第110話 灰の残る道
翌朝、ラウネの家で目を覚ました俺は、右肩の包帯を引っ掛けないよう上着を通しながら、机のそばに並んだ二脚の椅子へ目をやった。
昨夜、フィアナが俺の左隣へ寄せた椅子は、そのままになっている。
炉の前では、フィアナが朝食の準備をしていた。俺が起きてきたことに気づくと、いつものように顔を上げたが、机の方をちらりと見てから、少し照れくさそうに笑った。
「おはよう、アレン」
「おはよう。もう準備してたのか」
「うん。ちょうどできたところだよ」
温めた湯と簡単な朝食を机へ運び、俺たちは並んで腰を下ろした。フィアナから器を受け取る時に指先が触れ、互いに一瞬だけ手を止める。
昨夜は、その小さな手をずいぶん長く握っていた。
顔を上げると、フィアナもこちらを見ていたらしく、目が合ったところで小さく笑った。
「……湯、熱くない?」
「ああ、大丈夫だ」
「そっか」
彼女は自分の器を両手で包み、湯に口をつけた。
昨夜のことを改めて話すわけでもなく、俺たちはそのまま朝食を取った。椅子は近くに並んだままだったが、食事をするのに困るほどでもない。俺も位置を戻さず、フィアナが今日の予定を話し始めるのを聞いていた。
「午前中は倉庫に行ってくるね。昨日帰った人たちもいるから、残ってる人の具合を見ておきたいんだ」
「俺は北の防柵を見てこようかな。修復がどこまで進んだのか気になるし」
「そっか。じゃあ、お昼は一緒に食べられる?」
「ああ。昼までには戻る」
「分かった。私もそのくらいには帰れると思うよ」
朝食を終えると、フィアナが食器を洗い、俺は受け取ったものを脇へ並べていった。こうした作業にも、いつの間にか二人なりの順番ができている。
片づけを終える頃には、家の外から木を削る音が聞こえ始めていた。
◇
ラウネの北側では、傷んだ防柵の修復が進んでいた。
焼けた横木が取り外され、まだ使える金具は曲がりを直して再利用されている。新しい材木を運ぶ者もいれば、壊れた家から使える板を集めている者もいて、道の脇には資材が種類ごとに積み上げられていた。
高所の見張り場へ続く斜面でも作業が始まっているらしく、資材を背負った戦士たちが何人か登っていく。カシュラとの戦いで奪われた射点を含め、北側の守りを整え直すにはまだ時間がかかりそうだった。
俺も防柵の近くまで行ってみようと思ったが、坂を上るうちに右膝が重くなってきた。平坦な道ではそれほど気にならなくても、足を踏ん張る動きにはまだ違和感がある。
道端の石へ腰を下ろして休んでいると、聞き覚えのある声がした。
「アレン?」
顔を上げると、リーネが縄の束を抱えて立っていた。
「こんなところでどうしたの?」
「防柵を見に来たんだが、ちょっと休憩中だ」
「ああ、膝か。私も坂道はまだ少し疲れるんだよね」
リーネは自分の脚をちらりと見下ろすと、抱えていた縄を持ち直した。
「それなら、ちょうどよかった。少し手伝ってくれない?」
「何を?」
「道の案内板を直してるんだ。ここからすぐだから」
案内されたのは、防柵へ続く道の脇に設けられた小さな作業場だった。
焼けた横木や折れた板が分けて積まれ、その傍らでは二人の戦士が、まだ使える木材の端を削っている。リーネはその中から、煤の残る板を一本取り上げた。
「北の道に立ててあった案内板が壊れたんだ。通行を制限する場所も変わったから、書き直すことになってね」
板には古い文字の一部が残っていたが、片側は焼けて判別できない。防柵に使うには傷みが大きいものの、案内板としてなら十分な厚みがあった。
「北の主要道と、施設へ分かれる道の案内か」
「うん。今はどちらも自由には通れないからね。見張りが確認していない場所へ誰かが入ったら困るし」
リーネは板を作業台へ置き、書き直す文字の位置を確かめた。
俺は渡された縄を必要な長さに切り分け、取り付け用の結び目を作っていく。板を押さえる役は近くの戦士に任せれば、右肩にもそれほど負担はかからなかった。
「旅の準備はいいのか?」
「出発はまだ先でしょ。荷物は少しずつ揃えてるよ」
「そうか」
「それに、私がいなくなっても、ここの仕事は続くからね。今のうちに手伝えることはやっておきたいんだ」
