第103話 床の下
統制体の足元で、剥き出しになった支持材が沈んだ。
頭部の縦長の光は、すでに充填照射の白さへ変わり始めている。俺が立つ壁際にはまだ床が残っていたが、隔壁までの間には大きな亀裂が走り、中央の板材はところどころで傾いていた。
「リーネ、扉の陰から出るな! こいつの注意を引く!」
「分かった! でも、床がもう……!」
彼女のいる隔壁の内側でも、床板の継ぎ目が開き始めていた。外へ抜けるには開口部を横切らなければならず、統制体に正面から見通されている以上、今は動けない。
俺は左側の壁に沿って走り出した。
統制体の頭部が追ってくる。照射される直前、足元の石片を土魔法で浮かせて顔の前へ飛ばし、相手が腕を上げたところで進路を変えた。
白い光が通路を貫く。
背後で人工の床板が砕け、さらに壁の下部を支えていた太い部材へ光が突き刺さった。
直撃は避けたものの、靴底から伝わってきた震動は、これまでの照射とは明らかに違っていた。
床下で何かが折れたらしく、金属を引き裂くような音が長く響き、中央の板材が一斉に沈んだ。
比較的損傷の少ない壁際へ着地したが、右膝に鋭い痛みが走り、思わず壁へ手をついた。魔法の反応は相変わらず異常なほど軽い。それでも、傷めた身体の方は限界に近づいていた。
統制体も足元の変化に気づいたらしい。
中央から壁側へ移ろうとしたが、踏み込んだ先の床まで沈み始め、長い腕を伸ばして壁に身体を支えた。
頭部の光はまだ消えていない。
その姿を警戒しながら隔壁への経路を探したが、中央を横切るのは危険だった。壁沿いにはまだ床が残っているものの、途中で大きく割れ、踏み込めそうな場所が限られている。
床下から聞こえる音は次第に大きくなっていた。
もう岩片を取り除いている場合ではない。隔壁を閉じられなくても、まずリーネとともに外へ出なければならなかった。
「リーネ! 外側の床は残ってるか!」
「残ってる! でも、内側が沈んでて、そこまで足が届かない!」
「隔壁の枠に掴まれ! 無理に跳ぶな!」
返事を聞きながら、足元の石片を統制体の頭部へ向けて放った。
相手が腕を上げて防いだところで、風を使って壁際の割れ目を越える。着地した板材も足元で軋んだため、すぐに次の足場へ移った。
身体を前へ運ぶ風は、思ったとおりの強さと向きで応じている。
ただ、勢いを殺して踏みとどまるたびに右膝が痛み、肩にも鈍い衝撃が響いた。剣を振るう右腕には痺れが残っており、これ以上あの統制体とまともに戦うのは難しい。
隔壁が近づいたところで、左側の床が大きく傾いた。
リーネはすでに扉の枠へ片手をかけ、もう片方の手で壁の出っ張りを掴んでいた。足元の板材は中央へ向かって沈み、立っていた場所には大きな隙間が開いている。
その下に見えたのは岩盤ではなかった。
太い梁が幾重にも交差し、そのさらに下へ暗い空間が続いている。
「アレン、こっちはいい! 自分の足場を見て!」
「そっちも落ちる。動けるうちに出よう!」
彼女のいる側へ渡ろうとしたが、足をかけるつもりだった板材が目の前で沈んだ。
咄嗟に身を引いた直後、隔壁の近くまで伸びていた支持材が一本、根元から外れる。
それに引かれるように床の継ぎ目が裂け、リーネの身体が大きく揺れた。
彼女はすぐに片足を引き上げ、扉の枠へ体重を預けたが、足を置ける場所はもうほとんど残っていなかった。
俺は壁際に残った床を確かめ、風で身体を押し出した。
リーネのすぐ近くまで辿り着いた時、背後から低い音が響く。
統制体の発光部が、再び強まっていた。
崩れかけた床の上でも照射を止めるつもりはないらしい。長い腕を壁へ突き立てて身体を固定し、こちらへ頭部を向けている。
あの位置から撃たれれば、隔壁の枠に掴まったままでは逃げられない。
「リーネ、こっちへ跳べ!」
彼女へ腕を伸ばした。
リーネは俺の足元と統制体の頭部を一度だけ見比べると、枠を掴む手に力を込めた。こちらへ跳んでも、まともな足場は残っていない。それでも、照射を受けるまで留まるつもりはないようだった。
「行く!」
