↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バレたら終わり。ヤンデレから生き残るために百合を演じる。  作者: SINYA


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/28

第8話「ノーカンのはずなのに」

 ボクの脳は死んでしまったらしい。

 もちろん、物理的な死ではない。

 だが――脳内OSだけが、致命的なエラーを吐き続け、正常に起動していなかった。


 原因は明白だ。

 昨日の――。

 ……。

 思考プロセスが、そこで強制的にシャットダウンされ、心臓が激しく脈を打つ。


 再生するな。

 あれはノーカウントだ。

 練習という名目の、接触事故に近い偶発的な出来事。


 意味はない。

 意味を持たせてはいけない。

 深呼吸しながら、暴走する血流を正常化させる。


「おはよ、玲ちゃん」


 頭上から、鼓膜を直接撫でるような軽快な声が降ってきた。


 黒瀬彩。

 ボクは意図的に深く息を吐いた後、顔を上げた。


「……おはよう」


 視線が交差する。

 その瞬間――思考のファイアウォールをすり抜けて、昨日の密室の記憶がフラッシュバックした。


 触れ合った粘膜の柔らかさ。

 近すぎる甘い呼吸。

 あの、圧倒的な熱。


「……」


 ボクはまた体が熱くなっているのを隠すために、視線を斜め下へ逸らした。


「なんでアタシの顔を見て、目をそらすの?」

「特に意味はない。光の反射角の問題だ」


 平静を装う。

 体の火照りは静まってないが、声帯から出る声はまだ冷静なものだ。

 ……よし、問題ない。


 だが、黒瀬はボクを上から見下ろしたまま、じっと動かなかった。

 数秒の、粘り気のある沈黙。


「……ふーん」


 いつもの軽い声。

 だが、その細められた瞳の奥には、ボクの動揺を精密に計量するような観察の色があった。


「昨日さ」

「なんだ」

「楽しかった?」


 質問そのものは極めて普通。

 だが、ボクには強すぎる刺激として刺さった。


 思考はエラーの海に沈んでいて、次の一手を考えられない。

 今、何と返せば正解なのか。その返答をまだ準備できていない。


「……ああ。合理的に見て、有意義な時間だった」

「なにそれ。デートの感想じゃないでしょ」


 黒瀬が笑い出す。


 いつもの反応。

 いつもの軽いテンション。

 ――の、はずなのに。


 ボクはなぜか、その「いつも」の輪郭に微細な違和感を覚えていた。


「玲ちゃんってさ」


 黒瀬が、不意にボクの机に肘をつき、上半身を沈め込んできた。

 距離が、一気にゼロへ近づく。


「キス、ノーカンにするタイプなんだ?」


 ボクは肺の動きを完全に停止させた。

 いろいろと複雑な気分が交差するが、それは一旦おいておく。


 ここは学校。

 しかも、授業が始まる前の教室だ。

 白川が聞いているかもしれない。

 そのリスクを忘れてはいけない。


「……あれは、練習って言ったのはお前だろう。練習は本番ではない。だから練習と呼ぶ」

「そう……」


 彼女はほんの数ミリ、さらに顔を近づけてきた。

 シャンプーの匂いが、ボクのパーソナルスペースを侵食する。


「じゃあさ。何度しても、ノーカン? 玲ちゃんは練習ってことで忘れるの?」

「――やめろ」

「なんで?」

「……」


 黒瀬は、瞬きもせずにボクの顔を数秒見つめて――。


「……無理にはしないよ」


 小さく笑った。

 だが、ほんのわずかにだけ、彼女の中に熱い何かがあるように見えた。


 その静かな緊張を物理的に断ち切るように、


「玲」


 背後から、鼓膜の温度を奪う声がした。

 振り返る。

 白川美琴。


「おはよう」

「……ああ」


