第116話 盟主イシュラ
ノルヴェインに着いた翌朝、宿の食堂へ降りると、リーネが窓際の席で書類を広げていた。
父親から預かった書状の隣には、ラウネの防衛線と古代施設の封鎖地点を描いた図がある。朝食にはまだ手をつけておらず、俺が声をかけると、ようやく顔を上げた。
「おはよう。早いな」
「おはよう、アレン。ちょっと目が覚めちゃって」
「盟主に会う準備か?」
「うん。施設で起きたことは覚えてるんだけど、村のことまで聞かれたら、何から話せばいいのかなって」
リーネは書類を重ね、書状を革袋へ収めた。
「父さんから任されたことは、ちゃんと伝えたいから」
「俺も現場のことなら手伝えるよ」
「ありがとう。でも、ハルヴァのことは私が話さないとね」
そう言って笑ったものの、普段より表情が硬い。
施設の中では危険な場面でも自分で判断して動いていたリーネだが、氏族の代表として盟主に会うとなれば、勝手が違うのだろう。
そこへフィアナが食堂へ入ってきた。
「二人とも早いね。もう朝ご飯食べた?」
「これから。リーネが報告の準備をしてたんだ」
「そっか。じゃあ、食べながら話そうよ。私にも手伝えることがあるかもしれないし」
「ありがとう。ちょうど、少し休もうと思ってたところ」
リーネは書類を片づけ、フィアナの隣へ移った。
そのうちガルドとセレナも降りてきて、料理が運ばれた頃にはオスカーも姿を見せた。
「お、もう食ってるのか」
「お前が遅いんだよ」
ガルドが言うと、オスカーは空いている椅子を引いた。
「昨日は歩き疲れたからな」
「七日も歩いて、最後の日だけ疲れるのか?」
「宿に着いたら気が抜けたんだよ。お前だって分かるだろ」
そう言いながら、オスカーは朝食を注文した。
ほどなく食堂へ入ってきたヴァレクが、卓上へ一通の書面を置く。
「午後、盟主との面会が決まった。昨夜届けた報告書にも目を通したそうだ」
リーネが顔を上げた。
「今日?」
「ああ。全員の同席も認められた。現地の状況については、お前からも説明してもらう」
「分かった」
「ただし、正式な和平や共同出兵を決める場ではない。そこは評議会の権限だ」
リーネは承知しているらしく、静かに答えた。
俺も朝食を続けながら、午後に会う人物のことを考えた。
盟主イシュラ・カルネス。
ヴァレクから何度か名前を聞いているが、ハルヴァが長く方針を違えてきた相手でもある。ラウネを襲ったカシュラ盟への対応も含め、リーネにとっては重要な面会になるはずだった。
◇
午後、俺たちはヴァレクの案内で高台の政務区画へ向かった。
昨日、リーネの代表資格を登録した建物の前には、異なる氏族の印章をつけた使者たちが集まっていた。護衛を伴う一団や書類を抱えた職員も行き交い、街の中心部とは違った忙しさがある。
途中、ヴァレクに気づいた男が立ち止まった。
「戻られていたのですね。ラウネの件はこちらにも届いています」
「詳細は今日、盟主へ報告する」
「評議会でも取り上げられるのでしょうな」
「その前に、現地への支援を考えなければならん」
ヴァレクが答えると、男は短く礼をして去っていった。
俺たちが向かった居館は、広い石造りの建物だった。
廊下には氏族ごとの印章が並び、装飾よりも実用性を重んじた造りになっている。案内役に続いて奥へ進むと、北方一帯の地図が広げられた会議室へ通された。
机の向こう側に、一人の女性が立っていた。
黒に灰色の混じる長い髪を後ろへ流し、その間から二本の角が伸びている。背は高く、暗い金色の瞳が俺たちを捉えた。
外見は四十歳前後にも見えるが、実際には六十六歳だと聞いている。
北方諸族連合の盟主、イシュラ・カルネス。
彼女は手元の書類を置き、ヴァレクを見た。
「戻ったか」
「ああ。ラウネの状況を見てきた」
「読んだ。相変わらずヴァルドは、私に面倒な仕事を残してくれる」
「本人に言え」
「言うさ。あの男にも、まだ聞きたいことがある」
ヴァレクの口元がわずかに緩んだ。
イシュラも少し笑ったが、俺たちへ向き直ると席を勧めた。
「遠路ご苦労だった。イシュラ・カルネスだ。報告書にある戦闘経過を、最初から聞き直すつもりはない。今日はまだ残っている危険と、ラウネへ何を送るべきかを聞かせてほしい」
全員が挨拶を済ませたところで、リーネが立ち上がった。
