第122話 自分の言葉で
翌朝、朝食を済ませた俺は、フィアナと一緒に職人街の鍛冶場へ向かった。
市場へ続く通りでは、商人たちが荷車から品物を下ろし、店先へ運び込んでいた。北方の朝は相変わらず冷えるが、空はよく晴れており、建物の間から差し込む日差しが石畳を照らしている。
「新しい剣、楽しみだね」
「ああ。握りの調整がうまくいってればいいんだけどな」
「三本も試して選んだんでしょう?」
「重心は気に入ったんだ。ただ、柄が少し太かったからな」
腰に下げた古い剣は、ルミエルにいた頃から使っているものだった。何度も刃を欠き、そのたびに修理してきたが、ノルヴェインの職人からは、これ以上使い続けるのは危険だと言われている。
鍛冶場へ着くと、店主はすでに作業を始めていた。
「おう、取りに来たか。仕上がってるぞ」
奥の棚から取り出された剣を受け取ると、巻き直された革が手に馴染み、最初に試した時よりも自然に指が収まった。
職人に断って刃を抜き、作業台から離れたところで軽く構えてみる。以前の剣より切っ先は動きやすいが、握りに無理な力は入らず、重心の感覚も悪くなかった。
「……いいですね。これなら使えそうです」
「そいつを見せてもらって柄を合わせたからな。ただ、重さまでは同じにならん。慣れるまでは気をつけろよ」
「分かりました」
手入れについての注意を聞き、新しい剣を腰へ下げた。代金はすでに支払ってある。古い剣を持参した布に包み、店主に礼を言って鍛冶場を出た。
「どうだった?」
店を出たところで、フィアナが尋ねてきた。
「よさそうだ。あとは実際に振ってみないと分からないけどな」
「ガルドにも見てもらう?」
「ああ。ガルドなら、俺が気づかないところも分かるだろうし」
フィアナは頷き、俺が抱えた包みへ目を向けた。
「古い剣は、もう使わないの?」
「もう実戦では使わないよ。危険だって言われてるからな。ただ、長く使ってきた剣だし、手元には残しておきたい」
「そっか。ずっと使ってきた剣だものね」
「ああ。宿へ戻ったら、きちんとしまっておくよ」
市場へ戻る途中、俺たちは紙を扱う店へ立ち寄った。神託の日付と王都地下の異常を並べるために、大きめの紙を何枚か選び、予備のインクと一緒に買って宿へ戻った。
◇
食堂では、セレナが王都から持参した控えと、ノルヴェインの史料庫で書き写した記録を卓に広げていた。
「あら、お帰りなさい。剣はどうだった?」
「ああ。握りもちょうどよかったよ」
「よかったわね。じゃあ、こちらも始めましょうか」
フィアナが買ってきた紙を広げると、セレナは神託を受けた日付を書き込み、その横へ王都の地下で異常が確認された日を並べ始めた。俺も王城での報告や地下調査の順序を思い出しながら、記録をめくっていく。
「フィアナ、最初に複数の光を見たのは、この日で合っているかしら?」
「うん。その次に三つの光を見たのが……こっちだと思う」
フィアナは日付だけでなく、その時に見た光や感じたことも一つずつ確かめていた。ただ、地下の異常については、調査隊が発見した日が分かっても、設備が動き始めた時期まで特定できるわけではない。
「この報告も、確認した日しか書いてないな」
「ええ。王都側に、もっと詳しい観測記録が残っているかもしれないわね。ザビーネに尋ねてみたいところだけれど」
「手紙を送るの?」
「そのつもりよ。ただ、北方で調べた内容をどこまで伝えるかは、イシュラ様に確認してからね」
すぐに答えが得られる距離ではない。まず照会する項目を整理することにして、昼前には必要な記録をひと通り書き出せた。
セレナが筆を置いたところで、俺は声をかけた。
「セレナ。午後、少し時間をもらえるか?」
「ええ。何かしら?」
「みんなに話しておきたいことがあるんだ。ガルドたちにも集まってもらおうと思ってる」
「調査に関係すること?」
「関係はある。ただ、俺自身の話でもあるんだ」
セレナは俺の顔を見たが、それ以上は尋ねなかった。
隣にいたフィアナへ目を向けると、彼女は小さく頷いた。昨夜約束したとおり、今日も一緒にいてくれるつもりなのだろう。
◇
午後、宿の食堂の奥にある小部屋へ七人が集まった。
ヴァレクは盟主側との連絡を済ませ、ガルドとオスカーも外での用事を切り上げてきた。リーネにはフィアナから声をかけてもらい、全員が席に着くのを待ってから口を開いた。
「これまで、ちゃんと話してこなかったことがあるんだ」