枠を蹴った彼女の手首を掴み、風で身体を支えながら引き寄せる。
その瞬間、白い光が走った。
照射は俺たちの背後を横切り、隔壁を支える壁の下部へ突き刺さった。
分厚い枠そのものは残ったものの、足元の支持部が砕け、壁沿いまで強い衝撃が伝わってくる。
俺が踏んでいた板材が、突然下へ折れ曲がった。
リーネを引き寄せた勢いのまま風で身体を運ぼうとしたが、周囲では床板が次々と落ち始めていた。頭上からも壁材が剥がれ、砕けた構造物が降り注いでくる。
残った床へ飛び移ろうにも、着地できる場所が見当たらない。
俺はリーネを抱え込み、落下する身体の向きを変えた。
隔壁の厚い枠が、上へ遠ざかっていく。
開口部の向こうには、まだ外側の通路が見えていた。
手を伸ばしても、もう届かなかった。
足元から強い風を吹き上げさせる。
落下の勢いが僅かに緩んだが、二人分の身体をすぐに止められるほどではない。風を強めれば減速はできるものの、その分だけ肩や胸に負担がかかった。
俺は風の強さを調整し、落ちる速度を少しずつ削っていった。
リーネが俺の腕に掴まり、身体を寄せる。
「アレン、下が見えない!」
「ああ。壁から離れすぎないようにする!」
落下が始まってから、すでに相当な距離を降りているはずだった。それでも足元には暗い空間が続き、ところどころに突き出た梁や、壁沿いの細い構造物が見えるだけだった。
風の向きを変え、大きな梁を避ける。
その直後、上から落ちてきた床材が近くの構造物へ衝突し、砕けた破片がこちらへ飛んできた。
反射的に風で押し返したが、身体が横へ流され、傷めた肩に焼けるような痛みが走った。
リーネが俺の外套を掴み直す。
「右からも来る!」
彼女の声で顔を向けると、割れた板材がこちらへ回転しながら落ちてきていた。すぐに風の向きを変え、どうにか軌道を外す。
破片はすぐ脇を通り過ぎ、暗い下方へ消えていった。
すべてを避けながら落下の勢いを殺すのは、思っていた以上に難しかった。
魔法の操作は驚くほど素直なのに、身体を動かす方が追いつかない。リーネを支えている左腕も痺れ始め、息を吸うたびに胸が圧迫されるようだった。
それでも風を弱めるわけにはいかなかった。
さらに下へ落ちたところで、黒い巨体が視界を横切った。
統制体だった。
俺たちのいた通路から床ごと落ち、長い腕を伸ばして壁へ取りつこうとしている。
だが、掴もうとした板材は重みに耐えられず、根元から外れた。
統制体はそのまま落下し、途中で斜めに突き出ていた巨大な梁へ激突した。
硬いものが砕ける音が響く。
黒い外殻が梁へ食い込み、背部の板状構造が幾つか折れた。巨体はそこで一度止まったものの、頭部の縦長の光は消えておらず、長い腕が梁の上で動いている。
梁の根元には亀裂が走っていた。
あの重さをいつまで支えられるかは分からない。
俺は視線を戻し、リーネを抱える腕へ力を込めた。
統制体が再び動き出すとしても、今は自分たちの落下をどうにかする方が先だった。
さらに下へ進むと、壁に沿って細長い足場が続いているのが見えた。
中央には広い空間があり、その底には崩れ落ちた床材がすでに積み重なっている。壁沿いの足場はそこよりも高い位置にあり、太い柱で支えられているようだった。
上から落ちた破片の一部が、足場に当たって跳ねている。
「あそこに降りる!」
俺が示すと、リーネも足場へ目を向けた。
「分かった。着地する時は私も支える!」
「無理はするな。足がついたら低くなってくれ!」
足元から吹き上げる風を強め、残っていた落下速度をさらに削った。
風は思った以上に細かく調整できたが、身体への負担は消えない。胸が強く圧迫され、息を吸うのが苦しくなる。傷めた右脚も、姿勢を保とうとして伸ばすたびに痛みが走った。
足場が近づく。
俺は最後に風の向きを調整し、二人の身体を壁寄りへ運んだ。
リーネが先に靴底をつけ、膝を曲げて衝撃を逃がそうとする。
俺も右脚を庇いながら着地したが、残っていた勢いを受け止めきれず、膝が折れた。
二人の身体が床へ倒れ込み、格子状の板材が大きく撓む。
すぐ脇には壁があった。
