93 ママ
ドラッグストアで買い物をしていると、ふと目に留まったものがあった。
……これ……ママが使ってたハンドクリームだ……。
パパとの一件があったから、すっかりと忘れてしまっていた。
ハンドクリームを手に取り、よく見てみる。
たぶん……これだったと思う。
ママ……。
もしもママが生きていたら、未来は違ったよね……?
ママがいたら、パパはあんな感じにならなかったよね……?
そう思うと、胸が締め付けられた。
ハンドクリームをカゴに入れると、他に必要なものもカゴに入れ、レジへと向かった。
家に帰ると、すぐにハンドクリームのフタを開け、香りの確認をした。
……やっぱり……ママの匂いだ……。
その瞬間、ママとの思い出を色々と思い出した。
ママが料理をしているところ、一緒に塗り絵をしているところ、公園のブランコで後ろから押してくれるところ、ママが……刺繍をしているところ……。
ママの声も思い出していた──
「葵。この巾着に刺繍をするんだけど、なにを刺繍してほしい?」
「ケーキっ。それからぐるぐるキャンディと……あとは生クリームとさくらんぼが乗ったプリンっ」
「ふふっ。甘いものばかり」
「うんっ。甘いの大好きっ」
──これは、私が幼稚園生くらいの時の会話だ。
私は懐かしくなり、ママが刺繍をしてくれた巾着やハンカチを取り出した。
指でその刺繍を撫でていたら、込み上げてくるものがあった。
ママが亡くなった時、私は現実を受け入れられなかった。
“死”というものを、ちゃんと理解している年齢だったけど、信じられなかった。
いつか……何事もなかったかのように、“ただいま”と言って、帰ってくるのかもしれない。
そう思っていた。
だけど、毎日パパは項垂れ、元気がなかった。
そんな姿を見ているうちに、私も徐々に、現実を受け入れるようになった。
パパはそんな中、家事をこなし、私のお世話をしてくれた。
そんなことを思い出していると、急激に寂しくなってしまった。
時間を確認すると、まだ15時だった。
私はキッチンに立つと、その寂しさを紛らわすために、いろいろと料理を作った。
出来上がったものを次々とタッパーに詰め込み、冷蔵庫や冷凍庫にしまった。
ママに……会いたい……。
結局、料理をしても、私の寂しさが紛れることはなかった。匂いを嗅いでしまったから、余計に寂しくなってしまった。
懐かしく思う。
温かい気持ちにもなる。
だけど……
もっと一緒にいたかった……。
そうやって強く思う自分がいた。
薫くんが帰ってくると、私はすぐに抱きついた。
「わっ。どうしたの?」
「この匂い嗅いで?」
私は薫くんの鼻に、自分の手を近づけた。
「……優しい香りだね」
「うん。これね、私にとってのママの匂いなの」
「ハンドクリーム?」
「そう」
「寂しくなっちゃった?」
薫くんは眉を下げ、心配そうにしていた。
……困らせたくないのに……。
だけど今の私は、甘えたかった。
「うん」
私はそう答えて、また薫くんに抱きついた。
薫くんは、そんな私の頭を撫でてくれた。
「僕がその寂しさを埋められたらいいんだけど……」
「……大丈夫。今少しずつ埋まってるから」
「ふふっ。本当に?」
「うん……」
私は薫くんの体温を感じながら、自分が満たされていくのを感じていた。
二人でごはんを食べている時に、薫くんは私にいろいろと質問をしてきた。ママのことについて……。
私はそんな質問にひとつずつ答え、薫くんはまた質問をする。
そんな感じで、ママのことをたくさん話した。
すると次々と、今まで忘れていた思い出なんかを思い出すことができた。
ママと話したこと、ママとスーパーに行ったこと、ママの作った料理、ママが教えてくれたこと、ママが……抱きしめてくれたこと……。
さっきまでの寂しさは少し和らぎ、温かい気持ちにもなった。
そっか……。
ママはちゃんと、私の中で生きている。
こうやって薫くんに話すことによって、私の心が軽くなっていった。
「薫くんのおかげで、ママのことをいろいろ思い出すことができたよ」
「本当に?」
「うん。薫くんがたくさん質問してくれたから、忘れてたことも思い出せた」
「ふふっ。それならよかった。たまにこうやって、葵ちゃんのお母さんのことを話そうか。そうすれば、また何か思い出すかもしれないし」
本当にそうなのかもしれない。
今日は思い出せなかったことも、次は思い出せるかもしれない。
私はそう思いながら、さっき自分の手に塗り直したハンドクリームの匂いを嗅いだ。
……やっぱり……ママの匂いだ。
私にとってのママの匂いはこれだ。
あの……香水の匂いなんかじゃない。
久々にママに会えたような気がして、私の心は温かくもあり、少しくすぐったくもなった。




