第105話 誰かの仕事着
西側の保守通路は、思っていたよりも幅が広かった。
壁沿いの格子状の床を進み、案内図にあった分岐を曲がると、通路は緩やかな上り坂へ変わった。足元は継ぎ目の少ない厚い板材で覆われ、両側には一定の間隔で金具が並んでいる。人が歩くだけでなく、大きな荷物を運ぶことも想定されていたようだ。
「階段じゃないんだね」
リーネが坂の先を見ながら言った。
「何かを運ぶための道だったのかもしれないな。これなら車輪のついた荷台でも通れそうだ」
「ずいぶん大きな荷物を運んでたんだね」
彼女が壁際の金具を指した。金具はどれも頑丈そうで、その下には細い溝が通路の奥まで続いている。何を固定するためのものかは分からないが、普通の荷車より大きな設備を扱っていた可能性もありそうだった。
坂を進むと、通路は右へ大きく曲がり、その先で反対方向へ折り返していた。
壁の一部が開けた場所から、下へ続く広い空間が見える。
いくつもの通路が中央の空間を囲み、緩やかな傾斜をつけながら上へ伸びていた。途中には太い柱や横梁が組まれ、それぞれの通路を支えている。
これなら、かなりの高さまで上がれそうだった。
問題は、今の俺たちがそこまで歩けるかどうかだ。
右膝は平地ならまだ耐えられたが、坂道で体重をかけると奥に鋭い痛みが走った。リーネも左足首を庇っているため、互いに歩調を合わせても、普段よりずっと遅い。
「アレン、少し肩を貸そうか?」
「リーネだって足を傷めてるだろ。今は自分で歩けるよ」
「そうだけど、上り坂だと右脚に負担がかかるでしょう?」
「そこはお互い様だな。休みながら行こう」
リーネは少し考えてから頷き、壁側へ寄った。
無理に支え合って二人とも姿勢を崩すより、歩けるうちは自分の足で進んだ方がいい。必要なら風魔法で補助するつもりだが、あの落下を経験したあとでは、身体を急に動かす使い方は避けたかった。
坂を一つ折り返したところで、右側の壁に大きな開口部が現れた。
通路から横へ広がる部屋があり、入口には半透明の仕切り板が残っている。その一部は開いたまま止まり、内側には大きな人影のようなものが並んでいた。
思わず足を止めた。
リーネもすぐに気づいたらしく、腰の短剣へ手を伸ばす。
「……あれ、統制体?」
「いや、形が違うな」
壁際には三つの人型が並んでいた。
いずれも同じ姿勢で立ち、足元は台座へ固定されている。統制体のような縦長の発光部はなく、頭部には丸みを帯びた暗い覆いがはめ込まれていた。
肩や胸は厚い装甲に覆われているものの、身体の比率は人間に近い。腕も脚も統制体ほど長くなく、手の先には五本の指がある。
しばらく様子を見たが、動き出す気配はなかった。
「中を確かめてみよう。何か分かるかもしれない」
「うん。でも、あまり近づきすぎないでね」
俺たちは入口から部屋の中を見渡した。
奥の壁には工具らしいものが収められ、床には細い溝が何本も走っている。人型の背中からは太い管が伸び、台座の後ろにある四角い設備へつながっていた。
三つのうち、一つだけ胸部の装甲が左右に開いている。
その内側を見て、俺は足を止めた。
「……これ、人が着るものじゃないか?」
開いた部分には柔らかそうな裏地が張られ、肩や腰を固定するための帯が見えていた。人間が身体を収めるのに十分な空間があり、頭部や腕の位置もそれに合わせて造られている。
リーネも覗き込み、驚いたように目を丸くした。
「本当だ。鎧みたいなものなんだね」
「ああ。ただ、普通の鎧とはずいぶん違う」
頭部から足先まで、ほとんど隙間なく覆われている。
腕や脚の関節には蛇腹状の部材が使われ、背中の箱状の設備からは細い管が頭部へ伸びていた。外側には金属に似た硬い装甲があり、手首や足首も厚い覆いで塞がれている。
装甲服と呼ぶのが近いだろうか。
前世にも似た用途の装備はあったが、これが何から身を守るためのものなのかは分からない。落石や機械との接触を防ぐためとも考えられるし、背中の装置には別の役割があるのかもしれなかった。
「これ、何に使ってたんだろう」
リーネが隣の台座を眺めながら尋ねた。
「作業用じゃないかな。武器らしいものは見当たらないし、向こうに並んでるのも工具に見える」
壁際には、先端が平たくなった棒や、何かを挟むためらしい金属器具が整然と収められていた。装甲服も関節や手の甲に細かな擦り傷が残っているが、大きく破損した様子はない。
ここは装備を保管し、整備するための場所だったのかもしれない。
近くの壁に、小さな表示板があるのを見つけた。
三つの装甲服に対応するように番号が振られ、その下には二行の文字が並んでいる。
