第25話「文化祭 ②」
あっという間に、午後は訪れた。
トイレの個室でメイド服を脱ぎ、いつもの制服に戻る。
メイド服を睨みながら考えた。
午後からは戦闘開始だ。
告白イベントを回避するために、ボクにできることを考える。
それは、デートの雰囲気を悪くすることだ。
雰囲気が悪ければ、脈絡もなく突然告白されることはないはず。
この案は前から思いついていた。
だが、やりたくない方法だった。
彼女はボクに悪意を持っているわけではない。
むしろ、善意の塊だ。
ただ、極端すぎて道を踏み外しているだけ。
彼女は言っていた。
『私はね、玲に今回の文化祭を楽しんでほしいと思ってるよ』
『明日は玲が元気になるように頑張るから。一緒に楽しもうね。文化祭を』
ボクを思って言ってくれた言葉を裏切るのは、心苦しい。
でも、両方の破滅を回避するためには仕方ない。
そう結論を出した。
目標をはっきりさせておこう。
白川は敵ではない。
必要なのは、彼女が発生させようとしている告白イベントの阻止だ。
ボクは個室のドアを開き、教室へ向かった。
教室に入ると、白川が待っていた。
「早く行こう、玲」
「荷物をカウンターに預けてくるから、ちょっと待って」
「じゃあ、私のもお願い」
白川は手に持っていたスクールバッグを、ボクに渡した。
それを受け取り、カウンターの裏側に向かう。
裏側と言っても、カウンター担当の生徒の後ろにある小さなスペースのことだ。
白川のカバンを、ボクのカバンの隣に置く。
他の人のものと紛れないように、紙紐と紙の名札で自分の荷物だとわかるようにする必要がある。
だが……紐も名札用の紙も見当たらなかった。
「名札、見なかった?」
カウンター担当の子に訊く。
だが、彼女は「知らないよ?」と答えるだけだった。
うちの学校はカバンが指定なので、並べて置くと見分けがつきにくい。
そのまま置いておくと、後で探すのが非常に面倒になる。
仕方なく、ボクのカバンについていた紐を解き、白川のカバンと一緒に結び直した。
結果として、二つの指定バッグは、ボクの名札紐でひとまとめにされた。
外から見れば、どちらもボクの荷物に見える。
でも、他の人が間違って持っていくのさえ防げばいい。
問題はないはずだ。
作業を終え、白川のところへ戻る。
「じゃあ、行こうか」
ボクと白川は教室を出た。
*
さて、ここからが重要だ。
告白しにくい雰囲気を作るためには、ボクが主導権を握る必要がある。
ボクは教室を出てすぐ口を開いた。
「お腹空いた。まず、何か食べに行こうか」
スマホで調べた一般的なデート指南によると、最初に食事をするのは悪手らしい。
先に映画を観たり、何か体験を共有したりして、共通の話題を作ってから食事に誘わないと、気まずくなりやすい。
だからボクは、その逆を選んだ。
最初に食事をする。
「いいよ。食べたいものはある?」
ボクは窓からグラウンドを見渡した。
そこには、クラスや部活が出している露店がいくつも並んでいる。
普通なら、そういう場所で文化祭らしい雰囲気を楽しむのだろう。
だからボクは、グラウンドの外れにあるフードトラックに目を向けた。
ラーメン、唐揚げ弁当、丼もの。
がっつりした食事を売っている。
客は家族連れが多く、女子高生だけのグループは少ない。
告白する雰囲気から一番遠いのは……。
「豚骨ラーメンを食べようか」
「え?」
白川は驚いたように、少し戸惑った顔をした。
「豚骨ラーメンは嫌いなのか?」
「ううん。ただ、食べたことがなくて……」
ボクも、白川が豚骨ラーメンをすする姿は想像できない。
普通、女子高生が文化祭デートで豚骨ラーメンを選ぶのは、少し抵抗がある。
だからこそ選んだ。
「ボクもインスタント以外は食べたことがない。まあ、挑戦してみよう」
「玲も《《初めて》》食べるんだね」
半ば強引に先頭に立って歩く。
白川は、その後についてきた。
人混みを抜け、グラウンド端のフードトラックゾーンに着く。
まっすぐラーメンを売っている店へ向かった。
