第22話「君のいない世界 上」
「おい、ちょっと面貸せや」
休み時間。
トイレから出てすぐの廊下で、柄の悪そうなギャルに声をかけられた。
名前は確か……倉田さん、だったか。
クラスメイトであり、黒瀬のギャル友達だ。
まるでヤンキーみたいな言葉に怖気づいて、体が勝手に後ずさる。
「おいおい、どこ行くねん」
彼女は近づいてきて、ボクの肩を掴んだ。
ひどく怯えて声も出せないまま、校舎裏まで引きずられていく。
校舎裏は建物の影で薄暗く、雑草だらけで荒れていた。
倉田さんは建物に背を向け、ヤンキー座りをする。
「おまえも座れや。話があんねん」
言われるまま座る。
緊張のあまり、ボクは正座をしてしまった。
「変なやっちゃな。くろちん、なんでこんなん気に入っとるんやろ」
彼女はポケットからスティックキャンディーを取り出して、口にくわえた。
どう見てもタバコの方が似合いそうなのに、そこはキャンディーなんだ……と思った。
それはともかく、『くろちん』というのは黒瀬のことだろう。
真面目に聞いた方がよさそうだ。
もし話があると言いながら、黒瀬を傷つけた件で殴られるのだとしても……それは甘んじて受け入れよう。
「で……話って、何ですか?」
ボクがそう聞くと、彼女は露骨に顔をしかめた。
「先に言うとくけどな、うちはおまえが嫌いや。くろちんとは、うちらの方が先に友達やったんや。なのに最近は、おまえのとこばっか先に行っとったやろ。いつかシメたろ思っとってん」
友好的ではない空気に、肩へ力が入る。
握った拳に汗がにじんだ。
「でもな。最近また、くろちんはうちらんとこ戻ってきた。それ自体はええことや。せやのに、なんか気持ち悪いねん」
「気持ち悪い?」
「最近のくろちん、顔は笑っとっても声は全然笑えてへん。戻ってきた理由も含めて、おまえと喧嘩したせいやろ」
「……たぶん、はい」
倉田さんが立ち上がる。
そして、ボクの右腕を軽く蹴った。
強くはない。
いたずらみたいなものだ。
だが、ボクはあっさり横に倒れた。
「マジでもやしやな。そこらの子犬の方が、おまえより丈夫ちゃうか」
それは事実かもしれないが、嫌な言い方だなと思った。
彼女はまたボクの前でヤンキー座りをする。
「で、これからどうするつもりや?」
「仲直りしようとはしたけど、拒まれて……。話も聞いてくれなくて……。どうしようも――」
倉田さんがまた立ち上がって、キックする。
「痛いって」
「体も心もよえーくせに、よう吠えとるな。根性がないねん。根性が」
何だこの、昭和から来たヤンキーみたいな女は……と思った。
でも、間違っていない気もした。
「じゃあ、どうすればいいと思う? 倉田さんは。黒瀬の友達として、何かヒントとかないのか?」
「は? 知らんわ。そんなん自分で考えろや」
この女、理不尽すぎる。
ノーヒントじゃ、何も変わらないじゃないか。
「……せやな。とりあえず『かわいい』って言え」
「え?」
「女はな、特にギャルは『かわいい』言われたら機嫌ようなるねん。そんくらい分かるやろ?」
分からんが。
ボクに『かわいい』なんて言われても、『なんだこいつ』ってなるだけだ。
むしろ詐欺師か何かかと警戒する。
「いきなりそんなこと言うのは、変じゃないか……?」
「つべこべ言わんとやれや。やってあかんかったら、その時また考えたらええやろ」
「はあ……」
「ちょうど今日から文化祭準備や。くろちんと一緒に作業できるよう、うちがうまいことしといたる。ちゃんとやれや」
それは……いい機会かもしれない。
話せるだけでも、状況を改善できる確率は上がる。
学校のチャイムが鳴った。
そろそろ教室に戻らないといけない。
倉田さんも立ち上がり、エントランスの方へ歩き出す。
背中を向けたまま、彼女はぽつりと呟いた。
「頼んだで。くろちんは、うちらの大事な友達や」
*
放課後。
明日の本番に向けて、教室をメイド喫茶仕様に改造する作業をしていた。
色とりどりの風船を飾ったり、メイド服の最終チェックをしたりする。
みんな楽しそうに話しながら作業していて、教室はざわついていた。
ボクは、いつ黒瀬と話せるチャンスが来るのか気にしながら、みんなに作業の指示をしていた。
その時、倉田さんの声が聞こえた。
「花村はん。こっちちょっと手伝ってや」
声のした方を見ると、倉田さんが手を上げて呼んでいる。
その隣では、黒瀬が「ちょ、ちょっと!」と言いながら、倉田さんの背中を叩いていた。
ボクはすぐそちらに向かった。
「何をすればいいかな?」
「この風船を膨らませるの、結構しんどいねん。頭がくらくらするから、代わりにちょっとやってや」
倉田さんはそう言いながら、まだ膨らませていない風船の袋を渡してきた。
「わかった」
それを受け取る。
普段なら、やりたくないことを他人に押し付けるなと怒る場面だ。
だが、今のは黒瀬と話せるように演技しているのだろう。
……そうだよな?
