50 今よりも少し、深い関係
昨日はあまり眠れなかった。
あのあとパパは私の体調を心配して、ベッドに戻った私を抱き寄せると、ずっと背中をさすっていた。
だけどそれが……
とても気持ち悪かった。
薫くん……
薫くんの声が聞きたい……。
朝起きると、パパは私の顔を見て「今日は家庭教師、お休みにする?」……そう聞いてきた。
だけど……もしかしたら雫ちゃんに、助けを求められるかもしれないと思い、私はパパの提案を断った。
こんなこと……薫くんには言えない。パパのことを尊敬して、研修医として忙しい中、パパの病院で勉強をしている薫くん。そんな薫くんにこんなことは言いたくなかった。
パパが仕事に行ったのを確認すると、すぐにメッセージアプリを立ち上げた。
『おはよう。昨日は楽しい誕生日になった?』
薫くんからのそのメッセージを見て、私は涙が込み上げてきてしまった。
そのはずだった。楽しく終わるはずだった。途中までは確かに楽しかった。
なのに……
『おはよ。楽しかったよ』
私はそう返した。
この時間、薫くんからは返事はこない。
次に薫くんと繋がれるのはお昼だ。
だけど、それも毎日のことではない。
薫くんの……声が聞きたい……。
私は急いで自分の部屋へと向かうと、あのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
会いたい……。
薫くんに会いたい……。
会って抱きしめてもらいたい……。
お昼になり、私はずっとスマホを手に取り、薫くんからの連絡を待っていた。
お願い。
返事をして?
お願い……。
すると、1階からパパの声がした。
帰ってきたの……?
私は自分の気持ちとは裏腹に、自然と体が1階へと向かっていた。
「体調は大丈夫?」
「……はい……」
「このあと雫ちゃんが来るけど、ちゃんと勉強できそう?」
「……はい……」
「まだ色々と混乱してるよね?」
「……」
「大丈夫だから。パパに全てまかせて?」
何が……大丈夫なの…?
「雑炊を作るから、食べられるだけ食べるんだよ?」
「……はい……」
パパはキッチンで、雑炊を作り始めた。
でも結局、私はそれを食べることができなかった。
午後1時になり雫ちゃんが来ると、リビングに通してから、私はすぐに助けを求めた。
「パパが……おかしなことを言ってるのっ」
「どうしたの?いきなり……」
「……パパが……私を妻にって……」
すると雫ちゃんの目が輝いた……ように見えた。
どうして……
「なになに?どういうこと?」
「パパが……私と……結婚するって……」
「めっちゃラッキーじゃんっ、葵ちゃんっ」
え……?
「お父さん、葵ちゃんを妻にしたいって言ったってことでしょ?」
なんで……こんな嬉しそうに……
「葵ちゃんっ、ツイてるよ」
ツイてる……?
「こんなこと、滅多にないよ?」
滅多にない?
何を言ってるの?雫ちゃん……。
「私なんて、お母さんがいたから夢が叶わなかったけど、葵ちゃんはそれが叶うんだもんね。羨ましいなぁ……」
……羨ましい……?
それを聞いて思い出した。
雫ちゃんの初恋は“お父さん”だってことを……。
これじゃあ、この違和感に共感してもらえない。
「いいなぁ、葵ちゃんは。すっごく恵まれてるよ。大好きなお父さん……いや、パパにそんなに愛されてて」
なに?なにが言いたいの?
「葵ちゃんのパパ、すっごく優しいもんね」
それは……そうだけど。
「葵ちゃんのパパなら、きっと優しくしてくれるよ?」
何を……
「初めての相手がパパだなんて羨ましいっ」
だから何の話……?
雫ちゃんを見てみると、パパと同じように、笑っていない目、パパよりも口角の上がった表情をしていた。瞳孔は、カッと開いているかのように見えた。
「葵ちゃん?大丈夫だから。“パパ”に身を委ねて?」
雫ちゃんは、私の両肩を掴みながらそう言った。
「大丈夫。パパなら優しくしてくれる」
「……」
「そのまま身を委ねて?わかった?これは絶好のチャンス。親子愛が親子恋愛に変わっただけのこと」
親子恋愛……?
そんな言葉……知らない……。
「パパは葵ちゃんのことを愛してる」
愛してる……。
……。
やっぱり……。
こんなの変だ。
「葵ちゃんは運がいいねっ」
運がいい?
「ママが早くに亡くなったから、パパを手に入れられるっ」
ママの死を、そんなふうに言わないで欲しい。
雫ちゃんはずっと楽しそうにしていた。
「葵ちゃん、よかったね」
「何で……」
「いいなぁ」
「……」
「パパと結ばれるんだよ?」
結ばれ……たくなんてない。
「……葵ちゃんは……嬉しくないの?」
嬉しくなんてないよ。
雫ちゃんは私の両肩を掴んだまま、しっかりと私の目を見た。
「……葵ちゃん……大丈夫。今は混乱してるんだよね?ごめんね?私ひとり、テンションが上がっちゃって。でも大丈夫だから」
「……何が……」
「そのうち慣れる。今までもパパと二人でやってきたんでしょ?」
それはそうだけど。
「葵ちゃんはパパのことが好きだよね?」
好きだけど……。
「大丈夫。今よりも少し、深い関係になるだけだから」
「……」
すると今度は、雫ちゃんは私のことを抱きしめ、まるで落ち着かせるかのように背中をトントンとしてきた。
「大丈夫。大丈夫だよ?葵ちゃん。落ち着いて?葵ちゃんはこの先もずっと、パパと一緒にいられるんだよ?素敵なことだよね?それに葵ちゃんは体調が安定しない限り、仕事もできないし、出会いもない。だったら、このままパパと結ばれた方がいいと思わない?」
思わない。
「ね?大丈夫だから」
何も大丈夫だなんて思わない。
「このまま一生恋人ができないより、よっぽどマシでしょ?葵ちゃんの病気は治るかもわからないんだし、もしこの先、恋人ができたとしても、その人に迷惑をかけるだけになるよ?お荷物になるだけ。わかる?」
迷惑……お荷物……。
やめて……
もうやめてっ。
私は雫ちゃんに“めまい”がすると言い、帰ってもらった。
雫ちゃんは、ずっと気持ちの悪い笑い方をしていた。
薫くん……。
スマホを手に取ると、メッセージが届いていた。
『それならよかった。今度僕とも、誕生日のお祝いをしようね』
そんな返事が届いていた。
私はすぐに薫くんに電話をかけた。だけど……薫くんが出ることはなかった。それでも何度もかけ続けた。
お願い……。
出て……。
何度も願いを込めて電話をしてみたけど、薫くんが電話に出ることはなかった。




