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第118話 遺された日々

 翌朝、朝食を済ませてからガルドに教えられた鍛冶場へ向かい、長く使ってきた剣を職人に見てもらうことにした。


 職人は刀身を何度か傾け、刃の欠けだけでなく、歪みや厚さまで慎重に確かめている。途中で研ぎ直した跡にも気づいたらしく、しばらく調べた末に剣を作業台へ置いた。


「随分使い込んでるな。何度も研ぎ直してるだろう」


「ええ。最近はかなり無理もさせました」


「だろうな。刃を整えることはできるが、ここまで傷んでると長くは持たんぞ。次に強い衝撃を受けたら、折れるかもしれん」


 王都での戦闘からハルヴァの施設に至るまで、随分と酷使してきた剣だった。手入れは欠かさなかったつもりだが、刃の欠けも増え、研ぎ直すたびに少しずつ形も変わっている。


「新しい剣を探した方がよさそうですね」


「ああ。普段は何を相手にしてる?」


「魔物が多いですね。ただ、最近は普通の武器では傷をつけにくい相手とも戦いました」


「それなら、今と同じ鋼の剣を買い直しても、似たようなことになりかねんな」


 職人は少し考えてから、店の奥へ目を向けた。


「値は張るが、ミスリル鋼の剣ならある。普通の鋼より軽くて粘りがあるし、刃も欠けにくい。腕のいい職人が打ったものなら、長く使えるぞ」


 ミスリルという名前は知っていた。冒険者の間でも高級武具に使われる素材として知られているが、実物を扱う機会はこれまでなかった。


「見せてもらえますか? できれば、今の剣と長さや重心が近いものがいいんですが」


「分かった。何本かあるから、持って確かめてみろ」


 奥から運ばれてきた剣は、どれも銀灰色の刀身をしていた。派手な装飾はなく、柄や鍔も実用的な造りだが、丁寧に仕上げられた刃には、余計な凹凸が見当たらない。


 一本目は持った瞬間に軽さを感じたものの、切っ先が動きすぎるようで落ち着かなかった。二本目は重心がやや手元に寄っており、取り回しはよさそうだが、これまでの剣とは感触が違う。


 三本目を手にしたところで、ようやく馴染みのある重心を感じた。


 職人の許可を得て構えを変えてみると、今までの剣より少し軽いものの、切っ先の位置は掴みやすい。踏み込みに合わせて刃を動かしても、余計な力を入れる必要がなかった。


「これがいいですね」


「そいつは北方の工房で打たれた品だ。見た目は地味だが、造りはいい。握りは少し調整した方がよさそうだな」


「お願いします」


「一つ言っておくが、ミスリル鋼だから何でも斬れると思うなよ。硬いものを無理に叩けば刃は傷むし、手入れだって必要だ」


「分かっています。最近、それを嫌というほど思い知りましたから」


 値段を聞くと、さすがに安くはなかった。それでも命を預ける武器だし、傷んだ剣を使い続けるよりはいいだろう。


 代金を支払い、握りの調整と仕上げを頼んだ。受け取りは翌日になるというので、古い剣を引き取り、宿へ戻ることにする。


 長く使ってきただけに多少の愛着はあるが、これ以上無理をさせるつもりはない。新しい剣が馴染むまでには少し時間がかかるだろうし、受け取ったら一度きちんと振って確かめておこう。


 宿で昼食を済ませると、セレナが食堂の一角に王都から持参した調査記録の控えを広げていた。


 セレス修道院で書き写したエレノアの記録も混じっており、隣に座ったフィアナが一緒に内容を確かめている。


「全部持っていくのか?」


「必要なものだけよ。昨日聞いた年代を基に、エドガーの日記と照らし合わせられそうな記録を選んでいるの」


 セレナが何枚かの紙を抜き出している間に、フィアナはエレノアの名前が書かれた一枚を手に取った。


「何か気になることがあったか?」


「ううん。ただ、エドガーの方には、どんなふうに書いてあるのかなって」


「今日、少しは分かるんじゃないかな」


「そうだね」


 フィアナは紙を元の束へ戻し、セレナが革袋を閉じるのを手伝った。


 ◇


 居館では、イシュラが昨日と同じ会議室で待っていた。


 長机の上には数枚の紙が用意されており、俺たち七人が席に着くと、彼女はその一部をこちらへ回してくれた。


「初代盟主の日記から、関係のありそうな箇所を抜き書きしておいた。原本は保管場所から持ち出せんのでな。古い言い回しは読みやすく直してあるが、内容は変えていない」


 写しには年代と日付が添えられ、その下に短い文章が続いている。最初の一枚は、エドガーがまだ人類圏でエレノアと旅をしていた頃のものらしい。


『宿の夕食はまた豆の煮込みだった。エレノアが俺の皿を見て笑うので、何がおかしいのか聞いたら、嫌いなくせにいつも残さず食べるからだと言われた。食べ物を無駄にしたくないだけなんだが、どうも納得していないらしい。』


