↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
128/144

第119話 重なる言葉

 手記の最初の頁には日付があり、その下に数行の文章が続いていた。


『北方へ渡ってから集めた施設の記録を、改めて整理しておくことにした。昔の調査報告には、今では考え直す必要があると思うものも多い。』


 余白には別の日付で加えられた注記があり、何本もの訂正線も引かれている。エドガーは後から得た資料を確かめるたびに、自分の記述を見直していたらしい。


 俺は頁の端を押さえ、続きへ目を移した。


 ◇


「エドガー、まだ起きているの?」


 妻の声に顔を上げると、寝室の扉が半分ほど開いていた。


「もう少し。古い記録を確かめたら休むよ」


「それ、さっきも聞いたわ。明日は朝から評議でしょう?」


「ああ。分かってる。長くはかからないと思う」


「だったらいいけど、無理しないでね」


 妻が寝室へ戻るのを見送り、俺は普段の日記を閉じた。評議で決まったことや封鎖地点からの報告、それに夕食の席で聞いた家の用事も書き留めてある。今日はここまでにするつもりだったが、机の端に積まれた古い調査記録が気になっていた。


 北方へ来てから集めた資料は、今では一度に運べないほどの量になっている。戦士たちの監視日誌、石工による封鎖の作業記録、各氏族から届いた被害報告。最初は施設ごとに分けていたが、今では同じ時期の記録を並べないと分からないことも増えた。


 エレノアと人類圏を旅していた頃、古代施設の異変は各地で相次いで起きていた。人が暮らす場所へ正体不明ものが現れ、軍や冒険者が派遣されても手が足りず、封鎖するだけで精一杯だった土地もある。俺たちが訪ねた先でも、傷ついた人々や、帰る家を失った者たちを見てきた。


 それでも人類圏では、数年のうちに大きな被害が収まっていった。戦いと封鎖の記録は残ったが、各地の施設を長く見張り続ける必要は次第に薄れ、調査に携わった者たちもそれぞれの仕事へ戻っていったようだ。


 北方では、そうはいかなかった。


 一度封じた区画から機械の音が聞こえたり、閉ざしたはずの入口の近くに黒いものが現れたりする。静かになった場所でも監視をやめられず、石材と人員を送り続けなければならなかった。俺が北方へ渡ってからも、そうした報告は絶えず届いていた。


 被害の記録を改めて並べると、現れたものの姿も一様ではなかった。黒い外殻を持つ四足の獣、ひときわ背の高い人型、それより小柄な人型、宙を移動する機械。さらに、どれにも当てはまらない姿や動き方をしたものまで書き残されている。土地ごとに呼び名が違い、同じものを別々に記録している例もあるだろう。それでも、報告に残された姿や動きはあまりに多様だった。


 戦士たちは、倒せる相手には戦いを挑み、勝てないと判断した相手からは人々を退避させた。多くの犠牲を払いながら破壊したものもいる。一方で、追跡中に見失ったものや、姿を確認できないまま封鎖を固めた場所もあった。


 それでも年月とともに、襲撃や目撃の報告は減っていった。各氏族が封鎖を維持し、避難路や見張りの仕組みを整えてきた成果は大きい。ただ、討伐の報告だけで、姿を消したものすべての行方を説明することはできていない。


 活動を停止したのか、どこかへ移動したのか。あるいは、現れた施設の内側へ戻ったものもいたのだろうか。確かめようにも、封鎖を解いて調べるわけにはいかない。


 古い報告をめくっていると、十数年前に訪れた北西の谷のことを思い出した。


 あそこでは、長く停止していた設備が突然動き始めた。監視の戦士たちは誰も内部へ入っていないと証言していたのに、石積みの向こうから機械の音が聞こえ、翌日には隙間から光が漏れた。数日後には警備装置まで活動し、近づいた戦士が負傷している。


 現地の責任者は人の出入りを細かく記録していた。勝手に封鎖を開けた者がいるとは考えにくかったが、奥へ踏み込める状態でもなく、原因を確かめないまま警備を厚くするしかなかった。


