第115話 盟都ノルヴェイン
翌朝、俺たちは宿場で朝食を済ませ、北東へ続く街道を歩き始めた。
山間の道を抜けてから、荷車とすれ違う機会が増えている。道の両側には畑や牧草地が広がり、遠くの斜面では家畜を追う人々の姿も見えた。
ノルヴェインが近づいていることは、街道の様子からも分かった。道標には行き先だけでなく、次の休憩所までの距離が刻まれており、傷んだ路面を修繕している職人たちとも何度かすれ違った。
「今日はもう、盟都まで行けそうな道だね」
リーネが前方を眺めながら言った。
「距離はまだある。今夜は最後の中継地で泊まるつもりだ」
ヴァレクが答える。
「そっか。でも、あと少しなんだよね」
「ああ。明日の昼頃には着けるだろう」
リーネは嬉しそうに頷き、隣を歩くフィアナへ顔を向けた。
「どんな街なんだろうね。あの交易集落でも、ずいぶん驚いたのに」
「私も楽しみだな。王都とは街の造りも違うみたいだし」
「そうなの?」
「ヴァレクが、いくつもの氏族の道が集まってできた街だって言ってたでしょう? どんなふうに建物が並んでいるのか、見てみたいなって」
二人はそんなことを話しながら、丘陵の間を続く道を歩いていた。
昼過ぎには街道が二つに分かれ、俺たちはヴァレクの案内で東寄りの道を進んだ。夕方に着いた中継地では、明朝ノルヴェインへ入る予定の商人たちが宿に集まっており、食堂では荷を下ろす場所や市場の話が飛び交っていた。
俺たちも翌日の行程を確かめ、早めに休むことにした。
◇
翌朝、まだ気温の低いうちに中継地を出発した。
街道は緩やかな丘陵の間を抜け、しばらくすると長い上り坂に差しかかった。周囲には背の低い木々が増え、斜面には石垣で区切られた畑が続いている。
坂を上りきる少し手前で、ヴァレクが振り返った。
「この先へ出れば、ノルヴェインが見える」
「本当?」
リーネが顔を上げた。
「ああ。もう少しだ」
彼女は少し歩調を速めかけたが、前方を進む荷車がいたので、その後ろについて坂を上った。
やがて視界が開け、街道の先に広い盆地が現れた。
「……わあ」
リーネが思わず足を止めた。
俺も隣へ並び、眼下へ目を向ける。
盆地の中央には、数えきれないほどの建物が密集していた。
灰色の石壁と木造の家屋が入り交じり、屋根の色や形も一様ではない。大きな通りに沿って倉庫や商店らしい建物が並び、そこから細い道が何本も枝分かれしている。
都市の外周には石造りの防壁が続き、その外側にも畑や牧草地、小さな家々が広がっていた。周囲の丘陵から下りてきたいくつもの街道が、門のある場所へ集まっている。
そして、市街の中央には一段高くなった区域があった。
周囲を石壁で囲まれた高台には、ほかの建物より大きな石造りの建築がいくつも並んでいる。中央の建物は幅が広く、屋根の上には北方の風を受けて旗が揺れていた。
「あれがノルヴェインか」
俺が呟くと、ヴァレクが頷いた。
「そうだ。北方諸族連合の盟都ノルヴェインだ」
リーネは街の全体を見渡していた。
「こんなに大きいんだ……。あの高いところにあるのは?」
「盟主の居館と評議会の施設だ。周辺には政務を扱う建物も集まっている」
「へえ……」
彼女はしばらく高台を見つめ、それから外周の防壁へ視線を移した。
「門があるところまで、まだ結構歩くんだね」
「ああ。ここから下りても、しばらくかかる」
ヴァレクが答えると、ガルドが笑った。
「城壁が見えたからって、もう着いた気になるなよ」
「分かってるって。でも、あんなにたくさんの家があるなんて思わなかったから」
リーネはもう一度街を眺めた。
