第108話 笑い声の先
「だから、あれは道を間違えたわけじゃねえだろ」
ガルドが、もう何度目になるか分からない弁解を始めた。
山道を歩きながら聞くには少々大きな声だった。先頭を行くオスカーが振り返り、隣のセレナも笑いをこらえるように口元を緩めている。
「道の話は誰もしていない。川の深さを確かめに行って、片足を濡らした話だ」
俺が答えると、ガルドは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「浅瀬があるかもしれねえと思ったんだよ。実際、向こう岸までは大した距離じゃなかったろ」
「あなたの膝まで水があったのよね」
セレナが横から口を挟んだ。
「それも一番浅そうなところで、でしょう? 私たちが荷物を持って渡るには、少し深すぎるわ」
「だから引き返したんじゃねえか」
「靴を乾かすのに半日かかったな」
オスカーが短く言った。
「お前まで言うか」
ガルドは大きく息を吐いたが、本気で腹を立てている様子ではなかった。
二日前、俺たちは増水した谷川の手前で足止めされていた。地図に記された橋は一部の板が流され、浅瀬と思われた場所も前夜の雨で水かさが増している。ガルドが実際に川へ入って確かめたものの、荷物を持った全員が安全に渡れる深さではなく、結局は上流の橋まで迂回することになった。
渡河地点を確かめた判断は間違っていなかったが、濡れた靴を乾かすために、その晩の野営ではいつもより長く火を焚く羽目になった。
「そもそも、セレナがあの石を調べ始めなけりゃ、もう少し先まで行けたんじゃねえか?」
ガルドが話を変えた。
「道標のこと?」
「ああ。文字があるとか言って、ずいぶん熱心に見てたろ」
「古いものだったから、気になったのよ。あの辺りの道がいつから使われていたのか、手がかりになるかもしれないでしょう?」
「で、何か分かったのか?」
「少なくとも、今の道より古い時代に立てられたものね。刻まれていた名前も、現在の地図には残っていなかったわ」
セレナは少し考え、肩越しに来た道を振り返った。
「時間があれば、周辺も調べてみたかったけれど」
「やめとけ。また宿に着かなくなる」
ガルドの言葉に、オスカーが低く笑った。
俺も口元が緩むのを感じたが、セレナは涼しい顔をしていた。
「次は最初から調査の時間を取って来るわ。その時はガルドに荷物をお願いしようかしら」
「俺は護衛で来てるんだぞ」
「荷物を持ちながらでも護衛はできるでしょう?」
「……お前、アレンと話してる時より遠慮がねえな」
「そうかしら」
セレナは首を傾げたが、特に否定もしなかった。
王国を出てから、こうしたやり取りはずいぶん増えた。
北方へ向かうにあたって必要な情報は道中で共有してある。行く先に不穏な動きがある以上、警戒を解くつもりはなかったものの、何日も険しい顔をして歩き続ける必要はない。
三人とも旅には慣れており、休息の取り方や荷物の扱いで俺が口を出すことはほとんどなかった。俺は北方の道を案内し、分岐や集落が近づいた時に行く先を説明する程度で済んでいる。
「ところで、ヴァレク」
セレナが俺を見た。
「ラウネまでは、もう遠くないのよね?」
「ああ。この尾根を越えれば谷の向こうに見えるはずだ。道が崩れていなければ、昼過ぎには着ける」
「やっとか」
ガルドが肩を回した。
「王都から随分歩いたな。アレンの野郎、何をやってるんだか」
「ハルヴァに保護されたという情報が正しければ、少なくとも無事に集落へ辿り着いていることになる」
「それは分かってる。問題は、そのあとだろ」
俺もその点は気になっていた。
南方から来た若い男女二人が、ハルヴァの古代施設近くで発見され、ラウネへ連れていかれた。
