第124話 カシュラの男(1/3)
翌朝、宿の主人からヴァレクの伝言を受け取った。
王都への照会文についてイシュラが内容を確認したらしく、昼前に居館へ来てほしいという。俺はフィアナ、セレナと一緒に高台へ向かった。
会議室にはすでにリーネが来ており、机には照会文とラウネ周辺の地図が広げられていた。
「来てくれたか。まず王都への書簡から片づけよう」
イシュラに促されて席に着くと、セレナが昨日の下書きを取り出した。
「王都地下で設備の変化を確認した日時と、調査隊が報告した日時を調べてもらうのだな」
「はい。神託の記録と照らし合わせたいのですが、こちらの資料では確認時期に曖昧な部分が残っています」
「照会は進めてくれ。ただし、北方の封鎖地点や設備の操作に関する情報は、まだ伏せておいてほしい」
セレナが文面を整えると、イシュラは最後まで目を通し、ヴァレクへ渡した。
「正式な書簡として送ってくれ。国境での引き継ぎ先も確認しておいてほしい」
「今日の便に間に合わせる」
ヴァレクは書簡を受け取り、ほかの書類と分けて収めた。返事を得るまでには時間がかかるだろうが、王都側でしか確認できない記録について、ようやく問い合わせられることになった。
続いてラウネへの支援について確認すると、補修用の工具や固定具、医療品を積んだ一団が翌朝出発すると知らされた。石材は現地での調達も進めており、警備の交代要員についてはヴァルドと相談して決めるらしい。
「父も助かると思います。施設へ向かう道は、まだ安全に通れる状態じゃないので」
リーネが地図を見つめながら言った。
ラウネでは防柵や家屋の修復が続き、施設の監視にも人手を取られている。支援物資が届くまでには何日か必要だが、まずは補修を進める目処が立った。
「評議会での報告も確認した。ヴァルドから預かった書状と、お前がまとめた記録を持参してくれ」
「はい。施設の封鎖を決めた経緯も、父から聞いた内容を整理してあります」
「頼む。カシュラ側にも、部隊を動かした理由を説明してもらうつもりだ」
その時、扉が叩かれた。
入ってきた職員はヴァレクに一通の書状を渡し、差出人を確かめたヴァレクが、そのままイシュラへ差し出した。
「カシュラからだ」
イシュラが書状を開くと、リーネが膝の上で手を握った。
「……ゼイン本人が出席するそうだ。すでにこちらへ向かっている。到着は三日後の予定だな」
「本人が来るんですか?」
「ああ。随員の人数も知らせてきた」
ヴァレクが書状を受け取り、ほかの氏族の到着予定と照らし合わせた。
「これで日取りを確定できる。ゼインの一行にも、安全通行の約束どおり宿泊先と警備を用意しよう」
「頼む。各代表への通知も進めてくれ」
イシュラはそう指示してから、リーネへ目を向けた。
「あの男は、こちらの用意した順番どおりに話すとは限らん。必要な記録はすぐに出せるようにしておいてほしい」
「分かりました」
リーネは背筋を伸ばし、父の書状を抱え直した。
会議を終えて居館を出た後も、彼女は少し考え込んでいたが、高台を下りる途中で俺たちに声をかけてきた。
「……本当にゼインが来るんだね」
「ああ。イシュラ様も、本人が来る可能性はあるって言ってたけどな」
「うん。父さんが任せてくれたんだから、ちゃんと話さなきゃ」
リーネは書状を確かめ、俺とフィアナへ向き直った。
「二人がラウネで見たことも、必要になったら聞かせてね」
「もちろん。俺が見たことなら説明できる」
「私も、治療した人たちのことなら話せるから」
「ありがとう」
リーネは頷き、再び坂を下り始めた。
◇
その日の午後、王都への照会文が正式な伝令に預けられ、翌朝にはラウネへの支援物資を積んだ一団が盟都を出発した。
