第117話 記された名
翌朝、俺とフィアナはセレナに付き合って、中央の高台にある史料庫を訪ねた。
昨日の面会でイシュラが閲覧を手配してくれたため、古代施設に関する記録も調べられるという。ヴァレクはリーネの報告準備に付き合い、ガルドとオスカーは装備の点検を済ませてから街の鍛冶場を見て回ることになっていた。
昨夜は俺もリーネと一緒に、ラウネの施設で起きたことを整理している。統制体を確認した位置や、床が崩落するまでの経緯など、彼女が見たことを中心に確認した。施設の外で何が起きていたかは別の報告が必要になるが、俺たち二人の行動については、かなり整理できたと思う。
史料庫の閲覧室には大きな机が並び、壁際の棚には年代ごとに整理された帳面や巻物が収められていた。案内してくれた書記は、セレナが目的を伝えると、古い記録の目録を持ってきてくれた。
「約百八十年前の施設封鎖について調べたいの。各地の記録を年代順に追える資料はあるかしら」
「当時の戦闘記録と作業帳簿がございます。古い北方語で書かれたものも多いので、分からない箇所はお尋ねください」
「ありがとう。まずは封鎖が始まった頃のものからお願いするわ」
運ばれてきた資料には、施設周辺での戦闘や封鎖作業の経過が記されていた。セレナは王国語に訳された目録を手掛かりに原本を確かめ、古い言い回しや地名については書記に尋ねながら読み進めていく。
俺とフィアナも隣で記録を覗いたが、当時の北方語には見慣れない表記が多く、内容を追うには説明を頼るしかなかった。
「……ここ、面白いわね」
しばらくして、セレナが二冊の帳面を並べた。
「同じ氏族の名前が、離れた地域の記録にも出てくるようになっているの。最初はそれぞれの領内で対応していたのに、途中からほかの氏族の封鎖作業にも人を送っているわ」
彼女が示した記録には、戦士や作業員の派遣だけでなく、食料や石材の供出、輸送路の護衛についても取り決めが残されていた。
「こっちは、ずいぶん揉めたみたいだね」
フィアナが指した箇所には、物資の負担を巡って氏族同士が対立した経緯が書かれていた。
「ええ。こちらは運搬人員を増やすことで折り合ったようだけれど、別の地域では協議が長引いているわ」
セレナは年代を確かめながら、いくつかの氏族名を手帳へ書き込んだ。
俺はラウネでの封鎖作業を思い出していた。入口を塞ぐ石材を運ぶだけでも相当な人手が要り、その間は戦士たちが周囲を警戒していた。あれを何年も続けるとなれば、作業員や物資を確保し続けるだけでも大変だっただろう。
「この協議の記録、後の諸族評議会につながっているのかしら」
セレナが尋ねると、書記は該当する箇所を確かめて頷いた。
「はい。各氏族の代表が共同封鎖について話し合う場が設けられ、次第にほかの問題も扱うようになったと伝えられています」
「そうだったのね」
セレナは二冊の帳面を見比べ、手帳へ新たな年代を書き加えた。
「封鎖を続けるために始めた協議が、今の連合の基礎になったのね。初代盟主が選ばれるまでの経緯も、もう少し追ってみたいわ」
その後もいくつかの資料を調べたが、昼が近づいたところでセレナは手帳を閉じた。
「今日はここまでにしましょう。必要な記録は控えたし、王都で調べた年代と照らし合わせてから、もう一度確認したいわ」
借りていた帳面を返し、書記に礼を告げて史料庫を後にした。
◇
宿に戻ると、ガルドとオスカーも鍛冶場から帰ってきていた。
ガルドは手入れ道具を片づけているところで、オスカーは大きな戦斧を壁際に立て掛け、運ばれてきた昼食を眺めていた。
「おう、戻ったか。何か見つかったのか?」
「古い封鎖記録がかなり残っていた。セレナがいろいろ調べてくれた」
「へえ。そんな昔の帳面までよく残してあるもんだな」
ガルドは椅子を引きながら頷いた。
「こっちは鍛冶場を何軒か見てきたが、腕のいい職人が揃ってるらしいぞ。お前の剣も、一度見てもらった方がいいんじゃねえか?」
「そうだな。刃の欠けも残ってるし、頼んでみる」
「早めに持っていけ」
オスカーが短く言った。