「お前自身の話だって聞いたが」
「ああ。古代施設にも関係することだけど、まずは俺のことを聞いてほしい」
ガルドにそう答え、卓を囲む仲間たちの顔を見渡した。
フィアナに初めて打ち明けた時も、何から話せばいいのか迷った覚えがある。昨日の夜には最初の言葉を決めたつもりだったが、実際に皆を前にすると、思った以上に緊張していた。
「……俺には、前世の記憶があるんだ」
すぐに返事はなかった。
ガルドは眉を寄せ、リーネは驚いたように俺を見つめている。ヴァレクも何か言おうとしたが、隣のセレナが先に口を開いた。
「……エドガーと、同じような記憶を持っているということ?」
「ああ。今の人生より前に、別の人生を生きた記憶がある。イシュラ様から見せてもらった英語の手記を読めたのも、そこに書かれていたのが前世で知っていた言葉だったからなんだ」
セレナはすぐには答えなかった。俺の顔と卓の上に置かれた控えを交互に見てから、ゆっくり息を吐く。
「……そういう可能性は考えていたわ」
「気づいてたのか?」
「確信はなかったけれど。エドガーの手記を読んでいる時、あなたにも同じような事情があるんじゃないかと思ったの。ただ……」
セレナはそこで言葉を切った。
「実際に聞くと、何をどう尋ねたらいいのか迷うわね」
俺は頷いた。
「俺も、最初からうまく説明できるとは思ってない。分かる範囲で答えるよ」
その時、ガルドが片手を上げた。
「ちょっと待て。つまり、お前は生まれる前にも別の場所で生きていて、その時のことを今も覚えてるってことか?」
「ああ。家族や友人のことも、暮らしていた場所のこともな」
「……それは、夢とかじゃねえんだな?」
「俺には、そうは思えない。長い間そこで暮らして、いろんな人と関わってきた記憶がある。何より、その時に使っていた言葉を今でも読めるからな」
ガルドは腕を組み、しばらく黙っていた。
「エドガーのことだって、まだ全部飲み込めたわけじゃねえんだぞ。それと同じようなことが、お前にも起きてたって言われてもな……」
言葉を探しているらしく、ガルドは一度口を閉じた。
「悪いな。お前がわざわざこんな嘘をつくとは思ってねえ。だが、正直なところ、まださっぱり想像がつかん」
「分かるよ。俺だって、どうして前の人生を覚えてるのかは説明できないからな」
「そうか」
ガルドはそれだけ言うと、背もたれに体を預けた。
リーネは何度か俺の方を見ていたが、まだ質問をためらっているようだった。ヴァレクもすぐには話し出さず、それぞれが今聞いたことを考えているらしい。
普段なら何か疑問があればすぐに言葉が返ってくる仲間たちだ。こうして黙って待つ時間が、いつもより長く感じられた。
「……一つ、確かめてもいいかしら」
セレナが手元の帳面を閉じた。
「あなたが古代文字を読める理由としては、筋が通ると思うわ。ただ、その記憶がどうしてあるのか、エドガーと本当に同じことが起きたのかまでは、まだ分からないということね」
「ああ。俺にも分からない。手記を読めたことは事実だけど、それ以上のことを証明できるわけじゃないからな」
「そうよね……」
セレナは少し考えてから頷いた。
「そこを混同しないようにしておきたいわ。話してくれたことは、ちゃんと受け止めるつもりよ」
「ありがとう」
もっといろいろ尋ねられると思っていたが、セレナもまだ考えを整理している途中なのだろう。
ヴァレクがフィアナへ向き直った。
「フィアナは知っていたのか?」
「うん。王都にいた時に、アレンから聞いてたの。でも、ほかの人には話さないって約束してたから」
「そうか」
ヴァレクは短く頷き、俺へ目を戻した。
「それなら、今日話すことにしたのはお前自身の判断なんだな」
「ああ。今まで一緒に行動してきたみんなには、話しておきたいと思ったんだ」
「分かった」
彼もそれ以上は追及しなかった。
俺の隣で、フィアナは静かに話を聞いていた。時折こちらへ目を向けるものの、代わりに説明しようとはしない。昨夜、自分で話すと約束したことを思い出し、俺はもう一度仲間たちへ向き直った。
「……アレン、一つ聞いてもいい?」
今度はリーネだった。
「ああ。何だ?」
「ハルヴァの地下で、あの装置と話してたのも……前の人生で知っていた言葉だったから?」
「そうだ。文字も音声も分かった。ただ、あの装置の仕組みまで理解できたわけじゃない」
「……そっか」
リーネは卓へ視線を落とし、しばらく考えていた。