山道の途中からは荷を分けて運ぶ必要があるため、到着までにはまだ日数がかかる。その間にも諸族の代表たちが次々と盟都へ到着し、宿の食堂には見慣れない衣装の一行が顔を見せるようになった。
セレナは史料庫で調査を続けていたが、探している古代文字の原資料については、まだ知らせがなかった。
三日後の昼過ぎ、ヴァレクから呼び出しを受けた。
カシュラの一行が盟都へ入ったという。
リーネが居館での確認を求められ、俺たちも同行を認められた。ガルドとオスカーは宿に残るつもりだったが、到着した相手の名を聞くと、オスカーが立ち上がった。
「ゼイン・カシュラか。俺も顔くらいは見ておきたいな」
「知っているんですか?」
「名前は何度も聞いた。北方じゃ相当な腕らしい」
ガルドも頷いた。
「ラウネを襲った連中の頭だろ。俺もどんな野郎か見ておきてえ」
結局、俺たちは揃って高台へ向かうことになった。
◇
居館の前庭には警備兵と案内役の職員が集まり、門から玄関へ続く通路にも普段より多くの兵が配置されていた。
イシュラは石段の前に立ち、ヴァレクが到着した随員の人数を確かめている。俺たちは少し離れた場所で待つよう案内され、リーネを中心にまとまって立った。
やがて、門の向こうから一団が入ってきた。
先頭の男は随員と何か話しながら、周囲の兵たちを見回していた。褐色の肌に長く尖った耳を持つダークエルフで、肩や腕には鍛えられた厚みがある。上等な防具を身につけているが、飾り立てたところはなく、歩くたびに腰の武器が揺れていた。
男が足を止めると、後ろの戦士たちも自然に歩みを止めた。
「イシュラ。久しぶりだな」
男は片手を上げ、旧知の相手にでも会ったような気軽さで声をかけた。
「大層な出迎えじゃねえか。俺がそんなに怖いか?」
「招いた以上、相応の出迎えはする。長旅だっただろう、ゼイン」
「この程度の道で音を上げるかよ。もっとも、お前のところの道はもう少し何とかした方がいいな」
ゼインは笑い、後ろの随員へ振り返った。
「荷を運べ。馬には十分水を飲ませろ。宿の場所は向こうの連中に聞け」
随員が返事をすると、ゼインはその肩を軽く叩いた。
「道中ご苦労だったな。世話が済んだらお前らも休め。今夜まで働かせる気はねえ」
部下たちは慣れた様子で動き始めた。残った数人がゼインの後ろに控えたところで、ヴァレクが前へ出る。
「宿泊先は確保してある。評議会の会場へ入る際は武装を預けてもらう。警備上の指示にも従ってくれ」
「承知してる。何度も言わせるな」
ゼインは面倒そうに片手を振った。
「もっとも、武器を預かったところで俺を止められると思ってるなら、随分とおめでたい話だがな」
「会場の決まりは守ってもらう。それだけだ」
「相変わらず堅物だな、お前は」
ゼインは鼻で笑い、イシュラへ向き直った。
「で、いつ始める? こっちも暇じゃねえ。呼びつけた以上、何日も待たせるなよ」
「評議会は二日後だ。各代表にも通知してある」
「なら構わん。俺も言いたいことが山ほどある」
ゼインは笑ったまま、俺たちの方へ目を向けた。
最初に視線が止まったのはリーネだった。
「……お前がヴァルドの娘か」
リーネの肩がわずかに動いた。
「リーネ・ハルヴァです。父の代理として、評議会へ出席します」
「ヴァルドの奴、娘を寄越して自分は村に引きこもりか?」
「村の復旧と警備が続いていますから」
「そりゃ大変だな。派手にやられたらしいじゃねえか」
その言い方に、リーネの表情が硬くなった。
「……カシュラの部隊に襲われたからです」
「知ってる。俺が送った部隊だからな」
ゼインは平然と答えた。
「こっちも何人か死んだ。ヴァルドの戦士どもも、ただの腰抜けじゃなかったってことだ」
「村には、戦士じゃない人たちもいたんです」