特徴と時期を考えれば、アレンとフィアナである可能性は極めて高い。だが、二人の姿を直接確かめた者にはまだ会えておらず、その後の詳しい状況も分かっていなかった。
さらに、ラウネの北側ではカシュラ盟に近い武装勢力が動き、主要道の通行を妨げていると聞いている。ハルヴァが施設の再封鎖に着手したことも把握していたが、その決定を快く思わない者は少なくないはずだった。
「ヴァルドという氏族長、すんなり話をしてくれるかしら」
セレナが尋ねた。
「事情を聞くことはできるだろう。だが、こちらの話に賛成するとは限らん」
「頑固な相手なのか?」
ガルドの問いに、俺は少し考えた。
「自分の氏族を守ることについてはな。ただ、理由も聞かずに相手を追い返す男ではない」
「なら十分だ」
オスカーが答えた。
彼は少し先の曲がり角を見て、歩く速度を落とした。そこから道が上りになっており、斜面には雨で流された細かな石が散らばっている。
「上がれば見えるんだろう。行くか」
俺たちは歩調を整え、尾根へ続く坂を上った。
途中から道幅が狭くなり、大柄なガルドとオスカーは自然に縦へ並んだ。セレナが足元の石を避けながら後に続き、俺は先頭で道の状態を確かめる。
北方へ入ってから、空気は少しずつ冷たくなっていた。
王国側の街道と比べれば、荷車の通る道も限られている。山の斜面には針葉樹が多く、ところどころで低い草に覆われた岩場が露出していた。
ただ、人の行き来が途絶えているわけではない。
南側の小集落では交易用の荷が積まれていたし、山道にも最近通った荷馬の蹄跡が残っていた。ラウネへ向かう交易がすべて止まったわけではないようだった。
最後の坂を上り切ると、視界が開けた。
山の間に広がる盆地と、その緩やかな段丘に集まる家屋が見える。
ラウネだった。
「見えたな」
ガルドが隣へ出てきた。
「ああ。あれがハルヴァの本拠だ」
「思ったより広いじゃねえか」
「周辺にも小さな集落がある。あそこは氏族長のいる中心集落だ」
答えながら、俺は盆地の奥へ目を向けた。
家屋の屋根からは幾筋もの煙が上がり、南側の畑には人影も見える。普段の暮らしが続いている様子にひとまず息をつきかけたが、北側へ視線を移したところで足が止まった。
「……待て」
ガルドがこちらを見た。
「どうした?」
俺は集落の北端を指した。
段丘の縁に沿って設けられた防柵が、途中から不自然に色を変えている。
古い木材の間に新しく切り出されたらしい材木が組まれ、見張り場の一つは上部を失っていた。離れた場所では何人もの戦士が資材を運び、壊れた柵の周囲で作業をしている。
ガルドも俺の視線を追い、すぐに表情を変えた。
「……おい。あれは何だ」
「防柵の修復ね」
セレナが目を細めた。
「新しい木材がずいぶん使われているわ。あの辺りだけ、明らかに色が違う」
オスカーは少し黙って集落を見渡し、北側の見張り場を指した。
「上が壊れてるな」
「ああ」
「古くなって崩れたわけじゃなさそうだ」
俺も同意した。
防柵の内側には、普段の見張りとしては多すぎる人数が配置されている。北へ向かう道にも複数の戦士が立ち、修復作業をしている者たちも傍らに武器を置いていた。
「カシュラの連中か?」
ガルドが低い声で尋ねた。
「可能性はある。だが、ここからでは何が起きたか分からん」
「相当な戦闘があったみたいね」
セレナの声からも、先ほどまでの軽さが消えていた。
南から来る道に大きな障害は見えず、畑では今も人が働いている。しかし、北側の見張り場には弓手が多く、通りを行き来する戦士の姿も目立つ。敵がすでに去ったのか、それとも再び攻めてくる可能性があるのか、ここからでは判断できなかった。
「下りよう」
俺が言うと、ガルドはすでに坂の方へ身体を向けていた。