リーネは書き終えた板を少し離して眺め、文字の間隔を確かめた。
「アレン、そこの短い縄も取ってくれる?」
「ああ」
渡した縄を板の穴へ通しながら、彼女は取り付け位置について近くの戦士と相談を始めた。
そこへ、北側から戻ってきたグレンが足を止めた。
左腕はまだ十分に動かせないようだが、戦士長としての仕事は続けている。付き添っていた戦士から巡回の報告を聞き、見張りを交代させる時刻について指示を出していた。
「札はできたか」
「もう少し。北の道と施設道、それぞれ通れる範囲を書いてる」
「北側は見張り場の確認が終わるまで通すな。施設へ向かう道も、封鎖作業の者以外は近づける必要がない」
「分かってるよ」
リーネが答えると、グレンは新しい文字を一通り確かめた。
「これならいい。取り付けは巡回の連中に任せろ」
「ありがとう」
グレンは頷き、俺の手元へ目を向けた。
「アレン、その縄を一つ見せてくれ」
渡した縄を右手で引っ張り、結び目の締まり具合を確かめる。
「問題ないな」
「一度リーネに締め直されたけどな」
「最初のが少し緩かったんだよ」
リーネが笑うと、グレンもわずかに口元を緩めた。
「山で使う物は、最後まで確かめておけ。誰かが直してくれるとは限らんからな」
「ああ、覚えておく」
グレンは戦士たちへ次の作業を指示し、北側の見張り場へ向かう道を確かめ始めた。
その背中を見送りながら、俺は防柵へ目を向けた。焼けた柱はまだ残っているし、上の見張り場も修復の途中だ。グレン自身、左腕を使えないまま指揮を執っている。
それでも、戦士たちは持ち場に戻り、壊れた場所を一つずつ直していた。
◇
昼前、書き直した案内板の確認をしているところへ、ヴァルドがやって来た。
煤を削り落とした板には灰色の焦げ跡が残っていたが、新しく書き入れられた文字ははっきり読める。北へ続く主要道を示す矢印と、通行を制限する区間が記され、施設への分岐には立ち入りを禁じる札も添えられていた。
「使えるものは残したか」
ヴァルドが尋ねると、リーネが頷いた。
「うん。傷んでる部分は落としたよ。支柱は新しいものを使うつもり」
「それでいい。文字が消えかけたままでは、かえって危ないからな」
ヴァルドは板を確かめ、取り付けを担当する戦士へいくつか指示を出した。
「北の道は、まだ通せそうにないのか?」
俺が尋ねると、ヴァルドは山の方を見た。
「見張り場と道の状態を調べ終えるまではな。カシュラの連中が退いたからといって、安全になったわけではない」
「黒い獣のこともあるな」
「ああ。あれも厄介だ」
施設からカシュラの兵が逃げ出した時、黒い獣の一体が後を追って北の主要道へ出ていった。
あの時は俺たちも施設から脱出するので精一杯だった。追跡する余裕などなく、どこまで行ったのかは分かっていない。
「その後、何か分かったのか?」
「今のところ、確かな目撃情報はない。カシュラの兵を追ってそのまま北へ行ったのか、途中で山へ入り込んだのかも分からない」
「そうか……」
「見張りには警戒を続けさせている。姿を見つけても、少人数で手を出すなと命じてある」
ヴァルドは防柵の方へ目を向けた。
「カシュラの兵があの獣にどこまで追われたのかも分からん。逃げ延びた者がいるなら、向こうでも何が起きたかは把握するだろう」
黒い獣は普通の魔物とは違う。
施設で遭遇した個体も、どういう条件で動き、何を追い続けるのか、はっきりしたことは分かっていなかった。見張りが姿を見つけたとしても、安易に戦うより、まず位置と移動方向を知らせてもらった方がいい。
「オルザはどうなった?」
俺が尋ねると、ヴァルドは少し間を置いた。
「まだ消息はつかめていない」
施設の入口で見たオルザの姿が頭に浮かんだ。
カシュラの指揮官と行動していたことも、作業員が封鎖を乱暴に崩そうとするのを止めていたことも覚えている。その後、施設の異常が広がり、俺たちは彼の動きを追えなくなった。
「撤退した兵に混じっていたかどうかも?」
「ああ。少なくとも、こちらで身柄を確保した者の中にはいない」
ヴァルドは静かに答えた。
