第113話 風上の影
谷の向こうに日が差し始めた頃、俺たちは野営地を後にした。
夜のうちに冷え込んだせいか、沢沿いの草には薄く霜がついていた。木々の間を流れる空気もまだ冷たかったが、歩き始めてしばらくすると身体が温まり、外套の前を少し緩めても気にならなくなった。
「今日は、夕方までに集落へ着けるんだよね?」
リーネが前を歩くヴァレクに尋ねた。
「ああ。途中で岩壁沿いの道を通るが、そこを抜ければ交易路が広くなる。順調なら日が落ちる前には着けるはずだ」
「それなら、今日は屋根の下で寝られるかもしれないね」
「宿が空いてりゃな」
ガルドが言うと、リーネは振り返って笑った。
「なかったら、また野営すればいいよ。昨日も悪くなかったし」
「一晩ならな。雨が何日も続いたら、そんなこと言ってられねえぞ」
「それくらい分かってるって。私だって山で暮らしてるんだから」
ガルドは愉快そうに笑い、背負った荷の位置を直した。
谷沿いの道には荷車の轍が残り、ところどころに石を積んだ目印が立っていた。途中で渡った小さな橋は丸太を組んだものだったが、傷んだ箇所には新しい木材が使われており、その先にも人の手で整えられた道が続いている。
ラウネを離れてから、これほど往来の痕跡が多い場所を歩くのは初めてだった。
「ここは荷馬車も通るのか?」
俺が尋ねると、ヴァレクは道幅を見ながら答えた。
「一部では使える。ただ、山越えの区間は馬に積み替えることが多いな。荷車が通れない場所も残っている」
確かに、道は整えられていても急な曲がり角が多い。王国の街道で見かける大型の荷馬車では、車輪を岩へぶつけてしまいそうな場所もあった。
昼が近づくにつれて谷は狭まり、右手には高い岩壁が続くようになった。反対側は深い斜面になっており、道の端には転落を防ぐための低い石積みが設けられている。
先頭のヴァレクが歩調を落とした。
「この先は少し道幅が狭くなる。間隔を空けすぎないようにしてくれ」
俺たちは自然と一列になり、岩壁に沿って進んだ。
その時、曲がり角の向こうから馬の激しい嘶きが聞こえた。
続いて、人の叫び声が重なる。
「何かあったな」
ガルドが前へ出た。
俺も剣へ手を添え、ヴァレクと一緒に曲がり角の先を覗き込んだ。
◇
少し先の道で、荷馬が二頭暴れていた。
一頭は岩壁へ身体を寄せているが、もう一頭は落ち着かずに首を振り、手綱を握った男が必死に抑えている。荷の脇には旅装の女性が立ち、しきりに上空を見上げていた。
俺もそちらへ目を向ける。
岩壁の上を、大きな影が横切った。
暗緑色の鱗に覆われた細長い胴体。背中には硬そうな棘が並び、長い尾の先まで厚い鱗が続いている。広げた翼は皮膜でできており、風を受けるたびに骨組みの形が浮かび上がった。
「ワイバーンか」
飛竜の一種であるワイバーンは、冒険者なら誰でも名前を知っている魔物だ。
空から獲物へ襲いかかるだけでなく、地上へ下りれば強靱な後脚と尾を使って暴れ回る。鱗は硬く、生半可な矢では致命傷を与えにくい。翼を狙うにしても、飛び回る相手へ十分な威力の攻撃を当てるのは簡単ではなかった。
討伐依頼が出れば、一体でも金級冒険者を中心としたパーティで対応することが多い。特に大きく成長した個体は白金級の討伐対象になることもあり、遭遇した場所によっては、戦うより逃げ道を確保する方が難しい相手だった。
上空の一体も、翼を広げれば荷馬車より大きい。
だが、次に聞こえたセレナの声で、俺はさらに高いところへ目を向けた。
「アレン、ほかにもいるわ」
岩壁の上から二つ目の影が現れ、その後ろを小柄な個体が追っていた。谷の下流側にも二体が旋回しており、最も大きな一体は、ほかより明らかに太い胴体と長い尾を持っている。