オスカーも戦斧の留め具を確かめ直し、セレナは広げかけていた手帳をしまった。
四人とも、自然に歩く速度が上がっていた。
◇
ラウネへ近づくにつれて、丘の上からは見えなかったものが目に入るようになった。
南側の道沿いには荷車が何台か止められ、切り出したばかりの木材や、まとめられた矢柄が積まれている。道の脇では年配の男が革具を繕い、少し離れた場所には壊れた盾が重ねられていた。
集落の外縁には武装した戦士が立っており、俺たちに気づくと近くの仲間へ声をかけた。
「止まれ。何者だ」
槍を持った戦士が道へ出てきた。
その後ろでは弓手がこちらを見ている。武器を向けてはいないが、すぐに使える位置に置いていた。
俺は足を止め、両手を見える位置に出した。
「ヴァレク・ノルガだ。盟主の使徒として来た。ヴァルドに会いたい」
男の表情が変わった。
「使徒……?」
「ああ。こちらの三人は同行者だ。王国から来た冒険者だが、敵対する意思はない」
ガルドたちも歩みを止め、男の反応を待った。
戦士は俺の角と顔を確かめてから、背後の仲間へ短く声をかけた。もう一人が集落の中へ走っていく。
「確認を取る。ここで待ってくれ」
「分かった」
俺たちは道の脇へ寄った。
ほどなく年長の戦士が数人を伴って現れ、俺の名と来訪目的を確かめた。使徒の一行だと分かると、若い戦士たちへ警戒を緩めるよう合図したが、周囲の見張りを下げることはなかった。
「ヴァルドは中央にいる。案内しよう。ただ、今は少し事情があってな」
「見れば分かる。何があった?」
男は一瞬、北側へ目を向けた。
「カシュラの部隊が攻めてきた。数日前のことだ」
ガルドが顔を上げた。
「攻めてきただと?」
「ああ。北の道からだ。今は退いているが、まだ完全に安心できる状態じゃない」
「被害は?」
「戦死者も負傷者も出た。防柵も一部を壊されている」
男の説明は短かったが、集落の北側で見たものと符合していた。
カシュラ盟がラウネに圧力をかけていることは知っていた。だが、主要道を塞ぐ段階から、集落への直接攻撃にまで進んでいたとは思わなかった。
「古代施設の方はどうなった」
俺が尋ねると、男は少し表情を曇らせた。
「そちらでも大変なことが起きた。詳しくはヴァルドから聞いてくれ。俺も全部を見たわけじゃない」
「分かった。では、もう一つだけ聞きたい」
俺は男へ向き直った。
「アレン・クロイツとフィアナ・エルシェは、この集落にいるか」
男は少し驚いた顔をした。
「知り合いなのか?」
「王都で行動を共にした。二人を捜して、王国からここまで来た」
「ああ……あの二人なら、ここにいる」
隣でセレナが小さく息を吐いた。
「無事なのか?」
「アレンは怪我をしたが、命に別状はない。フィアナも無事だ。あの二人には、随分助けられた」
その答えに、ガルドの表情がわずかに和らいだ。
俺としても二人の所在を確認できたのは大きい。もっとも、アレンが負傷したという話は気になった。施設の状況については、本人からも話を聞いた方がよさそうだった。
「アレンはどこだ?」
ガルドが尋ねた。
「石造倉庫の近くにいるはずだ。案内しよう」
「頼む」
俺たちは戦士の後について、集落の中へ入った。
通りを進むと、外から見えた以上に多くの家屋が傷んでいた。
屋根の一部が破れた建物には新しい板が打ちつけられ、壁に矢の跡が残っている場所もある。荷車に積まれた瓦礫を運ぶ者、壊れた道具を選り分ける者、包帯の取れていない戦士を支えて歩く者の姿もあった。
それでも、人々は黙って作業しているわけではなかった。
材木を運ぶ者同士が置き場所を相談し、食事を届けに来た女性が働き手へ声をかけている。家の前で子供を抱き上げる男もいれば、壊れた柵のそばで言い争いながら作業を進めている者たちもいた。
