間話 休養中の仕事
王都冒険者ギルドの訓練場は、まだ奥の半分が使えなかった。
崩れた外壁のそばには修復用の木材が積まれ、通路には立ち入りを禁じる縄が張られている。以前なら何組もの冒険者が同時に稽古できた場所も、今は利用する人数と時間を区切っているらしい。
俺が入口の掲示を眺めていると、書類を抱えたギルド職員が近づいてきた。
「ユリウスさん、今日も見学ですか?」
「そう。見るだけならいいんだろ?」
「構いませんけど、今日は木剣を借りようとしないでくださいね」
「まだ言うか。あの時はちょっと持ってみたかっただけだって」
「三日前のことですから、まだ覚えてますよ」
職員は笑いながら受付へ戻っていった。
脇腹の傷はもう塞がったのに、身体を大きく捻ると、まだ引っ張られるような感覚が残る。治療担当者からは本格的な訓練をもう少し待つように言われており、無理をして傷を開き直すのも馬鹿らしい。
王都での戦いからしばらく経ち、ギルドでも護衛や討伐の依頼が再開され始めている。知り合いが仕事へ戻っていくのを見るたび、そろそろ俺も動けるんじゃないかと思ってしまうが、今は大人しくしているしかなかった。
一方で、まだ治療を続けている冒険者もいる。
エルンストもその一人だった。
王都で左腕を失ってから、今も療養中だと聞いている。顔を合わせたことはあっても、親しく話した仲ではない。詳しい容体も知らないが、双剣を使ってきたエルンストにとって、傷が塞がれば元どおりという話ではない。
アレンとは色々あったようだが、これからどうするつもりなのか、本人が何を考えているのかも分からない。ただ、訓練ができないと不満を言っている自分とは、置かれている状況が随分違う。
長椅子へ腰を下ろすと、奥では銅級の冒険者たちが木剣を使い、二人一組で連携を確かめていた。
一人が攻撃を受け流したところへもう一人が踏み込み、互いの位置を入れ替える。普段から組んでいるのか、声をかけるタイミングもよく合っている。
その手前では、鉄級の冒険者たちがギルドの指導員から足運びを教わっていた。
相手の踏み込みに合わせて後ろへ下がった一人が、区画を仕切る縄の手前で慌てて足を止める。指導員に注意されると、今度は足元を気にしすぎたのか、相手が近づくまで動けなくなっていた。
ああいう時は、相手が踏み込む前に逃げ道を見つけておいた方がいい。
自分ならどう動くか考えているうちに、思わず腰を浮かせかけた。脇腹がわずかに突っ張り、俺は苦笑しながら座り直す。
見ているだけというのも、なかなか難しいものだ。
「ユリウス、こんなところにいたんだ」
声をかけられて顔を上げると、クラウディアさんが立っていた。
普段の戦闘装備ではなく、動きやすい服装に外套を羽織り、片手には書類をまとめた革袋を持っている。
「クラウディアさん。こんにちは」
「うん、こんにちは。訓練場を見てたの?」
「ええ。そろそろ身体を動かしたいんですけど、まだ駄目だって言われてまして」
「そうなんだ。私もまだ訓練は控えるように言われてるよ」
「かなり良くなったって聞いてますけど」
「うん。普通に過ごす分には困らなくなってきたかな。でも、もう少し待った方がいいみたい」
クラウディアさんは俺の隣へ腰を下ろすと、革袋から折り畳んだ紙を取り出した。
「そうだ。ちょっと相談してもいい?」
「何です?」
「訓練場の使い方なんだけど、ギルドから意見を聞かれてるんだよ。修復が終わるまで、今の広さで何とかしないといけないみたいで」
広げられた紙には訓練場の見取り図が描かれ、立ち入り禁止の区画や資材置き場が書き込まれていた。
奥の銅級たちも、手前の鉄級も、交代しながら場所を使っている。訓練そのものより、順番待ちの時間の方が長い者もいるようだった。
「使える場所を増やすのは難しそうですね。修復の邪魔になるわけにもいきませんし」
「そうなんだよね。でも、待ってる人たちにも何かできないかなって」
クラウディアさんが訓練場を眺めていると、ちょうど鉄級の一人が縄の近くまで追い込まれた。さっきとは別の組だったが、同じようなことを繰り返している。
「あれなら、待ってる間にも練習できそうですよ」
「何を?」
「次にどこへ逃げるか考えるんです。相手が踏み込んでくる前に、横へ動ける場所があるか確かめる。実際に剣を振らなくてもできますから」
「ああ、なるほど」
クラウディアさんは頷き、見取り図の端を指で押さえた。
「ここなら使えるかな?」
「いいと思いますよ。銅級の方も、狭い場所での連携を考える訓練ならできそうですし」
「前衛と後衛の位置とか?」
「そうですね。普段から依頼に出てる連中なら、実際に困った状況を出し合っても面白いでしょう」
クラウディアさんは紙の上に小さな丸を三つ描いた。
「前衛が二人、後衛が一人だとしたら……ここに術師がいるのはどうかな?」
