92 伝えることができた
初バイトの次の日、私は熱を出してしまった。
「めまいはない?」
「……ない」
「気持ち悪さは?」
「それもない」
薫くんはこれから出勤なのに、私の熱のせいで、朝から迷惑をかけてしまった。
「昨日頑張ったから、疲れが出ちゃったのかもね」
……情けない。
たった1日のバイト。
たった5時間のバイト。
そんなんで私は、熱を出しちゃうの?
「朝からごめんなさい」
「ううん。大丈夫だよ。みかんと桃、どっち食べたい?お薬飲まないと。それとも雑炊作ろうか?」
これから仕事に行く薫くんに、そんなことはさせられない。
「桃……」
「わかった。小さく切った方がいいのかな?」
パパはいつも、ひと口サイズに切ってくれていた。
だけど……
「そのままでいい」
「……ちょっと待っててね」
そう言った薫くんは、しばらくすると戻ってきた。
「はい、あーんして」
薫くんの手にはフォークがあった。そのフォークの先には、ひと口大にカットされた桃があった。
「わざわざ切ってくれたの?」
「この方が食べやすいでしょ?ほら。あーんして?」
私はそっと口を開いた。
熱のせいか、あまり味を感じなかった。
「ふふっ」
薫くんが急に笑った。
「あ、ごめんね。葵ちゃんが辛い時に笑っちゃって」
「……なんで笑ったの?」
「なんだか葵ちゃんが本当の雛みたいで。こうやって桃を葵ちゃんの口元に寄せると、口を開けてくれるから、かわいいなって思っちゃった」
ぼーっとする頭でも、その言葉を聞いて恥ずかしくなってしまった。
だけど……ある不安も頭によぎってしまった。
「もし……」
「ん?」
「もしも私が……また前のように、めまいを起こすようになったら……」
「うん」
「……私のこと……嫌いになっちゃう?」
ずっとそれが不安だった。
今は調子がいいけど、またいつ、あんなふうになってもおかしくない。先のことはわからない。もしかしたら、悪化することもあるかもしれない。
「そんなことを気にしてたの?」
薫くんは、悲しそうな顔をした。
「だって……薫くんは知らないから」
「何を?」
「私……酷いと1週間以上、具合が悪いことが続くの」
「そんなこと知ってるよ?連絡が取れないことがあったからね」
……そうだった。
「床に吐いたり……まともに食べられなかったり……」
「それも知ってる」
「……」
「僕の仕事は?」
「……お医者さん……」
「そ。だから安心して?」
そういうことじゃない。
「そうじゃなくて──」
「僕は、葵ちゃんが今みたいに元気になる前から好きだったよ」
「……」
「葵ちゃんのことが、ずっと好きだった。だから連絡が取れないと心配したし、僕にできることは何かないかと、ずっと思ってた」
うそ……
そんな時から……?
「今は熱で浮かされているだけ」
「……」
「それで不安になっているだけ。余計なことは考えないで、ゆっくり休んで?」
薫くんは、私の頭を撫でながらそう言ってくれた。
「例え葵ちゃんが、前のようになったとしても、僕は決して嫌いにならないよ。だから安心して?」
私は……そんなことを言ってくれる薫くんのことを、ずっと大切にしたい。
「……ありがとう……」
気がついたら涙が出ていて、私は泣きながらそう伝えた。
「うん。謝らなかったのえらいね。僕は葵ちゃんの体調とか、病気とか関係なく、大好きなんだからね?それだけは忘れないで?」
「はい……」
止めどなく流れる涙を隠すように、私は両手で顔を覆った。
薬を飲んで寝ると、お昼過ぎにはすっかりと熱は下がっていた。
熱が下がると、さっきまで感じていた不安も、不思議と軽くなっていた。
スキマバイトのアプリで、求人を探していると、前に働いたスーパーが、また求人を出していた。
私はまたそのスーパーでアルバイトをし、それ以降も何度か同じスーパーで働いた。
それが続くと、ある日店長さんから正式にうちで働かないかとの提案があった。そう言われてとても嬉しかったけど、薫くんに相談したかったから、返事は保留にしてもらった。
やったっ。
認められた?
私の働きが認められたって思ってもいいんだよね?
帰ってきた薫くんに、早速今日のことを話した。
「すごいじゃん。葵ちゃんがやってみたいなら、そうしなよ」
やっぱり薫くんは、いつだって私の背中を押してくれる。
「週に何日?」
「とりあえず3日。時間は今まで通り5時間」
「すごいよ。少しずつ前に進んでるね」
私は嬉しくて、薫くんに抱きついた。
「薫くんのおかげだよ」
「ふふっ。僕は何もしてないよ。全部葵ちゃんが自分で決めたことでしょ?僕はただ、少しお手伝いをしただけ」
そんなことない。
いつも薫くんが助けてくれた。
応援してくれた。
支えてくれた……。
「……大好き……」
ちゃんと……自分の気持ちを伝えることができた。
「僕も大好きだよ」
薫くんも、そう言ってくれた。




