第129話 荷の行き先
評議会から四日が過ぎた朝、宿の食堂では、いつもより早い時間から荷造りをする客の姿が目についた。
長机の端には旅行鞄がいくつも積まれ、外套を着たまま朝食を取っている者もいる。評議会に合わせて盟都へ来ていた氏族の随員たちが、少しずつ帰途についているらしい。
窓際の席でパンを食べていると、リーネが帳場の方から戻ってきた。
「父さんに出した手紙、昨日の便で運ばれたって」
「もう出たのか」
「うん。盟都からの正式な報告と一緒に手配してもらえたみたい。ヴァレクが知らせを寄こしてくれてたんだ」
リーネは椅子を引き、テーブルに置いていた自分の杯を手に取った。
評議会が終わった夜、彼女は遅くまでヴァルドへの手紙を書いていた。採決の結果や、ゼインに続いて離反した氏族のことを伝えたらしい。正式な報告も別に送られているが、ラウネとの交易に関わる氏族については、父親へ自分の言葉でも知らせたかったのだろう。
「返事が来るには、まだ時間がかかるな」
「そうだね。父さんも向こうで情報を集めてるはずだけど、グレンの怪我も治りきってないし、みんな無理してないといいんだけど」
俺たちが出発した時も、ラウネでは防柵の修理や負傷者の手当てが続いていた。施設へ通じる道には見張りが必要で、外へ出た黒い獣の行方も分かっていない。そこへ北方の政治的な決裂まで重なり、ヴァルドには当分、落ち着く暇もなさそうだった。
「ラウネへの支援も、そろそろ出発してる頃だろ?」
「うん。補修材や薬を送ってくれるって聞いてる。でも、どこまで進んでるのかは分からなくて」
「今日、市場へ行くなら、荷を扱ってる人たちにも聞いてみようか」
向かい側からフィアナが言った。
「ラウネへ向かう荷車もあるだろうし、街道の様子くらいなら分かるかもしれないよ」
「そうしようかな。今のうちに、何が送れるかだけでも知っておきたいし」
リーネは頷いてから、俺の方へ顔を向けた。
「アレンも一緒に行けそう?」
「ああ。歩く分には問題ない。まだ走ったり、剣を振ったりするのは難しいけどな」
ゼインとの戦闘で傷めた右膝は、数日休んだおかげで腫れもかなり引いていた。腹の痛みもほとんど気にならなくなったが、急に踏み込むと膝に痛みが走るため、稽古は控えている。
「なら、俺も付き合うか」
隣のテーブルで朝食を終えたガルドが、椅子から立ち上がった。
「お前らだけで出歩かせたら、ヴァレクに何を言われるか分からねえからな。ついでに俺も買いたいものがある」
「何を買うんだ?」
「手入れ用の油だ。こっちに来てから思ったより減りが早え。山じゃ革も金具も傷みやすいからな」
ガルドは食堂を出て、自分の荷物を取りに戻っていった。
オスカーは朝から居館へ呼ばれており、セレナも史料庫へ出かけている。俺たちは支度を済ませると、護衛として同行する盟都の警備兵二人と合流し、市場へ向かった。
*
中央市場は、評議会の前と変わらない賑わいを見せていた。
焼きたてのパンや干し肉を並べた店の前には客が集まり、道の両側では荷車を引く者たちが声を掛け合っている。布や毛皮を扱う店にも人が出入りし、職人街の方からは金属を打つ音が絶えず聞こえてきた。
ただ、運送業者が集まる一角では、荷を積んだまま止まっている車が目立った。
荷台に布を掛けた車の横で、御者が数人、帳面を手にした男を囲んでいる。少し離れたところでは、積み込んだ木箱を下ろすよう指示された若い男が、別の荷車を探して辺りを見回していた。
「あそこで聞いてみようかな」
リーネが向かったのは、荷車の手配や運賃の取り決めを扱う帳場だった。
大きな木製の看板の下には、行き先ごとに荷の受付を記した札が並んでいる。奥では年配の男が依頼主と話しており、俺たちはその相談が終わるまで少し離れて待った。
「すみません。ラウネ方面への荷について聞きたいんですけど」
「ラウネか。南へ下る便だな」
男は帳面をめくり、記載された行を指で追った。
「そっちは今のところ予定どおり動いてる。途中の宿場が少し混み合ってるが、道が塞がれたって話は入ってねえ」
「これからも荷を送れそうですか?」
「出せるとは思うが、早めに申し込んでくれた方がいい。北方内陸へ向かう仕事で予定を組み直してる連中がいてな。御者や護衛の手配が変わって、ほかの便にも影響が出始めてる」
「カシュラの離反が関係してるんですか?」
「それもあるだろうな。北へ行く荷は、途中でいくつもの氏族の土地を通るからよ。これまでどおり通れるのか、運び手の方も確かめたがってる」