メニューを見ると、豚骨ラーメン以外にも、醤油ラーメンや味噌ラーメンなどが売られていた。
白川は慣れていないようで、メニューの前で視線をさまよわせている。
「ボクは豚骨ラーメンにするけど、白川は何にする?」
「私も……玲と同じものにするよ」
豚骨ラーメンを二つ注文し、野外テーブルに座る。
少し待っていると、店員がボクの名前を呼んだ。
ラーメンを受け取り、テーブルへ戻る。
すぐに食べ始める。
白川も箸を取ったが、かなりゆっくりだった。
初めて食べるラーメンを観察するように、慎重に口へ運んでいる。
匂いを嗅いだり、上に浮いた背脂をレンゲですくって確かめたりしていた。
まあ、かなり好みの分かれる食べ物だ。
少し心苦しいが、ボクは何も言わずに黙々と食べる。
しばらくして、白川は箸を止めた。
「ごめんなさい。油が多いせいか、食べきれなくて」
白川のラーメン鉢を見ると、半分近く残っている。
それを見て、ボクは思いついた。
いくら何でも、他人の食べ残しを食べると言えば引くだろう。
普段なら絶対に言わない。
だが、今日は地雷になりそうなことを選ぶ。
「もったいないな。ボクが残りを食べようか」
「あ、ありがとう。残したら、作ってくれた人にも悪いもんね」
ボクは白川のラーメンを手に取り、食べ始める。
食べながら、ちらっと白川を見る。
ドン引きするかと思った。
だが、そうは見えなかった。
むしろ白川は何も言わず、カメラのような目で、ボクが彼女の食べ残しを食べる様子をじっと見つめていた。
なぜか、少し嬉しそうに笑みまで浮かべている。
作戦がうまくいっているのか、不安になった。
だが、やるしかない。
ラーメンの量が多くて少しつらいが、ボクは頑張って食べ切った。
「次は何かしたいことある?」
「そうだな……」
午後には軽音部のライブがあると聞いた。
ボクも白川も、人混みと騒がしい場所は苦手だ。
普段なら絶対に行かないと思う。
だが、今日は苦手だからこそ行くべきだ。
「うちの学校の軽音部、人気らしいし。体育館でライブをするから行ってみようか」
「そこに……行きたいの?」
白川が確認するように訊く。
それもそうだ。
白川は、ボクがそういう場所を大嫌いなのを知っている。
少し不自然すぎたかもしれない。
「まあ、一度は見てみるのもいいかなって」
「そう……」
苦しい言い訳に、白川はあまり納得していない様子だった。
それでも反対はしなかった。
また人混みを通って、体育館に向かう。
体育館に入ると、そこそこの人数が集まっていた。
生徒もいれば、おそらく生徒の家族と思われる人たちもいる。
それより、予想外の問題があった。
中に席がない。
スタンディングライブなのだ。
正直に言うと、もう疲れている。
家に帰りたくなった。
「マジか。椅子がないのか」
びっくりして、棒立ちしてしまった。
「玲、大丈夫? 疲れているみたいだけど」
「大丈夫、大丈夫。でも、後ろの方に行って、座ってもいいか?」
後方の壁にもたれて座る。
それを、白川が少し心配そうな顔で眺める。
「ここで待ってね」
白川はそう言って、どこかに行った。
ぼうっとステージで機材をチェックしている軽音部の人たちを見ていると、白川が戻ってきた。
手にはスポーツドリンクのペットボトルを持っている。
「これ飲んで。玲は体が弱いから、気をつけないと」
「ありがとう」
渡されたペットボトルの蓋を開けて飲む。
くらくらしていた頭が、少し安定してきた気がする。
「あ、あ、みなさん、聞こえますか!」
ステージから陽気な声が聞こえてきた。
ライブが始まるようだ。
「あっちは元気そうだね」
「うん。楽しそうね」
白川はボクの隣に立って、ステージを眺めている。
五人組のバンドが奏でるありふれたラブソングを聴きながら、彼女は何を考えているのだろうと思った。
優しい彼女が、裏ではボクをストーキングしたり、執着したりするようになった理由は何なのだろう。
どうすれば、普通でいられたのだろう。
そんなことを考えていると、白川が隣に座った。
「玲、私の話、聞いてくれる?」
「うん?」