全部で五体。小柄なものが三体、大型が二体だった。
「……五体もいるの?」
リーネが驚いたように声を漏らした。
群れを作ること自体はあり得るが、これほどの数が同じ交易路へ降りてくるとなれば厄介だった。周囲にほかの獲物が見当たらない以上、荷馬を狙っている可能性が高い。
今いる場所は、右が岩壁で左が谷だ。馬を走らせれば、荷の重みで身体を持っていかれかねない。
「あの岩陰へ馬を入れよう」
俺は商人たちの近くにある窪みを指した。
岩壁の根元が大きく抉れ、上部は庇のように張り出している。奥行きもあるので、二頭の荷馬を退避させることはできそうだった。
「そうだな。ガルド、俺と一緒に頼む」
ヴァレクが動きかけたところで、オスカーが上空を見たまま口を開いた。
「待て。まず馬をあそこへ入れろ。全員、岩陰から出るなよ」
声は落ち着いていたが、視線は五体の動きを追い続けている。
「オスカーさんは?」
「俺がやる」
「五体ともですか?」
「ああ。あいつらが下りてきたらな」
オスカーはそれだけ答えると、岩壁沿いに道の先へ目を向けた。
曲がり角の向こうには、山側の岩壁が少し後退して道幅の広くなった場所がある。谷側にも礫の積もった平場が張り出しており、荷馬同士がすれ違えるだけの広さがあった。
「俺はあそこに出る。風を使うから、こっちには近づくな」
ガルドが一度その場所を見てから頷いた。
「分かった。馬は俺たちで守る」
「頼むぞ」
俺たちはすぐに動き始めた。
◇
「そっちの二人! 馬をあの岩陰へ入れてくれ!」
俺が声をかけると、手綱を握っていた男が振り返った。
「助けてくれ! 上から狙われてるんだ!」
「見えてる。馬を走らせるな。こっちで手伝う!」
ヴァレクが先に駆け寄り、暴れている馬の頭を岩壁の方へ向けた。ガルドも荷が引っかからないよう支えながら、少しずつ窪みへ誘導していく。
俺はもう一頭の綱を受け取り、二人の後に続いた。
馬二頭と積み荷を収めると窪みの中は窮屈になったが、張り出した岩が上空を遮ってくれる。少なくとも、ワイバーンが直接飛び込んでくることは難しそうだった。
セレナとフィアナは商人たちを奥へ案内し、リーネは馬が道へ飛び出さないよう入口の反対側に立った。
「ここで待っていてくれ。合図するまで外へ出ないように」
俺が男に告げると、青ざめた顔で何度も頷いた。
岩陰の入口へ戻り、剣を抜く。
ヴァレクも入口の脇で細剣を構えた。ガルドは馬と商人たちを守れるよう、窪みの内側に残っている。
その間に、オスカーは広い礫地へ出ていた。
戦斧を肩に担ぎ、岩壁から少し離れた場所で足を止める。上空のワイバーンは彼の存在に気づいたらしく、何体かが首を傾けて様子を窺っていた。
「……本当に一人でやるつもりなのか」
俺が呟くと、ガルドは上空を見ながら答えた。
「お前も、あいつが飛行種とやるところは初めてだろ。まあ、見てりゃ分かる」
「それはそうだけどな」
「俺たちは馬を守るぞ。向こうへ出るんじゃねえ」
俺は頷き、窪みの入口へ意識を戻した。
王都の地下では、オスカーが黒い人型三体を一振りで両断するところを見ている。その膂力は知っていたが、相手は地上を動く敵だった。飛行する魔物を五体も相手に、どう戦うつもりなのかは想像がつかなかった。
その時、窪みの奥で荷馬が激しく嘶いた。
甲高い声が岩壁へ反響し、上空を旋回していた一体が首を下げた。翼を傾けて高度を落とすと、ほかの個体もそれに続くように旋回の輪を狭め始める。
最初の一体は荷馬の姿を探すように岩壁沿いへ近づいたが、張り出した岩が邪魔になり、そのまま道の広い方へ回り込んだ。二体目も後を追い、谷の上流側から降下してくる。
