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バレたら終わり。ヤンデレから生き残るために百合を演じる。  作者: SINYA


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第7話「接触エラーと増殖するバグ 下」

 今まで、黒瀬のことを、深く考えず本能で生きているタイプだと思っていた。

 だが、意外と直感は鋭いらしい。


「ボクはいつも優しい」


 客観的事実のつもりでごまかす。

 それに対し、黒瀬は柔らかく目を細めた。


「うん。知ってる。玲ちゃんは口は悪いけど、優しい子だって」


 遊園地の喧騒の中で、その声だけが妙に澄んで聞こえた。


「いつもありがとう、玲ちゃん。これからもずっと一緒にいたいなあ」


 そう言う黒瀬の顔は、少し寂しげだった。

 胸の奥から、罪悪感がこみ上げてくる。


 わざわざ別れを告げる必要があるのか、少し迷った。

 でも、この偽装恋愛は白川を余計に刺激するかもしれない。


 それに何より、このまま続ける方が黒瀬にも悪い気がした。

 ボクは、恋人なんて作って維持できる人間ではない。

 女の子同士の恋愛なんて、なおさら想像できない。


 ボクはベンチから立ち上がった。


「じゃあ、次に行こうか」

「うん。あれはどう?」


 黒瀬が指さしたのは、遠くからでも見えるほど高い鉄塔に、円形の座席がいくつも取り付けられた絶叫系マシンだった。


 乗客を高く吊り上げ、一気に急降下させるタイプのやつだ。


「……もう少しお手柔らかに頼む」


     *


 その後、黒瀬はボクが二度目の絶叫系を拒否すると、素直に比較的穏やかなアトラクションへ切り替えた。

 強引なようで、限界を越えさせる気はないらしい。


 ふと空を見上げると、雲に夕日が差しかかり、オレンジ色に輝いていた。

 そろそろ終わりにする時間だ。

 遊園地を出たら、別れを告げよう。


「そろそろ帰るか」

「もうこんな時間? 最後に一個だけ、デートっぽいやつしたいな。そうだ。観覧車に乗ろう」


 最後に一個だけ。

 その言葉を聞いて、断れるわけがなかった。


 望む通り、観覧車へ向かう。

 こちらは列が短く、すぐに乗ることができた。


 観覧車は、ゆっくりと高度を上げていく。

 窓からは琥珀色の夕日が流れ込んでいた。

 遠くに見える山並みが、宝石のように輝いている。

 とても綺麗だった。


「玲ちゃん。窓に張り付いて、本当に子供みたい」

「失礼なやつだな。そこは黄昏れる乙女だろう」


 ボクの言葉に、向かいの席の黒瀬が笑う。


 彼女は夕日を浴びて、普段より少し大人びて見えた。

 彼女こそ、黄昏れる乙女だと思った。


 いつも軽いノリで話しかけてくるから親しみやすく感じるが、男女混合の学校だったら、常に男子に囲まれて、ボクが話しかけることもできない存在だっただろう。


「……」


 黒瀬を見つめたまま、数秒の沈黙が流れる。


 どうしよう。

 二人きりで、何もない空間にいると、何を話せばいいのかわからなくなる。

 頭に浮かんだ言葉を、なんとか引きずり出した。


「そ、そういえば、ボクは恋愛の練習として誘ったのに、黒瀬の方がなぜかやる気だな。それはなぜだ?」

「楽しいじゃん。玲ちゃんは面白いし」


 ボクに面白さを期待していたなんて、すごく意外だった。

 自分では、真面目なだけでつまらない人間だと思っているのに。


「ボクって面白いか? ユーモアの才能はないと自覚しているが」

「面白いよ。だって玲ちゃん、なんか浮世離れしてるというか。他の世界から来た人みたいというか」


 その言葉を聞いて、少し複雑な気分になる。


「それは、頭が四次元の変な人だと言っているのか。悪口じゃないだろうな」

「そうじゃなくて、何でも知っていそうで、考え方が面白いんだよ。玲ちゃんって、教室でいつも一人で窓を眺めてるでしょ? それを見て、何を考えてるんだろうって、ずっと気になってた」

「別に特別なことは考えてないと思うが……。夕飯のメニューでも考えていたんだろう」

「そんな真面目に孤独を噛み締めてるような顔で夕飯のこと考えてたなら、それはそれで面白いけどね」


 黒瀬は笑った。

 でも、その笑顔は少し薄かった。


「アタシ、友達は多いけどさ。たぶん、みんなに甘えてるだけなんだよね。誰かに見てもらってないと、自分がどこにいるのかわからなくなる時があるんだ。鏡がないと、自分の顔が見えないみたいに」