「だから最初から施設を渡せと言ったんだ。従ってりゃ余計な血を流さずに済んだものを、抵抗したのはそっちだろうが」
「父は危険だと分かったから、施設の封鎖を決めたんです。あなたたちは、それを壊そうとした」
「危険なのは承知してる」
ゼインは即座に言った。
「だからこそ価値がある。あれだけのものを見つけておきながら、少し手に負えなくなった途端に蓋をする。ヴァルドも随分と臆病になったもんだ」
「……実際に何人も亡くなったんです。施設から出てきたものに襲われて、村でも戦いが起きて……」
「聞いてる。何度も言わなくていい」
ゼインの声が低くなった。
「怪我人や死人が出たから諦めるってんなら、剣も弓も捨てちまえ。あの施設で何ができるか、ろくに調べもしないで逃げ出す気か?」
リーネはすぐには答えなかった。父の書状を持つ手に、力が入っている。
俺は地下で見たものを思い出していた。統制体に追い詰められ、足場が崩れ、リーネとともに下層へ落ちた時のことだ。
「……俺も、あの施設へ入りました」
声をかけると、ゼインがこちらを見た。
「ほう?」
「アレン・クロイツです。ラウネでの戦闘にも加わりました」
「クロイツ……ああ、王国から来た冒険者か。報告にあったな」
ゼインの視線が、俺の顔から腰の剣へ移った。
「お前も地下へ入ったんだな。で、何か使えるものは見つかったか?」
「設備はいくつか見ました。ただ、扱い方は分かりませんでした。あの施設には、人を襲うものも残っています」
「それで?」
「封鎖が破られたことで、危険なものが地上へ出てきたんです。調査を続けるにしても、周囲への被害を抑える必要があります」
ゼインはしばらく俺を眺めていた。
「……ふん。言ってることは分からんでもない。だが、使い方が分からねえなら調べろ。襲ってくるなら抑え込め。お前らが失敗したからって、ほかの連中まで何もできねえと決めつけるな」
「そのために、また村の人たちを危険にさらすんですか」
「守りを固めて人を揃えりゃいい。ヴァルドにその度胸がねえなら、俺が引き受けてやる」
ゼインはそれ以上俺に構わず、イシュラへ顔を向けた。
「そういや、お前は王国に面白い話を持ちかけてるそうじゃねえか」
「正式和平に向けた協議なら、以前から各氏族へ知らせている」
「とぼけるな。それだけじゃねえだろ」
ゼインは口元を吊り上げた。
「古代施設を使おうとする連中が現れたら、王国と協力して対処する。そんな話も進めてるそうじゃねえか」
「ああ。王国からは、情報交換に応じるという返答が来ている」
「はっ、随分と話が早いな」
ゼインは俺たちへ視線を走らせ、再びイシュラを見た。
「で、俺がラウネの施設を調べると言ったらどうする?」
イシュラは答えを急がなかった。
「お前が部隊を送り、ハルヴァの封鎖を妨げたことは、評議会で説明してもらう」
「そんなことは分かってる。俺が聞いてるのはその先だ」
ゼインは一歩前へ出た。
「俺がやめねえと言ったら、王国の兵を呼ぶのか? カシュラまで攻め込ませるつもりか?」
門の近くにいた警備兵が、こちらへ顔を向けた。
「王国軍の越境も、共同での軍事行動も認めていない。勝手な憶測で話を進めるな、ゼイン」
「今は、だろ?」
ゼインは笑みを深めた。
「古代施設を使う連中は危険だから、人間どもと手を組んで止める。なるほど、聞こえはいい。だが、北方の氏族がその相手になったらどうするんだ?」
ゼインは周囲を見回した。警備兵たちにまで聞かせようとしているのが分かった。
「自分たちの土地で見つけたものを調べたら、王国の軍隊が乗り込んでくる。そんな真似を許すつもりなら、先に俺たちへ説明すべきじゃねえのか?」
「そのような約束はしていない」
イシュラの声は落ち着いていた。
「王国との協議内容は評議会で報告する。疑問があるなら、その場で尋ねてくれ。だが、ハルヴァへの武力介入を正当化できると思うな」