 その数年後、遠く離れた氏族から届いた古い報告に、よく似た出来事を見つけた。そちらでも停止していた照明が点き、閉ざされていた扉が開いている。ほかの地域の帳面を調べると、隔壁や環境維持設備が動き出した例も見つかった。


 似た時期に報告されていても、実際に動き始めた日が同じとは限らない。それでも、互いに離れた場所で、誰も触れていない設備が動いたという点は気になった。


 俺は広域地図を開き、該当する地点に印をつけた。若い頃は施設同士を結ぶ地下通路を探したこともあるが、山脈を隔てた場所まで同じようにつながっているとは考えにくい。そこで、物理的な通路を探すことばかり考えていた自分に気づいた。


 通信網があれば、離れた設備同士でも情報をやり取りできる。


 以前写し取った古代の表示を探すと、中央記録への接続に失敗したというものがあった。別の施設には、時刻を同期する相手が見つからないという表示も残っている。これまでは装置ごとの故障として扱っていたが、共通の接続先があったのなら、見方も変わってくる。


 新しい紙を引き寄せたところで、何をどこまで残すべきか迷った。監視や封鎖を引き継ぐための情報は各氏族で共有している。しかし、装置に試した操作まで詳しく記せば、封鎖を解こうとする者にも利用されかねない。俺自身、仕組みの分からない設備を動かし、危険な目に遭ったことがある。


 しばらく考え、普段の日記とは別に英語で記録を残すことにした。この土地で同じ言葉を読める者には、一人も出会っていない。万全な守りにはならなくても、少なくとも誰にでも読み写せるものにはならないだろう。


 最初の数行を書いて読み返すと、施設同士が通信している、と断定していた。通信そのものを確認できたわけではないのに、いつの間にか考えを先へ進めすぎていたらしい。俺はその一文に線を引き、書き直した。


『複数の施設間に通信ネットワークが存在していた可能性がある。現在も接続が維持されているかは不明。』


 その下に、参照した報告と確認できなかった点を書き添える。誰かが調査を引き継ぐのなら、俺の推測を事実として受け取ってほしくはなかった。何を誰に伝えるべきかも、その者が置かれた状況によって違うだろう。


 久しぶりに、こうして英語で文章を書いている。


 施設の表示を読むことは何度もあったが、自分の考えを最初からこの言葉で綴るのはいつ以来だろう。思い出そうとしなくても、言い回しが自然に浮かんでくる。


 寝室の方から、妻が子供に声をかけるのが聞こえた。少しして静かになり、また眠ったらしい。


 北方へ渡った頃には、ここで家庭を築くとは思っていなかった。エレノアを失ってからはなおさらだ。今では妻と子供のいる家へ帰るのが当たり前になっているのに、目の前の文字を見ていると、遠い人生で残してきた家族のことが浮かんできた。


 顔や声の細かなところは、もう思い出せない部分もある。日々の仕事に追われて、何日も考えずに過ごすことだってある。それでも、ふとした時に会いたくなる。


 俺はしばらく筆を持ったままでいた。今の暮らしへの不満ではないし、妻に隠し事をしたいわけでもない。ただ、これを誰にどう話せば伝わるのか、自分にもよく分からなかった。


 気づけば、研究とは関係のないことを頁の余白に書き始めていた。


『ここで妻と子供に出会えたことを、何より大切に思っている。それでも、前の世界の家族に会いたいと思う夜がある。エレノアの声を、もう一度聞きたいと思うこともある。どれも今となっては叶わないが、忘れたくはない。』


 この言葉を読める者が、いつか現れるのだろうか。俺のように別の人生を覚えている者がいたとして、その人は何を思いながら暮らしているのだろうか。


『もしこれを読むことができたあなたが、俺と同じように別の人生を覚えているのなら、聞いてみたい。こちらで大切な人が増えても、前の世界の家族に会いたいと考えることはあるか?』