男は帳面の別の頁を開き、いくつか印の付いた行を示した。
「昨日も二口、出発を延期した。護衛を増やすなら運賃も変わるし、荷をまとめて運ぶなら依頼主同士の相談が要る。積み終わってから条件が変わっちまった仕事もあってな」
見ると、帳場の脇に停められた荷車では、荷台から木箱を下ろし直していた。積み替える先の車がまだ決まっていないらしく、御者が腕を組んで作業を眺めている。
「ラウネへの便も、今後は影響を受けるかもしれないんですね」
「そうだな。ただ、南の街道は今のところ落ち着いてる。盟主のところから出す支援物資は警備側で輸送を手配してるはずだから、詳しい進み具合ならそっちへ確かめた方がいい」
リーネが礼を言うと、男は次の依頼主に呼ばれ、帳面を持って奥へ戻っていった。
俺たちは荷車の間を抜け、再び市場の通りへ出た。
「南の道は、まだ大丈夫みたいだね」
リーネは少し安心したようだった。
「父さんから返事が来るまでに、こっちでも買えるものを調べておこうかな」
「ヴァルドも必要な備えはしてるだろうが、修理に使う資材まで全部揃ってるわけじゃねえだろうからな」
ガルドが答えた。
「向こうで何が足りねえか分かったら、その時に手配すりゃいい。今は道が使えるって確認できただけでも収穫だろ」
「うん。そうだね」
ラウネでは、交易商人の荷に随分と世話になった。塩や布、金具など、集落だけでは十分に揃えられないものも多い。
冬支度の時期には、ヴァルドが荷の到着日を確かめながら、住民たちへ仕事を割り振っていたのを覚えている。山道が使えなくなる前に必要な物を集めるのは、あの土地では毎年の仕事だった。
その後、ガルドの買い物に付き合い、俺たちも干した果実や保存の利くパンを少し買った。
職人街に近い店で手入れ用の油を見つけたガルドは、店主と値段を確かめながら小瓶を二つ選んでいる。その間、フィアナが隣の菓子屋で足を止めた。
「これ、おいしそう」
店先には薄く焼いた生地を重ねた菓子が並んでいた。中に砕いた木の実が入っているらしく、焼きたての香ばしい匂いが漂っている。
フィアナが眺めていると、店主が試食用に割った小さな欠片を差し出してくれた。
「……おいしい」
彼女は一口食べると、隣のリーネにも分けた。
「ほんとだ。甘いけど、木の実の味もするね」
「アレンも食べる?」
差し出された欠片を受け取り、口に入れる。生地には思ったより歯応えがあり、木の実の香ばしさと控えめな甘さがよく合っていた。
「いいな。これなら旅にも持っていけそうだ」
「日持ちするらしいよ。いくつか買っていこうかな」
フィアナが店主に尋ねると、湿気を避ければ数日は持つという。彼女はリーネと相談しながら包みを選び、俺にも一つ持たせてくれた。
買い物を終えたガルドが戻ってくると、フィアナは早速、包みを開いて菓子を一つ差し出した。
「ガルドも食べる?」
「おう、もらうか」
一口で半分ほど食べたガルドは、残りを眺めて頷いた。
「うまいな。オスカーの分も買ったのか?」
「うん。セレナの分もあるよ」
「そうか。あいつらも喜ぶだろうな」
フィアナは満足そうに包みを鞄へしまった。
帰り道、市場の出口では警備兵が荷車の行き先を確認していた。大きな荷を積んだ車が順番を待っており、通りの端では御者が帳面を持った兵士へ行き先を伝えている。
同行していた警備兵によると、街道の警備や護衛の手配を調整するため、主要な輸送便について確認を増やしているのだという。
まだ普段と同じように荷車は行き交っているが、行き先を確かめる人々の表情には、少し慎重さが増しているように見えた。
俺たちはそのまま宿へ戻り、昼食を取ることにした。
*
昼食を終えた頃、ヴァレクが宿を訪ねてきた。
メイラも一緒だった。二人とも外套には道の埃が残っており、午前中は市街の各所を回っていたらしい。
「皆、宿にいるか」
「ああ。セレナも戻ってる。オスカーは?」
「居館での用件は終わった。こちらへ向かっているはずだ」
ヴァレクは宿の主人に二階の小部屋を借り、先に地図や書類を運び込んだ。
ほどなくオスカーも戻ってきたので、俺たちは揃って小部屋へ向かった。メイラが卓上に北方各地の道路と氏族の領域を示した地図を広げ、全員が席に着くと、ヴァレクが口を開いた。
「評議会の後、近隣の氏族から返答が入り始めた」
彼が示したのは、盟都の周辺に位置する二つの氏族だった。
