第29話 愛おしい呵責
「言わずとも僕には分かる」第29話です。
お読みいただきありがとうございます。
「え?」
出し抜けに蒼井さんが足を止めるのでその後を歩く斑鳩さんはややつんのめっていた。
傾ぐ斑鳩さんに意を介す素振りは一切見せず蒼井さんはゆっくりと振り向く。
だが、こちらに向けた表情は戸惑いではなく口元を僅かに歪ませて煩わしそうにした仏頂面だった。
「どういうこと?
別に嘘なんかついてないけど。」
予め備わっていたかのように自然な蒼井さんの反応に僕はなぜか面を食らった。
それ以前に口から不意に飛び出た自分の言葉にさえ僕は驚いていたのに。
嘘だと思った根拠は“自分が嘘をついた時と似た音が蒼井さんから聞こえた気がした”という程度のモノに過ぎなかった。
もはや根拠なんて呼べる代物ですらない。
だが、僕の勘違いだとは思えなかった。
——ドクンドクン。
そういう考えが挟まるより先に僕の耳が拾い続ける鼓動の音はどんどん強まっていくから。
「いや、嘘をついてるね。
僕には分かる。
確信した。」
「だから君に何が分かるのって!」
先ほどまで斑鳩さんに向けられていた強い語気を今度は真正面から受けて僕は内心尻込みしていた。
だが、ここで引き下がるのは絶対に違う気がした。
意地でも視線は逸らさない。
それが今僕ができる唯一のことだった。
「隠しごとしてるでしょ。」
蒼井さんがその優しい目元に似合わない鋭さの眼差しを送り続けても僕はそれを止めない。
例え外で落雷が聞こえてもお互い目を背けないと断言できるほど濃い一瞬だった。
だからこそ、彼女の瞳の奥に焦りが滲んでいることが僕はようやく分かった。
「あー、もう分かったよ!」
蒼井さんはむき出しの感情をそのままに声を張り上げた。
その轟きとも言えるような異様な切迫感のある声音は倉庫の中を音が吸い込まれたような静寂に導いた。
斑鳩さんと話していた時にも見え隠れした蒼井さんの危うい均衡、辛うじて保っていた緊張の糸がプツンと張り裂けた音のような気もする。
その唐突な落差に僕は呆気には取られてはいたが、彼女の態度自体は意外ではなかった。
一切の装いを止めた彼女の素顔も今日見てきた華やかで、気さくな、愛嬌のある僕の知っている蒼井さん像と地続きだったから。
斑鳩さんの方はと言うと言葉を失い目を点にしていて僕以上の驚きようだった。
僕達二人の不安げな目線に晒された蒼井さんは力なく俯いていて、その目に涙を浮かべていた。
「実は私も咲凪の分の家賃を肩代わりする余裕なんか無かったの。
今月分を払ったらもう貯金もすっからかん。
来月からどうしよう~、って思ってたよ。
でも今更咲凪に言えなかったし?
どっちかというと私の方がお姉さんだから面倒見てあげなきゃって思ってたし…!
私、どうしたら良いか分からなくって!」
「え?
そうだったの?」
斑鳩さんは鼻息を荒くして一歩詰め寄り問い返した。
「うん。
咲凪がしんどそうにしてたからつい。」
目元を拭いながら蒼井さんは答えた。
「…。
ごめんなさい。」
斑鳩さんは白旗を上げるようにそうこぼした。
唇を尖らせ片方の肘に手を添え蒼井さんから目を逸らしている。
だが、おのずと目を伏せるや否や下唇を噛んだ。
その抵抗も虚しくたちまち頬に雫が伝う。
一度溢れ始めた涙は止まることを知らず身を縮めてしゃくり上げてしまった。
「私、何て酷いことを。」
その重苦しい様子に蒼井さんは潤んだ瞳のまま当惑した表情を覗かせている。
「どういうこと?
何、言ってるの?」
「私、汀にとってお荷物でしかないんだと思ってついカッとなっちゃったの。
だって汀って私にも普段全然弱い所見せないし!
…なんでそれを言わなかったの?