「私、あの時ずっと不思議だったんだ。アレンだけ装置の言うことが分かって、私には何を話してるのかも分からなかったから」
「ああ。ちゃんと説明できなくて悪かったな」
「ううん。あの時に聞いてても、たぶん今より混乱してたと思う」
そう言って少し笑ったが、すぐに別の質問が続いた。
「前の人生のことって、全部覚えてるの?」
「全部じゃないな。今の人生でも、子供の頃のことを何もかも覚えてるわけじゃないだろ? それと同じだ」
「じゃあ、前の人生では何をしてたの? 冒険者だったわけじゃないんでしょう?」
「仕事をしてたよ。軍に近い組織で訓練を受けたり、人をまとめたり、必要なものを手配したりすることもあった。こっちとは随分違う暮らしだったけどな」
「……軍に近い組織か」
ガルドは少し考えた。
「巡礼の時も、護衛の持ち場や人の動きをよく見てたな。そういう経験も関係してるのか?」
「多少はあるかもしれない。ただ、前の人生には魔物も魔法もなかったからな。こっちで覚えたことの方が多いと思ってる」
「そうか。まあ、剣の方はこっちで覚えたんだろ?」
「ああ。こっちで初めて扱ったからな」
「なら、今までどおり見てやれるところはありそうだ」
「これからも頼むよ」
ガルドは頷いたが、まだ少し考え込んでいるようだった。
聞かれたことには答えたものの、俺自身にも説明できないことは多い。皆が何を知りたいのか、どこまで納得できるのかも、今すぐ分かることではなかった。
しばらく質問が途切れたところで、セレナが口を開いた。
「アレン。ハルヴァで見つけた文字について、ほかにも気づいたことはある?」
「ああ。リーネと戻る途中に見つけた装備のことで、一つある」
三つ並んだ防護服の近くには、同じ内容が二種類の言葉で記されていた。どちらも前世で知っていた言葉で、外部作業用の防護服だと読み取れたことを話すと、セレナは手元の紙を引き寄せた。
「二種類の言葉が並んでいたのね。王都で確認した表示とは違う特徴だわ」
「ああ。ただ、そこに書かれた用途が分かっただけで、装備そのものの性能までは判断できなかった」
「そこは分けて記録しましょう。あとで、覚えている文字を書き出してもらえるかしら」
「構わない」
リーネも装備が三つ並んでいたことを覚えており、部屋の配置なら説明できると言ってくれた。
セレナは何かを書き始めたが、途中で一度筆を止めた。
「……こうして記録の話をしていると、いつもと変わらない気がするわね」
「俺としても、やることは変わらないからな」
「ええ。ただ、あなたが何を知っているのか、今までとは少し違う聞き方になるかもしれないわ」
「その方が助かる。俺も、知ってることと推測してることは分けて話すよ」
セレナは頷き、書きかけの項目を最後まで記した。
そこで、ヴァレクが俺へ向き直った。
「アレン。その記憶については、イシュラにも伝えるつもりなのか?」
「そこはまだ決めてない。まずは、一緒に行動してきたみんなに話しておきたかったんだ」
「そうか。施設の調査に関わる以上、いずれ説明が必要になるかもしれん。その時は俺にも相談してくれ」
「ああ。頼む」
セレナも、前世の記憶そのものを正式な調査記録に加えることは、扱いが決まるまで控えると言ってくれた。今までに見つかった文字や装備については、確かに確認できたことと、俺の推測を分けて記録しておく。
オスカーはそれまで黙って話を聞いていたが、ここで口を開いた。
「……俺には、前世の記憶がどういうものか分からん」
低い声に、俺は顔を向けた。
「だが、勝手にほかへ話すつもりもない。誰に伝えるかは、お前が決めろ」
「……ありがとう、オスカー」
「礼はいらん。まだ俺にも分からんことだらけだからな」
そう言って、オスカーは腕を組んだ。
その返事を聞いて、少し肩の力が抜けた。聞きたいことが後から出てくるかもしれないが、今ここで無理に答えを出す必要はなさそうだった。
「……ねえ、アレン」
リーネがまた俺へ顔を向けた。
「前の人生でも、山で暮らしてたことはあるの?」
「いや。街で暮らしてた時期が長かったな。ラウネみたいな暮らしは、こっちでもほとんど経験がなかった」
「そうなんだ。じゃあ、ラウネで薪を積んだ時も、あんまり慣れてなかったんだね」
「ああ。あれだけの量を乾かすために積み上げるのは、初めてだったな」
「ふふ。最初の頃は、何度か積み直してたでしょう?」
