラが俺を見た。
「ゼインの周囲で動いているという連中か」
「ああ。詳しい構成は掴めていないが、表に出ずに情報を集め、時には人を追う役目も担っていると聞く。ニールを追った者たちにも、似たところがある」
「私も名前は聞いています」
メイラが言った。
「ただ、実際に見た者から詳しい話を聞けたことはありません。人数や活動の範囲についても、まだ把握できていません」
「今回の二人がそうだと決まったわけではない。だが、警戒は必要だろう」
イシュラは頷き、執務室の扉を開けた。
「ハインツが持ち帰った情報と襲撃の時期を考えれば、カシュラ側の関与は強く疑われる。しかし、襲撃者の所属も、誰が命じたのかも分かっていない。現場を調べ、確認できるものを集めよう」
俺たちは卓へ地図を広げ、ニールが示した襲撃地点と周辺の道を確かめた。
ハインツの護衛を務めていた者たちは、いずれも経験があった。ハルンは長年にわたって危険な土地への調査に同行し、ハインツが無理をしようとすれば、相手が使徒であっても遠慮なく止める男だった。
エルドも山道での警戒と射撃に慣れている。トルドは負傷してなお前に出ていたというし、ニールも逃走中に追手を振り切るだけの判断を重ねている。
それだけの護衛を連れていたハインツが、今も戻っていない。
「……ハルンなら、逃げられる道があれば必ず探したはずだ」
俺が言うと、メイラは頷いた。
「ええ。調停先の氏族が護衛を用意すると言っても、街道のどこで引き継ぐか、誰が責任を持つかまで決めなければ納得しない人でした」
メイラは少し考え、地図の一角へ目を向けた。
「私も何度か相談したことがあります。こちらの予定に合わせて護衛を増やすよう頼んだ時には、その人数で通れる道を先に確かめるよう言われました」
「あいつならそう言うだろうな」
「ハインツも、護衛の件では随分と意見を受けていたはずです」
俺にも覚えがあった。
ハインツは調査に入ると、気になることを最後まで確かめようとする。ハルンはその性格をよく承知していて、危険な場所に長居しようとすれば遠慮なく止めていた。
二人が出発前に日程を巡って言い合う姿を、何度か見たことがある。最後には大抵ハインツが折れるので、護衛長としての判断を信頼していたのだろう。
ニールを逃がしたのも、二人で相談した結果かもしれない。
「ハインツたちがその場に残った以上、敵も相応の人数を割いたはずだ」
俺が言うと、イシュラは地図を見つめたまま頷いた。
「そうだな。負傷者を抱えた状態で追手を振り切れたかどうか……。厳しい状況だったことは確かだ」
メイラは何も言わず、地図の端を押さえていた。
少しして、イシュラが顔を上げた。
「捜索隊を出そう。生存者がいれば救助し、亡くなった者が見つかった場合も、可能な限り連れ帰ってほしい」
「直属の警備隊から人を選ぶ。斥候と治療のできる者を加えて、現場へ向かわせよう」
「頼む。ただし敵があの道を押さえているなら、再び待ち伏せを受けることもある。危険が大きければ無理に進ませるな」
「分かった。接近路を先に調べさせ、必要なら増援を出す」
メイラは持ってきた書類を開き、近隣の氏族を確かめていた。
「私からも周辺の協力氏族へ連絡します。襲撃地点に近い氏族なら、武装集団の出入りを見ているかもしれません。捜索隊が通れる道についても確認してみます」
「氏族長か戦士団の責任者へ正式に協力を求めてくれ。こちらの兵だけで調べられる範囲には限りがある」
「承知しました」
俺は街道図を畳み、警備隊へ伝える内容を整理した。
現場には矢や武器の破片が残っているかもしれない。ハインツたちが別の場所へ移動した可能性もあるため、街道だけでなく、西の谷や周辺の斜面も調べさせる必要があった。
すぐに見つからなければ、捜索の範囲を広げることになる。
「ヴァレク」
執務室を出ようとしたところで、イシュラに呼び止められた。
「何だ」
「ハインツについて何か分かったら、夜中でも構わん。すぐに知らせてくれ」
「分かった」
イシュラは俺の返事を聞くと、卓に置かれた報告書を手に取った。
「……あれほど慎重に仕事を進める男だったのだがな」