「……ふふっ」


 隣でフィアナが小さく笑った。


「こんなことも書いてたんだね」


「まあ、飯くらいは食うだろうがな」


 ガルドが言うと、フィアナは笑ったまま首を振った。


「そうじゃなくて。エレノアと、こんな話もしてたんだなって」


 セレナも紙を覗き込み、少し表情を和らげた。


「セレスに残っていたエレノアの記録にも、宿の食事について書かれていたわね。二人とも、調査以外の出来事をよく書き残していたみたい」


「ああ。旅の間のことはかなり細かく残っている。仕事の記録より、夕食や宿のことで何行も使っている日もあるくらいだ」


 百八十年前の聖女と、後に初代魔王と呼ばれる男。その二人が宿で出された豆料理について言い合っているというのは、何とも不思議な感じがした。


 セレスで見つけたエレノアの書き込みもそうだったが、こうした何気ない記録を読んでいると、遠い時代の人物だったことを忘れそうになる。


「二人は、恋人同士だったの?」


 フィアナが尋ねると、イシュラは頷いた。


「ああ。日記には、互いの思いを伝え合ったことも書かれている。その後は将来についても話していたようだ」


「そうだったんだ」


 セレスの記録では分からなかった二人の関係が、エドガーの日記にははっきり残されていたらしい。


 フィアナが手元の紙へ視線を戻すと、イシュラは次の写しを差し出した。


「エレノアが亡くなった後の記録も、少し見てもらおう」


 そこに書かれていたのは、ほんの数行だった。


『宿で食事を頼むとき、二人分と言いかけた。エレノアはもういない。分かっているのに、こんなところで間違える。』


 フィアナは紙の端に指を添えたまま、顔を上げなかった。


 俺も何か言おうとは思わず、隣で彼女が小さく息をつくのを聞いていた。さっきまで二人で夕食を食べていた頃の記録を読んでいたせいか、最後の一文が妙に胸に残る。


 しばらくして、セレナが静かに尋ねた。


「これを書いたのは、エレノアが亡くなってからどのくらい後なのかしら」


「それほど経っていない頃だ。日記によれば、その後もしばらく人類圏に留まっていたらしい」


「北方へ渡ったのは、それからなのね」


「ああ。北でも施設の異常が続いていると知り、調査に加わろうとしたそうだ」


 イシュラは別の写しを手元へ寄せ、北方へ渡ってからの経緯を話し始めた。


 最初に訪ねた氏族では、人間であることを理由に警戒され、施設の調査を断られたこともあったという。それでも石工や戦士たちと仕事を重ねるうちに、危険な区画を調べる方法や封鎖の手順を整える役割を任されるようになり、やがて別の氏族からも協力を求められるようになったらしい。


「施設を調べるだけでは済まなかったのね」


 セレナが言った。


「昨日の史料庫でも、氏族間の共同作業が増えていく経緯を調べたけれど、その調整にもエドガーが関わっていたということかしら」


「そうだ。石材の供出や運搬路を巡る争いに立ち会い、時には作業を止める判断もしている。ただ、本人だけで何もかも決められたわけではない。各氏族の長や職人たちと協議し、互いに納得できる条件を探していたようだ」