 返事が届くはずもない問いだ。誰にも読まれないまま終わるかもしれないが、そのまま残しておく。


 手記を閉じ、地図と帳面を机の端に寄せる。寝室からはもう声が聞こえない。俺は灯りを落とし、妻と子供を起こさないよう静かに扉を開けた。


 その後も、評議や氏族間の調整の合間を見つけては記録を取り寄せ、英語の手記に書き加えていった。


 同じ頃に起きたと思っていた異常が、調べ直すと数年離れていたこともある。反対に、氏族ごとの暦を照らし合わせると、時期が重なっていた例もあった。監視に当たる戦士からは、封鎖の内側で音が聞こえ始めた時期まで聞き取り、石工たちには隔壁や石積みの状態を確かめてもらった。


 エレノアと旅をしていた頃の経験にも、考え直したいことがあった。ある施設では、俺の問いかけに装置が応じ、扉を開いたのに、その先の警備装置から攻撃されたことがある。同行した戦士が異変に気づかなければ、退避は間に合わなかっただろう。


 当時は設備ごとに認証の条件が違うと考えていた。今は、認証した情報がほかへ伝わらなかった可能性も捨てきれない。確かめる手段はなく、どちらも仮説として残した。


 施設の用途についても、調べ直すうちに疑問が増えた。封鎖を担当していると、どうしても警備装置や危険な区画に目が向く。だが、各地には大量の水を蓄える設備や、空気と温度を管理する装置もあり、似た形の小部屋が並ぶ場所では、石工から居住用ではないかと言われたこともある。


 古い管理項目を読み返していたある日、気になる言葉を見つけた。


 入植。


 その項目には、水の供給や環境維持だけでなく、まだ使われていない区画を整える処理も含まれていた。これから来る者のために、生活する場所を先に用意していたのだろうか。


 誰がどこから移り住む予定だったのかは分からない。近くの土地から来る人々かもしれないし、もっと遠くから来る者たちだったのかもしれない。俺は管理項目の写しを添え、手記に短く書き残した。


『古代施設の一部は、新たに移り住む者の生活を支援するために造られた可能性がある。入植した又はする予定だった者の出自、移動元、時期は不明。』


 資料を広域地図へ当てはめると、通信の記録と同じ封鎖地点が、入植に関する帳面にも現れた。俺は設備の種類、異常が報告された時期、接続に失敗したという表示を、施設ごとに整理し直した。


 やがて一枚の紙には収まらなくなり、枠と線で図を作った。目撃や襲撃が減った時期と設備が動いた時期も比べてみたが、二つが結びついていると示せるほど記録は揃っていない。異常存在が施設へ戻ったという考えも、裏づけのないまま残った。


 不明なところは空欄にし、発見した日と実際に変化が始まったと考えられる時期も書き分けた。あとから確かめられるよう、情報の出所は省かないことにした。


 ◇


「……複数の施設間に、通信ネットワークが存在していた可能性がある」


 手記の一節を訳すと、セレナが筆を置いた。


「通信......離れた施設が、互いに情報をやり取りしていたかもしれないということ?」


「ああ。接続に失敗したという表示が、別々の施設に残っていたらしい」


 セレナは地名と年代を控え、イシュラはヴァレクに、現在の地図で該当する場所を確かめるよう頼んだ。古い封鎖記録から読み取れる範囲も限られており、日付が曖昧なものにはエドガー自身が訂正を加えている。


 読み進めていると、施設から現れたものについての報告が目に留まった。黒い四足の獣、背の高い人型、小型の人型、空中を漂う機械。見覚えのある記述だったが、ほかにも俺たちが知らない形状のものがいくつも挙げられている。


「……エドガーの頃には、もっと種類がいたみたいだ」


 俺が報告の一部を訳すと、ガルドが眉を寄せた。


「黒い獣や統制体だけじゃなかったってことか?」


「ああ。王都で遭った小さい黒い人型や、ハルヴァの哨戒体に似たものもいる。でも、それだけじゃない。別の形をしたものも記録に残ってる」


「倒されたのか?」


「倒した記録もある。ただ、行方の分からないものも多い。目撃が減った理由について、エドガーは施設の中へ戻った可能性も考えてるけど、確かめられてはいない」


 ガルドは腕を組み、オスカーは黙って机の地図を見た。俺たちがラウネで確認した統制体も、一体は破壊できたが、残る一体がどうなったかは分からない。施設の外へ出た黒い獣についても、まだ消息のつかないものがいた。


