81 意識しちゃう
ずっと……ふわふわとした気持ちだった。
薫くんと恋人同士になった次の日、私は全く家事ができなかった。
本当にもう、それは文字通りに。
掃除機を手にしても、同じところをただ往復するだけ。洗濯にしても、ただ洗濯機を稼働させ、干すのを忘れてしまう始末。スーパーに行っても、家にある食材と同じものを買ってきてしまう……。
今日の私は、ずっとそんな感じだった。
私が……薫くんと恋人同士……?
私は……薫くんの彼女……?
信じられないという感情と、これは現実なんだという事実が、私を混乱させていた。
私……恋人ができたんだ……。
今まで“無理”だと諦めていた“彼氏”。
それが今……叶ったんだ……。
嬉しい。
初恋の人と結ばれるだなんて……。
今後、キス……とかもするようになるのかな?
そう考えると、顔が熱くなるのを感じた。
やだもう……何を考えてるんだろう。
だけど……そういうことだよね?
私は今後のことを考えると、期待と、恥ずかしさと、ほんの少しの不安を胸に抱えた。
“不安”は、私が今まで付き合ったことがなかったから。
彼女って、なにをすればいいんだろう。
ああ……私、まだ動揺してるな。薫くんは“今まで通り”と言っていたんだから、特別に何かをする必要はない……んだよね?
だけど……もしも私が、また体調を崩すような日々が戻ってきてしまったら、薫くんはそんな私のことを煩わしく思ったりしないかな?
今はたまたま調子がいいけど、またあんな状態になってしまったら、薫くんは私と別れたいと思うのかな……。
そうなったら、私はどこへ行けばいいの?
もしそうなってしまったら、私は今後、誰に相談をすればいいの……?
だめだめ。
今はそんなことを考えたらだめ。
それにもしかしたら、別れないかもしれないじゃん。
……でもそうなったら……結婚……?
もしかしたら、“結城葵”になる日がくるかもしれない……ってこと……?
また顔が熱くなってきた。
あーもう……私、本当に何を考えてるの?
今日はこんな感じで、ずっとひとりで浮かれたり、不安になったりを繰り返していた。
夜になり、薫くんが帰ってきた。
シャワーを浴び終えた薫くんは、テーブルの上の料理を見て、「ふふっ」と笑っていた。
「なに?」
「全部、僕の好物だ」
私……無意識に……。
「嬉しい。ありがとね」
「美味しいといいけど」
「いつも美味しいよ」
今朝もそうだったけど、やっぱり照れてしまう。
それに無意識に、薫くんの好物ばかりを作ってしまったことも、なんだか恥ずかしかった。
今日はあまり、私から話すことができなかった。いつもだったら、スーパーで何々が安かったとか、刺繍の話とか、何気ない日常の出来事を話している。
だけど今日は無理だった。
胸がいっぱいで、ごはんもあまり食べられなかった。そんな私のことを、薫くんは心配してくれたけど、“お昼に食べ過ぎたから”と、嘘をついた。
薫くんはそのあとも、何度か「本当に大丈夫?」と聞いてくれた。
ごはんを食べ終わると、食器を二人でシンクに下げた。今日は私が食器洗いをしていた。
すると……不意に背中から抱きしめられた。
驚いて、洗っていたお茶碗を、シンクの上に落としてしまった。すぐにそのお茶碗を確認してみる。
よかった……割れてない。
「ごめんね。驚かせちゃったね」
「……ううん」
そう言いながらも、私の意識は背中に集中していた。
何度も思ったけど、やっぱりパパの時とは全然違う。そういえば、薫くんは以前、親子同士でそんな間違いが起きないよにと、遺伝子が近いもの同士は……なんて話をしていたな。
背中に薫くんの体温を感じ、そこがなんだか熱く感じた。
だめだ……やっぱり意識しちゃうよ。
前まではドキドキもしていたけど、“安心”もしていた。もちろん今もそうだ。
だけど……私たちの関係はもう変わったのだから、ハグの意味が今までとは少し変わったように感じた。
愛情表現の一種になる。
私の考え過ぎかな?
意識し過ぎかな?
食器を洗い終えると、私は手を拭いた。そのタイミングで、薫くんは腕を離した。
だけど、薫くんが離れる気配は感じなかった。私は薫くんの方を向くと、すぐにまた抱きしめられた。
「今日は口数が少ないね」
私もそっと、薫くんの背中に腕を回す。
「まだ……慣れなくて。今まで誰かと付き合ったことなんてなかったから。気持ちが……安定しない……」
「ははっ。大丈夫だよ。今までと何も変わらないから。ただ……前よりも少し近づいただけ。これから時間をかけて、もっともっと、お互いを知っていって、近づいていくだけ。その繰り返し」
近づく……。
お互いのことを知って……。
そうだよね。急に彼女らしく……だとかそんなんじゃないんだよね?
ゆっくり、時間をかけて。
やっぱり……そんな薫くんのことが大好きだ。
まだ“好き”の言葉は、口からスッとは出せない。でもいつか、そう思ったときは、素直に伝えられるようになったらいいな。
「ソファに行こう?それで一緒に何か見ようか。アニメでもいいし、テレビでもいいし」
私は薫くんに手を引かれながら、ソファへと移動した。
隣に座る薫くんの距離は、前よりも近くなっていた。
少しずつ…。
少しずつ……。
こうやって近づいていくんだ……。




