45 嫉妬
薫くんと会う日がきた。
約束の土曜日。
私はパパを見送ると……何も準備ができなかった。
今日は14時に薫くんと会う予定だから…。
もしもお昼にパパが帰ってきて、私がメイクをしているのを見たら、絶対に不審がる。ひとりでファッションショーをしていたと言えば、きっと信じてくれるだろうけど……そう何度も通用するとも思えない。
私は夜ごはんの下準備を済ませながら時間を潰していた
本当はメイクがしたい。髪を巻きたい。
だけどいつも通り、すっぴんのまま部屋着を着て、時間をやり過ごしていた。
13時になった。
もうパパは帰ってこないかもしれない。
私はそう予測をして、スキンケアをし、下地を塗ると、薄くファンデーションを塗った。
きっとこの程度なら、パパもし、今帰ってきたとしても気がつかないよね?
続いて髪を緩く巻き、ヘアセットをした。
また時間を確認すると、13時30分。
よし。この時間ならもう大丈夫。
私は10分でメイクを仕上げると、予め決めていた服に身を包み、薫くんからもらったイヤリングを着けると香水を吹きつけ、家を出た。
予定より、少し家を出るのが遅くなってしまった。
白い息を吐きながら、走って待ち合わせ場所へと向かう。
……いた……薫くん……。
すると、ひとりの綺麗な女性が、薫くんと一緒にいるのが見えた。
私は咄嗟に、近くの死角に隠れた。
「それよりさ、元気にしてた?」
女の人が、薫くんに声をかけているようだった。
知り合い?
……誰……?
「……別に……普通……」
「もうっ。一度付き合った仲なんだから、そんなによそよそしくしないでよ。中学生じゃないんだからさぁ」
一度付き合った仲……?
あんな綺麗な人と薫くんが……?
「今から大事な人が来るから、もうどっか行ってくれない?」
薫くんの冷たい声が聞こえてきた。
“大事な人”……?
「えー?誰が来るのー?」
「……早くどっか行って?」
……迷惑そうな声……初めて聞いた……。
「そんなこと言わないでよ。私も一緒に待ってていい?どうせ暇だし」
「やめて?早くどっか行って?変に勘違いされたら困るから」
「……」
「聞いてる?」
「……私、まだ薫のこと好きだから」
「どうせ嘘でしょ?それに僕は好きじゃない。だいたい、僕たちが付き合っていたの、いつだと思ってるの?」
それを聞いて、少し安心した。
「……何年経っても忘れられないの」
「はぁ……」
薫くんのため息が聞こえてきた。
「本当だよ?薫のことが、忘れられない」
「嘘。僕はわかってる」
「もう……あのことでしょ?あれは友達の悪ふざけだから」
「それは関係ない。元々僕は好きじゃなかった。君がしつこかったから──」
「体の関係まであったのに?」
「……」
「少しくらい、好きな気持ちはあったでしょ?」
……体の関係……。
私の知らない世界。
大人の世界……。
……。
私はそれ以上は聞いてはいけないと思い、そっとその場から離れ、走り出した。
だけど、いつかのように足がもつれて転んでしまった。
なんでこんな時に……。
私はすぐに起き上がると、膝や手についた砂や埃を手で払った。
それから、道に散らばってしまったバッグの中身を、回収していた。
「葵ちゃんっ?」
薫くんはすぐに駆けつけ、私にケガがないかの確認をしてきた。
さっきの女の人は、もういなかった。
今回は派手に転んだわけではない。タイツも履いていたし、膝を擦りむくこともなかった。
「大丈夫?」
「……大丈夫。ごめんなさい……今日は帰る」
「どうして?」
胸が……痛いから……。
「……」
「葵ちゃん?もしかして、さっきの話聞いてた?」
聞いてた……。
薫くんは、あんなに綺麗な人と付き合ってたんだ……。
私に勝ち目なんてない……釣り合わない……。
「もう……帰らないと」
頭がパニックになっていた。
胸がずっと締め付けられていた。
「どうして?」
「……帰りたい……」
だけど薫くんは、私の目をじっと見つめたまま、腕を放してくれなかった。
「帰らないと……」
私がそう言うと、薫くんは抱きしめてくれた。
「なんで?せっかく会えたのに」
「……」
「葵ちゃん?」
「……釣り合わない……」
「ん?何が?」
「私……綺麗じゃない……」
「……どういうこと?」
薫くんは、あの香水をつけていた。
「薫くんの隣を歩くのに、私は相応しくない」
「……葵ちゃん。葵ちゃんは綺麗だし可愛いよ?今日だってすごく可愛い」
そんなはずない。さっきの人の方がよっぽど綺麗……。
……また……嫌な自分だ。
卑屈になってる。素直になれない。
なんで?
心の中では、薫くんの体温や、言葉に喜んでるのに、なんでこんな嫌な感じになっちゃうの?
「……」
「葵ちゃん?」
嫉妬って醜い。
薫くんを……誰にも取られたくない……。
私は薫くんの体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい」
「……何に謝ってる?」
薫くんはそう聞きながら、腕に力を込めていた。
「また……嫌な自分になった」
「大丈夫だよ。もしまたそうなっちゃったら、僕がこうやって、何度でも抱きしめるから」
本当に?
でも……
「……いつまで……」
「ん?」
いつまで薫くんは、こうやって私のそばにいてくれるの?
急にふと、そんなことを思ってしまった。
「なに?」
だけど結局、それを聞くことはできなかった。
私は薫くんからそっと離れ、「なんでもない」と伝えた。その言葉を聞いた薫くんは、少し寂しそうにしていた。
それから駐車場へ向かうと、私たちは薫くんの車に乗り込み、カフェに向かった。
「この前葵ちゃん、洋食屋さんに行った時に、お店の雰囲気をとても気に入ってたでしょ?だから今日もね、そんな感じのカフェ……というよりは喫茶店を見つけたから、そこに行くよ」
私のために……。
「ありがとう。楽しみ」
「うん。僕も楽しみ」
少し静かな時間が流れた。
さっきのことが、ずっと胸に引っかかっていたけど、私はあまり考えないようにした。
せっかく会えたのに、会話はない。だけど、その時間がちっとも嫌じゃなかった。
とても穏やかで、安心できる時間。
次々と流れていく景色を、私はただただぼんやりと眺めていた。




