第27話「文化祭 ④」
「ここが私の部屋だよ」
彼女が、閉まっている一つの扉を指さす。
先に入ってほしいのだろうか。
白川の部屋に入るのは、随分久しぶりだ。
小学生の時以来だろうか。
遊ぶ時は外か、ボクの部屋だったから、彼女の部屋に来ることはほとんどなかった。
「じゃあ、失礼する」
ドアノブを回し、扉を開ける。
暗くてよく見えない。
中に入って、照明のスイッチを押した。
その瞬間、部屋の全貌が目に入った。
物で埋め尽くされた部屋。
面積自体は狭くないはずなのに、足の踏み場がほとんどない。
汚部屋ではない。
規則に沿って整理されているのはわかる。
だが、整理された物の山に囲まれているせいで、むしろカルト宗教の祭壇を連想させる不気味さがあった。
そして、その山を構成しているものには見覚えがある。
過去に白川に渡した誕生日プレゼント。
中学一年の時、ボクがよく使っていて捨てたはずのシャーペンの芯ケース。
文化祭準備中に飲んだペットボトルのラベル。
その他に見覚えのない空き缶なども、他の品から推測するに、ボクと関連した物だろう。
足を動かすと、つま先にペットボトルがぶつかった。
狭い足場を、水のペットボトルが埋め尽くしている。
長く放置されたものには見えない。
白川はここで、何本もの水を飲んでいたのだろうか。
「これは、いったい……」
「玲、知ってる? 人が死ぬと、すごく汚くなるんだよ。筋肉から力が抜けると、内臓に溜まっていたものが流れ出て……。だから、綺麗にしてた」
声のした方を見る。
白川は扉を閉め、そこに背中を預けていた。
退路が塞がれている。
『嫌われたら、心中する』
彼女のノートに書いてあった言葉だ。
今まで半信半疑だったが、嘘ではないと理解した。
「聞いてくれ。今までボクは逃げていた。でも、今は前を向きたい。お前とちゃんと話し合いたい」
「ううん。それは私が望んでいるものと違うの。玲はそのままでいい。逃げてもいい。私だけを見て、甘えてほしい」
その言葉に、何と返せばいいのかわからなくなった。
どういうことだ?
「玲も成長するんだね。それはそうよ。玲はすごいんだから。わかっていたの。玲も大人になったら、結婚するかもしれない。私だけ取り残されて、いつか離れていく。それが嫌。ずっとこのままでいたい」
白川が歩いてくる。
そして、優しくボクの頬を撫でた。
「二人で、ずっと子供でいよう? 楽に終わらせる方法は知っているから」
白川はボクの唇に軽くキスをした。
そして、すぐに離れる。
そこに恥じらいはなかった。
未来を諦めた、退廃的で虚ろな瞳。
ボクを見ているようで、何も見ていない視線だった。
「じゃあ……水を持ってきてくれないか?」
「うん。玲も、汚くなるのは嫌だもんね」
白川が部屋から出た。
ボクはポケットのスマホを取り出し、入力しておいたメッセージの送信ボタンを押す。
そして、すぐにスマホをポケットへ戻した。
それと同時に、ドアが開く。
水は近くに置いてあったのか、数秒もかからなかった。
「これを飲めば、もう何も選ばなくていい」
白川は手を伸ばし、カプセルを見せた。
たぶん、それが『楽になる方法』なのだろう。
乾いた喉に、唾を飲み込む。
カプセルを見るボク。
それを眺める白川。
数秒間、沈黙が流れる。
その時、ドアベルが鳴った。
続いて、ドアを叩く音が聞こえる。
「話がしたい。扉を開けないと警察を呼ぶぞ」
黒瀬の声だ。
白川は数秒間考えた後、カプセルをポケットにしまった。
そして、玄関へ向かう。
「黒瀬さん? なぜここに?」
「玲ちゃん、ここにいるんでしょう?」
ドアはまだ開けていないようだ。
部屋の扉越しに、ノイズの混ざった声が聞こえる。
「あなたとは、もう関係ないのでは?」
「黒いノートを見た。写真も撮ってある」
「……そう。それで警察を呼んで、私を逮捕するつもり? でも、その頃には玲も私もここにいないと思うよ」
「……あんたに何があったのか知らないけど、なんでこんなことするの?」
白川は数秒間沈黙した。
そして、何かを決心したように口を開く。
「最後だから、正直に言うね。これは玲のためでもあるの」
「どういう意味? 殺そうとして、それがその人のためって、詭弁じゃない?」
「未来って、とても怖いのよ? 何をしても後悔が残る。良いことなんて一握り。そのために頑張る必要、ある? まだ美しい記憶が多いうちに終わった方がよくない?」
その気持ちはわかる。
最善を尽くしても、結果が良いとは限らない。
人と人が接触する限り、そこには悩みが生まれる。
誰より愛して結婚した夫婦ですら、喧嘩したり、離婚したりするのだ。
未来というのは残酷だ。
でも――。
白川は慌てて出ていったせいか、部屋の扉を閉めていなかった。
ボクは震える足で、その隙間へ向かった。
そして、白川へ歩いた。
「好奇心というのはどうだ」
白川が唖然とする。
「何が言いたいの? 玲」
「ボクも明日が怖い。人間関係も怖い。コントロールできないことだらけで嫌になる。だから、すべて終わらせたい気持ちはわかる。でも、お前との時間を今終わらせたくはない」
「……」
「ボクと、お前が、これからどういう関係になるのか。気にならないか? ボクは、お前を好きになれるかどうか、まだわからない。でも、お前を理解したいとは思っている。お互いを知るチャンスを今日で終わらせるのは、もったいない」
白川が目を大きく見開いた。
虚ろだった瞳に、少し光が戻ったように見えた。
「それが好奇心だよ。白川とも、黒瀬とも、まだ話したいことがある。もちろん、その後どうなるか知らないから怖い。でも、続きを見たい」
「……」
白川は何も言わずにドアを開けた。
黒瀬が入ってくる。
「玲ちゃん、大丈夫?」
「うん。なんともないよ」
黒瀬がボクに抱きつく。
「心配したよ。本当に」
ボクは、彼女が安心するように頭を撫でた。
そして、視線を白川に向ける。
彼女は玄関の壁に背中を預け、放心状態になっていた。
黒瀬に少し離れるようお願いして、白川の前へ移動する。
「白川……わかってくれた?」
「わからない。でも、玲がまだ生きたいというのはわかった」
ボクは膝を曲げて、白川の手を取った。
「今はそれでいい。これから、ボクがわかるようにするから」
「警察に通報しないの? 殺そうとしたのに。罰は甘んじて受け入れるよ」
「それは、ボクが望む結果ではない。罰を受けてほしいんじゃない。ただ、それをなかったことにはできない。後でちゃんと話そう」
「わかった……」
ボクは立ち上がって、黒瀬の方を見た。
「難しい話は明日にするとして……なんか食べようか。黒瀬は食べたいものある?」
「お肉がいいな」
「白川は?」
「……温かいもの」
白川の返事を聞いて、少し安心した。
食べるということは、まだ生きる意思があるということだ。
「家にレトルトカレーとか、材料がちょっとあったはず。もって来る。」
「はは、玲ちゃんも相当変わってるね」
黒瀬は呆れたように笑った。
ボクはもう逃げない。
明日、二人にボクの気持ちをちゃんと伝えよう。
まだ、解決したわけではない。
白川の部屋も、黒いノートも、ポケットのカプセルも、何一つ消えていない。
それでも、今この瞬間、三人とも生きている。
だからまず、温かいものを食べることにした。
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