56 ひとりじゃ怖い
「もう寝な?」
「薫くんは?」
「僕は、少し勉強してから寝るから」
薫くんはそう言うと、私の手を引き、寝室へと連れて行った。
「昨日も今日も、よく頑張ったね。ゆっくり休んで?」
「……薫くんは、どこで寝るの?」
「僕のことは気にしないで?どこでも寝られるから」
そんなふうに言うってことは……
「いい。私、廊下でもキッチンでもいいから」
「え?」
「寝る場所。屋根があるだけでありがたいから」
私がそう言うと、薫くんは笑い出した。
「ふふっ。屋根があるだけって」
だって……本当にそうだから。
「とにかく今日は、ゆっくり休んで?」
「……」
「大丈夫。僕はこのあと勉強して、ソファで仮眠を取るから」
「……いつも……そんな感じなの?」
「うん。だから大丈夫」
薫くんが忙しそうにしていたのは知っていた。だけど、こんなに忙しいだなんて知らなかった。こんな忙しい中、私に寄り添ってくれてたんだ。それなのに、こんなに迷惑かけちゃって……。
「……ごめんなさい」
「またそうやってすぐに謝る。だったら“ありがとう”って言われたいな」
薫くんはそう言いながら、布団をめくって、私を寝かせた。パパのベッドと同じくらいの広さがあった。
「ありがとう」
「ふふっ。素直でよろしい」
「……」
寝転がった時、少しだけ香水の香りがした。
「どうしたの?」
「香水の匂い……」
私がそう言うと、薫くんは少し照れた顔をして、ベッドの淵に座った。
「……しばらく葵ちゃんと会えなかったから、少しだけ布団に香水吹きかけてたんだ」
それを聞いた瞬間、顔が熱くなるのを感じた。
「もう……なんで葵ちゃんが赤くなってんの。恥ずかしいのは僕の方なのに」
私は布団を鼻くらいまで引き上げ、ついつい緩んでしまった口元を隠した。
「葵ちゃんがこの匂いを大切にしてくれているように、僕だってこの匂いに助けられてるんだからね?」
「……どんなふうに?」
「疲れたなぁって時に、この匂いを嗅ぐと癒されたり、葵ちゃんと遊びに行った時のことを思い出して、また勉強を頑張ろうって思ったり」
同じだけど同じじゃない。私は気持ちを落ち着かせるために、安心を求めるために、今までこの匂いを嗅いでいた。だけど薫くんは、癒しや活力のため。
私にとっても、この香りが安心するだけのものではなく、薫くんのように、前向きに感じられるものにしたい。
「ゆっくり眠ってね。おやすみ」
「おやすみなさい」
薫くんは寝室を出て行くと、ドアを閉めようとした。
「待って」
「ん?」
「少しでいいから、開けておいてほしい。だめ?」
私がそう言うと、薫くんは優しく微笑んだ。
「いいよ。このくらいでいい?」
「うん」
薫くんは3分の1ほど、ドアを開けたままにしてくれた。
これだと薫くんに気を遣わせてしまうかもしれない。うるさくしないようにと……。だけど、私は生活音を聞きたかった。ひとりではないと実感ができるから。
薫くんがイスに座る音がする。キーボードをタイプする音が聞こえる。紙をめくる音が耳に届く。
そういう音を聞いていると、次第に眠くなり、体がベッドへと深く沈んでいくように感じていた……。
──……やめて……
パパお願い……そんな目で私を見ないで……
こっちにこないで……
お願い……
「葵ちゃんっ」
「……」
目の前にはパパではなく、薫くんがいた。
「どうしたの?うなされてたよ?それに泣いてる。怖い夢でも見た?」
夢……?
私は頷いた。
「大丈夫だよ。ただの夢だから」
夢……。
「……今……何時?」
「4時だよ」
4時……こんな時間に、薫くんのことを起こしちゃったんだ……。
昨日何時に薫くんが寝たかはわからない。だけどこんなんじゃ、薫くんが寝不足になっちゃう。
私は両手で顔を覆った。
「ごめんなさい」
「こんなに震えちゃって……それになんで謝ってるの?」
「起こしちゃったから……」
「そんなこと気にしないで?それよりどんな夢を見たの?」
薫くんは私を優しく抱き起こすと、そのまま抱きしめてくれた。
「葵ちゃんも僕の背中に腕を回して?安心するから」
私は震える手で、薫くんのことを抱きしめた。
「どんな夢を見たの?」
さっきの夢を思い出し、今度は全身が震えた。
「葵ちゃん?」
「……パパの……」
「うん」
「パパが……」
「うん」
「私の体を……」
そこまで言うと、薫くんの腕に力が入った。
「わかった。もう大丈夫。実際にそうされたことは?」
「……ない」
薫くんは安心したように、息を吐いていた。
「明日、また詳しく聞かせて?色々と聞きたいことがある」
聞きたいこと……。
しばらく抱きしめられていると、私の震えは収まってきた。
薫くんはそっと離れると、私の顔をじっと見た。電気がついていたから、薫くんの顔がはっきりと見えた。
……悲しそうな顔をしていた。
「もう落ち着いた?」
「……うん……」
薫くんはそっと立ち上がった。
「それじゃあ、電気を消すよ?」
私はとっさに薫くんのトップスを掴んだ。
すると、薫くんは私のことを見た。
「……一緒に……」
ひとりで寝るのは怖い……また怖い夢を見るかもしれない。
「わかった」
薫くんは布団をめくると、私の隣に寝転んだ。私は薫くんの方に体を向けると、そっと近づいた。
温かい……。
明日、薫くんから何を聞かれるんだろう。
薫くんは、何を知りたいんだろう。
そんなことを考えていると、少しずつ瞼が重くなってきた……──