隣の白川を反射的に見る。
ライブ中であるため、照明が薄暗く、彼女の表情はよく見えなかった。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「ボク、礼を言われることしたかな? 一日中すごくわがままだったと思うけど」
今日は嫌われるように頑張ったのに、あまりにも予想外の言葉だった。
「うん。わがままだったね。いつもと違って。私はそれが嬉しかったよ。いつも遠慮する玲が、私にはちゃんと自分の意見を言ってくれたから」
予想していない解釈だった。
ボクは、白川が嫌がることを選んだつもりだった。
でも白川は、それを「ボクが遠慮せずに選んだこと」として受け取っていた。
メイド役をしていたのも、変な食べ物を選んだのも、ライブに来たのも、白川の目にはそう見えていたのか。
彼女の好意に対する罪悪感と、自分の愚かさに、胸が痛くなる。
「ずっと待ってたの。玲が、ちゃんと私のところに戻ってくるまで。だから、今言うね」
白川は続ける。
最後まで言い出してしまう。
「私は玲が好き」
その言葉だけは嬉しい。
でも、まだ早い。
彼女が自分の感情に振り回されなくなってから。
そして、友達として聞きたかった。
まだ逃げる方法はないか、頭を回転させる。
「はは……急に何を言ってるんだ?」
「玲も薄々気づいていたんじゃないかな。私が玲を友達としてじゃなくて、恋人として好きなのを」
盤面が閉じた。
逃げ道が、音を立てずに消えていく。
「玲、私と付き合ってくれる?」
結局、告白イベントは発生してしまった。
もう戻れない。
断っても、受け入れても詰み。
これで終わりなのか。
何か、いい方法はないのか。
「あ、明日。文化祭のフィナーレイベントで、キャンプファイヤーをやるだろう。その時まで待ってくれないか」
ボクの言葉を聞いて、白川はしばらく考える。
「なぜ……今答えてくれないの?」
「適当な答えは出したくない。だから、考える時間がほしい」
ボクの返答に、白川はにっこりと笑った。
「わかった。じゃあ、明日の夜。キャンプファイヤーの時に聞かせて」
*
「玲ちゃん、どこ?」
黒瀬は騒がしい教室で玲を探していた。
「今すぐ確認しないと、次のシフトが回らないんだけど」
理由は、二つの異なるシフト表を持ってきた子がいたためだ。
どちらのシフト表が正しいのか確認するには、進行役である玲が持っているシフト表を見るのが一番確実だった。
「花村さん、こういう時は自分のバッグの中を見ていいって言ってなかった?」
カウンター担当の子が答える。
「花村さんがカバンをカウンターの裏に置くの見たから、そこにあると思う」
「サンキュー」
黒瀬はカウンター裏のカバン置き場に向かった。
そこには、玲の名札紐でまとめられた二つのカバンがあった。
「え? 二つ?」
同じ指定バッグが二つ。
どちらが玲のものなのかわからない。
黒瀬は一瞬迷ったが、とにかく中を確認することにした。
一つ目を開けて、中を探る。
すると、変なノートが見えた。
真っ黒なノートだった。
表紙には何も書かれていない。
開いてはいけない。
そう思った。
でも、妙に気になって、黒瀬はそのノートを手に取る。
挟まっていた紙の端に、玲の名前が見えた。
「……なにこれ」
黒瀬は、目を見開いた。
そこに記録されていたのは、玲の名前だった。
玲の行動だった。
玲が何をしたのか。
何が好きなのか。
何を感じていたのか。
生活のすべてを暴くような文字が、ページいっぱいにびっしりと並んでいる。
『玲に嫌われたら』
『玲を殺して、私も死ぬ』
次のページには、自分の名前もあった。
『黒瀬さん』
『玲の恋人』
『別れた』
『文化祭前日』
『黒瀬さんは玲を譲った』
『だから、明日』
そこでようやく、黒瀬は理解した。
自分が身を引けば、玲と白川が幸せになれる。
そんな単純な話ではないことを。
「玲ちゃんを……アタシが助けないと」
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