「あいつが研究を続けたかったことは、俺も知っている。長年、施設の調査を認めてきたのは俺だからな」
ヴァルドは、作業場の端に積まれた古い資材へ目を向けた。
「だが、あいつがカシュラの者を連れて戻ってきたことも、その結果ラウネで何が起きたかも、忘れるわけにはいかない」
「そうだな」
「生きて戻ったなら、まず何をしたのか聞く。その上で処遇を決める」
オルザが研究を続けたかった理由まで、ヴァルドが否定しているわけではないのだろう。長年調査を認めてきた以上、氏族長として引き受けなければならない責任もある。
ただ、だからといって、オルザがカシュラとともに戻ってきた事実まで変わるわけではなかった。
リーネが片づけかけていた道具を置いた。
「私も盟主に話すよ。オルザがカシュラと一緒にいたことも、施設で見たことも」
「頼む。お前は実際にその場にいたからな」
「うん」
ヴァルドは頷き、俺へ視線を戻した。
「盟主には、施設を閉じると決めたことも伝えてある。リーネから詳しい事情を聞けば、向こうも何らかの判断をするだろう」
「ヴァルドはここに残るんだな」
「ああ。防衛も復旧も、まだ俺の仕事が残っている」
ヴァルドは作業場の向こうで運ばれていく材木を見た。
「盟主とは、いずれ俺も直接話さねばならん。だが、今はラウネを離れられない。先にリーネの話を聞いてもらう」
「分かった。俺たちも会ってくる」
ヴァルドは短く頷くと、呼びに来た戦士とともに防柵の方へ歩いていった。
リーネも作業道具を片づけ、案内板を運ぶ者たちへ声をかけている。
灰色の焦げ跡が残った板は、新しい支柱と一緒に荷車へ載せられた。取り付ける先は、北の主要道から施設へ向かう道が分かれる場所だという。
戦士たちが荷を確かめ、車を引き始める。
俺は少し離れたところから、その荷車が北へ進んでいくのを見送った。
◇
集会所の前へ戻ると、ヴァレクがセレナと地図を広げていた。
ガルドとオスカーは少し離れた場所で、旅に使う荷の量を確かめている。食料や水だけでなく、山道を進むための装備も必要になるらしく、足りないものをいくつか書き出していた。
「おう、アレン。どこへ行ってた?」
俺に気づいたガルドが声をかけた。
「北の防柵の方だ。リーネたちの作業を少し手伝ってきた」
「そうか。あっちも忙しそうだな」
「ああ。見張り場もまだ直してるところだった」
ガルドは頷き、荷の上に置いた縄を取り上げた。隣ではオスカーが束ねた荷を確かめ、長さの足りない革紐を一本外している。
「山へ入る前に、荷の結び方も見直しておくか」
ガルドが言うと、オスカーは手元の縄を持ち上げた。
「アレンも覚えておけ。山じゃ剣より役に立つこともあるぞ」
「オスカーさんは慣れてそうですね」
「昔から嫌というほど使ってきたからな。出発までにいくつか教えてやろう」
「お願いします」
俺が答えると、オスカーは満足そうに頷き、再び荷の確認へ戻った。
ヴァレクが地図から顔を上げた。
「北の道はどうだった?」
「見張り場を調べ直すまでは通行を制限するそうだ。黒い獣も、まだ見つかっていないらしい」
「そうか。あの道を使うかどうかは、出発前にもう一度確かめる必要があるな」
「ほかにも候補はあるのか?」
「ある。だが、どれも通れると決まったわけではない。カシュラ側の動きもあるし、途中で補給できる場所も考えねばならん」
ヴァレクは地図の北側へ指を置いた。
ラウネから先の山道がいくつも描き込まれているが、俺には初めて見る地名も多い。どこまで歩けば次の集落に着くのか、地図を眺めているだけでは見当もつかなかった。
「俺の膝も、出発までにはもう少し良くしておきたいな」
「山道では平地より足に負担がかかる。治療の具合も見て、出発日を決めよう」
「ああ」
セレナは地図の端を押さえながら、手元の記録を確かめていた。
「この辺りの道は、古い記録と今の地図で少し違うのね。使われなくなった道もあるのかしら」
「ある。崩れたまま通れなくなった場所もな。古い道を当てにして、途中で引き返すことになっては困る」
「そうね。こちらは候補から外しておくわ」