俺はリーネの頭がそこへぶつからないよう腕を回し、身体の向きを変えたものの、自分の肩を床へ強く打ちつけた。
肺の中の空気が一気に押し出される。
息を吸おうとしても、胸がうまく動かなかった。
視界が暗くなり、耳の奥で高い音が鳴る。痛みより先に、呼吸ができないことへの焦りが湧いてきた。
リーネもすぐには起き上がらず、片手を床についたまま荒い息を繰り返していた。
格子状の床が二度ほど揺れ、それからようやく動きを止めた。
俺は床へ手をつき、少しずつ身体を丸めた。
ようやく空気が入ってきたところで、胸の奥に鋭い痛みが走る。
それでも呼吸は戻り始めていた。
「……リーネ、動けるか」
「うん……アレンは?」
「息が詰まっただけだ。少し待ってくれ」
そう答えたものの、右膝と肩もひどく痛み、すぐには立ち上がれそうになかった。
頭上ではまだ破片の落ちる音が続いている。
俺は近くにあった太い柱を指した。
「あそこまで移動しよう。まだ上から落ちてくる」
リーネが頷き、俺の腕を支えた。
互いに身体を庇いながら床を這い、柱の陰へ入る。崩落音は次第に遠ざかっていったが、上層から聞こえる軋みはまだ収まっていなかった。
しばらくして、頭上で再び大きな音がした。
柱の陰から見上げると、途中の梁に引っかかっていた統制体が動いている。
長い腕を使って身体を起こそうとしていたが、背部の板状構造は大きく折れ曲がり、片脚も不自然な方向へ曲がっていた。
梁の根元では、亀裂が少しずつ広がっている。
そこへ上から新たな床材が落ちてきた。
分厚い板材が統制体の背部へぶつかり、その重みを受けた梁が根元から折れた。
黒い巨体が再び落下する。
俺たちのいる通路よりさらに下、中央に積み重なった構造材へ激突し、衝撃で周囲の瓦礫が跳ね上がった。折れた梁も後を追うように落ち、統制体の胴体へ叩きつけられる。
頭部の縦長の光が、一度だけ強く明滅した。
その後、弱い光が二度ほど揺れ、完全に消えた。
俺は柱の陰から様子を確かめたが、黒い外殻が動き出す気配はなかった。
「……止まった?」
隣でリーネが尋ねた。
「そう見える。ただ、壊れたと決めつけるのは危険だ。近づかない方がいい」
「うん。もう一度動き出されても、今の私たちじゃ……」
リーネは最後まで言わず、左足を庇いながら座り直した。
落下直後は気が張っていたのだろう。表情に少しずつ痛みが出始めている。
「足、見せてくれ」
「左足首。着地した時に捻ったみたい」
彼女は壁へ背を預け、慎重に靴を緩めた。
足首の外側には腫れが出始めていた。指先を動かすことはできるものの、足首を曲げると痛むらしく、途中で動きを止める。
「体重はかけられそうか?」
「少しなら。でも、普通には歩けないと思う」
「無理はしないでくれ。骨まで傷めているかは、ここじゃ分からない」
「分かってる。アレンも右脚を見た方がいい」
俺は頷き、柱へ背を預けた。
右膝は腫れているものの、曲げ伸ばしはできた。ただ、立ち上がろうとすると膝の奥に鋭い痛みが走り、すぐに体重を戻さなければならなかった。
さらに、肩の傷も落下の衝撃で開いているらしい。裂けた外套をずらすと、革鎧の縁に沿って血が滲んでいた。
深い傷ではなさそうだが、肩を動かすと痛みが増す。胸の圧迫感も残っており、大きく息を吸うのはまだ苦しかった。
「アレン、肩は私が手伝うよ」
「頼む。ちょっと手が届きにくい」
腰の装備袋を確かめると、留め具の一つが曲がっていたものの、中に入れていた包帯と水は残っていた。剣も鞘に収まっており、落下の間に失わずに済んだらしい。
リーネは包帯を受け取ると、俺の隣へ腰を下ろし、革鎧の縁から覗いている傷を確かめた。
手つきは慣れていたが、布を当てようとしたところで、ふと動きが止まった。
「……落ちた時、私の頭を庇ったよね」
「ああ。壁が近かったからな」
「それでアレンは肩を打ったんでしょう?」
「受け身は取ったつもりだったんだけどな。上手くいかなかった」
リーネは俺の肩を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
