僕の好きな人
高校に入学して早いもので1年が過ぎた。
この1年は僕にとって初めて感じる平穏な時間…
それだけじゃない、初めて人を愛するという事がどれだけ素晴らしく、同時に苦しい事なのかと思い知った時間でもあった。
僕の実の父は数百年続く名家の跡取り息子だった。
父が母と結婚したのは、旧家同士の政略で、お互い恋人がいたのに、無理やり別れての結婚だった。
母は恋人を忘れ一生懸命実家に尽くし、父を愛そうとしていたと思う。
そうでなければ何年も辛い不妊治療を頑張って僕を作るなんてしなかった筈だ。
それなのに父は僕が母のお腹にいる時、昔の恋人と浮気をした。
それがバレた父は悪びれる事なく、その恋人と再婚して新しく子供を作ると当主である祖父に言い放った。
これには母の実家が激怒して、父の実家へ怒鳴り込み大騒動となった。
当然だが、祖父は勝手な父の行動を許さなかった。
もし離婚するなら、後継者から外し勘当すると父に言った。
後ろ盾を失う恐怖に父は、浮気相手との再婚を諦めて家に戻る事を決めた。
同時に何とか離婚を思いとどまるよう母を説得し、再構築を選んだ。
自分の実家からも離婚を強く反対されたから諦めるしかなかったのだろう。
当主の後継者を狙っていた分家達に母は『次期当主がお腹に居るのです、私達はもう1度夫婦としてやり直します』そう宣言して騒動は終結した。
でも1度関係が崩壊した夫婦は元に戻る事がなかった。
僕の記憶にある父と母の仲は冷え切っていて、どう考えても普通の夫婦ではなかった。
結局僕が3歳の時、母は父と離婚した。
僕は父の実家に引き取られた。
父にしてみれば、僕を引き取る事で危うくなった後継者としての立場を盤石なものにしたかっただけ、そこに親としての愛情ではなかった。
『お前は母親に捨てられたんだ、この家に居られるのも現当主がアンタが後継者だと言い張ってるからだというのを忘れるな』
小さい頃から親戚から何度となく聞かされた。
いつからか、僕は仮面を被るようになった。
聞き分けの良い素直な子供を演じ、勉強を頑張った。
周囲から勧められるまま剣道を始め、必死で練習を重ね、結果を出した。
祖父は僕を可愛がってくれた。
もし祖父が居なかったら、直ぐ仮面は剥がれ、僕はダメになっていただろう。
そんな日常が崩れたのは僕が中学1年の時、祖父が交通事故で突然亡くなったのだ。
遺言書も残さず当主の不慮の死に、分家は待ってましたとばかりに父を後継者から外して家から追放した。
甘やかされて育った父は自分では何も出来ず、僅かな手切れ金を渡され一人家を出た。
残された僕は違う分家に引き取られる事になった。
親戚の情ではない、単に利用価値のある駒としてだと分かっていた。
そんな僕を母が引き取ると言った。
『どうして今更僕を?』
最初にそう思った。
離婚してから母は再婚した事を親戚から聞いていたし、再婚相手との間に子供が居る事も知っていた。
10年間1度も会ってなかった母が急に僕を引き取る理由が分からなかった。
渋る親戚に、お母は幾らかの金を渡すと態度は急変した。
こうして僕は13年暮らした板下の家を出た。
母の再婚相手、今崎久男さんは僕を温かく迎えてくれた。
妹の由香里もお兄ちゃんが出来たと喜んでくれた。
僕は再び仮面を被ると決めた。
もう幸せを失いたくなかった。
最初から偽っていれば心は傷つかない。
この家族は幸せなんだろう、それなら僕は理想の息子を演じれば良い。
母をお母さんと呼び、今崎さんをお父さんと、そう決めた。
それまで通っていた名門中学から地元の学校へ転校して新しい生活が始まった。
学校でも僕は仮面を外さなかった。
理想の優等生を演じ、剣道に打ち込んだ。
無心で竹刀を振っている時だけ嫌な事が忘れられた。
昇段試験に母は由香里を連れて来た。
会場で初めて聞く僕を応援する声に心が疼いた。
どうしてか、それは今も分からない。
やがて中学の卒業が迫ったある日、大きな出来事が2つ起きた。
一つは今崎さんのアメリカ転勤。
てっきり母は由香里を連れ一緒に行くと思っていたが、なぜか日本に留まると言った。
『お母さんも一緒に行けば?
お父さん一人じゃ可哀想だよ。
僕なら心配しないで、適当に寮のある高校へ行くから』
何度も母に言った。
しかし母は遂に折れなかった。
あんなに仲が良い家族が離れ離れを選択する理由が分からなかった。
そしてもう1つ。
父が突然現れ、僕を引き取りたいと言い出した。
母は激しく拒絶し、父は恫喝まがいの大声で脅迫した。
益々訳が分からなかった。
母は1度僕を置いて家を出たし、父に至っては金だけ握って僕を捨てたのに。
二人の言い争いに言葉が出なかった。
結局母は逃げるように引っ越しを決めた。
今崎さんは最後まで心配して、家族で行こうと言ってたが、母が拒み一人アメリカへ出発した。
そして母の知り合いが住む町に引っ越して僕はここに居る。
仮面は被ったままだ。
一生被り続けるつもり…だった。
それなのに、いつからだろう?
僕はその仮面を時々外したくなる。
小佐早智さん。
隣に住む僕と同じ学校に通う同い年の女の子。
最初の頃はちょっとビクビクしていたのに、いつからか気軽に話すようになっていた。
去年の5月から学校へ毎日一緒に登校するようになった。
夏休み、学校の友人と一緒にキャンプへ行った。
文化祭は模擬店で一緒に焼きそばを売った。
体育大会では声を枯らして応援をした。
クリスマス…初詣…
いつもおっきな瞳で笑い掛ける小佐さんは、僕の心を満たしてくれる。
彼女は決して僕の心に黙って踏み込まない。
あの優しく包むような心地よさは一体なんだろう。
ちょっと臆病なところは、僕の本当の姿に近い物を感じる。
「ねえ小佐さん、僕の本当の気持ちを見せても大丈夫かな?
心をさらけ出しても受け入れてくれる?」
スマートホンに映る小佐さんの写真に問い掛けるのだった。