ラウネでは家々が斜面や道に沿って点在していたが、ノルヴェインには建物が途切れない区域がいくつもある。遠くからでも荷車が行き交う様子が分かり、門の近くには通行を待つ一団も見えた。
俺は王都レーヴェンハルトの街並みを思い浮かべた。
あちらは王城へ向かう大通りや整えられた街区が目立っていたが、ノルヴェインの道は地形に沿って曲がり、異なる方向から来た街道を取り込むようにつながっている。
周囲の氏族が行き交う場所に、長い年月をかけて建物や道が増えていったのだろう。
「アレン、あの建物も大きいね」
フィアナが中央の高台とは別の方角を指した。
そこには屋根の広い建物が何棟も並び、手前には荷車が集まる広場が見えた。
「倉庫かな?」
「交易用の倉庫だ」
ヴァレクが答えた。
「大きな荷車は、あそこで荷を下ろすことが多い。市場へ運ぶ物もあれば、別の氏族の土地へ送る物もある」
「それで、あんなにたくさんの馬車が集まってるんだね」
フィアナは納得したように頷いた。
セレナも中央の高台へ目を向けていたが、やがてヴァレクに声をかけた。
「古い記録を保管している施設も、あの辺りにあるのかしら」
「ああ。場所は後で教える。まずは報告を済ませなければならんがな」
「ええ。分かっているわ」
セレナは頷き、もう一度街の全体を眺めた。
俺たちはしばらく景色を見てから、街道へ戻って坂を下り始めた。
◇
盆地へ下りるにつれて、道の両側には建物が増えていった。
畑の間を抜ける街道は別の道と合流し、やがて荷車が何台も並んで進むほどの往来になった。都市の防壁が近づくと、門の手前には通行を待つための広場が設けられており、商人たちが順番に荷の確認を受けていた。
「ここで確認を受ける」
ヴァレクが言った。
「俺が話す。お前たちは一緒にいてくれ」
俺たちは頷き、通行の列へ並んだ。
しばらくすると、武装した男がこちらへ歩いてきた。
「七人か。通行の目的を聞かせてもらおう」
「盟主への報告だ。ヴァレク・ノルガが戻ったと伝えてくれ」
男はヴァレクの顔を見直した。
「……ヴァレク殿?」
「ああ。ラウネから戻った」
「失礼しました。お帰りなさい」
男は姿勢を正し、詰所にいた別の担当者へ声をかけた。
ヴァレクが同行者の人数と身分を伝えると、担当者は通行記録を取り始めた。俺たちも順番に名前を告げ、携行している武器について確認を受ける。
ガルドとオスカーの武器には担当者も目を向けていたが、二人が冒険者としての身分を示すと、必要な事項を書き留めていた。
フィアナの番になったところで、担当者の筆が止まった。
「王国の聖女、フィアナ・エルシェ殿ですか?」
「はい」
フィアナが答えると、男はヴァレクへ目を向けた。
「聖女殿も盟主への報告に同行されるのですか?」
「ああ。王都とラウネの双方で起きた異常の当事者だ。報告に同席してもらう」
「承知しました。帰還の連絡と合わせて、上にも伝えておきます」
男は改めてフィアナへ一礼し、記録を続けた。
全員の確認が終わると、ヴァレクは通行記録の控えを受け取り、俺たちを促した。
門をくぐった途端、周囲の音が一段と大きくなった。
◇
広い通りの中央を荷車が進み、その両側には買い物に来た住人や旅人が行き交っていた。
建物は二階建てのものが多かったが、通りを進むにつれて三階まである家屋も現れた。木造の上階が道へ張り出している建物もあれば、石壁を高く積み上げた倉庫もあり、軒先には氏族ごとに異なる模様の旗や布が掲げられている。
「人が多いね」
フィアナが周囲を見ながら言った。
「ああ。さっきの交易集落とは比べものにならないな」
「ラウネだったら、見たことない人が歩いてたらすぐ分かるのに」
リーネは通りの向こうを眺めていた。