「石工同士でも仕事のやり方が違えば揉めるからな。氏族まで違うとなりゃ、なおさらだろ」


 オスカーの言葉に、ガルドも頷いた。


「そりゃ、古代文字が読めるだけじゃ片づかねえ話だな」


「ああ。初めの頃は、使う石材をどこから調達するか決めるだけでも、随分苦労していたらしい」


 イシュラはリーネへ目を向けた。


「ラウネでも、援軍を受け入れる際にはヴァルドが条件をつけているだろう。昔から、簡単に他氏族へ守りを任せられるものではなかった」


「はい。襲撃を受けたばかりですし、父も指揮系統が曖昧になることを気にしています」


 リーネは少し考えてから続けた。


「でも、施設を封鎖し直すには外からの人手も必要です。父が支援を受けると決めた以上、私もできることはしたいと思っています」


「ああ。今はそのための調整を進めている。評議会でも、お前の意見を聞かせてくれ」


「分かりました」


 リーネの返答を聞いたイシュラは、机に並べた写しの中から別の年代のものを取り上げた。


「エドガーが盟主に選ばれたのも、そうした仕事が理由だったんですか?」


 俺が尋ねると、イシュラは頷いた。


「ああ。主要な施設の封鎖が進んだ後も、監視や共同防衛の取り決めを続ける必要があった。各氏族の代表が協議を重ね、連合全体の判断を担う者としてエドガーを選んだそうだ」


「本人は、それを望んでいたのか?」


 ヴァレクが尋ねた。


「少なくとも、必要な権限は求めていた。氏族ごとに判断が分かれて封鎖や防衛が遅れることを、以前から問題にしていたからな。ただ、盟主という地位については、引き受けるまで随分考えたようだ」


 イシュラはそこで古い年代の記録を脇へ寄せ、別の一枚を俺たちの方へ滑らせた。


「もっとも、北方へ来てからも仕事のことばかり書いていたわけではない」


 次の写しには、エドガーの家庭について記されていた。


『今日、子供が初めて一人で立ったそうだ。帰った時にはもう寝ていたので、俺は見られなかった。明日は少し早く帰りたいが、封鎖の仕事がどこまで進むか分からない。』


 最初の記録から、長い年月が経っていた。


「……子供がいたの?」


 フィアナが顔を上げると、イシュラは頷いた。


「ああ。北方で新たな伴侶を得て、家庭を築いた。日記には妻や子供のこともよく出てくる」


「そうだったんだ」


 フィアナはもう一度、紙に書かれた文章を確かめていた。


「随分長く、北方で暮らしたんだな」


 ガルドが言うと、イシュラは頷いた。


「盟主に選ばれるまでにも、多くの年月をここで過ごしている。共に働いた者や、長く付き合った氏族の長たちについても、かなり詳しく書き残しているよ」


「エレノアのことは、その後も書いていたの?」


 フィアナの問いに、イシュラは少し考えてから答えた。


「ああ。頻繁ではないがな。昔の施設の記録を読み返した時や、旅のことを知る者と会った時など、折に触れて名前が出てくる」


「……そっか」


 フィアナは小さく頷き、それ以上は尋ねなかった。


 イシュラはその様子を見て少し間を置いてから、手元の写しを揃え、最後に残った一枚を俺の前へ置いた。


「さて、ここからは施設に関する話だ」


 ◇


 最後の写しは、エドガーがまだ人類圏で施設を調べていた頃のものだった。


『装置に触れる前から、向こうは俺に言葉をかけてきた。名前を呼ばれたのではない。何かの役目を持つ者として扱われているらしい。問い直しても、返ってくる言葉は同じだった。』