大型の一体が低く鳴くと、残る二体も翼を傾けた。獲物を奪い合っているのか、互いの動きに引き寄せられているのかは分からないが、五体とも礫地の方へ寄ってきている。
オスカーは、まだ動かなかった。
小柄な三体が礫地の上へ入り、大型の二体もそれを追って低空へ降りてきた。五体の進路が重なり始めたところで、オスカーが戦斧を下ろした。
◇
最初に聞こえたのは、岩肌を擦るような低い風の音だった。
オスカーが立っている礫地の上で空気が大きく動き、谷を吹き上げていた風とは別の流れが生まれる。
降下してきたワイバーンが翼を広げ、姿勢を変えようとした。
その瞬間、上から強烈な風が落ちた。
翼の広い面へまともに気流を受けた一体が、羽ばたく間もなく高度を失う。続いて二体目が地面へ叩きつけられ、礫を巻き上げながら横滑りした。
残る三体も、すでに同じ範囲へ入り込んでいた。
大型の一体が翼を大きく打って上昇しようとしたが、風を受けるたびに身体が沈み、岩の上へ降ろされてしまう。最後の一体は辛うじて飛行を保とうとしたものの、広げた翼がかえって強い風を受け、脚から地面へ落ちた。
地表へぶつかった風が四方へ吹き出し、砂と小石を巻き上げた。
俺たちのいる場所まで砂埃が流れてきたが、岩壁が大半を遮ってくれる。馬たちは怯えたように首を振り、ヴァレクも岩陰の内側へ戻って、ガルドと一緒に手綱を押さえ直した。
前方では、五体のワイバーンが地面に下ろされていた。
翼を広げようとすると風を受け、再び身体を押し下げられる。それでも後脚や首、尾は動いており、大型の二体は地面を掻きながら、何とか起き上がろうとしていた。
俺も風魔法を使うから、強烈な下降気流で翼を押さえつけ、飛行を封じていることは理解できた。ただ、あれほどの範囲へ同じ流れを送り続ける技術は俺にはない。範囲内に入れば俺たちまで風圧を受けるため、オスカーは岩陰へ退避させたのだろう。
だが、本人はどうするつもりなのか。
そう考えた時、オスカーが動いた。
戦斧を両手で握り直し、五体のワイバーンへ向かって歩き始めたのだ。
「……おい、まさか」
思わず声が漏れた。
オスカーの足元でも、砂礫は激しい風に押さえつけられている。
外套は背中へ張りつき、踏み込むたびに身体がわずかに沈む。肩から腕へも同じ風圧がかかっているはずだが、彼は足を止めなかった。
普通なら身を起こすだけでも苦労するほどの風の中を、巨大な戦斧を持って進んでいく。
最初の一体が首を伸ばし、鋭い牙を剥いた。
オスカーは半歩だけ身体をずらし、振り上げた戦斧を横から叩き込んだ。
硬い鱗を断つ鈍い音が響き、ワイバーンの首が地面へ落ちた。
その刃を引き戻す間に、二体目が後脚を突っ張って身体を起こしかける。オスカーは踏み込みながら斧を振り抜き、首を断つと、返す勢いで三体目へ向き直った。
翼を広げられない魔物は首を伸ばして抵抗したが、重い刃が横へ走り、三つ目の頭部が礫地を転がった。
ほとんど間を置かず、三体が倒れた。
残る二体は、どちらも大型だった。
一体が太い尾を振り回し、オスカーの足元を払おうとする。風で翼を封じられていても、その巨体が持つ力まで失われたわけではない。
オスカーは尾の動きを見て一歩下がり、通り過ぎたところへ踏み込んだ。
斧を振り上げる腕にも風圧がかかっている。それでも分厚い肩と背中の筋肉が動き、巨大な刃が持ち上がった。
次の一撃で、四体目の首が落ちた。
最も大きな個体が、低く唸りながら身体を起こそうとしていた。後脚で地面を蹴り、翼を畳んだままオスカーへ顎を向ける。
