48 ……え?
部屋の中がしんとしていた。
パパは何も言わず、私の言葉を待っているようだった。
さっきと変わらず、笑っていない目、口角の上がった口元……その表情を崩さずに、じっと私のことを見ていた。
指先が震えるのを感じる。
座っているはずなのに、脚に力が入らないのを感じる。
鼓動も早くなっている。
寒さと暑さを同時に感じる。
キーンと、耳鳴りも感じた。
思わず泣きだしてしまいそうになった。
お願い……それを私から取り上げないで……。
そんな私の口から出た言葉は──
「道に落ちてて……それを拾ったの……」
これだった。
私はすぐにストーリーを組み立てた。
「高価そうなものだったから、落とした人が困ってると思って……それで、交番に届けようと思ったんだけど、夜ごはんのメニューを考えているうちに、拾ったことも忘れちゃってて……」
それを聞いたパパは、いつもの優しい顔に戻った。
「なんだぁ。パパ驚いちゃったよ。葵にもついに彼氏ができたのかと思った」
「……そんなこと、あるわけないじゃん。ほとんど家にいるのに、出会いなんてないよ」
「それもそうだよね。それにしても、葵は優しい子だね。わざわざ交番に届けようとしていただなんて」
パパはそう言いながら、私に巾着袋を手渡した。
……よかった……。
パパが交番に届けると言い出したら、どうしようかと思った。
まだ心臓がバクバクとしている。
神様お願い……
私から…薫くんを取り上げないで……。
普段は神様だなんて信じていなかった。
今まで何度も願ったことがあったのに、何ひとつ叶わなかったから。
病気が治りますように…
学校に行けますように…
友達ができますように……。
そうやって何度も願ってきたけど、私の願いは叶わなかった。
だけど……
今回ばかりはそう願ってしまった。
どうか……どうか薫くんだけは……。
薫くんと電話ができたのは、バレンタイン当日のお昼だった。
「本当はね、バレンタインのお菓子、渡しに行きたかったんだ」
『その気持ちだけで嬉しいよ。……やっぱ今の嘘。また葵ちゃんが作ったお菓子食べたいから、タイミングがいい時に、作ってくれたら嬉しいな』
やっぱり薫くんは優しいな……。
しばらくお菓子のことを話してから、私はこの前のことを話した。パパにネックレスのことがバレた時のことを。
『ははっ。よくそんな機転が効いたね』
「うん。前にね?スーパーに行く途中で、お財布を拾って交番に届けたことがあったの。そのことを思い出して、咄嗟にそう言ってた」
それから、パパが私の代わりに、交番に届けなくてよかったとも伝えた。
『ふふっ。もしそうなっても、僕が取りに行ってたから大丈夫だよ』
あ……なるほど……。
そっか。
「そこまで頭が回らなかった」
『そりゃそうだよ。そういう時は、頭が真っ白になっちゃうからね。でも葵ちゃんはよく乗り切ったと思うよ?』
私はあのぬいぐるみを胸に抱きながら、ソファに寝転んだ。
「うん……頑張った」
『あのネックレス、大事にするって言ってくれてたもんね。本当に大事にしてくれてありがとう』
そんなんじゃない。私の宝物だから。
あのネックレスも、イヤリングも、このぬいぐるみも……
全部全部守りたかった。
『しばらく会えなくてごめんね?また必ず、時間作るから』
「うん。薫くんが一生懸命に頑張ってるの知ってるから、平気だよ」
今日のお昼は、こんな感じで楽しい時間を過ごすことができた。
電話を切ると、窓の外を見た。
綺麗な青空だった。
誕生日当日、パパは朝から浮かれていた。
「葵、18歳のお誕生日おめでとう。今日はパパが帰ったらお祝いするからね?料理もケーキももう手配してるし、葵は何もしなくていいからね?」
「ありがとう。楽しみにしてる」
パパを見送ると、私はすぐにメッセージを確認した。
『お誕生日おめでとう。葵ちゃんにとって、素敵な1年になりますように』
嬉しい……。
『ありがとう。本当にそうなるといいな』
私はそう返した。
薫くんからの返事は、たぶんお昼だろうな。
いつも通りに洗濯機を回し、掃除機をかけ家事をした。
それからリビングソファに座ると、今お気に入りのアニメを見ていた。
そういえば明日は家庭教師の日だ。最近具合が悪かったから、久々に雫ちゃんに会える。私はそれも楽しみだった。
お昼になると、薫くんから返事がきた。
『願っていれば、そうなるよ』
朝のメッセージで送ってくれていた“素敵な1年……”の話だ。
だといいんだけど……私はそうなったことが一度もない。
『うん。ありがとう』
『今日は電話できる?』
薫くんがそう言ってくれたから、私はすぐに電話をかけた。
暖かな陽が差し込むリビングで、薫くんとの会話を楽しむことができた。
それだけで私は、とても幸せな誕生日になったと思った。
パパが帰ってくると、次々と有名なホテルのオードブルが家に届いた。もちろんケーキも。
「こんなに豪華にしなくてもよかったのに」
「葵の成人の日だよ?これくらいはしないと。今度外でも、改めてお祝いするからね。パパと美味しいものを食べに行こう?」
「これで十分だよ?」
「ううん。パパがそうしたいからさせて?」
パパは嬉しそうに、それから少し浮かれているように見えた。
そんなパパを見て、私も少し嬉しくなった。
「いつも心配ばかりかけちゃってごめんね?パパのおかげで、ここまで大きくなったよ。ありがとね」
「そんなこと言わないで?パパ泣いちゃう」
「ははっ。パパ本当に涙ぐんでるよ?」
「だって……」
ママが亡くなってから、パパはたったひとりで私を育ててくれた。私が気づかなかっただけで、パパは色々と苦労をしてきたのかもしれない。
ううん。きっとそうだ。パパは元々料理をしなかったのに、いつの間にか美味しい料理を作るようになっていた。小さい頃の記憶だから、あまり覚えていないけど、きっとパパは、私の知らないところで色々と努力をしていたんだ。
そう思うと、ここまで育ててくれたパパに対して、感謝の気持ちが湧いて出てきた。
「パパ……本当にありがとう」
「パパは葵のことを愛してるからね」
こうやって、二人きりのお誕生日会が始まった。
私は楽しげな曲をスピーカーから流し、パパが用意してくれた料理を楽しむ。そのあとケーキも美味しく味わった。
そこでパパは、私に小さな箱を手渡した。
「はい。パパからのプレゼント」
その小さい箱を見た時、私は心の中で胸を撫で下ろした。
よかった……今回は下着じゃない。
「ありがとう」
「開けてみて?」
「うん」
私はリボンを解くと、そっとその箱を開けてみた。
「今日で葵は、パパの娘を卒業しようね?」
「……え?」
どういうこと?
パパはずっと、嬉しそうに笑っていた。
「今日からは、パパの妻になろうね」