「最初は悪くないですね。ただ、右の前衛が下がったら射線が塞がれますよ」
「じゃあ、先に後衛が移動する?」
「それを黙ってやると、今度は前衛の逃げ道を塞ぐかもしれません」
「なるほど。お互いに声をかけないと駄目だね」
クラウディアさんは丸の位置を変え、今度は前衛が左右に分かれる場合を考え始めた。
こちらが後衛の立場で意見を出すと、彼女は剣を振る側から別の問題を見つけてくる。俺もその指摘を受けて考え直し、いくつか配置を試しているうちに、紙の端には随分と書き込みが増えていた。
「ユリウス、こういうの得意そうだね」
「魔法メインだと、嫌でも考えますからね。味方がどこにいるか分からないと、安心して放てませんし」
「ミラとも、いつも相談してるの?」
「依頼の前にはしますよ。長い付き合いなんで、ある程度は言わなくても分かりますけど」
「いいなあ。お互いの動きが分かる相手がいると、戦いやすいよね」
「その代わり、俺が妙なことすると遠慮なく文句も飛んできますけどね」
「ちゃんと言ってくれるんだ。いい相手だね」
クラウディアさんは真面目な顔で頷いた。
冗談半分に言ったつもりだったが、確かにミラからの指摘に助けられたことは何度もある。
「……まあ、そうですね。あいつには随分助けられてますよ」
「うん。そういう相手は大事にしないとね」
彼女は柔らかく笑い、もう一度見取り図へ目を落とした。
「アレンと稽古してた時も、いろいろ考えながらやるのが楽しかったな」
アレンの名前を聞いて、俺は図面から顔を上げた。
クラウディアさんは紙に引いた線を指でなぞりながら、少し懐かしそうに笑っている。
「戻ってきたら、また相手してやってくださいよ。あいつも喜ぶと思います」
「うん。もちろん」
そう答えてから、彼女は俺の方を向いた。
「ガルドたちからは、まだ連絡ないんだよね?」
「ええ。今朝も何も聞いてません」
王都を出たガルドたちは、ヴァレクの案内で北方へ向かっている。出発してからそれなりに日が経っているが、国境の先からそう簡単に知らせを送れるわけでもない。
「そっか……」
クラウディアさんは少し黙り、訓練場へ目を向けた。
「アレンもフィアナも、元気にしてるといいな」
「そうですね。ガルドたちも探してますし、何か手がかりが見つかればいいんですけど」
「うん」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
二人が無事だと言い切れるだけの材料はない。王城で聞いた北方を示す表示についても、実際に二人がどこへ移されたのかまでは分かっていない。
ただ、セレナもオスカーさんも一緒に行っている。ヴァレクには北方の事情が分かるし、あの顔ぶれなら、手がかりを見落とすこともそうないだろう。
「……早く帰ってきてほしいですね」
俺が言うと、クラウディアさんは静かに頷いた。
「うん。そうだね」
やがて訓練場から木剣の音が響き、俺たちはそちらへ顔を向けた。
奥の銅級の二人が、先ほどより間合いを広げて稽古している。どうやら指導員が区画の使い方を少し調整したらしい。
クラウディアさんはその動きをしばらく眺め、手元の図面を広げ直した。
「……これ、実際に試してみてもらいたいね」
「ええ。今の広さでも、もう少し工夫できそうですから」
彼女は頷き、書き込んだ線を確かめていた。
「二人とも、何をそんなに熱心に話しているんだ?」
背後から声がした。
振り返ると、アルノルトさんが立っていた。片手に書類を持ち、訓練場の奥から出てきたところらしい。
「アルノルトさん。こんにちは」
「ああ。ユリウス、身体はどうだ?」
「傷はもう塞がりましたよ。まだ激しい動きはできませんけど」
「なら、もう少し辛抱だな」
アルノルトさんはクラウディアさんへ目を向けた。
「訓練場の件か?」
「うん。ユリウスと少し考えてたんだよ」
クラウディアさんが見取り図を渡すと、アルノルトさんは書き込みを確かめながら、何度か訓練場へ視線を移した。
「なるほど。剣を振らずにできる訓練と、少人数での連携訓練か」
「はい。今の広さでもできそうなものを考えてました」
「悪くない。ただ、ここは修復用の通路だから空けておいた方がいいな」
アルノルトさんが指した場所には、俺たちも線を引いていた。
「ああ、そこは見落としてました」
「ほかは訓練担当者と調整すれば使えるだろう。実際に教えるなら、指導員の人数も必要だが……」
彼は少し考え、俺たちを見た。
「二人とも、最初の講習に協力してもらえないか?」
「もちろん、私はいいよ」
クラウディアさんが答える。
俺もアルノルトさんへ顔を向けた。
「俺もですか?」
「ああ。術師側の立ち位置は、君が説明するのがいいだろう。実際に動いて見せるのは、訓練担当者に任せればいい」
確かに、それなら今の俺でもできる。