オスカーは真正面から近づかず、魔物の側面へ回った。
首が追ってくるより早く踏み込み、戦斧を大きく振り抜く。
五つ目の首が、岩の上へ落ちた。
やがて風の音が弱まり、礫地に残っていた砂が周囲へ流れ始めた。
オスカーは戦斧を下ろし、しばらく五体の死骸を確かめていた。大きく息を吐いてから額の汗を拭い、こちらへ向き直る。
「終わりだ。馬は無事か?」
俺は返事をするまでに、少し時間がかかった。
「……はい。二頭とも無事です」
「ならいい」
オスカーは頷き、戦斧を肩へ担ぎ直した。
岩壁の前には、首を失った五体のワイバーンが横たわっている。
一体ずつ相手にしても、金級の冒険者たちが慎重に戦うはずの魔物だ。大型の個体が二体も混じっていたのに、オスカーは飛ぶ力を奪い、短い間にすべて仕留めてしまった。
王都の地下で見た戦斧の一撃も、常識外れの膂力だった。
それでも、あれほどの風圧を自分で生み出し、その中で平然と戦斧を振るえるとは思わなかった。
隣のガルドが、ようやく手綱を離した。
「相変わらず、無茶なことしやがる」
「ガルドは見慣れてるのか?」
「あいつと何度も仕事してりゃな。まあ、五体まとめてってのは、そう何度も見るもんじゃねえが」
ガルドは笑いながら、窪みの外へ出た。
「さて、こっちも仕事だ。馬を落ち着かせてやらねえとな」
俺も剣を鞘へ収め、商人たちの方へ向き直った。
◇
「本当に、ありがとうございました」
商人の男は、まだ少し震える声で礼を言った。
短い角のある壮年の男と、人間に近い顔立ちの若い女性。二人はこの先の集落へ荷を運んでいる途中で、岩壁の上にワイバーンが現れたため、進むことも引き返すこともできなくなっていたらしい。
「気にするな。馬が無事でよかった」
オスカーが答えると、男は何度も頷いた。
フィアナは手綱で擦った男の手を診て、傷を洗ってから布を巻いていた。女性は馬の荷を確かめているが、ときどき道の先に横たわる死骸へ目を向けている。
リーネもその様子を見ていたが、やがてオスカーへ尋ねた。
「さっきの風、オスカー自身も受けてたんだよね?」
「ああ」
「よく動けたね。ワイバーンがあれだけ押さえられてたのに」
「重かったぞ」
オスカーは何でもないことのように答えた。
「……それだけ?」
「ほかに何がある」
リーネは困ったように俺を見た。
俺も苦笑するしかなかった。
「オスカーさん、味方が近くにいたら、あの魔法は使えないですよね」
「当たり前だ。巻き込んじまう」
オスカーは死骸の方へ顎をしゃくった。
「あれだけ固まって、開けたところへ下りてきたからできたんだ。岩陰にお前らがいたら、ああはいかん」
そう言って戦斧の刃を拭い始める。
ガルドが横から口を挟んだ。
「お前はいいよな。自分で出した風の中でも戦えるんだからよ」
「お前も入ってくりゃよかっただろ」
「冗談じゃねえ。あんな風の中で大剣振ったら、肩が外れちまう」
オスカーは大きく笑った。
◇
倒した五体のワイバーンは、交易路の広い部分を塞いでいた。
素材になる鱗や爪、翼の骨は相当な量がありそうだったが、俺たちにも商人たちにも運ぶ余裕はない。
そこで、ガルドとオスカーが翼を畳み、俺とヴァレクも加わって通行に必要な幅を確保することにした。
大型の二体は特に重く、胴を動かすのは難しかったので、俺が土魔法で礫を寄せ、荷馬が通るための足場を整える。オスカーたちは翼が道へ張り出さないよう位置を変え、残った死骸は集落へ知らせることにした。
「これだけあれば、素材を引き取る者も来るだろうな」
ガルドが言うと、商人の男が頷いた。
「集落に着いたら知らせておきます。運び出すには人手が必要でしょうけど、かなりの値になると思いますよ」