「リーネ・ハルヴァです。父の代理として参りました」
預かっていた書状を差し出すと、イシュラは封を確かめてから目を通した。
「……なるほど。ヴァルドらしい書き方だ」
リーネが少し身構える。
「父をご存じなんですか?」
「もちろんだ。昔から意見の合わん男だよ」
イシュラは書状を机へ置いた。
「だが、自分の氏族のことを他人任せにするような男でもない。今回も村を離れなかったそうだな」
「はい。復旧作業と施設の監視が続いていますし、負傷者もまだいますから」
「そうだろう。私が呼んだところで、あの状況で出てくるとは思えん」
リーネの肩から、わずかに力が抜けたようだった。
「和平の承認や氏族軍の動員については、お前に決定権を預けていないとある。その認識でいいか?」
「はい。ラウネで起きたことと父の考えを伝え、評議会では任された範囲で意見を述べるよう言われています」
「分かった。では、ハルヴァの代表として話を聞こう」
リーネが席へ着くと、イシュラは机に広げられた地図を手元へ引き寄せた。
◇
「第一隔壁は閉まらず、第二封鎖は大破、再建途中の第三封鎖も破られた。現状はそうだな?」
「はい。第一隔壁は岩が挟まって途中で止まりました。床の溝も壊れているので、今は無理に動かせません」
「なら、外側の封鎖から戻すしかないか」
イシュラはヴァレクに尋ねた。
「資材があれば進められるな?」
「ああ。ただ、ラウネは防柵の修復も続けている。人手が足りん」
「運搬も問題だぞ」
オスカーが地図へ身を乗り出した。
「山道の後半は荷馬が通れねえ。石材を増やすなら、それを運ぶ人間も増やさないとな」
「そうか。なら、石材だけ送って終わりにはできんな」
イシュラは控えていた職員を呼び、周辺氏族から調達できる資材と運搬人員を調べるよう命じた。
「警備の応援については、ヴァルドへ受け入れ方法を問い合わせてくれ。勝手に他氏族の兵を入れれば、あの男は援軍相手にも睨みを利かせるだろう」
「否定はできんな」
ヴァレクの返答に、イシュラは口元を緩めた。
「それと、施設内の兵器についてだが」
今度は俺へ向き直った。
「空中を移動する小型のものを、哨戒体と呼んでいるそうだな」
「俺たちが便宜上つけた名前です。翼はなく、距離を取りながら光を撃ってきます。グレンが左腕に受けた傷も、あれによるものです」
「まだ斧を持てないと聞いている」
「はい。防衛の指揮は続けていますが、治療にも時間がかかるそうです」
リーネが答えると、イシュラは職員へ負傷者の状況も支援資料に加えるよう伝えた。
「王都からの報告では、大型人型を統制体と呼んでいた。北方の古い記録にも似たものの記述はあるが、同じ種類とは限らん」
イシュラは書面を机へ戻した。
「特徴が一致するものは、こちらでも統制体と呼ぼう。哨戒体もその名で整理する。ただし、古い記録の表現は書き換えずに残してくれ」
職員が書き留める間に、彼女は統制体の状態と、施設外へ出た黒い獣についても尋ねた。
「統制体は一体を破壊しましたが、もう一体は床の崩落に巻き込まれ、その後は見ていません。黒い獣も一頭、外へ出たままです」
「両方とも、今も動いている可能性があるわけだな」
「はい」
イシュラは地図に描かれた山道を見た。
「発見した者には追わせるな。位置と進んだ方向だけ伝えさせればいい」
「ヴァルドも同じ指示を出している」
ヴァレクが答える。
「なら、その方針で続けてもらおう。見張りの交代要員も支援に含める」
そこでイシュラは地図を脇へ寄せ、リーネへ尋ねた。
「施設を閉じるというヴァルドの判断に、お前は最初から賛成していたのか?」
リーネは一瞬考えた。
「……最初は、もう少し調べてもいいと思っていました。使えていた設備もありましたから。でも、今まで反応しなかったものが動き始めて、グレンも怪我をして。あのまま続けるのは危険だと思ったんです」
「そうか。ヴァルドも同じ結論に至ったわけだな」
「はい。父が自分で決めました」
イシュラは地図のラウネに指を置いた。
「ここから援軍を送るには日数がかかる。山道が塞がれば、さらに遅れる。その間、ハルヴァは自分たちで守るしかない」
彼女は続けた。