荷車の間を、小さな籠を抱えた子供たちが走り抜けていく。少し先では、職人らしい男が革製の道具袋を肩に掛け、別の店へ入っていった。
「あれだけ人がいたら、誰がどこの氏族なのか覚えられないね」
「長く暮らしている者も多いからな。ほかの氏族の土地から移ってきた者もいれば、商売のために滞在している者もいる」
ヴァレクはそう答え、先へ進んだ。
俺たちは大通りから中央の高台へ続く坂道に入った。
こちらは荷車が少なく、代わりに書類を抱えた者や、武装した随員を連れた一団とすれ違う。石造りの建物が増え、入口に見張りを置いた施設も目立ち始めた。
坂の途中にある広場では、異なる意匠の外套を着た者たちが、それぞれ数人ずつ集まって話をしていた。
中には戦士を伴っている者もおり、何かの書類を見ながら意見を交わしている。近くの建物には次々と人が出入りしていたが、ヴァレクはその前で足を止めず、高台の奥へ進んだ。
「今は各地からの報告が増えている。国境の交渉についても、氏族ごとに意見があるからな」
ヴァレクの説明に、リーネが頷いた。
「私も、ああいう人たちと話すことになるのかな」
「評議会に出れば、ほかの氏族の代表と顔を合わせることになる。だが、まずはハルヴァで起きたことを報告してもらう」
「うん。分かってる」
リーネは肩に掛けた荷袋を直し、ヴァレクの後へ続いた。
◇
案内されたのは、高台の一角にある石造りの建物だった。
広い玄関には複数の机が置かれ、壁際には書類を収める棚が並んでいる。奥では書記たちが帳面を開き、訪れた者の話を聞きながら仕事を進めていた。
ヴァレクが受付へ近づくと、机にいた男が顔を上げた。
「ヴァレク殿。お戻りでしたか」
「ああ。ラウネから戻った。盟主への報告を取り次いでもらいたい」
「承知しました。報告書はお持ちですか?」
「ある。現地で起きたことをまとめているが、詳しい事情は直接説明したい。同行者にも証言してもらう予定だ」
ヴァレクが書類を差し出すと、担当者は内容を確かめ、別の帳面へ必要な事項を書き込んだ。
「盟主の側近へお伝えします。面会の予定については、調整ができ次第お知らせします」
「ああ。頼む」
やり取りを終えたヴァレクが、こちらへ振り返った。
「リーネ。書状を出してくれ」
「うん」
リーネは荷袋から革の書類入れを取り出した。
ヴァルドから預かった書状は、旅の間も折れたり濡れたりしないよう、大切に保管していたらしい。
受付の男は書状を受け取り、記された名と印を確認した。
「ハルヴァ氏族長、ヴァルド・ハルヴァ殿からの委任状ですね」
「はい」
「代表として来られたのは?」
リーネは一度だけ息を整えた。
「私です。リーネ・ハルヴァです」
男は書状へ目を戻し、記された内容を確かめた。
「施設で起きた件についての報告と、諸族評議会でハルヴァ氏族の意見を伝える役割を任されているのですね」
「うん。和平についても、ほかの氏族の話を聞いてくるように言われてる」
「分かりました。正式な和平条件への同意については、氏族長から権限を預かっていないということでよろしいですか?」
「うん。大事なことはラウネへ持ち帰って、ヴァルドたちと相談することになってる」
「承知しました。そのように記録しておきます」
担当者は帳面に書き込み、書状を返した。
「ハルヴァ氏族の代表として受け付けました。評議会への出席については、日程が決まり次第、ヴァレク殿を通じて連絡します」
「分かりました。よろしくお願いします」
リーネは書状を両手で受け取り、丁寧に書類入れへ戻した。
受付を離れたところで、フィアナが彼女へ声をかけた。
「緊張した?」