「好きにしてくれ」
オスカーは特に興味がなさそうだった。
商人の女性が小さな革袋を取り出した。
「せめて、お礼だけでも受け取ってもらえませんか」
中には銀貨が入っているらしい。
オスカーは袋を一度見たが、手を伸ばさなかった。
「荷の方に回しとけ。先まで運ぶんだろ」
「でも……」
「馬も疲れてる。早く休ませてやれ」
女性は少し迷ったあと、深く頭を下げた。
ヴァレクが道の先を見た。
「俺たちも同じ集落へ向かっている。よければ、途中まで一緒に行こう」
「それはありがたいです」
男が答え、荷馬の綱を握り直す。
二頭ともまだ落ち着かない様子はあったが、怪我はしていない。水を与えてしばらく休ませると、ようやく普段の歩調を取り戻した。
俺たちは商人たちと一緒に、北へ向かう交易路を歩き始めた。
◇
午後の道は、岩壁を抜けるにつれて少しずつ広くなっていった。
途中には荷を置くための石台や、小さな休憩所が設けられている。軒下には古い薪が積まれ、壁代わりの板には旅人が残したらしい刻み目もあった。
商人たちが馬を休ませたいと言ったため、俺たちもそこで水を飲むことにした。
「この先の集落までは、あとどれくらいだ?」
俺が尋ねると、男は道の先を見た。
「今の速さなら、日が落ちる前には着きますよ。最後に少し坂がありますけどね」
「なら、急ぐ必要はなさそうだな」
荷馬に積まれているのは鉄具や塩、それに保存の利く食料だった。集落で荷を下ろしたあとは、毛皮や乾燥肉などを積んで南へ戻るという。
「ラウネにも荷を運んでるの?」
リーネが女性に尋ねた。
「以前はよく行ってたよ。でも、最近は北から来る荷が減っていて、行き先を変えることもあるんだ」
「カシュラのこと?」
「それもあるね。道は通れても、どこの氏族の荷なのか気にする人が増えたから」
女性は困ったように笑った。
「荷を運ぶ側としては、無事に通してもらえる道を選ぶしかないんだけどね」
ヴァレクがそちらへ目を向けた。
「この辺りでも通行の確認が厳しくなっているのか?」
「集落によるかな。何も聞かれなかった場所で、荷の行き先を確かめられることもあるよ」
「そうか」
ヴァレクは短く答え、それ以上は問い詰めなかった。
戦士団同士が衝突していなくても、氏族間の関係が悪くなれば、荷を運ぶ人々の仕事にも影響するらしい。ラウネでは家や防柵の修復が進んでいたが、必要な物資が予定どおり届かなければ、復旧にも時間がかかるだろう。
「ラウネの鍛冶場も忙しかったからね。鉄具が届けば助かると思う」
リーネが言うと、女性は頷いた。
「帰りに寄れるなら、向こうへも運びたいんだけどね。今は道の様子を見ながら決めるしかないかな」
そう言って馬の荷を確かめ、休憩を終える準備を始めた。
俺たちも荷を背負い直し、再び歩き出した。
◇
集落が見えてきたのは、山の陰が谷へ長く伸び始めた頃だった。
斜面に沿って家々が並び、ラウネよりも傾斜の急な屋根が目立つ。軒先には薪が高く積まれ、建物の間には雪を落とすためなのか、広い空間が設けられていた。
道沿いには作業小屋や倉庫らしい建物があり、奥からは槌を打つ音が聞こえてくる。
「思ったより大きい集落だな」
俺が言うと、商人の女性が頷いた。
「山越えの荷が集まるところだからね。遠くの氏族から来た人もいるよ」
集落の入口には木と石を組み合わせた門があり、数人の戦士が旅人と荷を確認していた。
商人の男が先に声をかけると、見張りの一人が俺たちへ目を向けた。
「そちらの方々は?」
「途中で助けてもらったんです。岩壁のところでワイバーンに襲われまして」
「ワイバーン?」
見張りの表情が引き締まった。