「ヴァルドが施設を調べ続けた理由は理解している。連合の防衛だけで十分だと信じられたなら、あの男も別の選択をしたかもしれん」
「父も、ハルヴァを守るためだと言っていました」
「だろうな。だが、それで施設を再利用した判断まで正しかったことにはならん」
リーネは黙って聞いていた。
「ハルヴァの判断については検証する。一方で、カシュラが武力で封鎖を破ったことは、別に責任を問わねばならん。施設の扱いに異議があるなら、評議会で訴える道もあったのだからな」
「……はい」
「ラウネを守り直すのが先だ。責任の議論は、そのための支援を止める理由にはしない」
イシュラはそう言い切った。
「ありがとうございます」
「礼は物資が届いてからでいい。それよりヴァルドに伝えてくれ」
「何でしょう?」
「連合の守りがあの村へ十分届かなかったことは、私にも責任がある。だが、だからといって次から危ない設備を好きに動かしていいわけではない、と」
リーネは驚いたようだったが、やがて小さく笑った。
「はい。そのまま伝えます」
「頼む。あの男には遠回しに言っても通じんからな」
ヴァレクが横で苦笑していた。
◇
「アレン。次はお前に聞きたい」
イシュラが書類を閉じた。
「下層の装置は、お前が何者かを説明する前から操作員だと認めたのか?」
少し意外な質問だった。
「はい。最初からそう呼ばれました。登録情報を調べる設備とは連絡が取れないと言っていましたが」
「一緒にいたリーネもか?」
「いいえ。言葉が通じたのも俺だけです。聞いた内容はその場でリーネに伝えました」
イシュラはリーネにも尋ね、彼女が同じ経緯を説明すると、しばらく考え込んだ。
「装置の役割は?」
「保守と環境維持、それに操作員への支援だそうです。『初期入植基盤』という場所に属しているとも言っていました」
「初期入植基盤……」
イシュラはその言葉を繰り返したが、すぐに意味を尋ねてくることはなかった。
「施設の警備機構は止められなかったのだな」
「はい。管理する仕組みが別で、通信もできないそうです」
「操作員を認める設備がありながら、危険な兵器は止められないのか。随分と融通が利かんものだな」
「俺もそう思いました。あそこで統制体を止められれば助かったんですが」
「作った者に聞ければ早いのだろうが」
「それができれば、俺も苦労しなかったと思います」
俺が答えると、イシュラはわずかに笑った。
「違いない」
彼女は装置がどの程度までアレンを認識していたのか、もう一度尋ねた。
俺は質問に答えた範囲しか応答が得られなかったことと、詳しい登録情報にはアクセスできないと言われたことを伝えた。
「……そうか。この件はほかの施設情報と分けて記録しておこう」
それ以上の追及はなかった。
そこでセレナが口を開いた。
「古い史料を調べることはできるかしら。王都を襲った統制体や黒い獣と、ラウネの施設には共通する特徴があるの」
「王都の被害は書簡でも聞いている。市街にまで広がったあの災害と似た危険が北方にもあるなら、記録を照らし合わせる意味はあるだろう」
イシュラは職員へ、閲覧できる史料の案内を手配するよう頼んだ。
「ただし、氏族が所有するものまで私の一存では開けられん。そこは順を踏んでもらう」
「承知しているわ。ありがとう」
セレナは帳面に何かを書き留めた。
俺も『初期入植基盤』という言葉について、過去の記録から手掛かりが得られるなら調べてみたかった。
一方で、イシュラが装置の用途よりも、俺を操作員と認めた経緯を詳しく聞いたことは気になっていた。
ほかにも質問できることはあったはずだ。
ただ、その理由まで推測できるほど、俺は彼女のことを知らなかった。
◇
面会の終わりに、イシュラはリーネへ改めて声をかけた。
「評議会でも、今日のように話してほしい。ハルヴァが施設を使い続けた理由も、閉じると決めた経緯も、聞かれるだろう」
「はい」
「それと、カシュラ側も評議会へ招くことになる」
リーネの表情が変わった。
「……ラウネを襲った側も、ですか?」
「そうだ。正式に招集した代表と随員には、往復の安全を保障する慣習がある」
「でも、ラウネでは人が死んでいます」
リーネの声が硬くなった。
イシュラはそれを遮らなかった。
「知っている。だから責任を問う。だが、話し合いのために呼んだ相手を捕らえれば、今後は誰も調停の場へ来なくなる」