EXTERNAL OPERATIONS PROTECTIVE SUIT
外部作業用防護服
俺は思わず目を凝らした。
上の行は英語だった。王都の地下でも、同じような文字を見たことがある。
だが、その下には日本語が並んでいる。
どちらも前世で使っていた言葉で、書かれている内容も同じだった。
古代文字が読めること自体は、もう何度も経験している。それでも、こうして二つの言葉が併記されているのを見るのは初めてだった。
どうしてこの施設で両方の言葉が使われていたのかは分からない。ただ、装備の用途だけは読み取れた。
「アレン?」
リーネに呼ばれ、顔を上げた。
「……外部作業用の防護服、らしい」
「外部作業?」
「ああ。施設の外か、何かの設備の外側で作業するための装備なんだと思う」
リーネは改めて装甲服を見上げた。
「こんなに頑丈なものが必要だったんだね」
「相当危険な場所で使っていたのかもしれないな」
彼女は開いた胸部を覗き込み、それから残る二つへ視線を移した。
「中には誰もいないんだよね?」
「開いてる方は空だな。ほかの二つは閉じてるから、外からじゃ分からない」
床や台座の周囲にも、人が倒れている様子はなかった。
ここで働いていた人々が、いつ、どこへ行ったのか。少なくとも、今の俺たちに確かめられることではない。
「着られたら、少しは安全そうだけど」
「そうだな。でも、動かし方も分からないし、勝手に触るのはやめておこう」
リーネも頷いた。
仮に身体へ合ったとしても、どれほどの重さがあるのか分からない。背中の装置や接続された管が必要なものなら、台座から外した途端に使えなくなる可能性もある。
今の俺たちには、使えるかどうかを試す余裕もなかった。
「場所は覚えておこう。戻れたらヴァルドに報告できる」
「うん。ハルヴァの記録には、こんな装備のことは書かれてなかったと思う」
リーネはもう一度部屋を見渡し、通路の方へ向き直った。
俺も後に続いたが、入口を出る前に少しだけ振り返った。
三つの防護服は、背中の管をつないだまま、台座の上に整然と並んでいた。
先ほど管理機構が口にした、初期入植基盤という名称を思い出す。
人々が移り住み、そこで暮らすための設備を造ったのなら、それを維持する作業員も必要だったはずだ。目の前の防護服がそのために使われていたとしても、不思議ではない。
俺たちは再び坂道を上り始めた。
通路は何度も折り返し、そのたびに中央の空間が少しずつ遠ざかっていく。途中には運搬用らしい設備や閉じた扉もあったが、案内された経路から外れるものには近づかず、上へ続く道を選んだ。
歩いているうちに、右膝の痛みは次第に強くなった。
何度か壁際で休み、水を少しずつ飲みながら進む。リーネも口数が減っていたが、足場を確かめる目は変わらず、坂の継ぎ目や傾いた板材を見つけると、その都度教えてくれた。
下層の装置に表示された案内図を思い出しながら進んだものの、途中の分岐には表示が消えたものもあった。そういう場所では、壁に残された文字や通路の傾斜を確かめて進路を決める。
どれほど歩いただろう。
中央の空間を見下ろしても、最初に通った下層の通路はもう見えなくなっていた。
「……ずいぶん上がってきたね」
リーネが壁へ手をつきながら言った。
「ああ。もう少しで上層に着けるといいんだけど」
「この坂、どこまで続いてるんだろう」
「案内図では途中で終わってたからな。今は上に続いてることを信じるしかない」
リーネは苦笑し、俺の右脚へ視線を落とした。
「休む?」
「少しだけ。リーネも足を見ておいた方がいい」
通路の端に腰を下ろし、互いの負傷を確かめた。
俺の右膝には腫れが残り、長く歩いたせいか、曲げる時の痛みが強くなっている。肩の包帯に新しい血は滲んでいなかったが、腕を上げるとまだ鈍く痛んだ。
リーネの左足首も腫れが引いた様子はなく、包帯の締まり具合を確かめてから、少し緩めて巻き直す。
「帰ったら、フィアナに診てもらわないとな」
「そうだね。きっと、二人まとめて怒られるよ」
「助けようとしてたんだから、そこは勘弁してほしいな」
「でも、アレンは無茶したでしょう?」
「そこは否定できない」
リーネは少し笑い、足首を慎重に動かしてから立ち上がった。
俺も右膝を伸ばして立ち、壁に手を添えながら歩き始める。
坂をさらに上ったところで、通路の中央に大きな運搬台が止まっていた。
床に埋め込まれた二本の溝の上へ乗り、荷物を固定するためらしい金具が幾つもついている。だが、片側が大きく傾き、通路をほとんど塞いでいた。
「ここも壊れてる……」
リーネが運搬台の下を覗き込んだ。