セレナは記録に印をつけ、ヴァレクが示した別の道へ目を移した。
横ではガルドとオスカーが、補給する食料の量について相談している。カシュラ側の動きが分からない以上、予定どおりに集落へ立ち寄れるとは限らない。荷を増やせばその分だけ足が遅くなるため、どこで補給できるかが大事になるらしい。
ヴァレクは地理と北方の情勢を、セレナは古い記録を確かめ、ガルドとオスカーは実際に運ぶ荷を考えている。
「アレン、出発前に装備も見ておけ」
ヴァレクが言った。
「肩の具合もある。荷の重さは調整した方がいいだろう」
「ああ。オスカーさんにも相談してみる」
「そうしてくれ」
ヴァレクは頷き、セレナとの相談へ戻った。
王都の地下で光に包まれ、フィアナと二人で見知らぬ山中へ放り出された時には、こんなふうに北方の地図を囲むことになるとは思わなかった。
ラウネへたどり着いてからも、帰る道を探すどころか、目の前の出来事に対処するだけで精一杯だった。
今は北へ向かう道をヴァレクが調べ、必要な荷をガルドたちが揃え始めている。リーネも加われば七人になるが、これだけの人数で山を越えるとなれば、準備にもそれなりの時間が必要だろう。
俺も装備の点検をしておこうと考え、もう一度地図を眺めてから集会所を離れた。
◇
家へ戻る途中、石造倉庫から出てきたフィアナと行き合った。
「アレン、お帰り。防柵の方はどうだった?」
「まだ修理が必要なところは多かったな。途中でリーネに頼まれて、道の案内板を直すのを手伝ってきた」
「案内板も壊れてたんだね」
「ああ。北の道も施設へ向かう道も、まだ通行を制限してるからな」
フィアナは頷き、俺の隣へ並んだ。
「倉庫の方はどうだった?」
「家で休める人には少しずつ戻ってもらってるよ。まだ治療が必要な人もいるけど、今日はだいぶ落ち着いてたかな」
「それならよかった」
「うん。午後は私も少し休めそう」
「じゃあ、昼は一緒に作るか」
「そうしよう。まだ野菜が残ってたよね」
何を作るか話しながら、俺たちは集落の道を歩いた。
途中では、傷んだ屋根を直している住民や、防柵へ材木を運ぶ戦士たちとすれ違った。俺たちに気づいて声をかけてくれる者もいる。
ラウネへ来たばかりの頃は、道を歩いているだけでも周囲の視線が気になった。今では作業を手伝ってくれと頼まれることもあるし、こちらから声をかければ、立ち止まって話してくれる者も増えた。
「リーネも、今日は北の方にいたんだね」
「ああ。旅支度もあるのに、作業場で忙しそうにしてたよ」
「リーネらしいね」
フィアナは小さく笑った。
「ここを出るの、少し寂しいだろうな」
「そうだろうな。ずっと暮らしてきた土地だし」
「うん。でも、盟主のところへ行くって自分で決めたんだよね」
「ああ。俺たちにとっても心強いよ」
リーネは施設のことをよく知っているし、ラウネで起きたことも自分の目で見ている。ヴァルドが彼女を送り出すことにしたのも、その役割を任せられると思ったからだろう。
「私も、盟主に会ったら聞いてみたいことがあるんだ」
フィアナが言った。
「何を?」
「古代施設のこと。ずっと前から封鎖を求めていたんでしょう? どうしてそこまで危険だと考えていたのかなって」
ヴァルドは、それまで安全だと思われていた場所にまで異常が現れたことで、施設の再封鎖を決めた。
だが、盟主はハルヴァだけでなく、ほかの氏族が抱える施設についても封鎖を求めていたという。
「ほかの場所でも、何か起きてたのかもしれないな」
「私もそう思ったの。盟主なら、その辺りのことを知ってるのかなって」
「セレナにも聞いてみるといい。ちょうど古い記録を調べてたぞ」
「うん。あとで相談してみるね」
俺も、施設の下層で聞いた『入植』という言葉が気になっている。
あそこで聞いた話と、王都の地下で見た表示には、何か関係があるのだろうか。古代の文字を読めたところで施設の仕組みまで理解できるわけではないが、セレナが調べている記録には、まだ確かめていないものも多い。
そんなことを考えているうちに、家の前まで戻っていた。
フィアナが先に扉を開け、俺はその後に続く。
炉には朝の火がわずかに残っており、机のそばには二脚の椅子が並んでいる。
