61 いつかは訪れる日
薫くんの家に来てから1週間が経った。
「ごちそうさま。今日はもしかしたら、早めに帰れるかもしれない」
「本当?」
「うん。まだわからないけどね。またお昼に連絡するよ」
「わかった」
私たちは一緒に朝ごはんを食べ、今は空になったお皿を重ねながら、そんな会話をしていた。
「はい。お薬飲んでね」
「うん」
薬を手渡され、私はそれを飲む。パパから与えられたものとは違う薬。だけど、私の体調はいいままだった。
薫くん……すごいな……。
「あ、今度ね、まだ日にちは決まってないんだけど、ちょっと大きい病院で検査しよ?」
「検査?」
「そう。今まで大きい病院で検査はしたことある?」
「……小さい頃にはあったのかもしれないけど、記憶にはないかな。ずっとパパが診てくれてたから」
「……わかった。少し遠いし、検査に時間もかかっちゃうかもしれないけど」
検査か……調べても、どうせ原因不明だと言われるんだろうな。いや、その方がまだマシなのかもしれない。逆になんか見つかったりしたら、その方が怖い。
不安だな……。
「僕も一緒に行くから安心して?」
「本当?」
「うん。その病院、僕の友達の父親が院長をしてるところなんだ。だから安心して?もう友達のお父さんにも相談してあるし、きっちり検査しましょうって言ってくれてるから」
そんな話を進めておいてくれてたんだ……。
“迷惑かけて、ごめんなさい”
真っ先に頭の中に浮かんだ言葉を、口にしそうになった。
だけど……
「忙しい中ありがとう」
私はそう言った。すると薫くんは優しく微笑んだ。
玄関まで薫くんを見送り、いつも通り洗濯や掃除をした。
ある程度終わると、ソファに座り、暇を持て余していた。
今日は曇りで太陽が隠れている。
散歩も考えたけど、さっき洗濯物を干していた時の寒さを思い出し、外に出る気にはなれなかった。
冷蔵庫の中を確認する。
食材はパンパンに入っていた。自分の家の冷蔵庫はファミリータイプだったから、そのクセでついつい買いすぎてしまったのだ。
冷凍庫にはまだ余裕がある。私は食材を数種類手に取ると、使いやすい大きさに切り、ジップ袋に入れ、冷凍庫にしまった。それから下味をつけたものも何品か用意し、それも冷凍庫にしまった。
よし。これで少し冷蔵庫はスッキリしたな。
このあとは何をして過ごそう。
気がつくと、お昼になっていた。
薫くんから電話があった。
『体調はどう?』
「大丈夫だよ」
『今日は寒いから、ちゃんと暖かくして過ごすんだよ?』
優しいな。いつも私の心配ばかり。
「ありがとね。薫くんも、無理しないでね」
『僕は大丈夫だよ。あ、今日ね早く帰れるかも』
「本当?何か食べたいものはある?」
『んー……お肉かな』
こんな感じで、夜ごはんの相談をしていた。
薫くんは、今日もコンビニで買ったものを食べてるのかな?
少しだけ雑談をしていると、電話の向こうから「結城くん」と、女の人の声で、薫くんのことを呼ぶ声が聞こえた。
前に見た、あの綺麗な女の人の声に似ていた。
『ごめん。ちょっと呼び出されたからもう行くね』
「わかった。頑張ってね」
いいな。あの女の人は、きっと私よりも長い時間、薫くんと一緒にいる……のかもしれない。
ああいう人から誘われたら、薫くんはどうするんだろう。それから元カノらしき人のことも思い出した。
……薫くんの周りには、綺麗な人が多いな。まだ二人しか知らないけど……。
たったそれだけのことで、心が少し重くなってしまった。
薫くんもいつか、あんな綺麗な人と結婚をするのかな。
今は勉強や研修で忙しそうだけど、4月から病院が変われば、少し余裕ができると言っていた。
……そもそも……薫くんはなんで私に会う時間を作ってくれようとしてたんだろう。
私が……“会いたい”と言ったからだ。
だから、ただそれだけのこと。
大人な薫くんから見れば、私はきっと子供に見えるだろうな。いつも不安を抱えている私のことを、不憫に思った?
薫くんは優しい人だもん。
私がシェルターに行きたいなら、一緒に探すと言ってくれたし、私の体調を見たいからと、2〜3ヶ月はここにいて欲しいとも言っていた。
全て私への気遣いだ。
薫くんからしたら、私はただの“可哀想な人”なのかもしれない……。
胸がチクリとする。
そもそも私には、恋人なんてとてもハードルが高すぎる。ずっと諦めてきたことじゃん。アニメやドラマを見るたびに憧れ、羨み……私にとっては、まるで夢物語だった。
恋がどういうものかを知れただけでも、すごいことじゃん。好きな気持ちを知れただけで……私は幸せ者だ。
今はとにかく私にできることをしたい。
お弁当……迷惑かな……?
彼女ヅラしてると思われるかな。
でも作りたいな。
やることがないと、余計なことをごちゃごちゃと考えてしまう。
今日は曇りだからか、余計に気持ちが沈んでしまった。
日が沈み、夜になった。
この日、薫くんが帰ってきた時間は、22時を回っていた。
「ただいま。ごめんね。遅くなっちゃった。ごはんはもう食べた?」
「ううん。待ってた」
私がそう言うと、薫くんの表情が少し歪んだ。
「20時までに帰ってこなかったら、先に食べてていいから」
「はい」
「……浮かない顔をしてるけど、何かあった?」
「大丈夫」
ごはんの準備をしようと、キッチンへと向かった。薫くんはシャワーを浴びに行ったようだった。
欲張りになっちゃだめ。
ただでさえ薫くんは、こうやって私のことを保護してくれてるんだから。
薫くんがシャワーを浴び終えると、私は次々と料理を並べた。
二人で食べ始めると、薫くんはまた、さっきの話の続きをした。
「……本当に今日、何もなかった?もしかして、スマホの電源入れたりした?」
「ううん。何もないよ。自分のスマホも触ってない」
「じゃあ、具合悪いの?めまいする?」
「ううん。それも大丈夫」
全部本当のことだけど、なかなか食事が喉を通らない。
「何が不安?」
「本当に大丈夫だよ。心配かけちゃってごめんなさい」
私はそう言うと、無理やり料理を胃に詰め込んだ。
寝る支度をしていると、薫くんも寝る支度をしていた。
「今日はもう寝るの?」
「うん」
薫くんはそれだけしか言わなかった。
二人でベッドに入ると、私はいつものように、体ごと薫くんの方を向き、そっと近づいた。
この温もりを忘れないように……。
いつか訪れる“さよならの日”のために、これだけはしっかりと覚えておきたかった。




