79 思わず漏れた、心の声
緊張したものの、料理教室は楽しかった。レシピ本や、動画なんかでは紹介されていない、ちょっとした“コツ”なんかを教えてもらえ、学びに繋がった。
グループレッスンだったけど、今回はみんないい人ばかりだった。
先生の話を聞き逃したところを、同じグループの人に教えてもらったり、また逆もあったり。出来上がったものをみんなで食べている時に、少し雑談なんかもして楽しめた。
久しぶりに薫くん以外の人と話したな。
これなら来週もまた行きたいな。薫くんが帰ってきたら、相談してみよう。
料理教室から帰ってくると、ソファに座りながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
やっぱりワンクッションを挟むのは、私には必要だった。それを今日、実感した。
たったの2時間半のレッスンだったのに、とても疲れた。初めての場所、初めてのこと、初めての人たちと作業をするのは、色々と気を遣ってしまい、気疲れもしていた。
アルバイトをするなら短い時間から始めよう。とりあえず5時間くらいのを探して、慣れてきたら、フルタイムで働けたらいいな。
……だけど、フルタイムとなると、今みたいなごはんを作ったりできないだろうな。掃除なんかもササっとになっちゃいそうだし……。休みの日にまとめてする?
まぁ、まだ先の話だから、それも薫くんに相談してみよう。
少しだけ眠ろうかな。
私はスマホを手に取り、30分のタイマーをかけ、ソファに横になった。
目をつむると、すぐに夢の中へと誘われた。
タイマーが鳴り、スマホを手に取る。
……うそ……もう30分経ったの?
さっき眠ったばかりだったのに。感覚的には、まだ眠りについて3分も経っていないように感じた。
だけどスマホの時計はしっかりと30分、時間が進んでいた。
まだ少し重い体を起こす。
よし。洗濯物を取り込んで畳むか。
そんな感じで、私は家事を進めた。
薫くんが帰ってくると、早速料理教室の話をした。
「今日ね、料理教室楽しかったよ」
「おっ。よかったね」
手を洗いに行く薫くんについて歩き、私は話し続けた。薫くんは、にこにことしながら聞いてくれた。今度はリビングに向かう薫くんについて歩いた。
「それでね、来週も行ってきていいかな?」
「いいよ。行っておいで」
「ありがとう」
「少しだけやることがあるから、ちょっとだけ待てる?10分くらい」
「うん。大丈夫だよ」
私はキッチンへと向かい、夜ごはんの仕上げをした。
薫くんは“やること”が終わったのか、気がついたらキッチンにいた。
「すぐにできるからね」
「うん。手伝うよ」
メインの料理をお皿に移し、私たちは二人でテーブルに運んだ。
それからいつものように会話を楽しみながら、ごはんを食べ進めた。
食べ終わると、薫くんが食器を洗ってくれた。
また私は、そんな薫くんの背中におでこと両手をくっつけるようにした。
「好き……」
……。
……あれ?
私今……
声に出して言っちゃった?
心の声を、うっかり漏らしちゃった?
……どうしよう……。
だけど薫くんは何も言ってこなかった。もしかしたら今、食器をすすいでいるから、水の音で聞こえなかったのかもしれない。
たぶん……そうだ。
よかった……。
大丈夫。聞こえてない。今度からは気をつけないと。
食器を洗い終えた薫くんは水を止め、手を拭きこちらを向いた。
あれ……?
どうしたんだろう。
いつもなら薫くんは、すぐに抱きしめてくれるのに。
私は不思議に思い、薫くんの顔を見上げた。
「本当?」
「え……」
なにが……?
「さっき言ってたこと」
うそ……。
……聞こえてたの……?
「あ……えっと、ごめんなさい。そういうんじゃなくて、その……えっと……」
どうしよう。なんて言おう。
私はパニックになり、何を言えばいいのかわからなかった。
好きだなんて言ったら、薫くんに迷惑かけちゃう。
その時、雫ちゃんの顔が頭に浮かんだ。
“もしこの先、恋人ができたとしても、その人に迷惑をかけるだけになるよ?お荷物になるだけ。わかる?”
それだけにはなりたくない。
「僕は好きだよ。葵ちゃんのこと」
「……」
……え……?