「お昼、何にしようか」
「残ってる食材を見て決めよう。先に湯を沸かす」
「じゃあ、私は野菜を用意するね」
フィアナが食材を確かめる間、俺は炉へ薪を足した。
鍋を温めていると、彼女が切り終えた野菜を持ってきた。どちらからともなく道具を渡し合い、手の空いた方が次の準備をする。朝と同じように、互いの動きをいちいち確かめなくても料理は進んでいった。
「そういえば、旅に持っていく薬も揃えておかないとね」
「倉庫の方は足りてるのか?」
「うん。今ある分は大丈夫。ただ、山で使うものは別にまとめておきたいから、リーネにも相談してみるつもり」
「俺も装備を見ておかないとな。膝の具合もあるし、荷の重さは少し考えないと」
「ガルドたちにも聞いてみる?」
「ああ。オスカーさんが縄の使い方を教えてくれるって言ってたし、その時にでも相談してみるよ」
「ふふ、よかったね」
フィアナは笑いながら鍋の中身を確かめた。
俺は戸口のそばに置いた外套へ目を向ける。
王都から身につけてきた装備も、北方での戦いや山道の移動ですっかり傷んでいた。出発までには、革紐や留め具を点検し、必要なら直しておいた方がよさそうだ。
「アレン、そろそろ火を弱くしてもいいかな?」
「ああ。もう十分煮えてるな」
フィアナが鍋を火から外し、俺は二人分の器を用意した。
食事を机へ運ぶと、彼女は朝と同じ椅子へ腰を下ろした。俺もその隣に座り、湯気の立つ器を受け取る。
「いただきます」
「ああ、いただきます」
外からは、相変わらず木を削る音と荷車の軋む音が聞こえていた。
ラウネでの暮らしは、もう少し続く。ヴァルドとグレンは傷んだ防柵と施設の封鎖を進め、リーネも旅立つ日まで、ここでの仕事を手伝うのだろう。
俺も昼食を終えたら、まず装備の状態を確かめておこうと思った。右肩と右膝の具合を見ながら、山道を歩くための準備を進める必要がある。
今朝、リーネたちが作り直した案内板は、そろそろ北の分かれ道に取り付けられている頃だろう。
板には削っても落ちない灰色の焼け跡が残っていた。古い文字の上から新しい行き先が記され、通れない道には通行を止める札が添えられている。
あの札を外せる日がいつになるのか、まだ誰にも分からない。
それでも、傷んだ板を捨てずに使ったのは、いつかまた人が通る道だからなのだろう。
「アレン、ちょっと味が薄いかもしれない」
フィアナが自分の料理を一口食べて言った。
俺も口にしてみると、確かにもう少し塩が欲しい。
「少し足すか?」
「うん。お願い」
調味料を取って戻ると、フィアナは自分の器を少し寄せて待っていた。二人で味を確かめながら食事を続けているうちに、外では荷車が一台、石の敷かれた道を通り過ぎていった。
旅立つ日には、世話になった人たちへ挨拶をして回ろう。
ヴァルドやグレンだけではない。ここへ来たばかりの俺たちに食事を分けてくれた人も、施設の調査で一緒に働いた人もいる。リーネと話して、訪ねる順番を決めておくのもよさそうだった。
俺がそんなことを考えている間に、フィアナは食べ終えた器を脇へ寄せ、旅に持っていく薬のことを話し始めていた。
出発の日はまだ決まっていないが、集会所ではヴァレクたちが地図を調べ、リーネも少しずつ荷を揃えている。
俺たちが二人きりでたどり着いたラウネから、今度は七人で北へ向かう。
そのための支度が、もう始まっていた。
第4章 灰色の道標 完
第4章「灰色の道標」は、これで一区切りとなります。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
気づけば随分と長い作品になりましたが、更新のたびに読みに来てくださる方がいることが、日々の励みになっています。
北方での出来事を経て、アレンたちの旅はまだまだ続きます。これからも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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引き続き、よろしくお願いします。