「ははっ。いいだろう。だったら全員の前で聞かせてもらう」
ゼインは満足そうに頷いた。
「王国を信用できねえって氏族はいくらでもいるぞ。お前が書簡を交わして安心したところで、国境近くの連中が剣を捨てられるわけじゃねえ。連中が俺のところへ相談に来る理由を、少しは考えろ」
俺も、交易集落で聞いた話を思い出した。和平を歓迎する者がいる一方で、王国との戦争が再び起きることを恐れている人々もいた。
ゼインはその不安をよく知っているのだろう。だからこそ、イシュラが王国と進めている協議を持ち出した。ここで自分が批判される立場にいることさえ、攻撃の材料に変えている。
「評議会で話し合おう」
イシュラが答えた。
「各氏族が求める安全について、私も説明する。お前にはラウネへ部隊を送った責任を問う。必要な記録は揃えてある」
「望むところだ。こっちにも言い分はある。くだらん建前で済ませようとするなら、容赦なく引きずり出してやるからな」
ゼインは鼻で笑い、ようやく一歩下がった。
その視線が、俺たちの横に立つオスカーで止まる。
「……おい。あんた、もしかして『断岳』か?」
オスカーが片眉を上げた。
「ああ。オスカー・ベルンだ」
「やっぱりな」
ゼインの顔に、先ほどまでとは違う笑みが浮かんだ。
「王国の黒鋼級が来てるって聞いていたが、本当にいやがったか。随分でかい得物を担いでるじゃねえか」
「お前の名前も聞いてるぜ。北方じゃ相当な腕らしいな」
「はっ。ようやく分かる奴が出てきたか」
ゼインはオスカーの背負った戦斧を眺め、それから彼の顔へ視線を戻した。
「ちょうどいい。一度やってみたかったんだよ、黒鋼級って奴と」
そう言って、ゼインはオスカーの方へ数歩進んだ。
背後の護衛が動きかけたが、ゼインが片手を上げると、その場で足を止めた。
「なあ、オスカー。どうだ?」
「何がだ?」
「分かってるだろうが」
ゼインは獰猛な笑みを浮かべた。
「俺と一度やり合ってみねえか。今ここでも構わんぞ」
オスカーはゼインを見つめ、それからゆっくり息を吐いた。
「……面白そうな話だな」
「だろう? だったら来い」
「だが、今はやらねえ。こっちは護衛も兼ねて来てるんでな」
「ははっ! 黒鋼級でも仕事の方が大事か」
ゼインは笑ったが、離れようとはしなかった。
「俺はいつでも構わん。あんたがその斧を振るところ、一度見てえんだ」
そして、まるで散歩にでも誘うように片手を広げた。
「ほら、来いよ」
俺は思わず二人の間を見た。
距離は数歩しかない。オスカーが戦斧を抜けば十分に届く間合いだが、ゼインは腰の武器へ手をかけず、足の位置さえ変えようとしなかった。
「誘う相手を間違えたな。俺は仕事を投げ出してまで腕試しをする趣味はねえ」
「そうか。なら、仕事が済んだらどうだ?」
「お前こそ、わざわざ評議会に来たんだろ。まずはそっちを済ませろよ」
ゼインは一瞬目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「ははっ! 気に入ったぜ、断岳。あんた、ただの腕自慢じゃなさそうだ」
オスカーは口元を緩めたものの、背負った戦斧へ手を伸ばすことはなかった。
「ゼイン。客人を試すために招いたのではないぞ」
イシュラが声をかけると、ゼインは肩をすくめた。
「何だ、少しくらいいいだろうが。まだ剣も抜いちゃいねえ」
「ここでは控えてくれ」
「ちっ、堅い奴らだな」
ゼインは舌打ちしたが、それ以上は迫らず、オスカーから数歩離れた。
「まあいい。あんたとは、いずれ機会もあるだろう」
オスカーは返事をせず、ゼインの動きを見ていた。
すると、ゼインが何かを思い出したようにイシュラへ向き直る。