被害の大きい場所から修復を始めているらしい。ただ、北側へ向かう通りには今も盾を持った戦士が立ち、見張り場との間で伝令が行き来していた。
「敵はどこまで来た?」
オスカーが案内役へ尋ねた。
「北の防柵を越えようとしていた。だが、グレンが守備を内側へ下げて持ちこたえたんだ」
「グレンは無事か?」
俺が尋ねると、男は頷いた。
「左腕を負傷しているが、動ける。今も戦士たちをまとめているよ」
グレンの名には聞き覚えがあった。
ヴァルドのもとで戦士をまとめている男だ。負傷してなお指揮を執っていると聞き、戦闘後の警備が維持されている理由にも納得がいった。
通りの先で、作業を終えたらしい数人の戦士が歩いてきた。
その一人は片腕を吊り、別の男は額に包帯を巻いている。俺たちを見ると少し警戒した様子だったが、案内役が説明すると頷いて道を譲ってくれた。
さらに進むと、家屋の間から低い石造りの建物が見えてきた。
入口の前には水桶と布を積んだ木箱が置かれ、何人かの人が出入りしている。負傷者の治療に使われているらしく、開いた扉の向こうには寝台の一部も見えた。
「あそこが治療所か?」
ガルドが尋ねた。
「石造倉庫を使っている。負傷者が多かったからな。今も手当てが続いてる」
案内役が答えた。
「アレンはそこに?」
「近くにいるはずだ。今朝も姿を見かけたからな」
男は建物の脇へ目を向けた。
「ああ、いた。ちょうどいい」
俺もそちらを見た。
倉庫の脇、屋根の張り出した場所に木箱が置かれている。
その上に腰を下ろした黒髪の青年が、隣に立つ若いハルヴァの戦士と何か話していた。
肩には包帯が残り、右膝にも厚い布が巻かれている。傍らには使い込まれた剣が立てかけられていたが、鞘にも新しい傷が見えた。
青年が何か答えると、ハルヴァの戦士は頷き、倉庫の入口へ目を向けた。二人の間に気負った様子はなく、普段からこうして言葉を交わしているように見える。
王都で見た時とは、随分違う姿だった。
あのアレンがこれほど負傷し、装備まで傷めている。古代施設でも相当なことが起きたらしい。
俺の隣では、ガルドもすでに青年へ目を向けていた。
「……おい」
「ああ。アレンだ」
ガルドは返事を待たずに歩き出した。
「おい、アレン!」
声をかけられた青年が顔を上げ、こちらを見たまま一瞬動きを止めた。隣の戦士へ何か告げてから改めて俺たちに向き直ると、驚いたように眉を上げる。
「……ガルド?」
「そうだ。忘れたとは言わせねえぞ」
ガルドが笑いながら近づくと、アレンも立ち上がろうとした。しかし、右膝に手を添えたところで動きを止める。
「座ってろ」
ガルドはそう言いながら、すでにアレンの目の前まで来ていた。
オスカーも隣へ進み、アレンの肩と膝を一度見てから、低い声で言った。
「随分やられたな」
「オスカーさん。はい、少し無理をしました」
「少しで済んでいるようには見えんが」
「そうですね。まだまともには歩けないんです」
アレンは苦笑しながら、包帯の巻かれた膝へ軽く手を添えた。
その顔を見て、セレナも近づいた。
「アレン、よかったわ。無事だったのね」
「セレナまで?」
アレンは改めて三人を見回し、それから思わず笑った。
「まさか、みんなで来るとは思わなかった」
「あなたたちを捜していたのよ。王都からここまで、随分かかったけれど」
「そうだったのか」
アレンはそこで何か思い出したように、ガルドへ顔を向けた。
「そういえば、ミラとユリウスはどうしてる? クラウディアさんも」
「あいつらは王都に残ってる。まだ怪我が治り切ってねえからな」
ガルドが答えた。
「三人とも?」
