88 ドキドキ
初めて、自分からキスをした。
……ほっぺにだけど。
というか、キスという行為自体が人生で初めてだ。
「ふふっ。嬉しいな。ありがとね。最高のプレゼントだよ」
こんなことで、そんなに喜んでくれるだなんて……。
いや、私からしたら“こんなこと”、ではないんだけど。
あー……もう、今日は恥ずかしいことばかりだ。
でも、薫くんがずっと楽しそうにしていたからよかった。
料理を半分以上食べたところで、食べ終わっているお皿だけを、シンクに持っていった。
それから、冷蔵庫からケーキを出した。包丁と取り皿、フォークも用意すると、リビングのテーブルの上へ置いた。
「わぁ……すごい……」
「二人で食べるから、半分で作ったんだ」
「……スポンジから作ったの?」
「うん。そうだよ?」
「僕の家、オーブンないのに。てっきり僕は、スポンジケーキは買ってくるものだと思ってた」
薫くんは、目を丸くしながらケーキを見ていた。
「炊飯器で作るレシピがあったから、それで作ってみたの。初めてだから、美味しくできているかは、わからないんだけど……」
私がそう言っても、薫くんからは何も返事がなかった。
勝手に炊飯器でケーキなんて作って、嫌だったかな?そう不安になっていると……
「すごい……本当にすごいよ。こんなにたくさんの料理と、このケーキ。もう……胸がいっぱい」
本当に、薫くんは喜んでくれているんだ。
私ももう……今日は胸がいっぱいだよ。
それから薫くんは、おもむろにスマホを手に取ると、そのケーキにカメラを向け、写真を撮っていた。
「ふふっ。綺麗に撮れた」
「……」
「ありがとう」
「もうたくさん聞いたよ?」
「ん?」
「ありがとうって……」
「だって、言いたくなっちゃうんだもん。葵ちゃんが僕のためにって思ったら」
私は照れ隠しをするように、包丁を手に取ると、ケーキを切り分けた。
薫くんは“美味しい”と言いながら食べてくれた。少し残るだろうと思っていたけど、薫くんは全部食べてくれた。
「ふぅ……お腹いっぱい。全部美味しかったよ」
「よかった。たくさん食べてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうだよ」
私はテーブルの上の食器を、片付け始めた。
「薫くん、お風呂入るでしょ?」
「シャワーで済ませる。せっかくお風呂の準備をしてくれたのに、ごめんね?今日は葵ちゃんとの時間を大切にしたい」
「……」
「葵ちゃんは?ゆっくり湯船に浸かりたい?」
「私も今日は、もうシャワーを済ませてる……」
「湯船に浸からなかったの?」
「うん。料理で忙しかったから」
薫くんは微笑むと、「じゃあシャワー浴びてくるね」と言いながら、浴室へと向かって行った。
その間に洗い物を済ませ、それが終わるとソファに座り、薫くんのことを待っていた。
しばらくすると、薫くんが出てきて、私の隣に座った。
「お待たせ」
薫くんからボディソープのいい匂いが漂ってきて、なんだかドキドキとしてしまった。
それなのに……
「抱きしめてもいい?」
そう聞かれて、鼓動がさらに早くなるのを感じた。
薫くんからのその言葉に、私は静かに頷いて返事をした。
あれ……
ちょっと待って……。
私……汗臭くないかな?
薫くんの帰宅に合わせて、最後の方は少し焦りながら準備をしていた。
急に不安になり、私は薫くんの胸を押し返した。
「……ごめん。嫌だった?」
「ううん。私……その……」
「なに?どうしたの?」
「……汗臭い……かも……」
薫くんはぽかんとした顔をしたあと、笑い出し、それから、また私のことを抱きしめた。
「ははっ。全然そんなことないよ。ホントにもう、葵ちゃんはかわいいんだから」
……なんだかもう……薫くんにのぼせそうになった。
しばらくそうやって、抱きしめ合っていると、薫くんは急に私から離れた。
すると、背もたれにもたれかかり、その背もたれの上の部分に後頭部を預けるようにして、天井を見上げていた。
それから「ふぅー……」っと、長い息を吐いていた。
どうしたんだろう……。
薫くんは何も言わず、2〜3分ほど、天井を見たままだった。それから顔を私の方に向けた。
「キス……してもいい?」
その言葉を聞いた途端、心臓が大きく跳ねた。
キス……
それは、おでことか、ほっぺとかじゃなくて……?
薫くんは、じっと……私の目を見つめていた。
私はその目に吸い込まれるように、そっと薫くんに近づくと──
薫くんの唇に、ほんの一瞬だけ自分の唇を重ねた。
……。
私……
今、自分から……?
あー、もう……今日の私、なんか変。
私は自分の顔を両手で覆った。
どうしちゃったんだろう。
薫くんが望むことはなんでもしたい。そう思ってしまった。私にできることは、なんだってしたいと……。
だって……私にできることなんて、とても少ないから。
隣に座っていた薫くんが、動く気配を感じた。
もう全身が熱い。
早くなった鼓動は、落ち着く様子はない。
薫くんは、私の両手首を掴むと、顔から離すようにした。
「……さっき……一瞬すぎて、よくわからなかった」
「……」
「もう1回してもいい?」
もう1回……。
真剣な顔をして、そう言う薫くんは、私の顎に手を添えた。それから私の下唇に、親指をスッと滑らせた。
私はやっぱり、薫くんのその真剣な目から、目を逸らすことができなかった。
「嫌……?」
その質問に、私は首を横に振って答えた。
すると薫くんの顔が近づいてきた。目線は私の唇を見ているようだった。そこで私は目をつむった。
薫くんの……柔らかくて温かい唇が、私の唇に重なった。
何秒くらい、そうしていたのかはわからない。少しすると、薫くんが離れたから、私はゆっくりと目を開けた。だけどすぐにまた、唇が重なった。それから薫くんは啄むようなキスを何回かしていた。
私は耐えられなくなり、薫くんの胸を押し返した。
もう……心臓が壊れてしまいそうだった。
薫くんのことをチラリと見てみると、申し訳なさそうにしていた。
「ごめん」
「……違うの……もう、ドキドキして……苦しい」
「うん……僕も……」
薫くんはそう言うと、私のことを力強く抱きしめてくれた。




