……ゲロの匂いがするな
人間、枯れ果てたと思っても、涙は出てくるようです。さっきから垂れ流し続けていた涙と鼻水、それに嘔吐した水分にて、私の身体は脱水症状でも起こしかねない状態だったはずなのですが……もうね、そんなん関係ないよ、本当なら、今すぐ駆け寄ってしがみ付きたい、でも、その為にはまず、今もこうして私のお腹を踏んづけている、ダゲスの足をなんとかしなければならないでしょうか……ちくしょう、こんなやつ、こんなやつ。
「誰かと思えば、これはこれは『黒猫』殿のご登場か……いや、今は『野良猫』だったかな? 敗残兵でありながら、剣姫に対する抑止力として生かされたというのに、この恩知らずめ、議会に楯突くのか……所詮は、卑しい中京騎士という訳だな」
ぐぇ、こいつ、また足に力を……いまバシバシ叩いたせいか、心の狭いやつめ。でも、ひとつだけ気になるよ、なんでロボ君、そんなモノぶら下げてんの?
「せんぱぁい、あんなこと言ってますよ? 戦後叙任の天ぷら騎士が、笑っちゃいますよねー、身の程知らずっていうかー、脳みそ8ビットっていうかー、まるでサクラ先輩みた……い、いたた、ごめんなさい、割れ、割れるゥー! 」
現れてきた瞬間には思ってたんだけど、なんだこれ、ロボ君はシャーリーくんの頭を鷲掴みにして、ぶら下げるというか、引きずってるというか……彼女の制服はボロボロになってるし……ねえ、おぱんつ見えてるよ? ハロッくんと戦ったときのかな? いや、これ最近だな、つい今しがたって感じの汚れかただよ、どうなってるんだろ? というかダゲスのやつも、この状況で良く普通に対応できるな、案外大物なのか? ゲスだけど。
「サクラ、遅れて悪い、こいつを捕まえるのに手間取った……で、どれが相手だ? 全部か」
ん、なんだろう、ロボ君いつもと違う気がする……なんていうか、余裕が無い? ような……もしかして、苛ついてる? なんでだろう。でも、とりあえずはダゲスをなんとかしてください、ほんと苦しいから、お腹と背中がくっ付いちゃうから! 私は、今もお腹の上に乗ったままの、憎っくき足を平手で叩く、とにかく空気が欲しい、酸素、酸素なのだ。
「そいつか……おい、どこの誰かは知らんが、人の彼女に手を出して、ただで済むとは思うなよ」
「はっ、大した自信ではないか……いいだろう、黒い悪魔だなどと、噂ばかりは大層だがな、所詮は戦時の士気高揚、創り出された虚構の宿敵に過ぎぬ……テンプル騎士の精強さ、ダレンスバランの名と共に、その身に刻んでやろう、抜け! 」
じゃきっ、とダゲスが剣を構えるが、足はお腹に乗せられたままだ……こいつ、なんか偉そうなこと言いながら、私を人質にするつもり満々じゃないか、相変わらず汚い、ゲス! でも、どうしよう、このままじゃロボ君は抜刀出来ないよ、どうするの、いつかみたいに抜いてもいいの?
私は、視線だけで彼に問いかけたのですが、それには答えず、ロボ君は、ずんずんと前進してくるのです……シャーリーくんを引きずったままに。
「なんだ? やる気が無いのか? ならば……ぬおっ!?」
突然に、びぃん、と原始ギターの弦でも弾いたような音、見ればダゲスは剣を振り抜いている、なんだ? ロボ君なんかしたの? あ、ひょっとして百歩神拳? ロボ君も遣えたんだ……え?
しゅびびびっ、と続けざまに振動音、こっちに向かって歩いてくるロボ君の様子に、なんら変わりはないのだけれど、どうやら彼の右手からは、連続して衝撃波が撃ち出されているのだろう……あ、これ『地獄の滝』だ、でもこれ、ばーちゃんのオリジナルだったはず……なんだけど……なんでロボ君が。
「な、ぐっ、ぐっ、おの、おのれェ! 」
全くに終わる気配を見せない衝撃波の滝に、ついに堪えきれなかったのか、ダゲスは足を離すと、後方に大きく飛び退る、くはぁっ、やった! やっとまともに呼吸できる! すーはー、すーはー、さ、酸素美味しい。
「よく頑張ったな……悪かった、もう、お前を離さない」
まるで瞬間移動したかのように、私の側に現れたロボ君は、いつものように軽々と、私の身体を抱き上げたのです。普段なら、きっとね、私も意固地になってね、ドキドキしながらも固まって、彼の温もりを意識しないように閉じこもっていたんだろうけど……無理、今日は無理、いまはむり、残りの水分、全部出ちゃう、なんか色々溜まってたものや、不安とか恐怖とか、全部出しちゃうよ……また甘えちゃうけど、申し訳ないとは思うけど、私だって、ずるいとは思ってるんだけれども……今だけだから、明日には笑ってみせるから……だから、お願い、はんぶんでいいから、支えてください。
「うっ、ぐひっ……ろぼ、くん、ろぼくん、わた、たわしっ」
「よしよし、話は後で聞いてやるからな、とりあえず帰るか、華村も心配していたぞ」
珍しく、ロボ君は強めに、ぎゅう、と抱きしめてくれた、多分、私が普段とは違っていたから、だから、それに気づいてくれたのだ……なんか、嬉しいな。
「きぃ、貴様ァ! まだ! 終わってはおらんぞ! 」
「うるさいですよ、今のを見て実力の違いが分からないんですか? 度し難い、低脳……」
「むおぅ!?」
あれ、シャーリーくん、なんでダゲスの背後に? いつの間に解放され、あ、そうか、ロボ君の両手空いてるもんね、良かったね、頭割れなくて、でも、さっきのやり取りでなんとなく察しはついたからね? 許さへんよ、あとで説教だからね?