「ああ。俺たちが発つ時には、まだ治療が必要な状態だった。北方まで連れて来られるような具合じゃねえ」
「そうか……。ありがとう」
アレンは頷き、少し考えるように視線を落とした。
「みんなの顔も見たかったけど、まずは怪我を治してもらわないとな」
「お前がそれを言うか」
ガルドがアレンの膝へ目を向けた。
「そっちこそ、ちゃんと休んでんだろうな?」
「休んでるさ。フィアナにも歩きすぎるなって言われてる」
「なら、そのまま大人しくしてろ」
アレンは肩をすくめようとして、痛んだのか途中で動きを止めた。
その様子にセレナが眉を寄せる。
「肩もまだ痛むの?」
「ああ。でも、戻ってきた時よりはずいぶん良くなってる」
「無理はしないでね」
「分かってる」
セレナはそれ以上追及せず、アレンの隣に立ったまま、穏やかな表情で彼を見ていた。
アレンは最後に俺へ目を向けた。
「ヴァレクまで来てたんだな」
「ああ。俺が案内してきた。道中で、お前たちがハルヴァにいるらしいという情報を得たんだ」
「なるほど。だからここまで来られたのか」
「無事とは言えないが、存命で何よりだ」
アレンが頷いた。
「心配かけたな」
「古代施設で何があった?」
「ああ。かなり大きなことがあった」
アレンは一度、集落の北側へ目を向けた。
「見ただろう。ラウネも大変なことになってる」
「防柵と家屋の被害は見た。カシュラの部隊が攻めてきたとも聞いている」
「施設にもカシュラが来たんだ。ただ、その前から異常は起きてた」
セレナが顔を上げた。
「カシュラが来る前から?」
「ああ。奥の隔壁が勝手に開いて、黒い獣が二体出てきた。それだけじゃなく、空中に浮く小さな黒い兵器も二体いたんだ」
「空中に浮く兵器?」
「翼もないのに浮いていて、細い光を放って攻撃してくる。グレンが左腕を怪我したのも、そいつの攻撃が原因だ」
俺は先ほど聞いたグレンの負傷を思い出した。
戦闘で負傷したものと考えていたが、カシュラの襲撃よりも前に、施設の内部で負った傷だったらしい。
「それで、どうしたの?」
セレナが尋ねた。
「無理に戦わず、隔壁を閉めて退いた。ところが、今まで安全だった場所にまで追ってきたんだ。ヴァルドも報告を聞いて、施設を再封鎖することにした」
「その最中に、カシュラが来たのか」
ガルドが口を挟む。
「そうだ。連中は作りかけの封鎖まで壊して、施設の奥へ入ろうとした。その時にも同じような小型兵器が二体いたんだ」
アレンは少し言葉を選びながら続けた。
「一体はカシュラ兵が壊した。もう一体も、俺とハルヴァの弓手で破壊したよ」
「最初に遭遇したものと同じ種類なのね」
「そう見えた。施設の中にまだ何体いるのかまでは分からないけどな」
セレナは考え込むように目を伏せた。
「封鎖していた区画から、外へ出られるようになっているのね」
「ああ。それに、黒い獣も一頭、施設道へ飛び出した。カシュラ兵を追って下っていくところまでは確認したけど、その先は俺も見てない」
ガルドが顔をしかめた。
「黒い獣まで外へ出たのかよ」
「ヴァルドも捜索を手配してる。少なくとも、俺が最後に聞いた時点では行方を確認できてなかった」
俺はその言葉を聞き、ラウネの北側へ続く山道を思い浮かべた。
あの獣が外へ出たままなら、集落周辺の警戒を続ける必要がある。カシュラの部隊の所在と併せて、ヴァルドに確認しなければならないことが増えた。
「それだけでも厄介なのに、施設の奥には統制体もいた」
アレンが続けた。
セレナの表情が変わった。
「……統制体まで?」
「ああ。しかも二体だ」
「二体も……」
ガルドは眉を寄せたまま、しばらくアレンを見ていた。
王都で統制体がどれほどの被害を出したか、彼らもよく知っている。俺自身も、あの兵器が普通の魔物とは比較にならない脅威だということを知っていた。