本当に仕事を押し付けているわけではないよな?
「おおきに。じゃ、トイレ行ってくるわ」
そう言って、倉田さんは教室を出ようとした。
だが、振り返って「おまえも来るんや」と言いながら、もう一人、作業していたギャルの手を引っ張った。
「ええ? なんで?」
そう言いながら、その子も連れ去られる。
黒瀬とボクだけが残った。
「倉田さんがやりたいって言ったから、三人に任せたけど……。やっぱり三人で教室全体の風船を作るのは、良くなかったのかな」
「……」
黒瀬に話しかけるが、返事はない。
まあ、予想していた反応だ。
挫けずに話しかける。
「友達と仲良さそうで羨ましいね」
「……」
挫けずに話すと言っても、ボクは雑談が苦手だ。
答えを求めない、感情の交流だけを目的とした会話では、何を話せばいいのかわからない。
必死に脳内で話題を検索する。
「黒瀬は友達から『くろちん』って呼ばれているんだって? ボクもそう呼んでいい?」
その言葉に、黒瀬の背筋がびくっとした。
「……誰から聞いたの?」
やっと返事を聞けた。
そう呼んでいるのは倉田さんを通じて知ったが、彼女が協力者であることを知られたら、協力ラインが絶たれる可能性がある。
ここはごまかすことにした。
「偶然聞こえただけだ」
「……そのあだ名で呼ばないで」
なんだか地雷を踏んだのかと心配になる。
「あ、ごめん。友達でもないのに、失礼だったかな」
「いや、そうじゃなくて。恥ずかしいから」
なぜ恥ずかしいんだ?
『黒瀬ちゃん』を略して『くろちん』と呼ぶのは、友達ならあり得ることだと思うが。
「子供っぽいから、恥ずかしいとか?」
ボクの返事に、黒瀬がこちらを見る。
『え? 信じられない』という表情だ。
なんで?
「子供っぽいのと反対じゃん。大人向けじゃん」
「なにが?」
黒瀬は何か言いたげに「ううぅ」と唸っていたが、ため息をつきながら風船に視線を戻した。
「もういいよ。玲ちゃんはそのままでいて」
せっかく黒瀬と話ができたのに、このままでは無言状態に戻りそうだ。
無理にでも話を続ける。
「気になるから教えて!」
「小学生か! 倉田は何で戻ってこないの? 見に行ってくる」
黒瀬が立ち上がって、ドアに向かう。
ボクも後を追った。
「ついてこないで!」
「ボクもトイレに行きたいだけだ」
「もう!」
黒瀬は廊下に出ると走った。
ボクも走る。
でも、すぐに息が上がってきた。
「ちょ、ちょっと待って」
ボクの要請を無視して、黒瀬は走り続ける。
幸いトイレはそう遠くないので、差は大きく開かなかった。
黒瀬はトイレの個室を叩いていた。
そこから「入ってますよ」と返事を聞いて、すぐ離れる。
「倉田のやつ、どこに行ったのよ」
黒瀬がイライラしている。
「黒瀬、言いたいことがある」
「聞きたくない!」
黒瀬がトイレから出て、また走ろうとする。
ここで離れたら、ボクの体力ではもう追いつけなくなる。
どうすればいい?
頭をフル回転させていると、一つの助言が浮かんだ。
――とりあえず『かわいい』って言え。
最後の手段を使うしかない。
ボクは出せる最大の音量で叫んだ。
「黒瀬はかわいい!!!!」
黒瀬が、石のように固まった。
「黒瀬は笑顔がかわいい! 服装もいつもかわいい! 喋り方もかわいい!」
「ちょっと待って!」
黒瀬がボクの口を手で塞ぐ。
「急にどうしたのよ」
答えようとしたが、口を塞がれているので「ううう」としか声が出ない。
廊下にいた生徒たちが、ざわざわしながらこちらを見ている。
「一緒に来て」
黒瀬はボクの口を塞いだまま、拉致犯のように校庭へ連れていった。
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