「それは違うと思う」

「え?」

「ボクには、黒瀬の周りにいる人たちは楽しそうに見える。人を楽しませられる黒瀬は、すごいと思っていた」


 黒瀬の目が、わずかに揺れた。


「それ、褒めてる? 教室のピエロって意味じゃないよね?」

「かなり褒めている」


 ボクは少し考えてから、付け加えた。


「黒瀬は、人を退屈な箱の外へ連れ出す才能がある。ボクにはないものだ」

「……そういうこと、真顔で言うのズルいんだけど」


 黒瀬は、自分の髪を指に巻きつけながら言った。


「なんか、お互い様だったんだね」

「何がだ?」

「アタシは玲ちゃんのこと、自分一人で完結している大人っぽい人だと思ってた。玲ちゃんはアタシのことを、周りを楽しませる人だと思ってた」

「隣の芝生は青く見える、というやつだな」

「うん。でも、そう見えたんだよ」


 髪をくるくる弄っていた黒瀬が、体を前に乗り出した。


「ねえ、玲ちゃん」

「何?」


「やっぱり、今日の玲ちゃんはいつもと違う気がする」

「そ、そうかな」


 心臓の鼓動が速くなる。

 すでに彼女は感づいているようだ。

 今日の目的を、今言うべきだろうか。


「じ、実は……」


 そこまで言った時、黒瀬が立ち上がった。


 そのまま近づき、ボクの背後の座席に右手をかける。

 息が当たるほど、顔が近い。


「……急にどうした」

「もう言わなくていいよ」

「……何をだ」

「なんとなく……わかるから」


 黒瀬の左手が、ボクの肩を掴む。


「玲ちゃんは、恋の練習がしたいんでしょう? 一つ、練習してみてもいいかな?」


 笑顔と悪戯っぽい声。


 だが、その底には、普段の彼女にはない微かな震えと真剣さが混じっていた。

 窓から差し込む暖色の光のせいか、彼女の頬が少し赤く染まって見える。


「……何を練習するというのだ。具体性に――」


 さらに距離が詰まる。

 彼女の甘い呼吸が、ボクの唇を直接撫でた。


「キスって、したことある?」


 ボクをからかっているのか?

 女同士でキスの練習など、もはやお遊戯の範疇を超えている。


 思考が暴走する。

 これは冗談か。

 本当にする気か。

 それとも――。


 判断が間に合わない。


「嫌なら、止めて」


 黒瀬はそこで一度、止まった。

 近い。

 でも、まだ触れてはいない。


 ボクは逃げるべきだった。

 逃げられる距離だった。

 なのに、動けなかった。


 次の瞬間。

 ボクの唇に、信じられないほど柔らかく、熱い感触が押し付けられた。


 ほんの一瞬。

 だが、明確で、確実な粘膜の接触。


「……」


 世界から、遊園地のノイズが完全に消失した。

 流れていた音楽も遠ざかり、黒瀬の体温と、触れ合う鼻先だけが残る。


 ボクの脳内システムが、完全にフリーズした。


 そして――彼女は、ゆっくりと顔を離した。


「……あは」


 へへっ、と小さく笑う。

 いつもの、揶揄うような軽い笑い方。


 だが、微かに荒い息遣いと、何かをこらえるように揺れる瞳のせいで、いつもの彼女には到底見えなかった。


「ごめん。ちょっと自分勝手だったかな? ファーストキスだったら、ごめんね」

「……」


 ボクは答えなかった。

 いや、声帯が一切の出力を拒否していた。


 これは――。


 思考が完全に停止し、自分の息が荒くなっているという身体的エラーを認識することしかできない。


「玲ちゃん?」

「……練習なら、ノーカンだからな」


 数秒のフリーズを経て、ようやく再起動したボクの口から出たのは、そんな機械的で惨めな音声だった。


「すまないが、今は正常に話せない」

「そう……」


 黒瀬は一瞬だけ、笑い方を忘れたような顔をした。

 けれどすぐに、いつもの軽い笑みを貼り直す。


「また、遊びに来ようね」


 それ以上は、何も言わなかった。


     *


 帰り道。

 並んで歩く距離は、数時間前と同じはずだった。

 だが、二人の間に流れる空気の質量は、確実に変質していた。


 計画では。

 終了させるはずだった。

 今日、この「まともなデート」をもって、綺麗に区切りをつけるつもりだった。


 だが。

 無理だ。

 隣を歩く黒瀬に、何気ない言葉をかけることすらできそうにない。


 黒瀬彩。

 よくわからなくなった。


 彼女はただ、ボクと「恋人ごっこ」というゲームを楽しんでいるだけだと思っていた。

 でも、ただのごっこ遊びでキスをするか?


 そして……。


 唇に、ほんの一瞬だけ、あの生々しい熱が蘇る。

 何度も脳内でリプレイされるこの感触の記憶を、どう処理すればいいのか、ボクにはまったくわからない。


 感情を言語化するための経験データが、圧倒的に不足している。


「……今日は楽しかったよ、玲ちゃん。もし、最後のアレ、嫌だったら忘れてね」


 分かれ道で、夕闇に溶けそうな声のまま、黒瀬が笑う。


「ああ」

「またね」


 黒瀬はひらひらと手を振り、自分の家へ続く道へ消えていった。

 シャットダウン計画は達成されないまま、ボクは街灯の下で、ぼうっとその背中を見送ることしかできなかった。


 今日、黒瀬のことも白川のこともすべて整理し、いつもの退屈で安全な日常に帰る予定だった。

 でも、帰り道はいつの間にか消えていたらしい。


 そしてなぜか、あの時の黒瀬の一瞬だけ消えた笑顔が、唇の熱よりも長く頭に残っていた。


 ボクは夜の冷たい風に当たりながら、静かに、その事実を受け入れられずに立ち尽くしていた。


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