オスカーはアレンの傷をもう一度見た。
「それと戦ったのか」
「はい。リーネと二人で施設の奥まで入ったんです。隔壁を閉じられればと思ったんですが、結局うまくいきませんでした」
「リーネ?」
ガルドが聞き返した。
「ハルヴァの戦士だ。施設の調査を一緒にしてたんだよ。あいつも足を怪我して、今は休んでる」
「ほかに戦士はつかなかったのか?」
「外を警戒してもらってた。中に入ってからも色々あったけど、統制体は一体を倒した。もう一体は下の方へ落ちて、それきりだ」
「仕留めたかどうかは分からねえってことか」
「ああ。確かめられる状態じゃなかったからな」
ガルドは大きく息を吐いた。
「……まったく。相変わらず厄介なことに首を突っ込んでやがる」
「好きで入ったわけじゃないさ」
「分かってるよ。……ったく」
アレンが困ったように笑うと、ガルドもそれ以上は追及しなかった。
「フィアナは?」
セレナが尋ねた。
「無事だ。今はあの倉庫で負傷者の治療を手伝ってる」
「よかった。あとで会いに行きたいわ」
「ああ。みんなが来たと知ったら、きっと驚くだろうな」
セレナが微笑み、ガルドは近くにあった空の木箱を引き寄せてアレンの隣へ腰を下ろした。オスカーも荷物を下ろし、ようやく落ち着いて話を聞ける場所を探しているようだった。
「それで、何から聞いたもんかな。お前らが急に消えたところからか?」
「それだと相当長くなるぞ」
「構わねえ。こっちも話すことは山ほどある」
ガルドの言葉に、アレンは困ったように笑った。
セレナも何か尋ねかけたが、俺はそこで声をかけた。
「俺は先にヴァルドと話してくる。施設とカシュラの件について、氏族長から詳しく聞きたい」
「施設のことなら、ヴァルドにはもう報告してある」
アレンが言った。
「隔壁が閉じ切れていないことも、統制体の一体が下層へ落ちたことも伝えてある。今後の対応はヴァルドたちが進めてるから、詳しくは本人から聞いてくれ」
「分かった。そうさせてもらう」
「俺が見たことも、あとで説明するよ」
俺は頷き、案内してくれた戦士へ向き直った。
「ヴァルドのところへ案内してもらえるか」
「ああ。中央の集会所にいるはずだ」
戦士が答え、歩き出そうとする。
「じゃあ、俺たちはアレンと話してるぞ」
ガルドが声をかけた。
「ああ。あとで合流しよう」
「分かった。ヴァルドにもよろしく言っとけ」
「お前が言う必要はないだろう」
そう返すと、ガルドは笑った。
アレンもそのやり取りを聞いて、少し意外そうな顔をしている。
「随分、仲良くなったんだな」
「道中が長かったからな」
俺が答えると、ガルドが肩をすくめた。
「こいつ、最初は冗談の一つも通じねえかと思ったんだが、案外そうでもねえんだよ」
「誰かが川へ入るたびに、黙って見ているわけにもいかん」
「おい、まだその話をするのか」
ガルドの声に、アレンが笑った。
セレナも口元を緩め、オスカーは近くの木箱に腰を下ろしながら、低い笑い声を漏らした。
俺はその場を離れ、案内役の戦士とともに中央の集会所へ向かった。
通りの先では、壊れた防柵へ運ぶ材木が荷車に積まれ、負傷した戦士が仲間に支えられながら歩いている。北側の見張り場にもまだ人が立ち、集落の警戒は続いていた。
アレンたちが経験した異常と、カシュラの襲撃。そのどちらについても、ヴァルドはすでに対応を進めているはずだ。盟主へ伝えるべきことも多いが、まずはこの集落で起きたことを正確に把握しなければならない。
背後からは、ガルドがまた何か言っている声が聞こえてきた。
アレンが返すと、今度はオスカーまで笑っている。
その声が家屋の陰に遠ざかる頃、俺たちは集会所へ続く通りに入った。