ラウネで薪を乾かすために積み上げた時のことを思い出した。崩れないようにするには思った以上に気を使う仕事で、途中からリーネに手伝ってもらったのだった。
「そういえば、あの時は随分教わったな」
「うん。まだ教えてないこともたくさんあるよ」
「なら、またラウネへ戻った時に頼む」
「任せて」
リーネは笑ったが、その後も時折、思い出したように俺へ目を向けた。
ヴァレクが時間を確かめ、椅子から立ち上がった。
「そろそろ居館へ戻る。まだ連絡することが残っているからな」
「ああ。時間を取ってくれてありがとう」
「構わん。イシュラへの件は、必要になったら話そう」
ヴァレクに続いてガルドとオスカーも席を立った。
ガルドは扉のところで一度振り返り、俺へ声をかけた。
「アレン。昼の話は、俺もすぐには整理できそうにねえ」
「ああ」
「またそのうち聞かせてくれ。こっちも聞きたいことが出てくるだろうしな」
「いつでも聞いてくれ」
「おう」
ガルドは片手を上げて出ていった。
部屋には俺とフィアナ、セレナ、リーネが残った。
「アレン、お疲れさま」
フィアナが隣から声をかけてきた。
「ああ。思ったより緊張してたみたいだ」
「ふふ。最初、ちょっと顔が硬かったよ」
「そうだったか? ……でも、隣にいてくれて助かった」
フィアナは柔らかく笑った。
「約束したからね」
「ああ。ありがとう」
昨日の夜に話した時と同じ、落ち着いた声だった。
セレナが紙を広げ始めたので、俺も椅子を寄せ、ハルヴァで見つけた表示について記憶を頼りに書き出した。リーネは部屋の様子を説明し、セレナが確かに覚えていることと曖昧な部分を分けて記録していく。
ときおりセレナが俺に確認し直すこともあったが、無理に答えを急がせることはなかった。
そうして作業を続けるうちに、窓から入る光も傾き始めていた。
◇
夕食には、七人が再び食堂の卓を囲んだ。
ヴァレクとリーネはラウネへ送る資材の順番を相談し、セレナも明日は史料庫で今日の記録を照らし合わせるつもりらしい。
運ばれてきた煮込みを食べていると、向かいのガルドが何か言いかけ、少し考えた後で俺の腰へ目を向けた。
「そういや、アレン。新しい剣を受け取ったんだったな」
「ああ。今朝、フィアナと行ってきた」
「どうだ?」
「握りはよくなってた。前の剣より軽いから、少し慣れる必要はありそうだ」
「ほう。なら、明日の朝にでも見せてみろよ。古い方も持ってこい」
「お願いできるか?」
「おう。裏に使えそうな場所があったから、あとで主人に聞いておく」
オスカーも俺の剣へ目を向けた。
「北方の工房で打った剣か。俺も見ておこう」
「ありがとうございます」
「実際の間合いも確かめたいところだな。軽く動かしてみるか」
「はい。お願いします」
オスカーは頷き、再び煮込みに手を伸ばした。
「私も行っていい?」
フィアナが顔を上げた。
「もちろん。朝食の後になると思うけどな」
「うん。楽しみにしてる」
セレナからは翌日の午後に史料庫へ来られるか尋ねられたので、剣を見てもらった後で合流すると答えた。
昼間の話を改めて持ち出す者はいなかった。俺も、しばらくは新しい剣のことや翌日の予定を考えながら食事を続けた。
食事が終わりに近づいた頃、ガルドは席を立ち、宿の主人に声をかけに行った。戻ってきた時には、翌朝なら裏手の空き地を使えると了承を得ていた。
「じゃあ、朝飯の後にな」
「ああ。よろしく」
ガルドは頷いて席へ戻り、オスカーと話し始めた。セレナは資料を片づけるため先に立ち、ヴァレクとリーネは支援物資の相談を続けている。
俺も飲み物を飲み終え、フィアナと空いた食器を厨房へ運んだ。
皆に声をかけ、宿の主人に礼を言って食堂を出ると、フィアナが隣へ並んだ。
「……アレン」
「ん?」
「今日、話せてよかったね」
「ああ。まだみんなも戸惑ってるみたいだけどな」
「うん。でも、聞いてくれたでしょう?」
「そうだな」
フィアナは微笑んだ。
明日になれば、何か新しい疑問を尋ねられるかもしれない。俺も、そのすべてに答えられるとは思っていなかった。
それでも、今日まで言えなかったことを自分の言葉で伝えられたのは、よかったと思う。
階段へ向かいながら、俺は隣を歩くフィアナを見た。
彼女はいつもと変わらない様子で、明日の剣の確認について話し始めた。俺もその話を聞きながら、ガルドに見てもらいたいところをいくつか考えていた。