ハルヴァの施設で統制体と戦って以来、剣は応急的な手入れしかできていない。旅の間も大きな問題はなかったが、ノルヴェインにいるうちにきちんと見てもらった方がいいだろう。
「それにしても、ずいぶん戦士が集まってる街だな」
ガルドは食事に手を伸ばしながら続けた。
「鍛冶場でも、ほかの氏族の連中を何人か見かけたぞ」
「評議会が近いからな」
声のした方を見ると、ヴァレクとリーネが戻ってきたところだった。
リーネは書き込みの増えた紙を抱えており、席に着いてからも一度内容を確かめている。
「準備はどうだった?」
フィアナが尋ねた。
「昨日アレンと見直した内容を、ヴァレクにも確認してもらったんだ。ほかの氏族の人たちから何を聞かれるか、まだ分からないけど」
「現場の経過は整理できた。あとは自分の見たことを話せばいい」
ヴァレクの言葉に、リーネは頷いた。
「うん。父さんから任されたことだし、ちゃんと伝えたい」
俺たちが食事を始めると、ヴァレクは午後の予定を伝えてきた。
「盟主から連絡があった。食事を済ませたら、七人全員で居館へ来てほしいそうだ」
「昨日の報告に関係することか?」
「ああ。詳しい話は直接するとのことだ」
俺は頷き、昼食を済ませてからほかの六人とともに高台へ向かった。
◇
会議室では、イシュラが一人で待っていた。
長机には北方の地図が広げられていたが、昨日のような報告書の束はなく、彼女の手元には数枚の書付が置かれている。
「揃ったな。掛けてくれ」
俺たちが席に着くと、イシュラはセレナへ目を向けた。
「史料庫へ行ったそうだな。調査はどうだった?」
「封鎖作業の記録を調べてきたわ。氏族同士の協力が広がっていく経緯も、かなり詳しく残っているのね。初代盟主が選ばれるまでのことは、まだ調べきれていないけれど」
「なら、今日の話にも関係するな」
イシュラは書付を手元へ寄せた。
「昨日、お前たちからハルヴァの施設について報告を受けた後、初代盟主が残した記録を読み返してみた。アレンが施設の装置から操作員として認証された件について、確かめたいことがあったからだ」
「初代盟主も、同じような経験をしていたんですか?」
「それに近い記述がある。ただ、その前に知っておいてほしいことがある」
イシュラは書付を一枚取り上げた。
「これは公開されている史料には載っていない。初代盟主が個人的に残し、歴代の盟主だけが引き継いできた日記の内容だ。ここで聞いたことは、当面ほかへ広めないでくれ」
俺たちが頷くと、彼女はヴァレクへ視線を向けた。
「お前も原本は見ていなかったな」
「ああ。王都で伝えた百八十年前の話も、古い記録をまとめた資料から得たものだ」
「その元になった記録の一部が、初代盟主の日記だ。お前にも詳しい来歴までは伝えていなかったが、昨日の報告を聞いて、今は話しておくべきだと判断した」
ヴァレクは何も言わず、続きを待った。
「まず、初代盟主は北方の生まれではない。もともとは南方で暮らしていた人間だ」
「……人間だったのか?」
ガルドが聞き返すと、イシュラは頷いた。
「ああ。北方へ渡った頃には、どの氏族にも属していなかった。その後、施設の封鎖に携わるうちに信頼を得て、各地の氏族と協力するようになった」
「初代盟主が人間だったなんて、ラウネでは聞いたことがありません」
リーネも驚いた様子だった。イシュラは彼女へ目を向け、北方での働きは広く伝わっていても、それ以前の来歴を知る者は少ないと説明した。
俺も意外に思ったが、人間が北方に暮らしていたこと自体は、今の俺たちの境遇を考えればあり得ない話ではない。
気になったのは、イシュラがその来歴を、昨日の施設調査と結びつけていることだった。
「人類圏にいた頃から、古代施設に関わっていたんですか?」
「そうだ。各地を旅しながら施設の調査に携わっていた。ある聖女とともにな」
隣でフィアナが顔を上げた。
「聖女……?」
「エレノア・セルディアだ」
その名前を聞いた瞬間、俺はイシュラの顔を見た。
セレス修道院で見つけたエレノアの記録。古代文字について相談していた、名前の残っていない同行者。そして王都でヴァレクから聞いた、前世の記憶を持つ男の話。