「何体いた?」
「五体です。大型のも二体混じっていました」
「五体だと?」
近くにいた戦士たちまで顔を上げた。
「それで、荷は?」
「無事です。全部討伐してもらいました」
見張りは一瞬、言葉を失った。
「……全部?」
「ええ。あちらの方が、一人で」
商人の男がオスカーを指した。
見張りの視線が巨大な戦斧へ移る。
オスカーはそれを気にした様子もなく、道の方へ顎をしゃくった。
「少し手前に死骸が残ってる。小さいのが三体と、でかいのが二体だ。道は空けてあるが、早めに片づけた方がいいぞ」
「分かりました。場所は岩壁沿いの曲がり角ですね?」
「ああ。谷側の広いところだ」
見張りは頷き、近くの戦士へ向き直った。
「道の確認に人を出してくれ。ほかのワイバーンが残っていないかも調べろ。死骸を運び出す人数については、責任者に相談しておいてくれ」
指示を受けた戦士が、すぐに門の奥へ走っていった。
その間にヴァレクが前へ進んだ。
「盟主の使徒、ヴァレク・ノルガだ。ノルヴェインへ向かう途中で立ち寄った。今夜の宿と補給について相談したい」
見張りは驚いた様子だったが、すぐに姿勢を正した。
「失礼しました。責任者を呼んできますので、少々お待ちください」
別の一人が集落の奥へ向かった。
商人たちは先に通されることになり、荷馬を引きながら何度も振り返って礼を言った。
俺たちは門の脇へ寄り、案内を待つことにした。
リーネはその間、オスカーの戦斧へ何度か目を向けていたが、やがて俺へ声をかけた。
「ねえ、アレン」
「何だ?」
「あの風って、アレンにも使えるの?」
「同じことをやれって言われたら、無理だな」
「やっぱり?」
「範囲も威力も違うし、何より俺じゃ、あの中で剣を振るえないと思う」
そう答えると、リーネは納得したように頷いた。
「私も、あの場所へ入れって言われたら嫌だな」
「普通はそうだろうな」
隣にいたフィアナが小さく笑った。
「でも、誰も怪我をしなくてよかったね。馬も無事だったし」
「ああ。あの人数で五体も相手にして、商人まで守れたんだからな」
そう話している間も、当のオスカーはガルドと何やら相談していた。
聞こえてきたのは、夕食の話だった。
「この集落、肉はあるんだろうな」
「交易の集落なんだから、何かあるだろ」
「昨日の干し肉は硬かった」
「お前、そればっかりだな」
ガルドが呆れたように言い、オスカーは笑った。
つい先ほど五体のワイバーンを仕留めた男とは思えない会話だった。
やがて、集落の奥から年配の男が現れた。
ヴァレクが改めて名乗り、ノルヴェインへ向かう途中だと説明すると、男は事情を聞いてから俺たちを中へ案内してくれた。
門を抜けると、両側には商店や作業場が並び、夕食の支度を始めた家から香ばしい匂いが漂ってきた。荷を積んだ馬車が何台か止まっており、職人たちは仕事を終えた道具を片づけている。
「まずは宿を案内しよう。そのあとで、必要な物があれば相談してくれ」
男はそう言って、通りの奥へ歩き始めた。
俺たちも後に続く。
軒先に毛皮や革紐を並べた店の前で、リーネが足を緩めた。
「アレン、あの留め具、ラウネのと形が違うね」
「本当だな。荷の締め方も少し違うみたいだ」
「あとで見に来てもいいかな」
「宿が決まってからなら、いいんじゃないか」
リーネは嬉しそうに頷き、先を歩くヴァレクたちへ追いついていった。
俺も通りの向こうへ目を向ける。
夕日に照らされた山の斜面には細い道が続き、その先は別の尾根に隠れて見えなくなっていた。明日はまた、あの道を進むことになるのだろう。
背負っていた荷の位置を直し、仲間たちの後を追った。




