69 区別
出て行ってしまった薫くんを、私はすぐに追いかけた。エレベーターはすでに稼働し、表示は下へと向かっていた。
急いで非常階段へ向かうと、早足に下りていった。
私……なんてことを……。
私から薫くんに助けを求め、今こうやって保護までしてもらっているのに……。
それに薫くんは、私がパパに対する違和感を、それは普通のことだと教えてくれた。パパが間違っているのだと。
それなのに私は、なんであんなふうに思ってしまったんだろう。
“たった二人だけの家族なんだから”
そんなパパの声が頭の中に浮かんだ。
家族……
家族って……一体なに……?
必死になって階段を下りていると、足がもつれて転がり落ちてしまった。
私がこうなるのには理由がある。
いつも家の中にいるからだ。
まともな学生生活を送っていれば、通学、体育、部活なんかがある。
だけど私には、そんなものはなかった。
だから体が鈍ってしまい、走るたびに足がもつれてしまう。
私は立ち上がると、すぐにまた階段を下りた。
マンションのエントランスまで来ると、左右を見て薫くんの姿を探した。
どっち?
どっちに行ったの?
とりあえず私は、駅の方へと向かった。そっちの方が賑わっているからだ。
途中にあるコンビニを除き、薫くんがいないとわかるとすぐに出て、また走り出した。
いない……。
薫くん、どこに行っちゃったの?
“院長のところに戻りたいなら、そうすればいいよ”
冷たくそう言っていた薫くんの声が、何度も頭の中に響いた。
ううん。
戻りたくない。
ただ……パパが元に戻ってくれたらって、そう思っただけ……。
だけど……
もう昔のパパじゃない。
だってパパは……変わってしまったんだから……。
私のことを、あんな目で見てくるんだから……。
駅に着いたけど、薫くんに会うことはできなかった。
どうしよう。
このまま薫くんが帰ってこなかったら……。
「…っ…ごめんなさい…っ…」
ついそんな言葉が、口から漏れていた。
私は泣きながら薫くんのことを探し続けた。
またマンションまで戻ってくると、今度は反対側の道を走って探した。
そのうちに脇腹が痛くなり、そこを押さえながら歩いていたけど、薫くんを見つけることはできなかった。
さっき階段から転げ落ちたからか、体中が痛い。
その瞬間は痛みなんて感じなかったのに。
だけど、打ちつけたところが徐々にジンジンと痛くなってきた。
ゆっくりと歩き、マンションへと向かう。
薫くん……怒っちゃったよね?
私のこと、嫌いになっちゃったかな?
そうやって歩き続けていると──
「葵ちゃんっ」
薫くんが走って、こっちに向かってきた。
私のところまで辿り着くと、すぐに抱きしめてくれた。
「何してんのっ」
「ごめんなさいっ」
「……僕を探してたの?」
「うん……ごめんなさい」
「……何に謝ってるの?」
「薫くん……私のことを助けてくれたのに……っ…私っ……」
「……」
「別にパパのところに戻りたいわけじゃないのっ」
「……うん」
「ただ……パパが元の優しいパパに戻ってくれたらって……」
「うん……」
「そう……思っちゃったのっ……っ…」
「うん」
薫くんは、力強く抱きしめてくれた。
「僕の方こそごめん。あんな言い方をしちゃって。ちょっと頭を冷やしたかったんだ」
「ううん。私が変なことを言い出したから……」
「本当は戻ってほしくない」
「……」
「帰ろう?僕たちの家に」
「うん」
私は薫くんに手を引かれて歩いた。
家に着くと、私の姿を見て薫くんはギョッとしていた。
「何?どうしたの?何があったの?転んじゃったの?」
私は階段から転げ落ちたことを話した。
「こっちに来て」
薫くんはそう言うと、私をソファに座らせた。それから「ちょっとごめんね」と言いながら、私のズボンの裾をめくると、「アザになってる」、「ここも……」と、私のケガの確認をしていた。
「葵ちゃん、ごめん。トップスをめくってもいい?背中や肩を見せて欲しいんだけど」
私はそう言われて、その場でトップスを脱ごうとした。
「いやいやいやっ。めくらせてもらうだけでいいからっ」
「……下着は?」
「着けたままでいいよ」
……パパの時は……全裸にさせられた。
だけど薫くんは……
私は目が覚めたような感覚になった。
パパは……おかしい……
背中や肩を確認してもらうと、私はすぐに薫くんに抱きついた。
「……私……」
そう言って以前転んだ時に、パパに裸になるように言われたことを伝えた。
「医者は……そんなことを言わないよ」
薫くんのその言葉を聞いて、私ははっきりとパパのことを“区別”できるようになった。
パパは……おかしいんだと……。
「痛かったでしょ?」
「……その時はわからなかった」
「アドレナリンが出てたんだね。たぶん、明日はもっと痛くなるよ」
「……」
「今のうちに、鎮痛剤を飲んでおこうか」
薫くんはそう言いながら、私から離れた。
「……いい」
「なんで?」
私は……このくらいの痛み、我慢しないといけない。今回転んでケガをしたのは、全部自業自得なんだから。
だから私は……
「僕は医者だよ?まだ色々と研修中だけど」
「……」
「葵ちゃんが苦しんでるのを、僕は見ていられない。今日は大人しく僕の言うことを聞いて、鎮痛剤を飲んで」
「……はい」
私がそう言うと、薫くんはため息をついた。
「……無事で良かった。家に戻ったら、葵ちゃんがいなくなってて……焦った……」
薫くんはそう言いながら、私のことを優しく抱きしめてくれた。