それらが頭に浮かんだが、すぐに言葉にはできなかった。
「……エレノアと旅をしていた人のこと?」
フィアナの問いに、イシュラは頷いた。
「ああ。初代盟主の名は、エドガー・レイナー。お前たちがセレスで足取りを追っていた、エレノアの同行者だ」
セレナが持っていた筆を置いた。
「……待って。あの同行者が、初代盟主になったというの?」
「そうだ。エレノアが亡くなった後、北方へ渡り、長い年月をかけて施設の封鎖に携わった。やがて諸族の代表から盟主として選ばれた男だ」
セレナはすぐには返事をせず、手元の記録へ目を落とした。
俺も、イシュラの説明を頭の中で辿り直していた。ヴァレクは王都で、エレノアの同行者が北方へ渡り、その後も長く封鎖に関わったと話していた。そこまでは知っていたのに、北方で盟主になったことまでは、誰も知らなかった。
「……おい、ちょっと待てよ」
ガルドが腕を組んだまま、イシュラを見た。
「初代盟主ってことは、俺たちが初代魔王と呼んでるのも、そのエドガーって男なのか?」
「ああ。王国側の歴史に、初代魔王として記されている人物だ」
ガルドはしばらく口を開かなかった。
オスカーも向かいの席で黙っており、フィアナはイシュラを見たまま動かない。
初代魔王。
王国で暮らしていれば、一度は耳にする名前だった。北方諸族を率い、人類側の軍と戦った指導者として、歴史の記録にも残っている。
その人物が、聖女エレノアとともに旅をしていた。
セレス修道院で読んだ記録には、エレノアが古代文字のことで同行者に尋ねた話や、旅先での何気ない出来事まで残されていた。俺たちはその男の名前を探していたが、分からないまま王都へ戻った。
あの人物が、後に魔王と呼ばれることになるとは。
「……それじゃ、エドガーは人類側と戦ったのか?」
ガルドが改めて尋ねた。
「そうだ。軍を率いて戦ったことは、北方の記録にも残っている。人類側が一方的に作り上げた話ではない」
「聖女と一緒に旅をしてた人間が、何十年か後には人類と戦う側にいたってことか……」
「その頃には、エドガーは北方で長く暮らしていた。どうして戦うことになったのかは、そこに至る経緯を抜きにしては話せんな」
ガルドは頷いたが、まだ考え込んでいるようだった。
俺も同じだった。人類側と北方の間に戦争があったことは知っているし、長い年月が過ぎれば立場や守るものが変わることも理解できる。
それでも、セレスで知った男と、王国で語られる初代魔王の姿は、簡単には重ならなかった。
「イシュラ。確認したいことがある」
ヴァレクが口を開いた。
「俺が読んだ記録には、同行者の名前がなかった。北方へ渡った後の封鎖作業についても、初代盟主との関係は記されていない。今回の話は、日記に本人が残したものなのか?」
「ああ。エレノアと旅をしていた頃のことも、北方へ来てからのことも、エドガー自身が書いている。日付や各地の封鎖記録と照らし合わせられる部分もある」
「……そうか」
ヴァレクはそこで言葉を切り、机の上の地図へ目を向けた。
「王都であの話をした時、俺も名前を突き止めたいと思っていた。まさか、盟主の記録に残っていたとはな」
「お前が参照した資料は、各地の施設を封鎖した経緯をまとめたものだ。本人の来歴は、必要な範囲しか載せられていなかった」
イシュラは落ち着いた声で答えた。
「記録が分かれていたこともあるが、日記そのものを歴代盟主以外に見せてこなかったのは事実だ。今日の話も、扱いには気をつけてもらいたい」
「分かった」
ヴァレクは短く頷いた。
しばらく黙っていたセレナが、ようやく手元の帳面を開いた。
「……今朝、史料庫で共同封鎖の記録を調べたところなのよ。氏族同士の協議が増えて、そこから連合の仕組みができていったことは分かったわ。でも、その中心にいた人物が、エレノアの同行者だったなんて……」
彼女は途中まで書きかけた年代を指で確かめた。
「エドガーが人類圏にいた頃の記録と、北方の記録を並べてみたいわ。今まで別々に調べていたものだから、年代が重なる部分も確かめたいの」
