8 動きだす
あのあと、薫くんは一切薬のことは話さず、私が普段どういうふうに過ごしているかを聞いてきたり、薫くんが好きな映画の話などをしていた。
カフェに着く頃には私の緊張もほぐれ、気がつけば敬語も自然と少なくなっていた。
帰りが遅くなると、パパにバレるかもしれないと思い、私たちは早めに帰宅することにした。
帰りの車の中では“行き”の時とは違い、楽しく会話をすることができた。
楽しかったな……。
家に着くと、さっきまでの余韻に浸りながら、すぐに夜ごはんの準備をして、パパの帰りを待っていた。
パパは帰ってくると、いつも通り、すぐに私をハグした。それからパパは私と目線が合うように少し屈むと、じっと私の目を見ていた。
「今日、何か楽しいことでもあったの?」
……なんで?
「面白い本でも見つけた?」
あー……よかった。
薫くんとのことがバレたのかと思った。
「なんでそう思ったの?」
「葵が楽しそうにしてたから。パパは葵の表情でなんでもわかっちゃうんだぞ?」
「……すごい」
「親なんて、みんなそういうもんだよ」
……気をつけないと。
パパは手を洗いに行った。
私はその間にダイニングテーブルに食事を用意し、先にイスに座って待っていた。
ふと今日のことを思い出し、私はニヤけそうになった。
戻ってきたパパが、向かい側の席に座った。
「……もしかして……図書館で誰かと会ってたの?」
「……え?」
帰ってからすぐにエアコンをつけ、部屋を涼しくしていたのに、背中にヒヤリと汗が流れるのを感じた。
「好きな人でもできた?」
パパの表情を見て、私は体に力が入った。
パパの目は……
笑っていなかった。
口角は上がっているけど、笑ってない目でじっと私のことを見ていた。
それがなんだか心地悪く、私は咄嗟に嘘をついた。
「誰とも会ってないし、好きな人もいないよ?」
私がそう答えても、パパはじっと私のことを見つめるだけで、何も言わなかった。
そんなパパを見て、なぜだか薫くんのことは絶対に話さない方がいいと思った。
「今日ね……図書館でね、お菓子のレシピ本を見てたんだけど、見た目も可愛くて、美味しそうなケーキがあったの」
「それで?」
「もうすぐパパの誕生日でしょ?だからそのケーキを作ろうと思ってて……」
今話したことは本当のことだった。
以前、図書館に行った時に、本当に“いいな”と思うケーキを見つけ、パパの誕生日に作ろうと思っていたんだ。
私がそこまで言うと、パパの表情はいつもの優しいパパに戻った。
「そっか……嬉しいな。パパのことを考えてくれてたんだね」
さっきのパパは……なんだったんだろう……。
初めてあんな顔のパパを見た……。
ごはんを食べ終わると、私はゆっくりと湯船に浸かりながら、薫くんとメッセージのやり取りをしていた。
『今日は楽しかった?』
『楽しかったです。ありがとうね』
『院長にはバレてない?』
バレてはないけど……
私はさっきのパパの様子を伝えた。
誰かと会っていたのかを聞かれたり、それにあのパパの目のこと……。
しばらく返事がない。
やっときたと思ったら“スマホのパスコードをこまめに変えて”というものだった。
それって……パパが私のスマホを見るかもっていうこと?
でも……こうやって薫くんとメッセージのやり取りをしていることがバレるのは避けたかったから、私は薫くんの言う通りにしようと思った。
『でも毎回覚えられない』
『語呂合わせとかにするといいよ。014115(おいしいイチゴ)とか、725572(夏、ココナッツ)みたいに』
なるほど。それなら忘れないかも。
だけど……なんで薫くんはこんなにパパのことを警戒してるんだろう。私は気になってそう聞いてみた。すると返事は私の顔を赤くするものだった。
だめだ……
このままじゃのぼせる……。
私はふらふらと立ち上がり、お風呂から出た。
頭がクラクラとする。
私はタオルを手に取ると、そのままバスマットの上にしゃがみ込んでしまった。
バスタオルを取る時に、隣に収納されていた柔軟剤のボトルを落としてしまったからか、その音を聞きつけたパパが、慌てた様子で駆けつけ、ドアの外から声をかけてきた。
「葵っ、大丈夫っ?」
「大丈夫」
「入るぞ」
「だめっ。まだ服着てない」
そう言ったのに、パパは入ってきてしまった。
恥ずかしい……。
「立ち上がれる?」
私が頷くと、パパに支えられながらゆっくりと立ち上がった。
それからパパは……
私の体をタオルで丁寧に拭いた。
バスタオルが体に触れるたび、なんだかゾワゾワと気持ち悪く感じた。
そのあとパパは、パジャマに着替えさせてくれた。
「パパは親なんだから、そんなに恥ずかしがることないんだぞ?」
そう言いながら私のことを抱き上げると、ベッドに寝かし、それから水を飲ませてくれた。
確かに、子どもの頃はパパと一緒にお風呂に入ったこともあるけど……やっぱり恥ずかしいよ……。
私は掛けられたタオルケットを、ぎゅっと手の中に握り込んだ。
次の日、朝起きると、体調はすっかりと良くなっていた。
今日は家庭教師の日だ。本当は昨日の薫くんとのことを誰かに話したいけど、雫ちゃんには言えないし、他にも言える友達もいない。
いいなぁ……。
私もアニメみたいに、好きな人の話を誰かにしてみたい。
それにしても昨日のメッセージ……。
私はパパを見送ったあと、ソファに座ってスクショを眺めていた。前にトーク画面を眺めていたと時に、メッセージがきちゃったから、今度はそうならないように、ちゃんとスクショをしていた。
「ふふっ」
今見ても胸がときめく……。
『ずっと葵ちゃんと仲良くなりたかったんだ。それに、葵ちゃんには元気になってほしい。だから院長とは別の角度から、僕なりに色々と病気について調べたいんだ』
そういう内容だった。それから……
『あと、院長に隠したい理由は、僕の保身。院長、葵ちゃんのこと溺愛してるから、僕なんかが近づいたら、「もう来ないで」って言われちゃうかもしれないでしょ?』
そういうメッセージだった。
“ずっと葵ちゃんと仲良くなりたかったんだ”
たったそれだけの言葉なのに、何度も読み返しては小さなため息がでる……。
そのスマホをそっと胸に抱きしめた。
私は嬉しかったんだ。薫くんが、そう思っていてくれたことが……。