「出てきた全てを倒したわけではなさそうだな」


 オスカーの言葉にイシュラが頷いた。


「封鎖した先に何が残っているかはわからない。監視記録との照合も続けよう」


 手記の途中には、施設の研究とは関係のない文章が挟まっていた。エレノアの名に続き、北方の妻と子供、それから前の人生の家族について書かれている。


 俺は読み進め、最後の問いのところで手を止めた。


「アレン?」


 フィアナに呼ばれて顔を上げると、彼女がこちらを見ていた。手記の最後の問いに気を取られ、いつの間にか黙り込んでいたらしい。


「……イシュラ様。家族のことも書かれているんですが、これも訳した方がいいでしょうか」


「どんな話だ?」


「奥さんと子供のことです。それに、エレノアと前の人生の家族についても」


 イシュラは少し考え、首を横に振った。


「本人が個人的に残したものなら、すべてを話す必要はない。調査と関係のない部分は、そのままにしておこう」


「分かりました」


 そう答えたものの、すぐには頁をめくれなかった。前の人生で残してきた家族を思い出すことがあると、エドガーは書いていた。顔や声の記憶が薄れても、その気持ちはなくならなかったらしい。


 最後の問いは、いつかこの言葉を読める誰かへ向けたものだった。俺にはその文字が読める。けれど、今ここで仲間たちに伝えていい言葉なのか、すぐには決められなかった。


「……奥さんと子供をとても大切にしていたそうです。それでも、エレノアや、前の人生で残してきた家族に会いたいと思うことがあったと」


 そこまで伝え、手記を閉じないまま顔を上げた。ガルドは何も言わず、セレナも控えを取る手を止めていた。


「……そんなことも書いてたんだね」


 フィアナが静かに言った。


「ああ」


 俺は最後の問いについては話さなかった。エドガーが誰に向けたのかも分からない言葉だが、今は自分の中に留めておきたかった。


 イシュラはヴァレクへ目を向けた。


「その部分は記録に写さなくていい。施設について確かめられる内容を優先してくれ」


「分かった」


 俺は手記へ視線を戻した。続く頁には、扉を開いた装置と警備装置の反応が食い違った経験が記されている。ハルヴァでも管理装置は俺を操作員として認めたのに、統制体を停止させることはできなかった。


「認証についても、似たことを経験していたようです。別の装置へ情報が伝わらなかった可能性を考えてますが、原因は分かっていません」


「百八十年前から、同じような問題があったのかもしれんのだな」


 イシュラの言葉に頷くと、リーネも下層でのことを思い出したように、手記へ目を向けた。


 さらに進むと、水の供給や空気の管理、居住区と思われる設備を整理した表が出てきた。その中に『入植』という言葉を見つけ、俺はセレナに該当箇所を示した。


「ハルヴァで管理装置が答えた『初期入植基盤』と、つながるかもしれない」


「エドガーも、入植者が誰なのかまでは分からなかったのね」


「ああ。用途についての仮説はあるけど、そこから先は記録が見つかっていないみたいだ」


 セレナは表の出典を書き留めた。装置へ試した操作についての記述も続いていたが、そこは読み上げず、イシュラへ扱いを尋ねる。


「危険な情報が含まれているかもしれんな。今日はその部分を飛ばしてくれ。何を共有するかは、内容を確認してから決めよう」


「分かりました」


 調査の記録へ戻ると、幾つもの枠を線で結んだ図が描かれていた。設備の名称らしい文字と封鎖地点の名が並んでいるが、線の意味はすぐには読み取れない。


「アレン、その図は何かしら?」


「施設同士の接続についてまとめたものみたいだ。説明が別の頁にあるから、少し確かめる」


 図と説明を見比べているうちに、日付を細かく並べた表が目に留まった。接続に失敗した設備だけでなく、封鎖の後に再び動き始めたと報告された時期まで整理されている。


 俺は表の最初の項目を指で確かめ、そこに記された報告を皆へ読み上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。