「そのためにも、日記を見てもらおうと思っている。ただし、原本をそのまま渡すわけにはいかん。必要な箇所を整理した上で確認してもらう」
「ええ。それで構わないわ」
セレナは頷いたものの、すぐに筆を動かし始めることはなかった。
フィアナも静かに話を聞いていたが、やがてイシュラへ尋ねた。
「エレノアが亡くなった時のことも、エドガーは書いてるんですか?」
「ああ。本人が書き残している」
「……そうですか」
フィアナは膝の上で重ねた手へ目を落とした。
エレノアが若くして亡くなったことは、俺たちも知っている。けれど、一緒に旅をしていた男がその後どうしたのか、彼女の死をどう受け止めたのかは、これまでの記録からは分からなかった。
「二人で旅していた頃のことも、残っていそうですね」
「ああ。訪れた土地や、そこで出会った人々のことも書かれている。施設の調査だけではないようだ」
「……それも読んでみたいです」
「明日、関係する部分を用意しておこう」
フィアナは礼を言い、少しだけ表情を緩めた。
俺もセレスで見つけたエレノアの書き込みを思い出していた。あの記録には、同行者について何度も触れられていたものの、肝心の名前は残されていなかった。
その人自身が、別の日記を書き続けていたという。
「イシュラ様。最初に言っていた、施設の反応についても日記に残っているんですか?」
「ああ。エドガーは人類圏にいた頃、古代の施設から特異な反応を受けたと書いている。お前がハルヴァで経験したことと、似た記述がある」
「装置から話しかけられたことも?」
「いくつか言葉の記録がある。ただ、私には意味の分からない部分もあってな。お前が聞いた言葉と比べてみたい」
イシュラはセレナにも目を向けた。
「各地の施設についても記されている。王都やセレスで得た情報を持ってきてくれれば、照らし合わせられるだろう」
「分かったわ。こちらでも記録を揃えておく」
セレナが答えると、イシュラは手元の書付をまとめた。
「明日、改めて来てくれ。それまでに見せられる箇所を整理しておく」
俺は頷いたが、席を立つ前にもう一つだけ尋ねた。
「エドガーは、どうして北方へ渡ったんでしょうか」
「北方でも施設の異常が続いていると知ったことが、きっかけだったらしい。もっとも、その後も長く留まった理由は、それだけではないだろうな」
イシュラは書付を重ねながら続けた。
「最初は受け入れてもらうだけでも苦労したそうだ。だが、各地で封鎖作業を続けるうちに、共に働く者も増えていった。詳しいことは本人の日記を見た方が分かるだろう」
「分かりました。ありがとうございます」
俺たちが席を立つと、ヴァレクはイシュラへ何か確認してから、最後に会議室を出た。
廊下ではリーネがセレナの隣を歩きながら、エドガーの名前が載った古い記録をほかにも調べられるか尋ねている。ガルドとオスカーも小声で話していたが、王国にいた頃に聞いた魔王の話について、記憶を確かめ合っているようだった。
フィアナは俺の隣を歩き、しばらく黙ったままだった。
「……かなり驚いたな」
俺が声をかけると、彼女は頷いた。
「うん。エレノアと旅してた人が、初代魔王だったなんて思わなかった」
「ああ。俺もだ」
「セレスでは、名前も分からなかったのにね」
フィアナは少し考えてから、こちらへ顔を向けた。
「アレンは、どう思った?」
「まだ、うまく整理できてないな。エレノアの同行者についてはずっと調べてたけど、魔王のことは別の歴史だと思ってたから」
「私も。エレノアの記録を読んでた時は、そんなこと考えもしなかった」
フィアナは前を歩くセレナたちへ目を向けた。
「明日、日記を見せてもらえるんだよね」
「ああ。必要なところを用意してくれるって話だったな」
「そっか。どんなふうに書いてあるんだろうね」
俺にも、それは気になっていた。
セレス修道院で何度も読んだ記録の中では、最後まで名前の分からなかった男だった。
エドガー・レイナー。
その名前が、まさか初代魔王のものだったとは思わなかった。