「離反を宣言した四氏族に加え、反対票を投じていたこの二氏族がカシュラへの合流を決めた。代表が帰還した後、氏族内で協議して使者を出してきたそうだ」
「もう二つ増えたのか」
ガルドが眉を寄せた。
「ああ。遠方の氏族については、まだ帰着していない代表もいる。正式な意思を確認できたのは、今のところその二氏族までだ」
評議会で反対票を投じた代表は二十一人いた。ゼインを含む四人がその場で離反を宣言したが、残る者たちの判断はそれぞれの氏族へ持ち帰られている。
「その二氏族は、兵もカシュラへ出すつもりなのか?」
オスカーが尋ねた。
「そこまでは確認できていない。ただ、評議会より前から、一部の氏族で戦士団の配置替えや物資の集積が進んでいたという報告はある」
「ゼインが盟都に来てる間も、向こうじゃ準備を進めてたってわけか」
ガルドが言った。
「そうだ。その動きをまとめている者がいる」
ヴァレクは北方内陸の一角を示した。
「ベルガン・ラウド。カシュラの主力軍を指揮している男だ」
「ベルガンか」
オスカーが低く呟いた。
「知ってるのか?」
ガルドが顔を向ける。
「名前はな。直接やり合ったことはねえが、カシュラに腕の立つ指揮官がいるって話は聞いたことがある」
「王国の冒険者等級に当てはめれば、黒鋼級に相当すると見られている」
ヴァレクの言葉に、ガルドの表情が険しくなった。
「そいつが主力をまとめてるのか。厄介だな」
「ああ。戦士団を率いてきた経験も長い。ゼインが別の場所で行動していても、軍の配置や防衛線の構築を進められる」
オスカーは地図を見ながら腕を組んだ。
「ベルガンが戦線を支えて、ゼインが自由に動き回れるとなりゃ、面倒な組み合わせだぜ」
「その可能性も考えている。ただし、現時点で主力軍がどこに集まっているのかは、まだ確認できていない」
オスカーはそれ以上問いかけず、示された地図へ視線を戻した。
ゼインと剣を交えた時のことが頭をよぎった。あの男が味方の守りを突破してくる速さは、身をもって知っている。その動きを軍全体でどう抑えるか考えるだけでも厄介なのに、カシュラには主力を統率できる指揮官までいるらしい。
「盟主側も、各氏族へ備えを求めてるのか?」
ガルドが尋ねた。
「評議会を開く前から、協力できる氏族の守備状況を確かめていた。メイラが各地を回っていたのもそのためだ」
ヴァレクの言葉を受け、メイラが地図の上へ手を伸ばした。
「離反する氏族が増えれば、その周辺の守備も見直さなければなりません。協力すると答えていた氏族でも、隣接する土地で衝突が起きそうなら、自領の戦士を外へ出す余裕はなくなるでしょう」
「兵を集めるだけでも難しくなりそうだな」
「ええ。各地で守りを固める必要がありますから、こちらも食料や装備の備蓄を確認しています。必要な場所へ支援を回せるよう、輸送に使える道や宿場の状況も調べているところです」
メイラは続けて、南側の街道を示した。
「ラウネへの支援物資は、第一便が途中の宿場まで進んでいます。現地にも、送った物資の内容を知らせてありますよ」
リーネが身を乗り出した。
「到着まで、あとどのくらいかかりそうですか?」
「正確な日数はまだ分かりませんが、予定より大きく遅れてはいません。今のところ南側の道では、護衛からも問題の報告は上がっていません」
「ありがとうございます。父さんから返事が来たら、受け入れのことも確認してみます」
「そうしてください。必要なものがあれば、追加の便に回せるか調整します」
リーネは表情を緩め、手元の地図へ目を落とした。
ラウネでカシュラの部隊が迫ってきた時には、グレンが防柵の内側へ戦士を下げ、ヴァルドは住民の避難と施設の確認に人を割いていた。治療所ではフィアナと現地の治療師たちが負傷者に対応し、手当てに必要な物を運ぶ者たちも忙しく動いていた。
あの集落での仕事を思い出していると、ヴァレクが別の報告について話し始めた。
「兵の動きについては、ハインツからも報告が入る見込みだ」
「ハインツ?」
「ハインツ・セーゲル。北方内陸の情勢を調べている使徒だ。各氏族の動きや、カシュラ側の物資の集積について情報を集めている」
「今も向こうにいるのか?」
「ああ。帰還の指示は出してあるが、戻るまでにはまだ日数がかかる。詳しい配置については、その報告を待って確認することになるだろう」
ヴァレクはそこまで話すと、メイラとともに書類をまとめ始めた。
「当面は盟都に留まってくれ。各地の情勢が落ち着くまでは、外出時の護衛も続ける」
「分かった」