落下の最中、彼女も周囲の破片を見て、着地できそうな場所を探してくれていた。二人で風を受けながら足場へ降りたつもりだったが、最後の衝撃では俺の方が先に姿勢を崩してしまった。
「……ありがとう、アレン」
いつもより少し小さな声だった。
「リーネも着地を手伝ってくれたからな。二人とも助かってよかった」
「うん……そうだね」
彼女は包帯を持ち直し、傷に触れないよう慎重に布を当てた。
途中で一度だけ指先が止まったものの、すぐに包帯を回し始める。俺が自分で押さえている間に残りを肩へ通し、動かせる程度の強さで固定してくれた。
「痛かったら言って」
「このくらいなら大丈夫だ」
「さっきから、そればっかり」
呆れたような口調だったが、顔を上げたリーネはかすかに笑っていた。
俺も少し笑い返し、包帯の締まり具合を確かめる。傷を覆えているし、腕を動かしても大きくずれることはなさそうだった。
今度は彼女の腕にできた小さな裂傷を手当てし、左足首も布で軽く固定する。腫れがひどくなれば調整できるようにしておいたが、ここで十分な治療ができるわけではない。
フィアナがいてくれれば、と思わずにはいられなかった。
彼女はラウネで負傷者を診ている。あちらにも治癒を必要とする人が大勢いるはずで、ここにいないことを惜しんでも仕方がなかった。
応急処置を終え、俺たちは頭上の穴を見上げた。
上層の照明が遠くに見える。
途中には折れた梁や崩れた床材が幾重にも引っかかり、元の通路へ続く足場らしいものはなかった。
「ずいぶん落ちたね」
「ああ。途中で風を使えなかったら、助からなかったと思う」
リーネはしばらく上を見つめてから、俺へ視線を戻した。
「あの風、すごかった。落ちてるのに、下からずっと押し上げられてる感じがした」
「俺も、あそこまで細かく調整できるとは思ってなかった」
「統制体を吹き飛ばした時もそうだったよね」
「ああ」
剣で戦った時のことも思い出す。
石材を動かそうとすれば、ほとんど抵抗なく思った位置へ移動した。風を集中させる時も、普段なら慎重に整えなければならない強さや向きを、考えたとおりに変えられた。
しかも、あれだけ魔法を使っても、消耗した感覚が薄い。
身体の痛みがなければ、まだ戦えるような気さえする。
試しに足元の小石へ意識を向けると、ほとんど力を込めないうちに石が浮き上がった。
リーネもそれを見ていた。
「まだ使えるんだ」
「使える。でも、どうしてこうなってるのか分からない」
「アレンの魔法って、もともと細かいことができるでしょう?」
「ここまでじゃない。少なくとも、王都で統制体と戦った時は、こんなことはできなかった」
リーネは何か考えるように視線を落とした。
俺も石を床へ戻し、改めて上を見上げる。
魔法が使えるなら、あそこまで上がれないか。
そう考えたものの、落下の勢いを緩めることと、自分たちの身体を支えながら長い距離を上昇することは違う。今の負傷では姿勢を保つだけでも厳しく、途中の梁や瓦礫を避けながら上がれる保証もなかった。
仮に辿り着けたとしても、上層の床は崩れたばかりだ。
安全に降り立てる場所が残っているかも分からない。
「別の道を探そう。ここが施設の一部なら、上とつながる場所があるかもしれない」
「うん。そっちの方がよさそう」
リーネは柱へ手をつき、ゆっくり立ち上がった。
左足をついた途端、少し顔をしかめたが、体重を反対側へ移せば歩けるらしい。俺も右膝を庇いながら立ち、壁へ片手を添えた。
二人とも、走れる状態ではなかった。
「外はどうなってるんだろう」
リーネが頭上を見上げながら呟いた。
「分からない。隔壁も閉じられてないし、黒い獣が今どこにいるのかも確認できてない」
「みんな、無事だといいけど」
「ああ。知らせに走った戦士がラウネへ着けば、少なくとも施設で異常が起きたことは伝わるはずだ」
ただ、こちらへ救援を向けられる状況かどうかはわからない。
