第12話「野良猫の雨宿り」
悪いことは、前触れもなく訪れる。
朝には晴れていた空から、急に雨が降り出した。
放課後、教室は傘を借りようとする生徒と、家に電話する生徒でざわめいている。
ボクのところにも何人か来たが、傘がないふりをした。
非常用の小さな折りたたみ傘だから、一人で差しても肩が濡れる。
誰かと一緒に入る余裕はない。
「玲ちゃん〜、傘忘れてきた。助けて〜」
黒瀬、お前もか。
傘がないふりを続けようとした。
だが、なぜか嘘をつけなかった。
「ボクの傘は小さいから、二人では入れないぞ。もっと大きい傘を持っているやつに頼むか、家に電話しろ」
「ケホケホ、昨日の風邪がまた……」
「わかった。わかったから、その演技はやめろ」
黒瀬が風邪を引いたのは、ボクのお見舞いに来たからだ。
そこに責任を感じざるを得ない。
「玲ちゃんはチョロいね」
「家から傘を持ってきてもらう方が合理的だったはずだぞ。びしょ濡れになっても知らないからな」
警告のつもりだった。
なのに、黒瀬はひまわりみたいに明るく笑った。
「二人で水も滴るいい女になろ!」
「ずぶ濡れのネズミの間違いだろ」
学校を出て、二人で傘を差す。
道を歩いていると、肩に冷たい雨の感触があった。
やはり小さい傘では、防ぎきれずに濡れてしまう。
「玲ちゃん、傘、アタシが持とうか」
黒瀬の身長に合わせるため、手をぴんと上に伸ばしているボクを見て、彼女が心配そうに言った。
彼女の身長は百六十五センチくらい。
ボクは百五十センチくらい。
十五センチの差を埋めるために伸ばした腕が痛い。
「……すまないが、頼む」
「アイアイサー!」
黒瀬がボクから傘を受け取る。
腕は楽になった。
だが、すぐにもう一つの問題に遭遇した。
風が強くなったのだ。
十五センチの隙間から風に乗った雨が入り込み、頭まで濡れ始める。
……もういい。
どうにもならない問題だし、我慢しよう。
家に着いたらすぐ風呂に入って、風呂上がりに牛乳でも飲もうか。
ボクの家は学校から近いので、すぐに到着した。
そのまま家に入る。
「はい。気をつけて帰れよ。傘はすぐ返さなくていいけど、返すのは忘れるなよ」
黒瀬はすぐには帰らなかった。
少し悩んだあと、両手を合わせる。
「せっかく玲ちゃんの家まで来たから、漫画を読んで帰りたいな……って思ってるんだけど、ダメかな?」
黒瀬を見ると、服がかなり濡れていた。
このまま帰したら、また風邪を引きそうだ。
すぐ休みたかったが、仕方ない。
「はあ。ちょっと休んだら帰れよ」
「ありがと♥」
黒瀬は軽い足取りで家に上がった。
「お邪魔しまーす!」
「大声を出さなくていい。今日は誰もいない。それより、濡れた服はあそこで脱いでおけ」
「ええ!?」
黒瀬はびっくりして後ずさりしながら、胸元を手で隠した。
「ちょ、ちょっと急じゃない? ムードづくりとかないの?」
「濡れた服を衣類乾燥機に入れるのにも、ムードが必要なのは知らなかった」
「ああ、そういうこと」
黒瀬はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「で……玲ちゃん、アタシが脱ぐの見てるつもり?」
「女同士だし、脱いだらさっさと乾燥機に入れておこうと思ったが。そうだな、着替えを持ってくる」
ボクは部屋のクローゼットから、オーバーサイズのTシャツを取り出した。
土日にだらだらするためのやつだが、黒瀬にサイズが合いそうなものはこれしかない。
それを持って戻ると、黒瀬は下着姿で、顔を赤くして体を手で隠していた。
「ほら。これ着て」
黒瀬は服を受け取り、すぐに着る。
その間にボクは黒瀬の服を拾って、乾燥機に入れた。
「この服、“動いたら負け”って書いてあるけど、どういう意味?」
「ああ。土日は一歩も動かず、家でだらだらするという意思表明だ」
「……そうなんだ。学校外ではそうなるんだね。意外……」
なんだかアホ面になっている黒瀬を連れて、部屋に入った。
黒瀬は本棚から漫画を取り出し、そのままベッドにダイブする。