反対側へ回るには、中央の空間へ張り出した細い通路を通る必要がありそうだった。手すりの一部は欠けているものの、床はまだ残っている。
「どうだろう。あの通路、渡れそうか?」
「壁側なら大丈夫そう。ほら、あそこに太い柱があるでしょう?」
リーネが指した先には、通路の裏側を支える大きな部材があった。
その上に乗る部分なら、中央へ張り出した端より安定しているはずだ。
「そうだな。俺が先に確かめる」
「うん。無理そうなら戻ってきて」
俺は通路へ足をかけ、支持材の通る位置を選んでゆっくり進んだ。
床は少し軋んだものの、沈み込む様子はない。向こう側まで渡ってから振り返り、リーネへ頷く。
彼女も同じ場所を選んで進み、途中で一度足を止めながら、無事に渡りきった。
「よかった。もう一度落ちるのは嫌だからね」
「俺もだ。今度は止めきれる自信がない」
「そういうのは、試さないでね」
「もちろん」
リーネは少し呆れたように笑った。
運搬台を越えると、坂の傾斜は緩やかになった。
壁沿いの照明は半分ほど消えていたが、遠くにはまだ白い光が続いている。通路の造りも少し変わり、床の両側にあった金具がなくなって、代わりに細い溝が並ぶようになった。
やがて、正面に厚い扉が見えてきた。
それまでの坂道はそこで終わり、扉の向こうへ短い通路が続いているようだった。
壁際の表示には、古代文字が残っている。
――上層保守連絡路。
「ここだ」
俺が呟くと、リーネも表示を見上げた。
「上に戻れるの?」
「少なくとも、上層につながる場所らしい」
扉は完全には閉じていなかった。
片側が少し開いたまま止まり、人が一人通れる程度の隙間が残っている。向こう側は暗いものの、床が続いているのは確認できた。
俺たちはしばらく様子を見たが、何かが動いている気配はない。
「先に行くね」
リーネは腰の短剣に手を添え、身体を横にして隙間へ入った。左足を庇いながら慎重に抜けると、向こう側の床を確かめてから振り返った。
「大丈夫。こっちは安定してる」
「分かった」
俺も鞘を身体へ寄せ、肩が扉の縁に当たらないよう向きを変えた。
右腕を引く時に少し痛みが走ったが、無理に押し込まず身体の角度を調整すると、どうにか通り抜けられた。
扉の向こうには、短い横通路が続いていた。
壁の造りは下層と似ているものの、床には細かな破片が散らばり、天井の一部には大きな亀裂が走っている。
俺たちは音を立てないよう進み、通路の出口で足を止めた。
見覚えのある壁だった。
人工の板材が規則正しく並び、頭上には何本もの太い支持材が走っている。その一部は折れ、天井から垂れ下がっていた。
少し離れた場所では、床の中央が大きく抜け落ちている。
その向こうに、半ば閉じたままの古代隔壁が見えた。
「……戻ってきた」
リーネが小さく呟いた。
「ああ。上層だ」
俺たちが落ちた通路の、少し奥側に出たらしい。
崩落した中央部はほとんど床が残っていないが、壁際には板材が細く続いている。途中で幅が狭くなる場所はあるものの、隔壁の近くまで辿れそうだった。
ただし、隔壁はまだ閉じていない。
床の溝に岩片が噛み込んだままなのだろう。扉は中途半端な位置で止まり、外側へ通じる開口部も残っている。
あれだけの崩落が起きても、隔壁そのものは持ちこたえたらしい。
「外に出られそう?」
リーネが尋ねる。
「道は残ってる。ただ、床がどこまで耐えるか分からない」
俺は壁際の板材へ目を向けた。
中央の床が落ちた影響で、壁側にも亀裂が伸びている。柱の根元に近い部分はまだ残っているものの、隔壁の手前まで安全に進めるかは、実際に確かめる必要があった。
今の俺たちに、もう一度飛び越えるような無理はできない。
「リーネ、ここで少し待ってくれ。先に足場を確かめる」
「分かった。私も向こう側を見ておく」
彼女は壁際へ寄り、隔壁の開口部を注意深く観察した。
俺も床の継ぎ目を確かめながら、支持材の通っている場所を探す。
少なくとも、完全に途切れているわけではなさそうだった。
そう判断した時、隔壁の向こうから硬いものがぶつかる音が響いた。
続いて、誰かが短く叫ぶ声が聞こえる。
言葉までは分からなかったが、人の声であることは間違いない。
「……まだ誰かいる」
リーネが隔壁へ顔を向けた。
俺も耳を澄ませたものの、声は一度きりで、その後は遠くの物音に紛れてしまった。
助けを求めているのか、それともまだ戦闘が続いているのか。ここからでは判断できない。
「行こう。外の様子を確かめる」
リーネが頷いた。
俺は剣の柄に手を添え、壁沿いに残された最初の足場へ慎重に足をかけた。