カシュラの部隊が施設を確保しようとしている一方、ラウネでも戦闘が続いている。ヴァルドやグレンがどんな判断を下すにしても、俺たちがここから連絡できなければ、下層に落ちたことまでは伝わらない。
俺たちは崩落した中央部を避け、壁沿いの通路を進んだ。
足元の格子状の床は、上層とは造りが違っていた。一定の間隔で太い枠が組まれ、その上に細かな板材が渡されている。壁側には細長い管のようなものが何本も走り、ところどころで大きな四角い板が並んでいた。
頭上の穴から差し込む光は、少し進むだけで届かなくなった。
それでも通路の壁には、弱い白色照明が残っている。
全体が明るいわけではなく、柱の間や通路の曲がり角は暗い。俺は床の状態を確かめながら進み、リーネが足を置けそうな場所を示した。
「こんな場所が下にあったなんて」
彼女は壁に沿って伸びる管を眺め、首を傾げた。
「ハルヴァの記録にも、こんな場所があるとは書かれてなかったと思う」
「上の床が崩れるまで、俺たちも気づかなかったからな」
「でも、ここも古代の施設なんだよね?」
「造りは似てる。何に使っていた場所かは分からないけど」
途中の壁には、規則正しく並んだ細い継ぎ目があった。
その一部は外装が剥がれ、内側に複雑な構造が見えている。別の場所では、太い管が壁を貫き、見えない奥へ続いていた。
何かを運ぶ設備かもしれない。
ただ、水なのか空気なのか、あるいは全く別のものなのかは判断できなかった。
俺が知っている道具や設備にも似たものはあるが、外見が似ているからといって、同じ仕組みだとは限らない。
通路の奥からは、低い唸りのような音が続いていた。
崩落による振動なのか、どこかの装置が動いているのかも分からない。
「他にもあの黒いのがいるかな」
「可能性はある。音や光には気をつけよう」
リーネは頷き、腰の短剣を確かめた。
俺も剣の柄に手を添えたが、できればもう戦いたくなかった。統制体のような相手がここにもいたら、今度こそ逃げるしかないだろう。
しばらく進んだところで、通路の右側に大きな四角い装置が現れた。
壁へ埋め込まれるように設置され、表面は周囲の板材とほとんど同じ色をしている。上層にあった操作装置より大きいが、目立った取っ手や文字は見当たらなかった。
「これ、扉かな?」
リーネが少し離れたところから尋ねた。
「分からない。継ぎ目はあるけど、開く場所なのかどうか……」
俺は装置の表面を観察した。
縦長の板が重なっているようにも見えるが、下側には細い窪みがあり、手をかけられそうな形になっている。
ただ、何かを動かすための場所なのか、単なる構造上の隙間なのかも判断できない。
隔壁を閉じようとして岩片を噛み込ませたばかりだ。分からない装置へ安易に触れるつもりはなかった。
「周りを確かめてからにしよう」
「うん。私もそう思う」
リーネが装置から離れようとした時、壁の内側で小さな音がした。
乾いた、何かが切り替わるような音だった。
俺は反射的に身を寄せ、リーネを庇える位置へ立った。
しかし、装置が開く様子はない。
代わりに、暗かった表面へ細い白い線が浮かび上がった。
線は少しずつ広がり、四角い面の一部を淡く照らし始める。
「アレン、これ……」
「ああ」
白い光の中に、小さな文字が並び始めた。
エルムの地下や王都の遺構で見たものと、よく似ている。
俺は無意識に、その文字を目で追っていた。
文字を読めること自体は、もう不思議ではなかった。ただ、これまで見てきた刻印や古い記録とは違い、目の前の表示は何も触れていないのに次々と書き換わっていく。
やがて、一行の文章が残った。
――区画状態を確認しています。
そう読めた。
「アレン、何て書いてあるの?」
「この場所の状態を確認してる、らしい」
「誰が?」
「……分からない」
装置の表面に浮かんでいた文字が消え、代わりに新しい一文が現れた。
――操作員を確認しています。
俺はその文字を見つめた。
操作員。
何を操作する者のことなのか。
そもそも、俺たちは何も触れていない。
それなのに目の前の装置は、まるで誰かがここへ来るのを待っていたかのように、淡い光を放ち続けていた。