 読み終える頃には、イシュラがこちらの反応を待っていた。


「……似ています」


「やはりそうか」


「ハルヴァの下層でも、装置は最初から俺を操作員と呼びました。どうしてそう認識したのか尋ねても、詳しい登録情報にはアクセスできないと言われたんです」


「エドガーも、その理由を調べようとしていたようだ。日記には施設で試したことや装置から得た返答が残っているが、本人にも仕組みは分からなかったらしい」


 セレナは俺の前に置かれた紙を手に取り、日付を確かめながら尋ねた。


「装置の反応については、ほかにも記録があるのかしら」


「ああ。場所によって違いがあったことも書かれている。声が返ってきた施設もあれば、文字の表示だけだった場所もあるそうだ」


「施設ごとに状態が違ったのね」


「そう考えていたようだ。ただ、エドガー自身も調査が進むにつれて、以前の考えを改めている。日記にはその経緯も残っているよ」


 エルムの地下やセレス、王都、そしてハルヴァ。俺たちが調べてきた施設も、構造や装置の働きはそれぞれ違っていた。


 文字が読めることで助かった場面は何度もあったものの、仕組みが分からないまま判断するしかなかったことも多い。エドガーも各地で似た経験をしていたのだろう。


「エドガーが装置から聞いた言葉も、日記に残っているんですか?」


「説明を書き留めた箇所はある。ただ、本人も正確な意味が分からなかったものについては、そう記している。私が読んでも、何を指しているのか判断できん部分があってな」


「原文を確認できれば、何か分かるかもしれないわね」


 セレナの言葉に、イシュラは頷いた。


「必要な箇所は、もう少し整理してから見せようと思っている。だが、その前に、お前たちに確かめてほしいものがある」


 彼女は残った紙を重ね、俺へ視線を向けた。


「エドガーが晩年に残した、もう一つの記録だ」


「日記とは別に?」


 セレナが聞き返す。


「ああ。今まで見せた日記は、後を継ぐ者にも読めるように書かれている。ところが、それとは別に、私たちには読めない文字だけで書かれた手記が残っているんだ」


「古代文字なの?」


「それも分からん。本人が日記に書き残したところによれば、施設に関する記録らしいのだが、歴代の盟主にも内容を読めた者はいなかった」


 思わず身を乗り出すと、イシュラもその反応を予想していたらしく、俺が尋ねるより先に口を開いた。


「お前なら読めるかもしれん。昨日の報告を聞いて、そう考えた」


「見せてもらえるんですか?」


「ああ。ただし、内容が分からない以上、危険な情報が含まれている可能性もある。閲覧は私の立ち会いの下で行うし、自由に持ち出したり書き写したりすることは認められん」


「分かりました」


「セレナも、いいな」


「ええ。何が書かれているのか分からない以上、慎重に扱うべきだと思うわ」


 イシュラは頷き、席を立った。


「少し待っていてくれ。私が取ってくる」


 彼女が会議室を出ると、セレナは日記の写しを確認しながら、気になる地名についてヴァレクへ尋ね始めた。北方で使われる呼び方が年代によって違うらしく、二人はしばらく地図を見比べている。


 俺も装置の反応について書かれた紙へ目を落としたが、実際の手記を見ないことには、何が残されているのか考えても仕方がなかった。


「アレン」


 隣のフィアナが、小さな声で呼んだ。


「どうした?」


「その手記も、読めると思う?」


「まだ分からない。でも、エドガーが施設で見た文字を使っていたなら、可能性はあると思う」


「……そうだよね」


 フィアナは閉じられた扉へ目を向け、少し考えてから続けた。


「もし読めたら、一緒に考えようね」


「ああ。そうしてくれると助かる」


 俺が答えると、フィアナは頷き、机の上の紙へ視線を戻した。


 やがて扉が開き、イシュラが小さな革張りの箱を抱えて戻ってきた。


 長机の中央に置かれた箱には留め金がついており、中から現れたのは布に包まれた薄い冊子だった。表紙は使い込まれているものの、紙の端が大きく傷んだ様子はなく、長い間丁寧に保管されてきたことがうかがえる。


「これが、エドガーの残した手記だ」


 イシュラは布を広げ、冊子の表紙を俺たちに見せた。


「通常の日記とは別に保管するよう、本人が指示を残している。歴代の盟主も、内容が分からないまま引き継いできたものだ」


 表紙には、数行の文字が書かれていた。


 セレナが身を寄せ、少し首を傾げる。


「……私の知っている古代文字とは、形が違うわね」


「読めそうか?」


 イシュラが俺へ尋ねた。


 俺は返事をする前に、表紙の文字を確かめた。


 わずかに右へ傾き、ところどころが続けて書かれた筆跡。施設の装置に表示された整った文字とは違い、書いた人物の癖が強く出ているが、その綴りには見覚えがあった。


 英語だ。


 前世で使われていた言葉が、百八十年前の男の手書きで目の前に残されている。


「……読めます」


 イシュラの表情が変わった。


「本当か?」


「はい。手書きなので少し読みにくいところもありますが、少なくとも表紙の文字は分かります」


 彼女は俺の返答を聞いてもしばらく動かなかったが、やがて冊子の向きを変え、慎重にこちらへ寄せた。


「なら、最初の一頁を確かめてくれ」


「分かりました」


 俺は紙を傷めないよう、ゆっくりと表紙をめくった。


 中には表紙よりも細かな文字が何行にもわたって並んでおり、途中には書き直した跡や、余白へ付け加えられた言葉もある。筆跡はところどころ乱れていて、簡単に読み流せるものではなさそうだった。


 それでも、文字そのものは読める。


 俺は少し身を寄せ、エドガーが書き残した最初の一行へ目を落とした。

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