ハインツは一つの報告をまとめるにも時間をかける。誰かの言葉をそのまま記すことを嫌い、確認できなかったことには必ずその旨を書き添えていた。
今回の書状にも、そうした書き込みが幾つも残っている。
「相手も十分に準備していたんだろう」
俺が答えると、イシュラは頷いた。
「ああ。だからこそ、こちらも慎重に動かなければならん」
それ以上は話さず、俺たちはそれぞれの仕事に戻った。
*
捜索隊の編成を終えた頃には、盟都の街路に明かりが灯り始めていた。
直属の警備隊から山岳行動に慣れた兵を選び、斥候を先行させる編成とした。後続には武装した兵と治療担当者を加え、負傷者を発見した場合に備えて担架や手当ての道具も持たせている。
街道を進める区間では馬を利用できるが、襲撃地点へ近づけば徒歩になるだろう。夜間に狭い山道へ踏み込む危険を避けるため、今夜は安全を確認しながら進み、見通しの悪い区間へ入るのは明るくなってからとした。
俺は出発前の指揮官へ街道図を渡した。
「ここが襲撃地点だ。ニールの証言では、東側の岩棚と北の鞍部に敵がいた。西の谷へ逃げた者を、覆面の二人が追っている」
指揮官は印のついた場所を確かめ、近くの沢と道の分岐を指で辿った。
「まず斥候に接近路を調べさせます。敵の痕跡があれば後続へ知らせ、必要なら別の道を探します」
「頼む。現場では遺留品も調べてくれ。武器や装備が残っていれば、見つけた場所を記録しておけ」
「承知しました」
「ハインツたちを発見した場合は、周囲の安全を確かめてから近づけ。まだ敵がいるなら増援を求めろ。救助を急ぐあまり、隊まで失うな」
指揮官は頷き、部下たちのもとへ戻った。
装備を整えた兵が集まり始めると、メイラも詰所へ姿を見せた。
「近隣の協力氏族には連絡を出しました。返答が早ければ、捜索隊が山へ入るまでに周辺の状況も分かるはずです」
「助かる」
「ハインツの調査先についても、連絡の取れるところから確認しています。襲撃の後に不審な一団が通っていないか、聞いてみるつもりです」
「ああ。報告書にある物資の動きも、もう一度照合したい」
メイラは頷き、出発の準備を見守った。
やがて隊列が整い、先行する斥候たちが門へ向かった。後続の兵も荷を確認し、指揮官の合図に従って動き始める。
俺たちは門の脇から、その姿を見送った。
メイラは最後の兵が通り過ぎるまで、街道の先を見つめていた。
「ハルンたちの装備も、見つかるといいのですが」
「ああ。何があったのか確かめる手掛かりにもなる」
「……そうですね」
俺はハルンの使い込まれた盾を思い浮かべた。何度も一緒に任務へ出てきたが、あいつが盾を手放すところなど、ほとんど見たことがない。
今もその盾を持ち、ハインツを守っていてくれればいいのだが。
隊列は街道の暗がりへ進み、馬の蹄と装備の擦れる音が次第に遠ざかっていった。メイラも連絡の続きを進めるため先に戻り、俺は指揮官から預かった出発記録を確認してから門を離れた。
居館へ戻ると、執務室にはまだ明かりがついていた。
イシュラはハインツの報告書を広げ、戦士団の配置を記した地図と照らし合わせている。
「出発したか」
「ああ。街道の安全を確かめながら進ませる。現場へ入るのは明るくなってからだ」
「分かった。ご苦労だった」
俺も隣へ立ち、報告書に記された地域を地図上で確かめた。
戦士団の配置を変えた氏族、物資の集積先、武具の注文が増えた工房。それぞれに印をつけていくと、離れた地域の動きにも幾つかのつながりが見えてきた。
ただ、なぜハインツが特定の集落を調べたのか、記録だけでは分からない箇所もあった。現地で何かを聞いたのか、それとも別の報告を確かめようとしたのか。
俺は別の紙を取り出し、本人に尋ねたいことを書き始めた。
いくつか書き留めたところで、イシュラがこちらへ目を向ける。
「ハインツに確認することか」
「ああ。戻ったら詳しく聞くつもりだ」
「そうか」
イシュラは俺の手元を見た後、報告書へ視線を戻した。
俺も次の頁を開き、気になった地名の横へ印をつける。確認したいことはまだ残っていたので、書きかけの紙を引き寄せ、ハインツへの質問を一つ書き加えた。