「相手の言い分も聞くということですか」
「聞く。だが認めるわけではない」
短い返答だった。
「何を求め、何をしたのかは聞く。そのうえで、譲れないものは譲らん。相手を締め出したまま、こちらの都合だけで決着をつけても、争いは収まらんからな」
リーネは膝の上で手を重ねた。
目の前の相手がラウネの被害を軽んじていないことは、ここまでの会話で伝わっていた。それでも、襲撃した側と同じ席に着くことは、簡単に受け入れられないのだろう。
「ゼイン本人が来る可能性もあるのか?」
ヴァレクが尋ねた。
「ある。正式な返答はまだだがな」
ゼイン・カシュラ。
ダークエルフ族の氏族長で、反盟主派の大勢力を束ねる男だ。グレンからは、北方で最も強い戦士を挙げるならまずその名が出ると聞いていた。
「本人が来るなら、警備は厳しくなるな」
ガルドが言うと、イシュラは答えた。
「護衛の人数と武装には条件をつける。ほかの氏族にも同じ基準を適用するが、ゼインについては特に警戒が要るだろう」
「それでも呼ぶんですね」
俺が尋ねると、イシュラはあっさり頷いた。
「来ずに兵を動かされるより、目の前で何を求めているのか聞けた方がいい。あの男も、会議の場で刃を抜けば何を失うか、計算できないわけではない」
「よくご存じなんですね」
「長い付き合いだ。考え方は合わんが、力量まで否定するつもりはない」
イシュラは窓の外へ一度目を向けた。
「力があるだけの男なら、まだ扱いやすかっただろう。あれは人を集めるのも、待つのも上手い」
ヴァレクは何も言わなかった。
「だからこちらも、焦って間違えるわけにはいかん」
その言葉には、相手を警戒するだけでなく、よく知る者としての実感があった。
イシュラはリーネへ向き直った。
「評議会でカシュラの代表と顔を合わせても、無理に言い負かそうとするな。お前が見たことを、そのまま話せばいい。知らないことまで答える義務はない」
「……分かりました」
リーネはしばらく考え、それから顔を上げた。
「でも、父がどうして封鎖を決めたのかは、ちゃんと伝えたいです」
「ああ。それは聞くべき者に聞かせてやれ」
イシュラはそう答えて立ち上がり、ヴァレクへ書類を一通渡した。
「ラウネへの物資は今日から調整を始める。ヴァルドにも、不足している人員と運搬の見込みを知らせるよう頼んでくれ」
「分かった」
「それと、施設の件ではまだ文句があるとも伝えておいてほしい」
「それもか?」
「ああ。黙っていたら、あの男は私が納得したと思うだろうからな」
ヴァレクが苦笑し、リーネもつられるように笑った。
そこで面会は終わった。
◇
居館を出ると、午後の日差しは傾き始めていた。
高台からはノルヴェインの街が見渡せ、中央市場の方では荷車が行き交っている。政務区画へ向かう使者たちとも何度かすれ違い、評議会の建物では職員たちが忙しく出入りしていた。
「……思っていた人と違ったな」
隣を歩くリーネが言った。
「もっと父さんのことを責められると思ってた。昔から盟主の方針に反対してきたんだし」
「施設については、まだ言いたいことがあるらしいぞ」
「うん。でも、物資は送ってくれるんだよね」
リーネは胸元の革袋を抱え直した。
「父さんなら、きっとそっちを先に聞くと思う」
そう言われれば、ヴァルドの顔が浮かぶ。長い説教よりも、どの道から何を運ぶのかを先に確かめそうだった。
評議会の建物の前を通ったところで、リーネが歩みを緩めた。
「アレン。今夜、ラウネでのことを一緒に見直してもいい?」
「報告書か?」
「うん。カシュラの代表が来るなら、私もちゃんと答えたい。施設で何を見て、何をしたのか、自分の言葉で伝えられるように」
「分かった。俺がいた場所のことなら手伝えるよ」
「ありがとう」
リーネは頷き、評議会の入口をしばらく眺めていた。
ラウネでは剣を手にしていた彼女が、今度は氏族の代表として、あの場所でカシュラの者たちと向き合うことになる。
俺が考えていたより、ずっと大変な仕事なのかもしれない。
「行こうか。ヴァレクたちが待ってる」
「うん」
リーネは踵を返し、先を歩く仲間たちの後を追った。
俺もその隣へ並び、夕方の街へ向かって高台を下りていった。