「こ、このっ! 貴様! 貴様もか! 避けるな! なおれ、そこへなおれ! 下郎が、バラン家の、次期当主を! この、俺を! 」
ダゲスは闇雲に剣を振り回す、いや、闇雲という訳でもないのだろうけどね、ぜんぜん当たらないよ、だってシャーリーくんが四人いるんだもん……ひょっとして『分身』かな? うわぁつよい、後輩つよい。
「僕は今、機嫌が悪いんですよ、だってね、目の前で、あんな気持ち悪いもの見せられてるんですからね……」
あ、ごめんなさい、でも許して、今回は許して、もうね、ほっこりしちゃったよ、ここから出たくないの、なんもかんも忘れたいの。
「だから、消えてください、ゲス野郎」
一目で見抜いたのか、それともただの毒舌か、シャーリーくんの中の1人は、足元に倒れるブナの大木をメリメリ引っ掴むと、それを軽々と持ち上げ、まるで投槍のように、そして恐るべき速度にて、ダゲスに向けて投擲したのです。
ごしゃっ、と嫌な音を残して、ダゲスは立木のブナと倒木のブナ、ブナブナのサンドイッチになってしまいました……うわぁ、確かにゲス野郎だったけれども、ちょっとやり過ぎな気もするよ……明日はサンドイッチ食べられないよ。
「あれ? 逃げられた……はぁ、こいつも逃げ足だけは一級品ですね、まぁいいです、なら、こっちを」
さして興味も無さげに呟くと、シャーリーくんは1人に合体し、くるりと方向転換……え、ちょっと待って、ダメダメ! そっちは駄目!
「まってシャーリーくん! ハロッくんは敵じゃないから! お願い、やめて! 」
先ほどのダメージが深刻なのか、棒立ちのままのハロッくん、そういやシャーリーくんとハロッくんには因縁があったよ、忘れてた。私がロボ君の腕の中から、慌てて彼女に声をかけると、シャーリーくんは素直に止まってくれました……あれ? なんか意外、やけにすんなりいったな? なんだよ、ひょっとして、ついに先輩を立てる気になったの? ぐふふ、ならズボン脱ぎなよ。
「……サクラ先輩、どもらずに、ちゃんと喋れるんですね、なんだか意外です、驚きました」
そっちかよ! なんだよ、私だってたまには流暢にもなるよ!
「驚いた」
ロボ君お前もか! なんだ、暗殺前の皇帝か! え、ちょっとまって……普段の私って、そんなにあれなの?
「状況を不利と判断、執行停止、生体部品の保護を優先、逃避行」
ぱらぱらと、ハロッくんを包む鎧は、何か黒い玉を撒き散らし、そこから吐いた煙幕と光学隠形にて、森に溶けていったのです。再び静けさを取り戻した外周森は、随分と開けてしまった天井から、夏の日射しを下草に届けており、しばらくは合成猪達が総動員しなければならないでしょう。
「ハロッくん……」
なにか、身をやつすような、やりきれない想いが胸を満たし、私は知らず知らず、ロボ君の首にしがみついていました。
ラーズさんの亡き骸は、そのまま森に埋葬しました、ロボ君が言うには、これが戦場の習いだそうです。その後、辺りを探してみたのですが、イムエさんの姿も見当たりません、どうやら、先ほどの戦いに紛れて身を隠したようで……少しだけ気にはなりますが、私にはどうする事も出来ません、せめて、無事に中京に戻れる事を祈るばかりなのです。
「はぁ、なんだかくたびれちゃいました……サクラ先輩、帰ったら僕にもご飯作ってくださいよ」
「おい、誰のせいだと思ってる、お前が素直に経緯を説明していれば、もう少し早くに……」
「いいよ」
「いいのかよ」
珍しく、呆れたような表情を浮かべ、ロボ君が私を見つめてきたんだけど、うん、いいよ、だって元々は私のドジが招いたことだもん、それに、シャーリーくんにも助けてもらったしね、ご飯くらいなら、いつでもご馳走するよ、それに、私もお腹空いちゃった。
「うわ、サクラ先輩、またそんな顔して……あざといですよ、なんのアピールですか、男の庇護欲を刺激するつもりですか? 気持ち悪い」
うぅん? どんな顔? 私としては頑張って笑ったつもりなんだけど……まだちょっとぎこちなかったかな? ねぇロボ君、どう思う?
私は、ロボ君をくりっと見上げ、もう一度笑顔を作ってみせる、今のうちに練習しとこう、明日のためにね……ん? なに、何ですかロボ君、その反応は、それ、どういった感情? 見たことないや。
「……なぁ、サクラ……今日のお前、なんていうか……」
え、ちょっと、なんで? なんで顔近づけてんの? ……え、え? ま、まってまって、見てるから! シャーリーくん、見てるから! ちょっと!
「……ゲロの匂いがするな」
あ、はい、ごめんなさい、そうですよね、なんか、わかってました、毎度毎度ごめんなさい。
……嗅いでんじゃないよ! もう!
うん、でも、ありがとう。
きっと、明日からまた、笑えるよ。