さっきの鉄級たちを思い出すと、教えておきたいことはいくつも浮かんでくる。俺も最初から上手く動けたわけではないし、誰かの一言で気づけることは案外多い。
「治療担当者の許可が出るなら、俺もやりますよ。最初は少人数で試した方がいいでしょうね」
「そうだな。日程や人数はギルド側と相談しよう」
アルノルトさんは頷き、見取り図をクラウディアさんへ返した。
「助かる。訓練担当には俺から話しておく」
そう言って、受付の方へ歩いていった。
クラウディアさんは図面を畳みながら、楽しそうに笑っている。
「よかったね。ユリウスも訓練に参加できるよ」
「教える方ですけどね」
「うん。でも、ずっと見てるだけより楽しそうじゃない?」
「……まあ、それはそうですね」
自分が訓練できないことには変わりないが、他人の動きを見て助言するのも嫌いじゃない。こうして図面を考えているだけでも、思っていた以上に時間が経っていた。
「私も教えるのは好きだから、楽しみだな」
「クラウディアさんに直接教わるなら、参加する人も喜ぶでしょうね」
「そうかな」
「なかなかない機会ですからね」
クラウディアさんは微笑み、革袋を肩へかけた。
「それじゃあ、私はそろそろ戻るね。ユリウスも無理しないでよ」
「分かってます。お疲れさまです」
「またね」
見送ったあと、俺はもう一度訓練場へ目を向けた。
さっき縄の手前で足を止めていた鉄級の冒険者が、今度は相手の踏み込みに合わせて横へ動いている。まだぎこちないが、背後の縄を気にする余裕はできたらしい。
指導員が何か声をかけると、彼は頷いて構え直した。
次に俺がここへ来る時は、あの連中に説明する側になっているのかもしれない。
そう思うと、少し楽しみになってきた。
◇
「ユリウスが人に教えるの?」
ギルドの食堂で遅い昼食を取っていると、向かいに座ったミラが少し笑った。
「まだ日程も決まってないけどな。訓練場が狭いから、講習を手伝わないかって」
「いいんじゃない? ユリウス、意外とそういうの好きでしょ」
「好きってほどじゃないぞ。聞かれたら答えるくらいで」
「聞かれてない時も教えてるよ」
ミラは何でもないようにスープへ匙を入れた。
「護衛の仕事で経験の浅い冒険者と組んだ時も、依頼が終わってからよく話してるでしょ。どうしてあそこに立ったのかとか、次はどう動いた方がいいとか」
「あれは、気づいたことを話してるだけだよ」
「うん。だから向いてると思う」
そう言われると、少し照れくさい。
「そういや、俺たちも組み始めた頃はよく話してたな」
「何を?」
「弓と魔法の射線が重なる時の動きとかさ。お互い邪魔にならない立ち位置を探して、結構やり直しただろ」
「ああ、あったね。最初は随分相談したよね」
「俺の立ち位置が悪いって、何度も言われたな」
「それは本当に悪かったから」
「少しは否定してくれてもいいんだぞ」
「今はちゃんとできてるでしょ?」
「……おかげさまでな」
ミラが笑い、俺もつられて笑った。
組み始めた頃は、互いの動きが読めずに苦労することもあった。今では声をかけなくても分かる場面が増えたが、それでも依頼の前には必ず話し合う。慣れているからこそ、確認を省いていいわけではない。
「でも、教えるとなると少し考えないとな。相手によって経験も違うだろうし」
「そうだね。最初は難しいことを詰め込まない方がいいと思う」
「そうだな。だったら、簡単な状況を出して、どこへ動くか考えてもらうところから始めるか」
「うん。何を見て判断したか聞くのもよさそう」
「ああ、それいいな。答えが違ってても、理由が分かれば説明しやすいし」
頭の中で訓練場の配置を思い浮かべる。
最初は一人ずつ立つ場所を選ばせて、相手が踏み込んできたらどう動くか考えてもらう。実際の依頼に近い状況の方が分かりやすいだろうか。それとも、もっと単純なところから始めた方が――。
「ユリウス」
「ん?」
「また考え込んでる」
顔を上げると、ミラが少し笑っていた。
「講習の日まで、まだ時間あるんでしょ?」
「そうだけど、せっかくならちゃんと準備しときたいじゃないか」
「それはいいと思うよ。ただ、今はご飯食べよう?」
見れば、俺の皿には手をつけかけた料理が残っている。
「……そうだな。冷める前に食うか」
パンを口に運ぶと、ミラも自分の食事へ戻った。
「なあ、ミラ。講習の日、都合が合えば見に来てくれない?」
「私が?」
「うん。お前なら遠慮なく意見を言ってくれるだろ」
「いいよ。身体の具合と予定が合えばね」
「助かる」
「でも、まずはご飯を食べ終わってから考えようね」
「……分かってるって」
俺が頷くと、ミラは満足そうに食事を続けた。
俺も残っていたパンを手に取り、今度こそ食事に集中することにした。
少なくとも、ミラが向かいで見ている間くらいは。