「ラウネからの返事が届いたら、こちらから知らせます」
メイラがリーネへ声をかけると、彼女は礼を言って頭を下げた。
二人を見送った後、ガルドとオスカーは地図で示された地域について少し話していた。具体的な部隊の配置が分からない以上、今すぐ対策を決めることは難しいらしい。
俺も話を聞いていたが、途中でセレナが立ち上がったのを見て、一緒に部屋を出ることにした。
史料庫から借りてきた記録を、夕食までにもう少し確かめたいという。ガルドたちは装備の手入れをすると言っていたので、俺は自分の剣の状態だけ確かめ、あとは部屋で休むことにした。
*
夕方、宿の食堂へ下りると、厨房から煮込み料理の匂いが漂っていた。
奥の席では数人の商人が明日の出発について相談しており、帳場では宿の主人が御者の手配について客から質問を受けている。評議会のために滞在していた者たちが減ったせいか、食堂には空いた席が目立つようになっていた。
俺たちは窓際の長机へ腰を下ろした。
オスカーは運ばれてきた煮込み料理を早速大きな皿へ取り分け、ガルドはその隣で酒の入った杯を傾けている。セレナも史料庫での調査を終え、今日は持ち帰った書類を広げずに食事を取っていた。
「そういえば、これ」
フィアナが昼間に買った焼き菓子の包みを取り出した。
「市場で見つけたんだ。セレナにも食べてもらおうと思って」
「あら、ありがとう」
セレナは小さく割って口に入れ、木の実の入った生地をゆっくり噛んだ。
「おいしいわね。甘すぎないのもいいわ」
「でしょ? アレンも気に入ってたんだよ」
「旅にも持っていけそうだったからな。何日か保存できるらしい」
「それなら、今度史料庫へ行く時にも持っていこうかしら。調べものをしていると、食事の時間を忘れそうになることがあるもの」
フィアナは笑いながら、オスカーの方にも包みを回した。
彼は礼を言って一つ取り、しばらく眺めてから口へ運ぶと、気に入ったらしくもう一つ手を伸ばしていた。
その横で、リーネが小さな手帳を開いた。
「何を書いてるんだ?」
「ラウネに確認したいこと。父さんから返事が来たら、聞き忘れないようにしておこうと思って」
手帳には、防柵の修理、施設の見張り、支援物資の受け入れなど、いくつかの項目が並んでいた。朝から気にしていたことを、具体的に整理しているらしい。
「グレンの怪我も心配だし、治療所の人たちの様子も聞いておきたいんだ」
「それなら、薬や包帯がどれだけ残っているかも確認したいな」
フィアナがリーネの手帳を覗き込んだ。
「支援で届くものが分かれば、足りない分も考えやすいと思う」
「うん。書いておくね」
リーネは一行書き加えたところで、ふと顔を上げた。
「父さんも忙しいだろうし、全部聞くのは大変かな」
「向こうからの報告を読めば分かることもあるだろ。届いた内容を確かめてからでも遅くない」
「そうだね。まずは返事を待とうかな」
リーネは手帳を閉じ、残っていた料理へ手を伸ばした。
俺たちがラウネを離れてからも、現地では毎日の仕事が続いている。ヴァルドやグレンがどこまで修理を進めたのか、施設の見張りに何人を割いているのかも、今の俺たちには分からなかった。
戻って手伝えることもあるだろうが、まずは向こうの状況を確かめる必要がある。ラウネからの報告が届いたら、リーネとも相談するつもりだった。
食事を終える頃、帳場から宿の主人が戻ってきた。
明日の早朝に出発する客がいるらしく、厨房の者へ朝食の用意を頼んでいる。奥の席では商人が御者へ集合時間を伝え、外へ出た若い男が荷車の様子を確かめに行った。
その声を聞いたリーネが、もう一度手帳を開いた。
「そうだ。次のラウネ行きの便がいつ出るか、メイラにも聞いてみようかな」
「何か追加で送るのか?」
「まだ決めてないけど、手配に時間がかかるなら、予定だけでも知っておいた方がいいと思って」
「そうだな。先に聞いておけば、必要なものが分かった時に動きやすいだろ」
「うん。明日、連絡してみる」
リーネは手帳へ書き加え、ようやく満足したように閉じた。
その向かいでは、フィアナが残った菓子を皿へ並べ直している。セレナはもう一つ取ろうか迷っていたようだが、勧められて小さなものを選んだ。
俺も一つ受け取り、温くなった茶と一緒に口へ運んだ。
厨房では明日の朝食の仕込みが始まり、通りからは荷車を片づける音が聞こえてくる。リーネは手帳を鞄へしまうと、フィアナが差し出した最後の焼き菓子を受け取り、残っていた茶と一緒に食べ始めた。