私、その言葉が一番聞きたかった…。」
「弱い私…?
でも、そんなの咲凪は望んでないと思って…。」
「そんなことない…!
支えてもらうばかりの自分が私嫌いになりそうで…。
そこまで見透かした上で黙ってたんだとしたら、その理由を考えるのが怖かった。
もしかしたらお荷物な私のことを滑稽だと思ってるんじゃないかって。
そう思ったらどんどん言葉に熱がこもってしまったの!
絶交なんて言ってごめんなさい!」
それを聞いて蒼井さんは少しの間、呆気に取られていた。
だが、直ぐに表情を取り戻して斑鳩さんの赤くなった目元を見つめた。
「ううん。」
蒼井さんは首を横に振って斑鳩さんの両手を包むように握って自分の胸元に寄せた。
「私こそ勝手に余計なことしてごめん。
やっぱり、咲凪の気持ちをちゃんと考えれてなかったってことだよね。」
その柔らかい声に応じて斑鳩さんは顔をもたげる。
ようやく二人は同じ高さで目線を結ぶと斑鳩さんは強張らせた口元を緩めて微笑んだ。
「言わないで。
私の方こそ汀のことをちゃんと見てあげれてなかった。
汀の胸の内が知れて良かったわ。
本当に。」
蒼井さんも朗らかに軽くだけ頷く。
埃臭く、みすぼらしい倉庫の中なのに二人の周りはまるで雪を割って芽吹く草木のような暖かさのある雰囲気で満ちた。
その気の置けない沈黙の中、蒼井さんは握った手を一度降ろしてから手の甲で再び涙を拭った。
が、何か思い出したのか不意に忙しく肩を揺らした。
「あ、今ウチ、自分のこと私って言ってた!?」
「うん。
ダメなの?」
「いや、別にダメじゃないけど…。」
「いいんじゃない?
昔の汀みたいで。」
「…そっか。」
蒼井さんは少しだけ開き直るように笑って言葉を続ける。
「家に帰ったらこれからどうするか考えようか。」
「本当は私、へそくりがあるの。
それで今月は凌ぎましょう。
来月から私もちゃんとするから。
お互い平等にやりましょ。」
「…分かった。
今日はウチが咲凪に支えてもらうね。」
「なんだか気分良いわね。」
「それって優越感出してるじゃん!」
「ハハ!」
二人が自分たちだけの世界に入っている中、僕は完全に蚊帳の外状態。
眉尻を下げて倉庫の端っこできょとんとしていた。
どういうことだ?
さっきからずっと勝手に話が進んでて。
訳が分からない。
家賃って言葉もあったし聞く限りは二人は一緒に住んでる?のか?
お嬢様が二人暮らし?
何が何だか——。
「えっと、名前聞いてもいいかな?」
いつの間にかこちらに体を向けていた蒼井さんは僕にそう問いかけた。
もう僕に気にかけることもないと思ってたので少しだけ身じろぎして喉を鳴らした。
「え、えっと、神崎…。」
「神埼っち。
君が居なかったらこのまま咲凪と絶交したまんまだったかもしれない。
本当にありがとう。
何かお礼がしたいな。」
蒼井さんは弾んだ足取りで歩み寄って僕の右手を取ってぎゅっと握った。
晴れやかにほころんでいる。
「そうだ!
神埼っちって今彼女いる?」
「いや、いない…です。」
それを聞いて口角の角度をさらに上げてしたり顔の彼女。
何の質問だ?
と思った直後、蒼井さんはもう一歩詰め寄って僕の頬にそっとキスをした。
「ウチ、今ジュース奢るお金も無くて。
これで許して。」
は?
「そういえば同じクラスだよね?」
ぶんぶんと縦に首を振れ、と処理落ち仕掛けた僕の頭は辛うじて指令を出した。
「やった~!」
すると僕の右手の感覚神経は《握られる力が少し強くなりましたっ!》と叫んだ。
「嬉しい!
超嬉しい!
これからもよろしくね。
神埼っち。」
最後までお読みいただきありがとうございました。
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