第11話 旅の途中
ベルカ村を離れてから、二日ほどは何も起きなかった。
丘陵を抜けた街道でいくつかの集落を通り、商人の荷車や巡礼者ともすれ違ったが、魔物の姿も新しい神託もない。
最初のうちは、鳥が急に飛び立てばミラが森へ目を向け、馬が足を止めればローデンも隊列を緩めていた。俺も僅かな揺れを感じるたび足元を気にしていたが、何も起きない時間が続けば、巡礼団の空気も少しずつ普段の旅へ戻っていった。
二日目の昼前、俺たちは街道脇の休憩所で足を止めた。
屋根と長椅子があるだけの簡素な場所で、近くには旅人用の水場もある。俺は水袋を満たし、木陰へ腰を下ろして靴紐を締め直した。
「ここ、空いてる?」
顔を上げると、ユリウスが杖を片手に立っていた。
「どうぞ」
少し横へ詰める。
「平和だね」
「不満そうですね」
「不満じゃないよ。ベルカ村の後だから、急に普通の旅へ戻った感じがして」
「俺はこのくらいがいいですけど」
「アレンって現実的だよね」
「魔物に襲われて喜ぶ趣味はないですよ」
「俺もそこまではないって」
笑いながら返す顔を見て、最初に会った時とは少し印象が変わったことに気づいた。
「何?」
「最初に思ってたより、ちゃんとしてる人だなと」
「それ褒めてる?」
「良い意味です」
「最初はどう思ってたの」
「もっと適当な人かと」
「全然褒めてないじゃん」
ユリウスが呆れたように笑う。
「でも装甲猪の時は、結構信用してくれてたよね」
「そうでした?」
「名前呼んだだけで任せたじゃん。何をしろとも言わなかっただろ」
「あれは救助の時に土を動かすところを見てましたから。足元をどうにかしてくれるかなと」
「それだけ?」
「それだけです」
「もう少しこう、長年一緒に戦ってきた感じはないの?」
「会ってまだ数日ですよ」
「夢がないなあ」
そのやり取りを聞いていたらしく、少し離れた場所で矢を確認していたミラが顔を上げた。
「その数日で十分でしょ。この人、慣れるともっと適当になるから」
「またそういうこと言う」
「前の遠征で、濡れた布を私の矢筒の上に置いたの誰?」
「一回だけだろ」
「一回で駄目になることもあるの」
ミラは矢羽根を指先で整えながら、こちらへ歩いてきた。
「雨の後は特に気を使うし、鏃だって緩んでないか見るからね」
「そういうところ昔から変わらないよな」
「ユリウスが変わらなさすぎるんでしょ」
「二人は四年くらい一緒なんでしたっけ」
「うん。ずっと固定で組んでるわけじゃないけど、依頼が合えば一緒になることが多いかな」
「もうそんなになる?」
「本人が忘れてるけどね」
ミラが呆れたように言う。
「ガルドさんとも組んだことあるんですか?」
「あるよ。単独で受けることも多いけど」
示された木陰では、ガルドが幹にもたれて腕を組み、目を閉じていた。
「白金級って、あんなに堂々と寝ててもいいんですかね」
俺が小声で言うと、ユリウスが笑った。
「起きてると思うよ」
「聞こえてるぞ」
離れた場所から声が返ってくる。
目は閉じたままだ。
「本当に起きてる」
「だから言ったでしょ」
ガルドはそれ以上会話へ入る気はないらしく、そのまま黙った。
◇
その日の夕方、予定していた町へ到着した。
ベルカ村よりずっと大きく、街道沿いには宿や商店が並んでいる。巡礼路の途中にあるため神殿関係者や旅人も多く、町へ入っただけで人の往来が一気に増えた。
今夜は野営ではないと分かると、ユリウスが真っ先に宿を見上げた。
「風呂あるかな」
「まず荷物を運んで」
ミラが返す。
「確認するくらいいいだろ」
「荷物の後」
「はいはい」
宿は神殿の巡礼者向け施設と一体になっており、中庭には三台の荷馬車を入れられるだけの広さがあった。
荷物を部屋へ運び、剣を手の届く場所へ置いてから廊下へ出ると、向こうからフィアナが歩いてきた。巡礼用の外套は脱いでいる。
「部屋、決まりました?」
「はい。ユリウスさんと同室です」
「ああ……」
フィアナが少し笑う。
「何です?」
「少し大変そうだなと思って」
「まだ何も起きてませんよ」
「ならいいんです」
「フィアナさんは?」
「世話役の方と一緒です。一人でも大丈夫だとは言ったんですけど」
「それは通らなかったんですね」
「はい」
少し不満そうに口を尖らせる。
夕食まではまだ時間があった。
「町、少し見てみます?」
そう聞くと、表情が明るくなった。
「いいんですか?」
「ローデンさんに確認してからですけど」
「お願いします」
返事が早かった。
◇
町へ出る許可は下りた。
フィアナは巡礼用の外套を羽織り直し、神殿兵二人と世話役が少し距離を空けてついてくる。
宿を出てすぐ、フィアナが後ろを振り返った。
「もう少し普通に歩けると思ってました」
「護衛対象なので仕方ないですよ」
「分かってます」
町は旅人向けの店と住民の暮らす区画が入り混じり、大通りには露店の声が絶えない。
歩いている途中で、フィアナの足が少し遅くなった。
視線の先には焼き菓子の店がある。
「食べます?」
「……少しだけ」