「ちょっとね。書状を出すだけだと思ってたけど、いろいろ聞かれたから」
「ちゃんと答えられてたよ」
「ありがとう。まだ本番はこれからなんだけどね」
リーネは少し笑い、書類入れを荷袋へしまった。
ヴァレクも手続きを終えたらしく、こちらへ戻ってきた。
「報告書は受け取ってもらえた。盟主との面会については、側近からの連絡を待つことになる」
「すぐには会えないんだな」
俺が尋ねると、ヴァレクは頷いた。
「今は和平交渉の準備も進んでいる。予定を確認してもらう必要があるだろう」
「分かった。俺たちはどこで待てばいい?」
「滞在先を用意する。俺が使っている宿舎の近くに来客用の部屋があるから、まずはそこへ向かおう」
俺たちはヴァレクの後について建物を出た。
◇
案内された宿舎は、高台から少し下ったところにあった。
石壁と木造の上階を組み合わせた建物で、入口には管理人がいる。ヴァレクが帰還を告げると、空いている客室を確かめ、俺たちを案内してくれた。
荷物を運び込んで旅装を解くと、肩が随分軽くなった気がした。
窓の外には市街の屋根が広がり、その向こうには盆地を囲む丘陵が見える。街道ではまだ荷車が行き交い、陽が傾き始めても市場の方からは人の声が聞こえてきた。
「広い街だな」
俺が呟くと、隣へ来たフィアナも窓の外を眺めた。
「そうだね。まだほんの少ししか歩いてないのに、見たいところがたくさんあるよ」
「ああ。落ち着いたら、少し歩いてみたいな」
「うん。でも今日は、さすがに疲れたかな」
フィアナはそう言って笑い、外套を脱いで椅子の背へ掛けた。
少しして、ヴァレクが全員を集め、翌日からの予定を伝えた。
「明日は俺が盟主側との連絡を進める。面会の日程が決まれば知らせるから、それまでは休養と装備の手入れをしていてくれ」
「必要になったら呼んでくれりゃいいんだな」
ガルドが確認すると、ヴァレクは頷いた。
「ああ。ラウネで起きたことについて、詳しく話を聞かれるはずだ。お前たちにも準備しておいてもらいたい」
「分かった」
俺が答えると、セレナが口を開いた。
「史料庫についても、後で相談できるかしら」
「閲覧の手続きは確認しておく。調べたい記録を整理しておいてくれ」
「そうするわ。ありがとう」
ヴァレクは続いてリーネへ目を向けた。
「お前の方も、評議会の日程が分かれば知らせる。ハルヴァの代表としての届けは済んだからな」
「うん。報告する時には、私も一緒に行けるんだよね?」
「もちろんだ。施設で何が起きたのか、お前自身の口から話してもらう」
「分かった。準備しておく」
それを聞いて、リーネは頷いた。
ヴァレクは管理人と夕食の相談をするために部屋を出ていき、ガルドとオスカーもそれぞれ荷物の片づけへ戻った。セレナは早速持ってきた書類を広げている。
俺は窓辺へ戻り、中央の高台にある大きな石造りの建物へ目を向けた。
あの中で、俺たちは盟主に会うことになるのだろう。
王都で起きたこと、ラウネの施設で見てきたこと。何から説明するべきか考えていると、背後からフィアナの声がした。
「アレン、荷物は全部出しちゃっていいかな?」
「ああ。しばらく滞在することになるだろうしな」
「じゃあ、着替えと手当ての道具だけ先に出しておくね」
フィアナが荷袋を開いたので、俺も壁際に置いた自分の荷を整理し始めた。
窓の外では、家々の屋根に夕日が当たり、中央の高台にも長い影が伸びている。
しばらくして階下から夕食の支度ができたと声がかかり、俺は荷袋の口を閉じた。
「フィアナ、そろそろ下へ行こうか」
「うん。ちょうど終わったところ」
彼女が立ち上がるのを待ち、俺たちは一緒に部屋を出た。




