53 よく頑張ったね
私はキャリーケースなんかは持っていない。とりあえず、大きめのリュックをクローゼットから引っ張り出すと、そこに洋服を次々と詰め込んでいった。
パパが“ママみたい”と言っていたワンピースは、置いていくことにした。これを見ると、パパを思い出してしまうから……。
それに薫くんからは、パパを思い出すものは置いてくるように言われていた。
次に下着。適当な巾着袋に詰め込み、リュックにしまった。
それから薫くんから貰った香水や、ネックレスの紙袋や箱。それらをリュックに……と思ったけど、入り切らなかったから、トートバッグに詰め込んだ。メイク用品もそのトートバッグに入れると、すぐに1階に行き、お仏壇に置かれているママの写真をスマホで撮影し、お線香をあげた。
ママ……ごめんね……。
また2階に戻ると、持って行かない下着を、全てハサミで切り裂いた。これは薫くんから言われたことではない。私がそうしたかった。
パパからプレゼントされた下着。初めて選んだ大人っぽい下着。これらはパパの目の前で着替えさせられた下着だ。この下着を見るたびに、“あの日”のことを思い出すから、私は切り刻んだ。
それからその下着を袋に入れると、今朝出た生ゴミや、他のゴミと一緒にまとめて捨てた。
そこで時間を確認した。
10時30分。
あと1時間もあるの……?
私は何度も、忘れ物がないか確認した。
あ……そうだ……クレカ……。
お財布からクレジットカードを取り出すと、置き手紙の隣に置いた。
それからママが使っていた香水も。
これも今となっては私の大切なものではない。元々知らない香りだったから、私にとっては忌々しい記憶が蘇るものでしかない。だからそれも机の上に置いた。
あとは……
あのぬいぐるみは持って行く。
あれは私の宝物。
他に……何か忘れていることは……
私は薫くんからのメッセージを見返していた。
そうだった。“スマホを探す”……。
この機能がオンになっていたら、“オフ”にしないといけない。
また時間を確認すると、11時になっていた。
スマホの設定画面を表示し、薫くんが送ってくれた通りに操作を進めた。
あった……これだ……。
家を出たあとに、これをオフにすれば……。
私はずっと、家の中をウロウロとしてはスマホで時間を確認していた。
何度もリュックの中身を確認しては、ファスナーを閉め、またファスナーを開けては確認することを繰り返していた。
薫くんは、“日用品は改めて買い揃えればいいから”と、お気に入りの物以外、持ってこなくていいと言っていた。
だから私はヘアオイルや、フェイスパック、基礎化粧品以外は置いていくことにした。
また時間を確認すると、11時20分になろうとしていた。
この時間なら、パパと鉢合わせることはないよね?
あ……靴……。
靴のことをすっかりと忘れていた。
私は慌てて紙袋を手に取り、スニーカーやサンダルなどを、その紙袋に放り込んだ。
約束の5分前には家を出て、薫くんに指定された場所へと向かい、“スマホを探す”をオフにした。
少しするとタクシーは到着し、私はそれに乗り込んだ。
本当に……大丈夫だよね?
むき出しのまま持ってきた、あのぬいぐるみを抱きしめながら、そう考えていた。
薫くんの病院に着き、私は前と同じベンチに座った。
北風が頬を刺すように冷たかった。
本当は院内で待てばいいんだろうけど、どこで待てばいいのかわからなくて、私はずっと、中庭で薫くんのことを待っていた。
すると、薫くんから連絡がきた。
『今どこ?』
『前と同じベンチ』
私がそう返事をすると、薫くんはすぐに来た。
「……なんでこんな寒い中、外で……」
薫くんはそう言うと、私の左頬にそっと触れた。
「こんなに冷えちゃって……」
そう言う薫くんの表情は、とても心配そうにしていた。
「……どこにいればいいか……わからなくて……」
私はそう言いながら俯き、胸に抱いていたぬいぐるみをぎゅっとした。
「ごめん。別に責めてるわけじゃないよ?それよりよく頑張ったね。よくここまで来たね」
薫くんはそう言いながら私の隣に座ると、手を握ってくれた。
「私……とんでもないことをしちゃったのかな……」
「ううん?そんなことないよ?葵ちゃんは今日、勇気を出して来たんだよ?自分で未来を選んだんだ」
自分で未来を……
「これ」
薫くんは、鍵を手渡してきた。
「……」
「僕の家の鍵」
「……シェルターとかに行くんじゃないの?」
「葵ちゃんがそうしたいなら、あとで一緒に探そう?今日はとりあえず僕の家に来て?」
薫くん家に……
そんなこと、全く思ってなかったから、急に緊張してしまった。
「ごめんね?昨日の今日だったから、時間がなくて……でもこういうことは早い方がいいから」
「ううん。ありがとう」
「あ、僕の家に着いたら、もうスマホの電源は切っちゃってね?もしかしたら、手紙に気がついた院長が、電話をたくさんかけてくるかもしれないから」
そうだよね……。
普通はそうするよね……。
「そうなると、葵ちゃんのストレスになるでしょ?」
「……うん」
私はまた、胸に抱いていたぬいぐるみを抱きしめ直した。
あ……薫くんの家って……
「マンション?」
「ん?」
「薫くん家って、マンション?」
「うん。そうだよ?」
「オートロック?」
「うん。だから安心して大丈夫だよ?」
「……違うの。入り方がわからない」
「簡単だから大丈夫」
マンションの入り方を、薫くんは教えてくれた。
それから家に着いたら、薫くんに必ずメッセージを送るように言われた。
薫くんは、ひと通り話終わると、私の荷物を持ち、「こっちにおいで」と言ってきた。言われた通りについて行くと、そこは院内の休憩スペースのようだった。お見舞いに来たような人たちが、休んでいるのがちらほら目に入った。
「ここでちょっと待っててね」
薫くんはそう言うと、どこかに行ってしまった。
しばらくして戻ってくると、薫くんの手にはコンビニ袋が握られていた。
「お腹減ってない?」
「……食欲ない」
「だめだよ?ちゃんと食べないと」
袋の中にはおにぎり、サンドイッチ、菓子パン、フルーツゼリーなんかが色々と入っていた。
私はフルーツゼリーを手に取ると、それを食べた。薫くんもおにぎりを食べていた。その間は、薫くんは私を落ち着かせるためなのか、他愛もない話をしていた。
しばらくすると、タクシーが到着したようで、私はそれに乗り込み、薫くんの家へと向かった。