薄く焼いた小麦の生地へ蜂蜜をかけた菓子を一つずつ買った。
一口食べる。
「結構甘いですね」
「これくらいがいいんです」
「村でも食べてたんですか?」
「滅多にありませんよ。お祭りの時くらいです」
フィアナは菓子を見ながら笑った。
「弟たちが毎回取り合ってました」
「二人とも?」
「はい。結局、私が分けるんですけど」
「お姉ちゃんですね」
「一応」
「村にいた頃も、今みたいな感じだったんですか?」
「そんなに変わらないと思います。でも、今よりはよく怒られてました」
「何をして?」
「弟と川へ入ったり、木に登ったり」
「結構活発だったんですね」
「普通ですよ」
「今やったら神殿の人が大変そうですけど」
フィアナも想像したのか、口元を押さえて笑った。
「今はやりませんよ」
町を一周するほど長く歩くつもりはなく、夕食に間に合うよう宿へ戻る。
その途中、翌朝に立ち寄る予定の神殿の前を通った。
ルミエルとは比べようもない小さな神殿だが、治癒院も兼ねているらしく、入口では何人かが順番を待っている。
フィアナが足を止めた。
「寄ります?」
少しだけ迷ってから、首を振る。
「今日はやめておきます」
「いいんですか?」
「ちゃんと診てもらえてますから」
入口では神官が患者を見ながら順番を調整し、怪我の重そうな者を先に中へ通していた。
「私が入ったら、人も集まるでしょうし。かえって邪魔になるかもしれません」
「そうですね」
フィアナはもう一度だけ神殿を見てから、自分で宿の方へ歩き出した。
俺もその隣へ並んだ。
◇
翌朝、フィアナは予定どおり町の神殿で祈りを捧げた。
それを終えると俺たちは再び西へ向かい、さらに二日ほど問題なく街道を進んだ。
旅の手順も馴染み、細かな指示を待たずにそれぞれが自分の役割へ動くようになっていた。もちろん隊列や進路の判断はローデンが握ったままだが、出発や野営のたびに一から確認する必要はなくなっている。
フィアナも歩く時間と馬車へ乗る時間を自分で調整し、無理に歩き続けることはなくなった。
道中の町や村では神殿へ立ち寄り、人々の前で祈りを捧げる。終わって馬車へ戻れば、普通に疲れた顔で水を飲んでいた。
そんな旅にも少し慣れ始めた頃、街道は大きな川へ近づいた。
地図では、この先の石橋を渡れば次の宿場へ続いている。
「この辺から少し道が狭くなるな」
ガルドが前を見る。
「川沿いだからですか?」
「たぶんな。雨が続けば崩れやすそうだ」
ここ数日は晴れている。
川音が近づく中、先行していたミラが戻ってきた。
急いでいる様子はないが、少し困った顔をしている。
「何かありましたか?」
ローデンが尋ねた。
「橋が渡れません。中央がかなり落ちています。人だけなら考えようはありますけど、荷馬車は無理です」
俺たちは足を止めた。
「現地を確認しましょう」
ローデンの指示で、そのまま川まで進む。
木々の間を抜けると、石造りの橋が見えてきた。
ミラの言った通り、中央部分が大きく崩れている。川底には橋を構成していた石材が沈み、三台の荷馬車を通せる状態ではなかった。
橋の手前には通行止めを知らせる木札が立っていた。
「新しいですね」
墨もまだ濃く、長く雨風に晒されたようには見えない。
ベルナールが内容を確認する。
「崩落は数日前です。出発前に届いていた道路の報告では、この橋は通行可能でした」
「なら、その後に落ちたんですね」
「そのようです」
ユリウスが崩れた橋を眺める。
「どうします?」
ベルナールが地図を開いた。
「南へ回る旧街道があります。かなり遠回りになりますが、別の橋へ出られるはずです」
ローデンも地図を確認する。
「荷馬車が通れる状態か、先に確かめた方がいいでしょう。ミラ殿、旧道の入口から少し先まで見ていただけますか?」
「分かりました」
ミラが一人で確認へ向かった。
戻ってきたのは、それほど経たないうちだった。
「道幅は大丈夫です。かなり草は伸びてますけど、今見た範囲なら荷馬車も通れます。ただ、今の街道より時間はかかります」
「どの程度でしょうか?」
「順調なら、一日くらい余計に見た方がいいと思います」
ベルカ村で既に予定は遅れている。
ベルナールはしばらく地図を見てから、ローデンへ尋ねた。
「護衛上は問題ありませんか?」
「現時点ではありません。ただし利用者の少ない道ですので、ミラ殿の先行確認を増やした方がいいでしょう」
「分かりました。では日程はこちらで調整します。旧街道へ回りましょう」
方針が決まった。
俺も地図を覗き込む。
旧道は川から南へ離れ、その後大きく西へ回っている。途中に、小さな集落を示す印が一つあった。
「ここは村ですか?」
ベルナールが地図へ目を凝らす。
「エルム村、とあります。ただ、この地図自体が古いので、今も人が住んでいるかまでは分かりません」
「補給できれば助かるんですけどね」
「期待はしない方がいいでしょう」
俺は旧道の線を目で追った。
予定外の遠回りにはなったが、荷馬車を置いていくよりはいい。
橋を背に、俺たちは南へ延びる旧街道へ入った。