「そういや、そこの王国の連中も評議会に出すのか?」
「必要な時には、ラウネでの調査と戦闘について証言してもらう」
「ほう。せっかく連れてきたんだ。俺も話を聞いてやるとするか」
ゼインは改めて俺たちを見回し、フィアナのところで視線を止めた。
「そっちの娘は神殿の者か?」
「フィアナです。王国の聖女を務めています」
「聖女だと?」
ゼインは目を細め、フィアナを上から下まで眺めた。
「はっ、聖女様までご同行か。王国も随分と気前がいいな」
「私たちは、ラウネで傷ついた人たちを助けるために来ました」
「そうか。なら、しばらく北方に居座っても仕事には困らねえだろうな」
フィアナが眉を寄せた。
「……これからも、争いを続けるつもりなんですか?」
「当然だ」
ゼインは即答した。
「王国との和平なんぞ認めるか。奴らが次の戦争に備えてる間、こっちだけ剣を収めてどうする」
「でも、戦えばまた多くの人が傷つきます。北方の人たちだって……」
「分かりきったことを言うな」
ゼインの笑みが薄れた。
「だから次にやるなら徹底的に潰す。王国軍を一度叩いたところで、何年かすればまた兵が湧いてくる。武器を造る町も、食料を送る村も残ってるからな」
「……そこには、戦っていない人たちも暮らしているんですよ」
「知るか」
ゼインは吐き捨てた。
「そいつらが次の兵を育てるんだろうが」
フィアナが言葉を失った。
その反応を見ても、ゼインは少しも言い過ぎたとは思っていないようだった。
「……子供だっているんですよ」
フィアナが言った。
「子供はいつまでも子供じゃねえだろ」
その返事に、俺は男の顔を見返した。
「……子供も殺すつもりだと言ってるんですか」
「何だ。そこまで言わねえと分からんのか?」
「答えてください」
「そうだ」
ゼインは即座に答えた。
「生き残った連中が次の兵になる。そいつらが大きくなって、また俺たちの土地へ攻め込んでくる。何十年も同じことを繰り返すくらいなら、今度こそ根こそぎ叩き潰す」
背後に控えていた随員の一人が、わずかに顔を上げた。
ゼインはその反応にも構わず続ける。
「お前ら人間が何を喚こうが知ったことか。俺は北方の連中に、二度と同じ戦争をさせる気はねえんだ」
俺は唇を結んだ。
戦争で敵の補給を断ち、軍を再建する力を奪う。そうした考え方は前世の世界にもあった。だが、ゼインは戦う力を持たない子供まで殺すと明言した。
「……私は、そんな考えには賛成できません」
フィアナの声は震えていたが、ゼインから目を逸らさなかった。
「はっ。誰がお前の賛成なんぞ求めた?」
ゼインは鼻で笑った。
「人間の聖女が何を言おうと、俺の知ったことじゃねえ。お前らの許しがなけりゃ戦争もできねえとでも思ってるのか?」
「……そういうことを言っているんじゃありません」
「なら、くだらん説教はやめろ。俺はお前に教えを請いに来たわけじゃねえんだ」
俺は思わず一歩前へ出かけたが、フィアナが隣で顔を上げたので、その場に留まった。
「ゼイン」
イシュラの声に、男が振り返る。
「客人への挑発はそこまでだ。お前の考えは十分に聞いた」
「何だ、もう終わりか? まだ話したいことは山ほどあるんだがな」
「評議会で聞こう。お前にも発言の機会は設けてある」
「……ふん。だったら、そこで全部聞かせてやる」
ゼインはイシュラを見据えた。
「俺がどこまでやるつもりなのか、各氏族にも聞いてもらおうじゃねえか。お前の和平に尻尾を振る連中ばかりじゃねえってことも、嫌というほど分かるだろうぜ」
「各氏族の判断を聞くために、評議会を開くのだ」
「なら結構だ。せいぜい退屈させるなよ」
ゼインは満足そうに頷き、ヴァレクへ顔を向けた。
「おい、宿はどっちだ。喉が渇いた。いい加減、案内しろ」
「こちらだ」