 彼女は、いつも通りの完璧に左右対称な笑顔を浮かべていた。


 だが、その漆黒の視線が、ほんの〇・一秒だけボクの唇へ落ちる。

 極めて精巧なスキャナーで、そこに残った他者の痕跡を読み取るような視線の動き。


 ボクは背筋に這い上がる悪寒を、強靭な意志で押さえ込んだ。


「昨日は楽しかった?」


 黒瀬とまったく同じ質問。

 だが、背後で稼働しているアルゴリズムの殺意が違う。


「……問題なかった」


 限りなく無色の単語で返す。

 白川は小さく頷いた。


「デートなんだから、楽しまなくちゃ。黒瀬さんに悪いよ。それとも、私がいるから遠慮してるの?」


 そう言って、白川はボクの隣に、ごく自然な動作で立った。

 距離が近い。


 だが、黒瀬の熱を帯びた近さとは違う。

 絶対零度の、一切の逃げ場を許さない静かな距離。


「玲」

「なんだ」

「今日、一緒に帰れる? ちょっと話そうよ」


 不意打ち。

 思考が正常に働かないせいで、状況をまったくコントロールできない。

 そう思いながらも、返事を求められている以上、口は無計画に開いてしまう。


「……特に予定はない」


 昨日の「綺麗に終わらせる」という計画は、あの密室での事故によって完全に崩壊している。

 なら、白川と話して状況を終わらせることに、まだ希望があるかもしれない。


「じゃあ、決まりだね」


 白川が微笑む。

 ひどく柔らかく。

 光を吸い込むブラックホールのような瞳に、少しだけ光が戻った気がした。


「……モテモテじゃん」


 横から、黒瀬の声。

 いつの間にか、ボクの机の反対側に立っていた。


「アタシとも一緒に帰る予定だったでしょ?」

「そういう約束はしてない」

「いつも一緒に帰ってたじゃん。約束なら今すればいいじゃん」


 ボクは内心で頭を抱えた。

 なぜ、わざわざ状況を修羅場みたいにするんだ。


「玲は、私と帰るんだよね?」

「いやいや、昨日デートしたのはアタシだし?」


 やめろ。

 ここは教室だ。

 クラスメイトたちの好奇の視線が、すでにいくつかこちらへ向き始めている。

 心拍数が急上昇するのがわかる。


 右から黒瀬の視線。

 左から白川の視線。

 逃げ道はない。


「……三人で帰るか」


 どうにでもなれ。

 パンクした頭が、最悪かもしれない答えを出した。


 どちらかを選べば、どちらかが壊れる。

 選ばなくても――たぶん壊れる。


 確実なのは二つだ。

 白川との約束を破れば、殺される可能性が高まること。

 そして黒瀬は、ボクがだめだと言ってもついて来るだろうということ。

 選択権は、どうせボクにはない。


「えー」

「……いいよ」


 反応は見事に真逆だった。

 黒瀬は露骨に口を尖らせて不満を示し、白川は凪いだ海のような顔で静かに頷いた。

 その静けさが、逆に怖い。


「じゃあ、放課後ね」


 その一言で、地獄のようなトライアングル・トークは強制終了した。

 黒瀬が自分の席へ戻り、白川も離れる。


 そして、ボクは絶望的な事実に気づく。

 状況は何も解決していない。

 それどころか、両者のリスクゲージは確実に限界突破へ向かっている。


 ……はあ。

 横から見れば、ただの青春恋愛ものに見えるのかもしれない。


 だが、白川はその黒いノートに「殺す」と書いた。

 それを知っているのは、ボクだけだ。


 冷静に、ポジティブに考えようとしても、孤独感が押し寄せてくる。


 そして、感じだ。

 斜め後ろの席に座る白川美琴の、監視カメラのような瞳が。

 絶対にそれを見逃さなかったことを、ボクは肌の粟立ちで理解した。


 ……今日の放課後、ボクは死ぬかもしれない。


面白いと思っていただけたら、下部の☆☆☆☆☆から評価とブックマークをお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。