こいつは遠慮というものがないな。
「おい。パンツ見えてるぞ」
「ああん♥ 玲ちゃんのエッチ」
布団を被せて、パンツを隠す。
「ありがとう。お母さん」
「今日はお母さんはしないぞ。あれは特別だ」
「ええ……じゃあ頑張って風邪を引くしかないか……。外、ちょっと走ってくるね」
「やめろ。一つの傘でここまで一緒に来た意味がなくなる」
黒瀬は「仕方ないな〜」と言いながら、漫画を読み続けた。
「玲ちゃんの漫画の趣味、意外と女の子っぽいね」
彼女が読んでいる漫画は、悪役令嬢に転生した主人公が、自分が死ぬバッドエンドの前に、死ぬ運命の部下を救おうとする物語だ。
ジャンルは、逆ハーレム恋愛もの――の皮を被った推理探偵もの。
ボクがその漫画を読んでいる理由は、暗殺を回避するための推理が面白かったからで、恋愛にはあまり興味がない。
「玲ちゃんはどのキャラが好き?」
「一番は主人公」
「女の子じゃん」
シャーロック・ホームズ小説で、シャーロック・ホームズが一番好きなのは普通だと思うが。
男だってシャーロック・ホームズは好きだろう。
「玲ちゃんがどんな恋愛が好きなのか、参考にならないよ〜」
「ボクもわからないから、何も言えないな」
「……頭のいいキャラが好きなのはわかった」
黒瀬は何かを考え始めた。
「……この家には毒入りお菓子がある!」
急に立ち上がって叫ぶ黒瀬を眺める。
「何が始まるんだ?」
「玲ちゃんの命が危ない! 早く見つけないと!」
「自分の家に毒入りのお菓子を置くわけないだろう」
「ツツツ、違うよ。アタシは知っている。君の命に危機が迫っていることを」
どうやら漫画の真似ごっこがしたいらしい。
影響されやすいんだな。
「アタシの優秀な知能が教えてくれる。ヒントはキッチンにあると!」
黒瀬が勢いよく部屋から出ていった。
しばらくして戻ってくる。
「お菓子ないんだけど。なんで〜? ありえないんだけど」
「母が、家にお菓子を置くと余計に食べて太るからって禁止している」
「頭良さそうに見えたかったのに、余計にバカになっちゃったじゃん!」
黒瀬が落ち込んだ。
そういう顔は、あまり見たくない。
仕方ない。
ごっこ遊びに付き合ってやるか。
「諦めるのはお前らしくないぞ。毒入り菓子は、コンビニにあるかもしれない!」
「!!」
部屋を出て、黒瀬が制服に着替えるのを待ってから、一緒にコンビニに行く。
今回は各自で傘を差している。
「玲ちゃん、アタシのこと好きでしょう」
「そんなんじゃない」
「照れちゃって♪」
黒瀬がボクの手を握る。
傘がぶつかって、雨粒が肩に落ちた。
ボクは少し距離を取る。
短い沈黙。
黒瀬は手を引っ張って、また密着してきた。
「おい、傘を差してる意味がなくなるじゃないか」
黒瀬は自分の傘を畳み、ボクの傘に入る。
また相合傘になってしまった。
「黒瀬……お前は何がしたいんだ……」
黒瀬は何も言わない。
握っている手に力を入れ、さらに密着する。
逆張りな性格は困ったものだ。
余計に刺激しないようにしよう。
ボクは抵抗をやめた。
「玲ちゃん……」
黒瀬は少し驚いた顔をして、すぐに笑った。
「やっぱり、玲ちゃん、アタシのこと好きでしょう」
「違うって」
「でも、ほっとけないんでしょう? 傘の件も、他の人には拒絶してたの見てたよ?」
「……」
黒瀬は嬉しそうに、ボクの手を握ったまま前後に振る。
歩くステップがとても軽快だ。
その熱量についていくのは、やはり疲れる。
コンビニでお菓子を買い、家に帰って、漫画の続きを読む。
外が暗くなる頃、黒瀬はそろそろ帰ると言った。
「玲ちゃん、漫画読みにまた来るね!」
「はいよ。暗くなってきてるから、気をつけて帰れよ」
……。
黒瀬を見送った後。
YouTubeでも見ようと思ってスマホを開くと、数件のメッセージが来ていた。
すべて白川からのものだった。
その中で、最初に目に入ったのは、
『学校で待ってる』
面白いと思っていただけたら、下部の☆☆☆☆☆から評価とブックマークをお願いいたします!




