78 温かい日常
薫くんが休みの時に、二人で料理教室を探した。とりあえず、入会とかではなく、単発で申し込めるところにしようかということになり、そういうところを探した。
「あ、葵ちゃん。ここいいんじゃない?」
薫くんはそう言って、スマホの画面を見せてくれた。
「うん。良さそう。ここなら電車で2駅先のところだね」
「うん。もしここがよかったら、通いやすいだろうし、口コミもいいよ?」
私はそこに行ってみることに決め、早速予約をした。
今日は雨だった。
薫くんは、どこかへ行こうかと誘ってくれたけど、ゆっくりと休んでほしかったから、それを断った。
お昼になり、私は焼きそばを作ろうと思い、キッチンへ向かうと……薫くんもついてきた。
「どうしたの?」
「僕も手伝うよ」
「ううん。薫くんは疲れてるでしょ?ゆっくりしてて?」
「ははっ。僕はそんな年寄りじゃないよ」
そんなふうに思って言ったんじゃないのに……。
毎日働いて、帰ってきてからも勉強することがあって、だからそう言ったのに。
「冗談だよ。僕に気を遣ってそう言ってくれたんでしょ?」
「……」
「もう、葵ちゃんは顔に出やすいんだから」
薫くんはそう言いながら、私の頬を人差し指でツンツンとつついた。
なんだか恥ずかしくなった。
私……顔に出やすいの?
「ふふっ。恥ずかしくなっちゃった?」
どうやら薫くんには、お見通しのようだった。
「手伝わせて?足手まといになるだけかもしれないけど」
私はまだ恥ずかしくて、薫くんと目を合わせられなかった。
冷蔵庫を開けると、野菜を次々と取り出した。
「僕は何をすればいい?」
「本当に大丈夫だよ?休みの日くらいはゆっくりして?」
「前に言ったでしょ?僕も料理を覚えたいって」
薫くんは柔らかいながらも、真剣な表情だった。
「──じゃあ……」
私はニンジンを手に取ると、「こんな感じに切ってもらえる?」と、実際にニンジンを切って見せた。
「わかった」
そう言った薫くんとバトンタッチをし、野菜を切ってもらった。その間に私は、中華スープの支度をした。
薫くんはぎこちない手つきで、ゆっくりとニンジンを切っていた。ケガをしないか、気が気じゃなかった。
「そのくらいで大丈夫。次はキャベツをこんなふうに──」
こんな感じで、二人でキッチンに並び、料理を進めていた。
「野菜を切るだけでも一苦労だね。ニンジン、キャベツ、玉ねぎにピーマン……いつもありがとうね。毎日何品も大変でしょ?たまには一品料理をどどーん、とかでもいいんだからね?」
「ふふっ。“どどーん”って」
「だって葵ちゃん、いつも色々と用意してくれてるから」
私にはそれくらいしか、薫くんにお返しができない。
「好きでやっているだけだから」
それに、生活の面倒を全て見てもらっている。
「もっと肩の力を抜いて?」
肩の力……?
「葵ちゃん、僕との生活に、後ろめたさを感じてるでしょ」
それは……そう……。
「そんなこと気にしたらだめだよ?葵ちゃんは今、社会に出ようとしてる。僕はただ、それのお手伝いをしているだけ。だから余計なことは考えないで?それに、葵ちゃんがここにいてくれて、僕もすごく助かってるんだよ。僕たちは同等の立場だから」
そんなふうに……思ってくれてるの?
私は思わず目頭が熱くなり、薫くんに背を向けた。
そんなはずないのに。同等な立場だなんて……。
「違うよ……同等だなんて……」
「僕はそう思わない。僕は葵ちゃんみたいに、美味しいごはんは作れないし、掃除もこんなに丁寧にできない。今の生活があるのは、全部葵ちゃんのおかげなんだよ?」
薫くんはそう言うと、優しく抱きしめてくれた。
「いつもありがとうね。本当に助かってるよ」
好き……。
ここで私が否定をしても、なんだか押し問答が繰り返されそうで、私のことを抱きしめてくれている、薫くんの腕にそっと触れた。
大好き。
私はそれからフライパンを火にかけると、野菜を炒め始めた。薫くんは、隣でずっと見ていた。
「今度さ、僕がひとりで作ってみてもいい?」
「それは別にいいけど……」
薫くんは、ずっと楽しそうにしていた。
料理教室の日がきた。
私は、朝から少し緊張していた。
習い事くらいで緊張するなんて……こんなんじゃアルバイトなんて到底無理だ。
薫くんが、“習い事”の提案をしてくれてよかった。
「ふふっ。緊張してるの?」
「……うん。少し」
玄関で薫くんのことを見送る時に、そんな話をしていた。すると薫くんは私の腰に腕を回し、抱き寄せた。
「大丈夫だよ。葵ちゃんならきっと、その場の雰囲気に溶け込めるから」
「そうかな?」
「うん。大丈夫。自信を持って?」
薫くんからそう言われると、本当にそう思ってしまうから不思議だ。
「楽しんできてね?」
「うん……」
なんて幸せなんだろう。
この幸せが、いつまでも続けばいいのに……。
私は薫くんのことを抱きしめ返した。
「気をつけて行ってくるんだよ?もしもめまいが起きたら──」
「その場でしゃがんでじっとする」
「……うん。そう。無理して動かないで」
「はい」
これはパパから散々言われていたことだった。
薫くんを見送ったあと、私は緊張と期待が入り混じり、複雑な感情だった。