「好きだよ」
薫くんは、もう一度そう言ってくれた。その顔は、いつものように優しかった。
「僕ね、自分の気持ちを伝えることで、葵ちゃんがこの家に居づらくなるかもしれないと思って、ずっと言えなかったんだ」
本当に……?
「最近の葵ちゃんはさ、前よりも明るくなったし、色々と挑戦するようになったでしょ?だからその邪魔をしたくなかったんだ。だけど──」
私はそこで薫くんの左手を握った。
「好き……です」
恥ずかしくて、薫くんの目は見られなかった。
だから俯きながらそう伝えた。
すると薫くんも私の左手を握ってくれた。
今、私たちは両手を握り合っている。
静かな時間が流れた。
心臓が飛び出してしまいそうなほど、ドキドキとしている。
「葵ちゃん、顔を上げて?」
絶対……今、顔が真っ赤だ。
見られるのは恥ずかしい。
私は首を横に振った。
「お願い。こっち向いて?」
本当は、両手で顔を覆いたいくらいなのに、今は両手を繋いでいるから、それもできない。
私は意を決して、ゆっくりと顔を上げた。
薫くんを見ると……優しく微笑んでいた。
「好きだよ。葵ちゃん」
「……薫くん……」
「ん?」
「ちょっとごめんなさいっ」
私は薫くんから手を離すと、両手で顔を覆い、しゃがみ込んだ。
もうムリ。恥ずかしすぎる。
心臓がいつまで経っても、うるさいままだ。
お願い……このままだともう心臓が壊れちゃう……。
落ち着いて……。
そう思っていると、近くに体温を感じた。
「葵ちゃん?」
声が近いから、薫くんも今、しゃがんでいるんだ。
「どうしたの?」
「……なんだか……恥ずかしくて……」
「ふふっ。僕もなんだか気恥ずかしいよ?」
薫くんも?
「だから大丈夫だよ。葵ちゃんだけじゃないから。僕もそうだから」
「……本当?」
私はまだ、顔を覆ったままだった。
「ソファに行こう?」
薫くんはそう言うと私を立ち上がらせ、手を引いてソファへと向かった。それから私をソファへ座らせると、薫くんも隣に座った。
「僕、すごく嬉しい。気持ちを伝えてくれてありがとう」
「いや……違うの。そんなつもりはなくて……その……心の声がつい漏れちゃっただけで……いつもそう思っていたから……」
……って私……なにを言ってるの?
私の頭の中は、まだまだパニック状態だった。だから余計なことまで言ってしまった。
「ははっ。そうだったんだ。嬉しいな。いつも……か……」
恥ずかしい……。
まだ薫くんの顔が見られない。
「葵ちゃん」
「……はい」
「そんなに緊張しないで?今まで通り、仲良く暮らしていこう?」
今まで通り……
できるかな?
「ね?そうしよ?僕たちらしく、過ごしていこう?」
「うん……」
いつも通り、私たちらしく……。
「これからもよろしくね。たくさんお出かけもしようね」
「うん」
「また僕に料理を教えてね?」
「はい」
「手芸屋さんにも、また行こうね」
「うん……」
「ほらね?いつも通りだよ?」
薫くんの優しい声を聞いているうちに、少しずつ落ち着いてきた。ドキドキしているのは変わりないけど、さっきよりは、少しだけ冷静になっていた。
「……信じられない」
「え?」
「私には……恋愛とか無理だと思ってたから……」
「そんなことないよ?葵ちゃんは何だってできるから。これからも、やりたいことはどんどん挑戦していこう?」
私は本当に、素敵な人に恋をしていたんだ。
こんな素敵な人に出会えたんだ……。
そう思うと胸が熱くなった。
今までパパには、私は“まともに働けない”と言われ、月に何度も体調を崩していた。だから最初から色々と諦めていたけど……
だけど薫くんは、いつだって前向きな言葉を私にくれる。
励ましてくれて、背中を押してくれて……
実際に今、アルバイトをするためのリハビリもしている。
一歩ずつ、ちゃんと前に進んでいる。
「ありがとう。そう言ってくれて。いつもいつもありがとう」
「もう……泣かないで?」
薫くんはそう言いながら、優しく抱きしめてくれた。