ヴァレクが案内役へ合図すると、ゼインは随員を連れて歩き始めた。
途中で一度だけ振り返り、オスカーへ声をかける。
「断岳! 気が変わったらいつでも来い。相手をしてやる」
「おう。覚えとくぜ」
オスカーが答えると、ゼインは不敵に笑い、そのまま前庭を去っていった。
しばらくして、ガルドが低い声で呟いた。
「……とんでもねえ野郎だな」
「ああ」
俺もゼインが去った方を見ていた。
ラウネへの攻撃について責任を問われても、彼は一度も言い訳をしなかった。それどころか、イシュラが王国と進めている協議を持ち出し、周囲の警備兵に聞こえる声で疑念を煽っていた。
評議会に集まった氏族の中にも、同じ話を聞いて不安を抱く者はいるだろう。
「……腕は確かなんでしょうか」
俺が尋ねると、オスカーは少し考えた。
「実際にやってねえから分からん。ただ、俺の間合いに入ってもまるで気にしてなかったな」
「それだけ自信があるってことでしょうか」
「さあな。だが、ああいう奴は厄介だぜ」
オスカーはそう言って、ゼインが去った方向から目を戻した。
隣では、リーネが父の書状を握り締めていた。
「……リーネ」
声をかけると、彼女は顔を上げた。
「大丈夫。ちょっと、腹が立ってるだけ」
無理に笑おうとはしなかった。
「あの人、村で亡くなった人たちのこと、本当に何とも思ってないみたいだった」
「……ああ」
「それに、施設を使えば何が起きるか分からないのに、まだ調べるつもりなんだね」
リーネは書状を抱え直した。
「評議会では、ちゃんと話すよ。父さんが何を見て、どうして封鎖を決めたのか。あの人が聞きたくなくても、聞いてもらう」
「俺も、必要なら証言する」
「ありがとう、アレン」
イシュラが俺たちの方へ歩いてきた。
「皆、今日はすまなかったな。客人を迎える場で、あそこまで挑発するとはな」
「……イシュラ様。あの人は、本当に王国を滅ぼすつもりなんですか?」
フィアナが尋ねた。
イシュラはしばらく彼女を見ていたが、やがて頷いた。
「あの男は、自分の望みを簡単には曲げん。私は長い間、考えを改めるよう話してきたが、今日聞いたとおりだ」
フィアナは小さく頷いた。
「ゼインを支持する氏族の中には、王国との和平に不安を感じている者もいれば、連合の決め方に不満を持つ者もいる。あの男は、そうした声を拾って味方につけるのがうまい」
ヴァレクが口を開いた。
「共同対処についても、評議会で問いただすつもりだろう。各氏族へ示せる資料を準備しておく」
「ああ。頼む」
イシュラは頷き、リーネへ向き直った。
「お前も今日は辛かっただろう。評議会ではラウネの被害と、封鎖を決めた経緯を順に説明してほしい」
「はい。父から預かった記録も持っていきます」
「アレンたちにも、必要な時には証言を頼む」
「分かりました」
イシュラに礼を言い、俺たちは居館を出た。
高台から見下ろす盟都では、夕方の市場へ向かう人々が行き交っていた。荷車が通り、露店の店主が客を呼び込み、子供たちが通りの端を走っている。
隣を歩いていたフィアナも、その子供たちを見ていた。
「……アレン」
「ん?」
「私、あの人の言ってること、どうしても受け入れられない」
「ああ。俺もだ」
フィアナは頷き、しばらく黙って歩いた。
先を行くリーネは、父の書状を抱え直していた。ガルドが隣へ並び、評議会で必要な記録について尋ねると、彼女は足を緩めて答え始めた。
俺も歩調を合わせながら、ラウネの地下で見たものを思い返した。
ゼインは評議会で、古代施設を利用する必要があると主張するだろう。
俺には、あの男に聞いておきたいことがあった。
ラウネで何が起きたのかを承知したうえで、これから誰に、どんな危険を負わせるつもりなのか。
その答えを、今度は各氏族の代表が聞くことになる。




